第四章 激白! 大団円……でもどこか変

 駅前の喫茶店はちょっとした貸切状態だった。いや、仮に客が立ち入ろうとしても、そこにいるメンバーに恐れをなしてそそくさと逃げ帰っただろう。


 なぜならフロアーの半分以上を学ランの不良鬼たちが占めていたからだ。そして、その奥にはメズナとソノカが、仲良く一緒のチョコレートパフェを前に座っていた。ちなみに鬼たちはコーヒー。


 店主はそんな連中でも怖がることなく、対応していた。単純にお客がたくさん来て嬉しいのと、早く奥に引っ込んでワイドショーが見たいからだった。


「困ったぁ……」

 パフェを二口食べて、メズナが呟いた。

「困りましたねえ」

 と、返事をしてからソノカが一口。

「いやあんた、本当に困ってるの? 昨日の大失態よ、あそこであのマコトとかいうのをメタメタにして、エマを拉致して計画を実行できたというのに! 何あれ、槍なんか振り回して!」

「槍は危ないですよねえ」

「危険性はどうでもいいの、それにあんたたち、あの人に絡んでどうするのよ!」

 メズナはスプーンを置いて、きっとフロアーを睨むと、鬼たちがすまなさそうに、大きな体を縮める。

「だって、誰が『あの人』かわからなかったし、美少年をメタメタにすればメズナさんも喜ぶかな、と思って……」

「性癖と仕事を混同しないで! 私はあの人に借りがあるし、恩を仇で返すようなことして、もう!」

「確か……閉じ込められていた煉獄から助けてくれたんですよね」

「そうよ、そりゃ裏には何かあると思うわよ。でもね、亡者がひいひい泣きわめくような地獄に戻したいのよ、私は。何が『住みやすい地獄』よ! それには相手が誰だろうと協力しつつ、利用して、今の地獄政権をぶっ壊さないと。あの連中とやりあうのはそれからでも遅くないわ!」

「全て終わってからあの美少年をメタメタにしたい、というのですか? 裸に向いて逆さづりですか?」

「そうそう、もちろん鞭でたっぷり打ち据えてね……じゃないわよ! そっちの話はいいから、早く次の計画を練るのよ! ホラ、あんたたちも無い知恵絞って!」

 再び、メズナが鬼たちを睨む。

「地獄送りをじゃんじゃん増やして……そのためにもエマには手伝ってもらわないと」

 そしてメズナはチョコレートパフェにがっついた。


 そういや、あれから三日になるか、とマコトは思い出した。エマと喋ってないし、部室に顔を出しても誰もいない。誰もいないので、今のところ、部活動は休止状態だ。


 エマは相変わらず、物憂げに中空を見つめ、時折、ため息をついたり、机に伏せたり、と全身で『無気力』を表現していた。

 そんなエマに声を掛けても、『ふう』『はぁ』といった曖昧すぎる返事しか返ってこない。

 やはりメズナたちのことがよほどショックなのか……とマコトは思いつつも、現状を打破しないとどうにもならないことも分かっていた。


 キョウカとはエマのことで何度か相談したのだが、そのたびに言葉の代わりに拳で返答されるので、顔にはアザや生傷が絶えず、いい加減イヤになっていた。

 キョウカもまた、どうしていいのか分からずに、イライラしているようだった。

「だからと言って、人に手を上げるのはどうかと思うぞ」

 そう呟き、マコトは相変わらず人だかりが途絶えることのないアキラの席を見た。

 深く、暗いマコトたちとは対照的に、あちらはいつもにぎやかで明るい。

「そんなにいいのかね、転校生が。ちょっと男前だからだろ?」

「ちょっとどころか、規格外の男前らしいな。あいにく、私は興味ないがな」

 そんなマコトの前に、すっとキョウカが立った。

「それよりおい、マコト」

 キョウカは、相変わらず不機嫌そうで、ぶっきらぼうな口のきき方だった。

「なんだよ」

「いい加減こっちとしても、このままというのはよくないと思う。もう一度、エマ様に話を聞いてもらいたい。そこでお前にも手伝ってほしい」

「いいけど、何をどうするんだ? 俺はもう、思いつくだけの励ましの言葉を送ったつもりだ。それに……恥ずかしながらノートの切れ端にメッセージを書いて、そっと机に忍ばせたが、無視された」


 ブゴォ!


「エマ様の机を物色するとは、貴様ぁ!」

 キョウカの怒声と拳が同時に飛んできた。勢いよくマコトは椅子ごと倒れたが、誰も気づかない、もちろん、エマもだ。

「フフ、悩むあまり、拳の切れ味も鈍ってるぞ。ためらいが見えるな」

 と言いながら、切れた唇から血を流し、マコトが立ち上がる。

「なにぉお!」

 激高したキョウカの二発目がマコトに向けられるが、それをスルリ、とかわした。かわしてしまった。

「ほらな」

 ニヤリ、とするマコトもまた、この現状をどうにかしたいと、心のどこかで苛立っていたのだ。

「このぉ、マコトのくせに、マコトのくせに!」

 パンチをよけられたのがよほど悔しかったのか、キョウカの目にはうっすらと涙がにじんでいるように見えた。

『そんなことで泣くのかよ、でも泣き顔はちょっとかわいいな』

 と、よからぬことをマコトが思っているところに、キョウカは三発目のパンチ、ではなく体ごと、もちろんその胸をふるんふるんと震わせ、飛び込んできた。

「このぉお!」

「え? お、おい、ちょ?」

『突然の抱擁? いいぜ、感情が爆発しちゃんだな、俺が受け止めてやるよ』

 と思ったマコトはとっさに両手を広げ、キョウカを受け止めようとした。

 が、その胸に飛び込んできたのは、豊かな胸のふくらみではなく、ショートカットを傘を広げるように振り乱した頭部だった。


 ゴズン!


 鈍い音と固い頭部の衝撃を受け、椅子や机をなぎ倒しながら、勢いよくマコトは後ろに吹っ飛んだ。すかさず、そこにキョウカが馬乗りになった。

「この、この、このぉ、マコトが、マコトの分際で!」

 半べそをかきながら、キョウカの拳がマコトの顔面を連打……のはずだが、それはどこか弱々しく、ぺちぺちと平手をたたきこんでいるだけだった。

「お、おい、やめろ、やめろよ、こんなんじゃいつまでたっても何も解決しないぞ!」

 平手打ちに顔を左右に振られながら、マコトは叫ぶ。だが、見上げた先には平手を繰り出す動きとともに、ふわっさふわっさと揺れるキョウカの2つの大山脈があるので、しばらくこのままでもいいかな、とも思った。でも痛いのは御免だった。

「やめろって!」


 うにょり。


 押しのけようと伸ばしたマコトの両手が思わず、キョウカの鎖骨下からずん、と広がる大山脈をむんず、と掴んだ。いや掴んでしまったのだ。

「いひっ!」

 カッと目を見開き、キョウカは、マコトを見下ろす。

 マコトの両手の平には下着越しにマシュマロのような、ビーズクッションのような、そんな柔らかな感覚が広がり、痛みを和らげてくれるような……感じがした。

「あ……」


 うわっし、うわっし。


 と、軽く手の平に力を入れる。柔らかな感覚は全身を包み、特に下半身においては活気と景気回復を呼び掛けているように……思えた。

 

 その間、キョウカは両手をLの字に曲げ、中途半端な『バンザイ』のポーズのまま、固まっていた。


「こ、ここ……ココココ……ここ」

 ニワトリでも憑依したのか? とマコトは思った。

「このぉおおおお!」

 さっと顔を紅潮させたキョウカが、マコトの両手を掴み、引っ張り上げる。

「うわっと!」

 柔らかな胸の感触にサヨナラを告げる間もなく、マコトは立ち上がり、一瞬、キョウカと、向かい合う格好になる。が、そこでバランスを崩したキョウカが後ろに倒れた。両手を掴まれたままのマコトも、一緒に倒れる。

「あわわぁあ!」

 今度は逆に、キョウカの上にマコトが覆いかぶさる形になった。

「きゃっ」

 マコトの下で、顔を赤らめたままのキョウカが女の子っぽく、可愛い声で横を向く。

「あ……れ?」

 いつの間にかマコトの両手は再びキョウカの大山脈の上にあり、今にも押しつぶそうになっていた。


 うわっし。


 己が生存を確認するように、マコトの手の平が、大山脈の上で、軽く開閉する。

「く……」

 さっきとは一転、きっとマコトを睨んだキョウカの瞳には、怒りの炎が立ち上がり、ちょっと胸を触ったぐらいでは女子は『イヤン♪』なんて言わないんだな、あれはフィクションの世界だけなんだな、と思いながら、これから起こるであろうキョウカの反撃に、戦々恐々としていた。


 ズン!


 反撃はすぐにやってきた。

 がら空きになっていたマコトの股間に、キョウカの右膝がえぐるように入った。

「あぐひっ」

 マコトは顔を上げ、ビクンと体を震わせ、両手で股間を押さえようとした……その間にするりと抜け出たキョウカがマコトの髪をつかんで引っ張る。

「このぉおおお!」

 ぶちぶちと、髪の毛を何本か抜け落としながら、マコトはキョウカにされるままに、廊下に引っ張り出された。

「だって……これはちょっとした事故だろ、それにお前も一瞬気持ちよくな……」

 股間を押さえ、言い訳するマコトのそばから、ふっとキョウカの気配が消えた。

「え?」

 これで終わったのか? と顔を上げたマコトの視界には、廊下の奥から駆けてくるキョウカの姿が見えた。その小さな姿が徐々に大きくなってくる。

「うぉおおおおおおおらあああああああ!」

 髪を振り乱し、顔を赤らめながら、それこそ地獄の鬼神のような形相で、そして柔らかな感触をマコトにプレゼントしてくれた胸をゆささゆささ、と揺らしながらキョウカがものすごい勢いで近づいてくる。

 しかしマコトには、もうよける力さえ残っていなかった。ただ、あれは別に走りたくてやっているのではなく、こっちに対して何かを仕掛けるための長い助走なのだ、ということだけは分かった。

「てりゃあああ!」

 マコトの手前まで来ると、キョウカの体が左足を軸にふわりと浮いた。そして、右脚が空を切って伸びきって、その甲がマコトの左こめかみにきれいに刺さった。 


 ズギャリ!


 こめかみから頭蓋に走るような衝撃を、そして蹴り上げた際に見えたキョウカのスカートの中をしっかりと痛覚と視覚に受け止めながら、マコトの意識は遠のいていった。

「パンチだけじゃないのか、いやそこはキャラ統一しろよ。それにしても水色のパンチ、いやパンツか……結構普通だな」

 パンツの色について、何をもって普通かそうでないのか、基準がよくわからないが、そんなことを呟き、マコトの体はどどん、と冷たい廊下に沈んだ。


 マコトとキョウカの2人が上になったり下になったりしと大騒ぎしている間も、アキラの周りには女子の群れが囲み、エマは魂の抜けたように力なく席に着き、ボンクラ男子学生たちは、携帯やカードゲームに勤しみ、誰もそんなことには気づいてはいなかった。

「と、言うことでさ……」

「ひゃ」

 その声に顔を少し上げたエマは、頭部に包帯を巻き、顔中に絆創膏が張られたマコトに、少しだけ、本当に少しだけ声を上げた。

「いい加減、活動再開したいと思う。いや、しなくてもいいからさ、そのもうちょっと元気になってほしいかな、と思ってさ」

 喋るたびに、口内にできた傷がひりひりと痛み、鉄っぽい味が舌の上に広がった。

「そ、そうです。エマ様にお元気になってもらえないと、私たちもどうしてよいものか」

 マコトの少し後ろで、髪を乱したままのキョウカが口を開く。その姿にも、エマは少し驚いた様子だった。

「それで……2人はそんな姿に?」

「まあ、ちょっと話し合いを……」

 そういってマコトはキョウカを見た。同意するように、そして少し照れたように、キョウカがうん、とうなずく。

「話し合いでそんな姿に?」

 さらに驚いたエマが目を丸くした。そこに、ほんの少し、2人を心配しているような気配がマコトには見えた。

「まあ、本音のぶつけ合いというか……」

 実際は体のぶつけ合いだったのだが。

「エマ様……」

 心配そうな声を、キョウカが出す。先ほど華麗な飛び膝蹴りをマコトに浴びせた人間とは思えない、しおらしい声音だ。

「分かってます。自分でも何とかしたいと思ってるんです。でも、同じ地獄の人間が、私に刃向うなんて……今までやってきたことを全部否定されたようで。ソノカもちょっと変わったところはあったけど、それでも私は……」

 そう言うと、エマは机に伏せてしまった。

「逆効果だったかな」

「心中察しますが、しかし……おい、何とかしろ」

 ごつごつと、キョウカが肘でマコトを小突く。

「そう言うお前も何とかしろよ。付き合い長いんだろ」

「むう……」

 お互い、これ以上の妙案は思い浮かばない、という感じで途方に暮れてしまった。

「あれ、ひょっとして……」

 よく通った声がして、エマが顔を上げる。

 マコトたちの前に、美形メガネ男子が立っている。アキラだ。

「君、この前、不良から僕を助けてくれた子だよね?」

「私……ですか?」

 エマは、きょとんとした顔でアキラを見ている。

「ほら、あの鬼みたいな不良に絡まていたのが僕ですよ。宇津木アキラ」

「『鬼みたい』、というより本物の鬼だけど」

 という、マコトの言葉は、2人にスル―されてしまった。

「そう、だったわね」

 メズナたちのことで頭がいっぱいのエマは、力なく答える。

「そうそう、ひょっとしたら君じゃないのかな、と思ったんだけど……なかなかあそこから抜け出せなくて」

 アキラは、自分の席を見た。いまだに女子たちがたむろし、美形転校生を独占しているようなエマたちを恨めしそうな顔で見ている。

「よかったら、これから食堂でもいかない? ほら、先日のお礼をしたいし」

「え、私が?」

「君以外に誰がいるんだ? いいも何も、ただお礼がしたいだけだよ。ダメかな、大東エマさん」

「俺らもあの時いたぞー」

 というマコトの声もスルーされた。

「ダメ……かな?」

 そっと、アキラが、エマの手に触れる。

「この、エマ様の肌に触れるとは!」

 と、キョウカが拳を振り上げるのを、マコトが何とか抑える。が、もちろん、このやり取りもスルーされた。

「い、いえ……ご迷惑でなければ」

 魅入られたように、さっとエマが立ち上がる。

「よかったぁ、それに学校のことも色々聞きたいからさ」

「私で……よければ」

 どこか嬉しそうな顔で、エマはアキラと教室を出て行った。

 後にはマコトとキョウカが、ポツン、と取り残されていた。

「おい……閻魔大王の娘ってのも、結構な面食いなんだな。そもそもエマってあんなキャラ設定だったか?」

「認めたくないな……エマ様があんな、吹けば飛ぶような軽いヤサ男にホイホイついていくとは」

「でも、行っちゃたな」

 コク、とキョウカが頷いた。

「俺らがバタバタやってる間に、横から取られたような……。こういうのを『漁夫の利』っていうんだろうか。エマ、どこか嬉しそうだったな。でも何だか、俺も認めたくないよ」

 再び、キョウカが頷く。

「結局……私たちの努力は、なんだったんだ?」

「まあ、あれで元気になってくれれば……納得いかないけどな」

 賛同するように、三たびキョウカが頷く。

「ともかくあんな奴にエマ様を……エマ様を、あんな奴に……軽々しく触りおって」

 怒りの収まらないキョウカに、今度は、マコトが頷いた。


 それから、エマは相変わらず周りの女子の恨めしい視線を受けながらも、アキラと話すことが多くなっていった。

 元気そうにしてはいるが、アキラと一緒にいるのが忙しくて結局部室には顔を出さないので、活動は相変わらず休止中だ。

 

「いいのか、これで?」

「エマ様が元気ならば、それでいいのだが」

 と言いながら、キョウカが首を横に振った。

「だからどっちだよ」

 キョウカのリアクションは、肯定しているのか否定しているのか分からなかった。


 その日も、アキラとエマは2人で食堂でランチをとっていた。

 マコトとキョウカは、まるでストーカーのように2人の後をつけて、少し離れたテーブルでその様子を見守るしかなかった。

「何、喋ってるんだ?」

 紙パックのコーヒー牛乳のストローをくわえ、マコトが聞き耳を立てようとする。

「『自分の思うようにすればいい、君が信じたことをすれば、それでいいんじゃないか? 自信を持って』とかなんとか、あのメガネは言っている」

 キョウカが、若干アキラの声色をまねたように答える。

「え、お前、聞こえるのか?」

「まあ、意識を集中すればできないこともない」

「なるほど『地獄耳』か……しかし、自己啓発セミナーかよ。くだらねえこと言ってんな」

 チラ、とマコトはエマたちの席を見る。それでもエマは楽しそうにアキラの話を聞いている。

「このまま……放置しておくとどうなるんだ、マコト?」

「2人は付き合いだして……俺たちは用無し……って待てよ、おい、じゃあ俺の『善人一万人』ってのはどうなるんだ?」

「一人で地道に続けるしかないな。私も、エマ様がやらないのなら手伝う義理もない」

「ちょっと待てよ、エマだって……」

 そう言った途端、マコトの体温が急激に上昇した。まるで火の海に飛び込んだように、体が熱い。

「ぐわ!」

 硬直したように立ち上がり、続いてくる猛烈な熱さに、マコトは体をよじらせ、床の上でもがきだした。

「あ、熱い、熱い!」

「どうしたマコト!」

 傍目には、特に炎に包まれているわけでもなく、マコトが一人、床の上でジタバタしているだけだった。

「体が熱い、たぶん……首輪だ、首輪の力だぁああっちー!」

 キョウカが心配そうに、手元にあったコップの水を掛けるが、シュッという音とともに一瞬にして乾いてしまう。それでもマコトはじたばたともがく。

「あちちちちちっあちぃ!」

「待ってろ!」

 と、キョウカが飛び出した。

「灼熱地獄か? エマをこのままにしていたら、地獄の責め苦が俺に襲いかかるのか……分かった、わかった、何とかするからやめてくれぇい!」

 マコトが叫ぶと、全身を包んでいた熱さはどこかに消えていた。

「しかし、えげつないよ、閻魔大王も」

 と、ほっとした瞬間、マコトの頭上に、バケツ一杯の水が降り注いできた。

「げええ!」

「どうだ、マコト、これで収まったか?」

 顔を上げると、バケツを持ったキョウカが、少し心配そうにマコトを見ている。

「ありがとう……今度は、寒い」

 全身をびしょびしょに濡らし、複雑な表情で、マコトが答えた。


 その頃、アキラとエマは人気の少ない校舎裏に来ていた。

「どうも人混みは苦手で……本当のところ、食堂も好きじゃないんだよ、ごめん」

 はにかむように、白い歯をちらつかせ、アキラがほほ笑む。

「それは、いつもいつも大勢の女子に囲まれているからかしら?」

「そうかもしれない……で、さっきの話だけど」

 すっとアキラがメガネを外し、エマをまっすぐに見つめる。

「何かしら……」

「自分の思うようにすればいい。人の意見に左右されず、思うように、そう、ここに来た時のように……思い出して、自分がどこから来たのか」

 アキラの、やや青みがかった瞳が怪しく光り、どんどん吸い込まれていくような錯覚をエマは覚えた。

「そ……そうね」

「そうだろ? 君はここにきて何をしたかった? 思ったこと、素直にすればいいじゃないか。そのほうがとても君らしいと僕は思うよ」

 エマはいつしか頬を赤らめ、アキラの瞳に見入っていた。


 ……まるで催眠術にでもかかったように。


「そうよね、そうするわ、私らしく……」

 うん、とアキラが頷くと、暗示にかかったように、ふらふらとエマはうつろな瞳で歩き出した。

「楽勝じゃないか……。どうしてこんな簡単なことができなかったんだろう、あの2人は? 全く役に立たない人たちだ。ま、いいか」

 フ、とアキラは微笑み、おぼつかない足取りで歩くエマの後姿を見送った。


 そして放課後。

 駅前のロータリーにエマは来ていた。

 なるべく人の多いところ、と思い、ここを選んだのだ。

「そうよ、私の思うようにすればいいのよ、悩むことなんてなかったのよ」

 うつろな目で、ぶつぶつとうわ言のようにつぶやき、そっとポケットからペンチを取り出したエマは軽く目を閉じた。

「アキラが言ってた……『自分の思うようにすればいい、君が信じたことをすれば、それでいいんじゃないか?』そうよ、そのとおりよ。私は今まで無理をしていたのよ、思うままに、好きなことをすればいいんだから。私は、閻魔大王の娘! 誰が咎められましょうか?」

 エマの手の中で、ペンチがグングンと大きくなる。

「最初からこうしていればいいのよ、町中のウソつきどもの舌を抜いて、地獄に送る……そして、ソノカにメズナ、あなたたちのことは許そうにも許せない……」

 わさわさ、とエマの髪の毛が逆立ち始める。

「そうよ、人間の振りをしておとなしくしていたけど、私は……私は!」

 異変に気付いた通行人が遠巻きにエマを見始めた。

 エマの髪は逆立ち、リボンがうねり、まるで炎のように赤く染まっていく。


 その様子を近くの喫茶店からうかがっている者がいた。メズナとソノカだ。

 エマの変貌する様を、2人はチョコレートパフェを食べつつ見物していた。

「おぉ、始まったわよ」

「そうですねえ、しかし、簡単に引っかかるものなんですねえ」

「あの人にたらしこまれたら、逆らえない……という噂よ。さあ、もう少し、エマが本来の力を見せる時……」

「さっと奪って、ぱっぱとやっちゃうんですね」

「そうよ、この駅前が、いいえ、この周辺がすべて地獄に変わるのよ、閻魔の奴、あわてるわよ」

 フフ、とメズナはいやらしく口角を上げた。


 ペンチは人の身の丈ほどにも巨大化し、それをエマは軽々と頭上に掲げる。と、周辺から歓声が起こった。みんな新手のパフォーマンスか何かと思っているようだ。

「せいぜい騒ぐがいいわ、愚民ども。さあ、ウソつきの舌を抜いて、抜いて、抜いて差し上げるわよ! 抜いた舌を塩漬けにして、漬物店を開いて売りつけるぐらいに!」

 エマがペンチを頭上でカチン、と噛み合わせる。すると、もやあ、と空間が歪んで見えた。

「え?」

 意外な出来事に、エマが、ペンチをゴトリと降ろす。

 青空に湧いたような歪んだ空間はエマの頭上で、黒い切れ目を広げ、うごめいている。

「あれは、何かしら……」

 空の異変に気付いたエマが我に返った。髪は元に戻り、それに合わせるように、黒い切れ目はすっと消えて、元の青空に戻ったのだ。


「今の、なんですか?」

 パフェを口に運びながら、ソノカが尋ねる。

「あれが、今回のキモよ。あの子、知らず知らずのうちにやってたわね」

「あれが……そうなんですかぁ、へえ」

「そうよ、さあ、もっと怒って。ソノカ、今から行ってあの子に石でもぶつけてきて。もう一度あの子をその気にさせないとね」

「いやですよ!」


 気を取り直し、エマが再び念じようと目を閉じる。

 すると、そのスカートをちょいちょいと引っ張るものがいる。

「誰?」

 エマが見ると、保育園の制服に身を包んだ4歳ぐらいの子供がニカッと笑っている。

「おねーちゃん、おーねちゃん」

 スカートの裾をふんふんと引っ張る子供に、エマもこわばりながらも笑顔で返した。

「あなた……確か、クマ組のたーちゃん?」

 訪問先の保育園で何度か遊んだことのある顔だ。

「そうだよそうだよ」

 『たーちゃん』と呼ばれた子供が、うんうん、とうなずく。本名田山タイチ、だから『たーちゃん』と呼ばれている。

 

「おねーちゃん、何やってるの? もう遊びに来ないの?」

「え……それは、その」

「あれ……ひょっとして、時々来てくれるおねーちゃんってあなた? いつもよく遊んでくれるって……ありがとうねー」

 その後ろから、二十代後半ぐらいのたーちゃんの母親が、買い物袋を下げながらやってくる。

「いいえ……」

 困った、こんな所で暴れたら、たーちゃんとそのお母さんに迷惑がかかってしまう。そう思うと、エマの手の中で、ペンチがしゅう、と小さくなっていった。

「また遊びに来てね、あと熊田さんと、パンチお姉ちゃんも来てね」

「う、うん、またね」

 おかっぱ頭で屈託のない笑顔のたーちゃんに、エマはぎこちなく返事をする。

「そうだ、これ、あげる」

 と、たーちゃんは黄色い通園カバンの中から、折り紙で作った兜を取り出した。

「これ……たーちゃん、作ったの?」

 しゃがみこんで、エマが折り紙をつまみ、しげしげと眺める。

「うんっ」

 それは以前、エマが教えたけど、うまくできなかったものだ。

 それ以来、保育所には行ってなかったことを、エマは思い出した。

「また折り紙教えてよね」

「ま、また来るわ。えっと……お、お勉強が終わったら」

 すると、たーちゃんはとても嬉しそうに、ぴょんぴょんと飛び跳ね、そして母親に手を引かれて去っていった。

「ばいばーい」

 振り返り、手をふるたーちゃんを見送っていると、エマの中で、何かが崩れ落ちていった。

「今、自分がやりたいこと、やらねばならないこと……違う、本当にやりたいのはこんなことじゃない!」

 そして、ペンチがコトン、と手の中からこぼれ落ちた。

「どうして、『舌を抜きたい』なんて思ったのかしら。まるで誰かに命じられたみたい」

 ペンチを拾い上げ、エマが呟いた。

「……無駄じゃなかったのよ、ええ、そうよ!」

 踵を返し、エマは元来た道へと走っていった。その顔は明るく、楽しそうに見えた。

 

 その翌朝。

「ごめんなさい。仕切りなおせるかしら」

 呼び出しを食らってマコトが部室に入ってみると、ずいぶんとすっき入りした表情のエマが待ち構えたように、口を開いた。

「どうしたんだ? えらく元気そうで。やっぱりあのメガネ……いや、なんでもない」

「アキラ? いいえ、彼のせいじゃないわ、私は教わったのよ、今何をすればよいのかを? やりたいことは何か? 少なくともやっとこで手当たり次第にウソつきの舌を抜くことじゃないわね」

「そんな物騒なこと考えてたのかよ? で、誰にそんなこと教わったんだ?」

「クマ組のたーちゃんよ」

 『どうよ』と言わんばかりの自慢げな顔だが、マコトにはピンとこなかった。

「はあ? たーちゃん? ……あぁ、あの折り紙できないたーちゃんか? おかっぱ男子のたーちゃんか」

「そうよ、それが昨日、自分で作ったこれを……」

 そういってエマはたーちゃんにもらった折り紙をマコトに見せた。

「すげえ……」

「ね、すごいでしょ? ねっ」

 まるで我が事のように、エマが嬉しそうに、マコトを見る。

「いや、すごいと思ったのは、子供にもらった折り紙を嬉しそうに見せてくれるエマにだよ」

「そうかしら? 私はいつもこんな感じよ」

「いいや。こないだまで無気力だったくせに。でも、少し前なら鼻にも掛けなかったんじゃないか? エマ、変わったよな」

「そ、そう?」

 と恥ずかしそうに、エマが目を伏せる。

「その……変わってよくなかったかしら?」

「いいや」

 エマが驚いたように顔を上げる。

「それでいいと思うよ、エマは。その方がいい。絶対にいい……と、俺は思う」

 それを聞いて、エマの鼻孔がほんの少し誇らしげにフン、と膨らんだ。

「そうよね、でしょうね、そのとおりよね、私は私、大東エマなんだから、人を喜ばせてナンボの地獄の使者よ! さあ、続きを始めましょう! 滞っていた訪問をするの、それと、他にも人を喜ばせるようなことを考えて。何やってるのかしらキョウカったら、こんな大事な時に!」

 まくしたてるエマに、マコトは呆れながらも、なんだか安心した。

「それでいいよ、エマはそうでないと。今まで以上にやる気じゃないか」

 今目の前にいるのは地獄の使者でも、閻魔大王の娘でもなく、心から喜んで、楽しいことを見つけようとしている普通の女の子だ、とマコトは思った。

 

 その頃、駅前の喫茶店では、部外者お断りの作戦会議&反省会が行われていた。

「なんなのよ、昨日のアレは? あともう一歩だっていうのに、あの人の能力よりも子供の折り紙の方が強いってわけ? 人類愛にでも目覚めたのかしら?」

 丼飯をかきこむように、メズナがパフェを口に放り込む。

「こりゃもう、実力行使しかないでしょうね」

 のんきそうに、ソノカがゆっくりパフェを口に運ぶ。

「そうするわ。でないとあの人うるさいだろうし……といっても自分はしくじってるくせに。何が『万人万物をたらしこめる眼力』よ……とにかく、こうなったら実力行使、邪魔者をかったぱしから片づけて今夜決行するわよ! いい? さっさとやってさっさと終わらせる!」

 メズナの声に、鬼たちがときの声を上げた。その恐ろしげな声に、出勤前の常連客は立ち入ることができず、その月の売り上げはほんの少し、落ちた。


 昼休憩。

 すっかりやる気を出したエマの指示で、マコトは折り紙を買いに、学校から少し離れた町の文房具屋に買い出しに来ていた。

 今朝、部室で近いうちにたーちゃんのいる保育所に行ってみよう、という話になったのだ。


「ちょっと」

 教室に向かう途中、マコトは声を掛けられた。

「おまえら!」

 振り返ると、メズナとソノカが立っている。マコトは思わず身構え、槍を出そうと手に力を込めた。

 ソノカはともかく、メズナも制服姿だ。どこでそんな物調達したのか? という前に、少し年齢が高いメズナには少し不似合に見え、『無理してる』感があった。

「あー、違う違う、そんな学園バトル展開はどうでもいいのよ。あんたも疲れるでしょ?私たちもそういうの、しんどいのよ」

 メズナが軽く手を振る。

「じゃあ、何しに来たんだよ?」

「スカウトよ」

 ニヤ、とメズナがほほ笑む。

「スカウト?」

 意外な答えに、マコトは拍子抜けそうになった。

「そ、スカウト。あなたをね」

 すっとメズナが、マコトを指差した。

「誰がお前らの味方になんかなるかよ。まず、やりたいことの方向性がまるで違うの!」

「でもねえ、今こんなことになってるのは、エマさんのせいでしょ?」

 甘えるように、ソノカが言った。その名の通り、そそのかそうとしているのが、マコトには分かった。

「む……いいんだ、もうそんなこと」

「そんなこと言わないでよ。あなたがこっちについてエマを地獄に送り返すことができたら、あなたのことも考えてあげるから。その首輪を外すとか」

 『首輪を外す』というキーワードに、マコトは引っかかりそうになる。

「エマを裏切れっていうのか、お前らみたいに?」

「裏切ってないわ。それこそ方向性の違いよ」

 すっとメズナがマコトに近づく。

「来るなよ!」

「あなたの力が必要なのよ。だってあの槍を扱えるのは地獄の血を引くものだけなんだから」

「は?」

「もっと言えばあの槍は特別でね、閻魔大王の身内でしか扱えないの。それをあんたはほんの一瞬でも、軽々と振り回した。どういうことかなー? 分かるかなー?」

「ど、どうって……そんなこと、俺が知るかよ」

 メズナの言ってることがさっぱりわからない。

「じゃあ、勿体つけてヒントだけ……。その昔、閻魔大王も、エマみたいにこの世界に留学に来たことがあるとかないとか言ってたっけ」

「はあ? それが俺とどういう関係なんだよ?」

「そこで、人間の男を好きになったとかないとか? 子供ができたとかできないとか? この世界で産んだとか産まないとか?」

「何が言いたいんだよ? それってエマのことだろ」

「残念、エマは地獄の産婦人科で生まれたの。だったら、人間界に生まれたのにあの槍を振り回せるあなたはなんなのかしら?」

「ちょっと待て、じゃあ、俺は……その……エマと」

 冷や汗がどっと出た。メズナの話を繋げると、自分がどこで生まれたのか、エマとどういう関係なのか、はっきりしそうだった。

「そうねー、あなたとエマはき……」

「わーーーーーー言うな言うな!」

 マコトは耳をふさぎ、大声を張り上げ、ついでに目を閉じた。

「そんなことがあるかよ! 平凡な高校生が地獄の血筋? ふとしたきっかけで能力発動? はあ? どこの漫画だよ、ラノベだよ、深夜アニメだよ? そんな設定売れねえし、企画通るわけないだろうが! ついでに、今までなんとなく気になってた女の子が実は……って、わーー言うな、いうな! 俺はそんなことこれっぽっちも思ってないし、彼女が笑うとなんだかほっとするなんて思ったこと1ミクロンもないからな!」

「あーあ、言わなくてもいいこと含めて全部しゃっべてるわ、この子。ま、いいからやっちゃって」

「『動揺作戦』大成功ですね。なんだ、メズナ様の口車の方があの人の眼力よりも凄いじゃないですか。じゃあ、いつもの」

 ポン、とソノカが手を打った。

「もう言うな、というか消えろお前ら! そんな俺は、俺はエマと、エマと……違う!」

 大声を張り上げた後、何となく辺りが静かになったので、マコトは目を開け、耳を塞いでいた手を下した。

 周囲の学生が、凍りついたように動かない。

「時を止めたのか……これも地獄の特殊能力とかなんとかか?」

 辺りを見回すマコトの体に、冷たい風がスース―と体に当たってくる。

「あ……れ?」

 見るでもなく、マコトは異変に気づいた。いつの間にか衣類がなくなっている。

 もちろん、下着も。

「ま、またソノカか……何度目だ、俺?」

 時が止まったのではなく、いきなり大声を上げたマコトが全裸になったので、みんな凝視していたのだ。

「「ぎゃあああー」」

 突然、今まで無音状態だった廊下が嬌声と悲鳴に包まれた。マコトは前かがみになって、前を隠そうとするが、バランスを崩し、倒れてしまった。

「え?」

 いつの間にか両足首が縛られている。

「ぐ……」

 顔を上げると、そこにはメズナの勝ち誇ったような顔があった。

「単純よねえ、あんたって。さあ」

 背後に何者かを気配を感じた瞬間、マコトの後頭部に強い衝撃が走り、そのまま気を失ってしまった。


 マコトの視界は真っ暗になり、そして……。


 *      *      *      *       *     *

 

 暗闇の中から、徐々に光が射し、おぼろげに目の前の背景の輪郭を形作っていく……。

 気が付くと、マコトは冷たいコンクリートの上に寝かされていた。

「ここは……」

 顔を上げると、乱雑に積まれた段ボール、姿見、熊田さんの頭部が視界に入った。

「……部室だ」

 立ち上ろうにも体が動かない。

 自分が足だけでなく後ろ手に縛られていることに気づくのに、そう時間はかからなかった。

 それにいつもと違い、やけに床の上が冷たく感じる。

「まるで、裸で床の上に……っておい、俺裸だったよ!」

 全裸の上、手足を縛られたマコトは、陸にあげられた魚のように、体をビタンビタンと跳ねた。

「そうだった、またソノカにやられたんだ!」

「あら、お目覚め?」

 部室の扉が少し開き、メズナの声がする。

「メズナか、くそ、俺を全裸で閉じ込めて何するつもりだ?」

「それはちょっと違うわね。『全裸で閉じ込めた』んじゃなくって『全裸にしてここまで運んで閉じ込めた』のよ」

 それを聞いた瞬間、マコトの体が硬直した。そして気を失う直前の記憶がよみがえってくる。

「そうだった……」

 マコトの顔から、いや全身から血の気が引く。

 メズナとソノカに会ったのは昼休憩だ。そしてマコトは廊下にいた多数の学生が突然のハプニングに悲鳴を、そして嬌声を上げるのを聞いていた。

「まさかこのまま……」

「そう。みーんな見てたわよ、素っ裸のあなたが、うちの鬼たちに担がれてここまで来るのを」

「い……見られた、見られたのかよ?」

「そうね、みんなばっちり見てたわ。全裸神輿を」

「ぜ、全裸神輿?」

「そうよ。それと写メ撮ってた子も結構いたかなー。今頃あちこちで大炎上してるかもねー」

 フフ、とメズナは憎々しげな笑みを漏らす

「なんてことしてくれたんだ! この学校にいれないじゃないか!」

 恥辱で顔を赤らめながらマコトが叫ぶ。

「知った事じゃないわよ。とにかくあんたは邪魔だから、ここにしばらくいてね。こっちの用が終わったら出してあげるわ。あ、それと、1人じゃさびしいでしょうから」

 メズナはそう言って顔をひっこめると、代わりに、肌色の塊が部室に投げ込まれた。

 「じゃあ、仲良くしてなさい」

 バタンと扉は閉められ、肌色の物体がもぞもぞと動いた。

「く……くぅう」

 薄暗い部室の中、肌色の物体が、悔しそうな声を出した。

「だ、誰だ?」

 首を上げ、マコトが声を掛ける。

「私だ……く、こんなもの……」

「ひょっとして、キョウカか?」

「そ、そうだ……」

 手足をばたばたとさせてキョウカが、答えた。

 目を凝らせば、キョウカもマコトと同じように後ろ手に縛られ、体の自由がきかないらしい。

「私としたことが……エマ様を守りきれなかった」

「エマが、どうかしたのか?」

 じりじり、とキョウカが近づく音がする。

 ふと、その姿がマコトの視界に入った。

「あれ……ひょっとして、お前!」

「み、見るな! ソノカにやられた……」

 キョウカは、背中を向けている。肌色に見えたのは、キョウカもまたマコトのように一切衣類を身に着けていないからだ。

 すなわち、この部室には全裸の男女が2人、手足を縛られ転がされているという異様な状態にある。

「それで、エマはどうなったんだ?」

「……情けない、私がいながら」

「だから、どうしたんだよ?」

「エマ様も我々のように……」

「な、裸にひん剥かれたのか?」

「そうだ。エマ様は何者かに呼び出され、校舎裏に向かう途中で……。うかつだった、エマ様はてっきりあのメガネだとばかり……。悲鳴を駆けつけた時には……。私も隙をつかれてこんな姿に……反撃もできず、鬼の一撃を食らってここに連れてこられた。そうしたら、先にお前がいた、というわけだ。それと、あまりこっちを見るな。見ると目を潰すぞ」

 恥じるように、キョウカが体を丸める。

「見ちゃいないけど……まずその体勢で目潰しは無理だろ。で、エマはその後どうなったんだ?」

「奴らの儀式に使われるそうだ。なんでも『死者と生者が交わる場所』と言ってたのをかすかに覚えている」

 ジタバタと体を動かそうにも、縄はきつく縛っており、2人は冷たい床の上をゴロゴロするしかなかった。

「儀式? なんだそりゃ?」

「エマ様をいけにえにして、恐ろしいことを企んでいるんだ……。私にもよくは分からない、しかしあの方は何かを持っている。メズナたちはそれを利用するつもりだ」

「エマを……」

 マコトの、縛られた両手首に力が入る。

「早くここを出て助けに行かないと、マコト、何かできないのか?」

「できてりゃとっくの昔に逃げてるよ。逃げて……」

 逃げて、エマを救出に行くのか? そもそもエマのせいで、こんな目に遭っているんじゃなかったのか? そう思うと、マコトはピクリ、と体を止めた。

「くそ、私が、この私の力でも無理なのか」

 丸まった状態のキョウカが、体をビクン、ビクン、と震わせるが、縄は解けない。

「マコト、早くしてくれ!」

「あ、あぁ」

 曖昧な返事をしながら、マコトの脳裏にエマの姿が浮かび上がった。

『でもねえ、今こんなことになってるのは、エマさんのせいでしょ?』

 それと同時に、ソノカの言葉も、蘇る。

「そうだ、あぁ、そうだとも」

「マコト、誰と喋ってるんだ?」

 冷徹な地獄の使い……自分を地獄送りにした張本人……そして、ひょっとしたら自分の血縁関係……。

「だけどなあ!」

 マコトは首を振った。そんなことよりも、エマが部活動の中で見せた笑顔、子供たちに対しての接し方、あれは本物だった。

「それでいいじゃないか、ここにきて楽しそうにしてるんなら、それで……」

「だから、さっきから誰と喋ってるんだ? 頭でも打ったのか?」

 再び、マコトは手首に力を込める。

「エマ……」

 その名を呟き、さらに力を込める。縄が食い込み、血がにじむほどに痛む。だが、体中が熱くなり、痛みが和らいでいくような感覚を覚えた。

「あの笑顔を、あんな顔ができるんだよ、あいつ……まだやらなきゃいけないことは残ってるんだ」

「だからさっきから何を……」

「くそ、行くぞ……エマぁ!」

 ぶちぶちと縄が音を立て、裂けていく。

「ぐわあああぁ!」

 さらに勢いをつけると、縄はブツン、と千切れてしまった。

「すげ……」

 他人事のように驚きながらも、マコトは足の縄に手を掛ける。

 軽く引っ張るだけで、先ほどまで固く巻かれていたはずの縄がまるで紙のようにぶちぶちと切れていく。

「ひょっとしてこれが三つ目の能力『牛のような怪力』か?」

「早く、こっちも頼む。だが見るなよ!」

 マコトは横を向きながら、何とかキョウカの縄を解こうとする。ちらちらと視界の端にキョウカの白く、引き締まった肢体が入る。

「見ないで解くのも、難しいな……」

 伸ばした手が、キョウカの背中に触れる。

「ひゃん!」

 キョウカの冷たい肌が手に触れ、マコトは手をひっこめた。

「バ、バカ、もっと下だ!」

 恥じらうようなキョウカの声に、マコトは再び手を伸ばす。

 

 ふに。


 と柔らかな感触が指先に伝わる。

「これは……」

「うくっ……そこは、私の……お、おお、お尻だ! もう少し上!」

「ごめんよ……っと」

 そろそろと手を伸ばし、後ろ手にくくっているエマの縄に触れると、それを一気に引きちぎる。

「足は……何とかするから。あと、着替えるから、絶対見るな」

「わかったよ」

 と、マコトは小窓のある壁を向いた。

「しかし、今度ソノカにこんな目に遭わされたら……全裸になってもエマを救うのか」

「それしかないだろ……」

 マコトの後ろで、ごそごそとキョウカが着替える音がする。

「で、お前は着替え持ってたの?」

「ここに体操服をいつも置いてある。面倒だからここで着替えているからな」

「ふうん……」

 そういえば、自分はいまだに真っ裸だ……着替えは持っていないし、とマコトは両手で前を隠しながらも壁際に乱雑に積まれた荷物を見ていた。

 ふと、熊田さんの頭部と目が合った。

「あ……そうか……」

「もういいぞ、マコト。それと、お前も何か着替えろ」

 夏用の半袖、短パンに着替えたキョウカが、姿見の前に立ち、服装を確認している。

「そうは言っても……ん?」

 マコトは、キョウカと、熊田さん、そして姿見を交互に見比べる。

「ぜ、全裸の男がじろじろ見るな!」

「違うよ……いけるかもしれない、いけるぞ、これは」

 マコトは何かをひらめいたように呟く。

「なにが?」

「キョウカ、体操服の予備ないか?」

「は? こんな時にお前は何を言ってるんだ!」 

「違う違う、策があるんだよ、秘策が」

 キョウカは一瞬、拳を振り上げそうになったが、マコトがあまりにも自信に満ちた顔をしているので、手を下した。

「これで、いけるかもしれない」

 自信ありげに腕を組み、すっとマコトは姿見の前に立った。

「うん、なかなか冴えてるぞ、俺。待ってろ、エマ!」

「それはいいが……早く着替えろ!!」

 そして、最終的にマコトは全裸のままキョウカの一撃をもらうことになった。


 それから少し後、町はずれにある共同墓地では……。

 辺りがすっかりと暗くなっていたが、奥の一角だけが怪しく光っていた。

 罰当たりにも、墓石の上に太い大きなロウソクが何本も立っており、日中でも薄暗いこの墓地の雰囲気を、さらに不気味なものにしていた。

「そろそろいいんじゃないかしら?」 

 ロウソクの明かりに照らされ、メズナが、ほほ笑む。その後ろにソノカと鬼たち、そして、白い衣類、というか布きれを着せられたエマがいた。

「こんな所に連れてきて……いったい何をする気なの?」

 エマは布の上に縄で縛られていたが、逃げる様子もなく、気丈にメズナに問いかけた。「死者がわんさと眠る墓場にあなたがいる……分かるでしょ?」

「いいえ、全然。こんな遊びに付き合うつもりはないわ。早く私を帰しなさい!」

 エマが首を振った。

「そんなこと言ってしらばっくれても無理よ。さあ、無事に帰りたかったら、あの力を発動させるのよ」

「あの力って……だからどの力?」

 キョトンとした顔で、エマが答える。

「は?」

「あの……エマさん、本当に知らないみたいですよ」

 メズナの後ろから、すっとソノカが顔を出した。

「知らないの? あんた、何か持ってないの、秘めた力というか、ほら、鍵とか。その……地獄門の鍵とか!」

「あーあ、言っちゃった、はっきり言っちゃった」

 ソノカが呆れたように言った。

「地獄門? なんですか、それは?」

「こうなったら仕方ない……。地獄門というのは、この世とあの世を繋ぐ門のことよ。あなたたちの一族にはその鍵があるって、あの人が……え、本当に持ってないの?」

「あの人って誰? とにかく、私はそんなもの持ってないし、地獄門なんて見たこともないわ」

「え……」

 メズナの全身から力が抜け、その場に倒れるように、よろける。

「知らないって、じゃあ今までの苦労はいったい……何やってんの、私たちは」

「じゃ、じゃあ、今日は解散しましょうか?」

 あわててソノカがメズナを支える。

「これだけ準備を整えて、お開き?」

「だって本人が知らないんだから、仕方ないですよ」

「あぁ……何だか……もう、いいやって感じよ」

 メズナの中で、何かが崩れた。崇高な自分の目的と意志が一瞬で、どこかに消し飛んでいったような、そんな喪失感を覚えた。

「大体、そんなものを作ってあなたたちは何がしたいの? 今なら、私からお母様に言って罪を軽くしてもらってもいいわよ」

「その上から目線、腹立つ……いい、地獄門を使えばこの世界と地獄を自由に行き来ができるのよ、生者も死者も! それに、この地で眠る者たちも蘇り、この世界は阿鼻叫喚の……それこそここも地獄と化するのよ! いわば『地上地獄化計画』よ! ……今更だけど」

「なぜ、そんなことをする必要があるの? というか、なぜそんな考えを持つように? だったらお母様に協力して、地獄の現状を改善してくれればいいのに」

「だーかーら、あんたの母親のやり方がヌルいからでしょ! 何が『地獄極楽化政策』よ! 地獄ってのは、亡者が阿鼻叫喚し永遠に苦しみもがく世界でないといけないの! キャッキャウフフさせても仕方ないでしょ! 皮を裂かれ、肉をえぐられ、骨を砕かれ、はらわたをべろべろ引っ張られた亡者たちの声が……あぁ、想像しただけでもゾクゾクしてきたわ」

 と、メズナが体を小刻みに震わせる。

「それ、かなりあなたの趣味入ってるんじゃないかしら?」

「ち、違う、純粋に今までの、いえそれ以上の地獄を作りたいだけ、そしてそこに私が君臨するのよ、亡者たち、獄卒の上に立ち、そして玉座に鎮座まします私の姿! 想像しただけで、もう……ィヤアーッハハハハハ! 」

 メズナが、妄想に体を震わせるのを、エマはただあきれるように見ていた。

「やっぱり、あなたの趣味じゃないの」

「ですよねえ」 

 これには、ソノカも賛同せざるを得なかった。

 

 メズナが自分に酔いしれて、奇妙な笑い声を上げているのを、墓場の隅でキョウカとマコトも聞いていた。キョウカは体操服、マコトは頭部を外した熊田さんの着ぐるみを着ていた。

「やっぱりここだったのか……でなきゃ隣町の葬儀場だと思っていたけど」

「なるほど『死者と生者が交わる場所』か。マコトにしては冴えてるな」

「一応、褒めてくれてんのか? そりゃ光栄なことだ。さあ、打ち合わせ通りに行くぞ……」

 マコトは、熊田さんの頭部をすっぽりと被ると、足元のおぼつかない墓場の中をゆっくりと歩いた。


「ねえねえ、本当に知らないの『地獄門』の鍵?」

「知りません」

 きっぱりと、メズナに、エマが答えた。

「やっぱり、今日はお開きにして、エマさんには一度帰ってもらいましょうか? 地獄門は後日改めて、こちらがきちんと調べた上で……」

「バカね、鍵があろうとなかろうと、この子がこっちの手にあるなら、これを使って閻魔大王を脅迫できるんじゃない。帰してどうするのよ」

「フフ、こんなことで動じる私の母ではないわ。それに、もうすぐ助けが……来るんじゃないかしら」

 エマの物言いはどこか頼りなげであったが、しかし、マコトとキョウカを信じている、という口調だった。

「あー、助けにくるって、あの2人のこと? ンなもん、来ないわよ。あの暴力巨乳も役立たずの男子も、裸にひん剥いて閉じ込めてやったわ。今頃、年頃の男女が全裸で縄に縛られて、何のプレイかと思われてるわよ」

「え……そ、そうなの、なら、仕方ないわ。別の手を考えるまでよ」

 とはいえ、これというエマに策はなかった。メズナの言葉に、動揺しつつも何とか平静を装うのが精いっぱいだった。

「まあ、せいぜい吠えてなさいよ。じゃあ、今日のところは適当な場所見つけて、エマを監禁しておこうかしら。その上で……」

 と、メズナが言いかけたその時。

 

「そんなことさせるかああ!」


「誰?」

 メズナたちが、エマが、声の方を見る。

 くたびれたクマの着ぐるみが一体、墓石の間で、ビシッとメズナたちを指差して立っている。

「クマ?」

「俺たちが閉じ込められてるだと? そう思ってるのはお前だけだぞ、メズナ! ここがお前たちの墓場だ! たぶんな!」

「クマ、ですね。自信なさげにずいぶんかっこいい感じのセリフ吐いてましたけど、クマですね」

「熊田さん……あなた、マコト?」

 エマの声に、熊田さんが、うんとうなずく。

「エマを返せ、さもないと……」

 熊田さんことマコトは、傍らにあった卒塔婆をすっと抜いて構えた。

「罰当たりな奴ね……」

「地獄の人間が言うセリフじゃないですね」

「いくぞ、おらぁあああ!」

 卒塔婆を振りかざし、熊田さんがメズナに向かい、よたよたと走る。

「ふん、人間というモノはほんっとうに学習能力がないのね。ソノカっ」

「ほいっ」

 以前のように、メズナが後ろに下がると、ソノカが前に出た。

「やああ!」

 うつろな目で、それでも熊田さんが卒塔婆を振り上げ向かってくる。

 そこに、ソノカがパン、と手を叩いた。

「うわ!」

 熊田さんの着ぐるみが一瞬で消えると、マコトは墓石の間に隠れるようにして、飛んだ。

「次から対策練るなり、なんなりしてから来なさいよ。まったく……」

 メズナが、キョウカを見る。

「次はあなた、その無駄にデカい胸をまたみんなに披露したいわけ?」

「フっ、やれるものならやってみろ。さっきの私とは一味違うぞ、でやああ!」

 キョウカもまた、マコトと同じように、拳を振り上げてメズナたちに向かう。

「は? 偉そうにタンカ切って、やってること一緒じゃないの、芸のない攻撃だこと。ソノカ、さっさとやっちゃって」

「ほいっ」

 と、ソノカが手を叩こうとした瞬間、キョウカが、クル、と背を向けた。


 パン!


 手を叩いたソノカの前にいるのは……ソノカ自身だった。

「え?」

 目の前のソノカもまた、手を叩いたポーズをとっている。

「あれ……これ」

 ソノカの目の前にあるのは、キョウカが背負っていた、部室の姿見だ。

「じゃあ……」

 と、言うまでもなく、ソノカは身に着けているものがすっと消え、白い裸身を夜の墓場にさらすことになってしまった。

「ひゃあ! 私、裸ですぅ!」

 気の抜けた悲鳴とともに、ソノカが、前を押さえ、うずくまる。

 そこへすかさず、縄を手にしたキョウカが躍り出た。

「うりゃああ! どうだ、自分の術を自分で味わう気持ちは? 恥辱にまみれよ!」

 体を丸めているソノカにそう言うと、キョウカは、縄でぐるぐると縛り上げ、近くに転がした。

「やられちゃいましたー、けっこう屈辱ですよー、これ」

 体をじたばたさせ、ソノカが顔を上げる。

「くっ……鬼たち!」

 今度は、メズナの背後に控えた鬼が、キョウカの前に出る。

「フフ……私に勝てるのか? 地獄の凶拳と言われた私に勝てるのか?」

 拳を固め、ふわあ、と胸を軽く揺らしてキョウカが構える。

「ふん、大した自信ね。やっちゃいなさい!」

 メズナの声に、鬼たちが一斉にキョウカに襲い掛かる。

「フッ!」

 気合とともにキョウカが体を屈めると、鬼たちの間に隠れ、消えるように見えなくなった。

「囲んでボッコボコにしなさい!」

 鬼たちはまるで下手くそなサッカーでもするように、キョウカをとり囲むようにして足をじたばたとしながら蹴り飛ばしているように見えた。

 すると、ボコ、ドスッと打撃音が鳴り響く。

「その調子、いいわよー!」

 だが、倒れたのは、キョウカを囲んでいた鬼たちだった。

「ウソォ? ふん、なかなかやるわね……こうなったら……」

 メズナが、エマの手を引こうと手を伸ばす、が、そこに影が一つ、墓石の間から躍り出た。

「だ、誰?」

 ぐっとエマの手を引いたのはぴちぴちの女子体操服、しかも夏服を着こんだマコトだ。

「あ、あんたいつの間に着替えたのよ!」

「着替えた? へへ、最初っから着ていたんだよ!」

 もはやブルマー状態の短パンに、へそが丸見えの半袖……こういう状況でもなければ変質者扱いされそうな姿だった。いや、この状況下でもその姿は異様だ。

「へえ、考えたじゃないの。ソノカには着ぐるみだけ消させたってわけ? それに鏡攻撃……大したものよ」

「どういたしまして。エマ、大丈夫か?」

「えぇ。でもマコト、やっぱりおかしいわよ、その恰好は」

「服装のことは後で聞くから。さあ」

 と、マコトはエマの縄に手を掛け引っ張る……が切れない。

「あれ?」

「それぐらいじゃ切れないわよ」

「いや、違うんだ。さっきはものすごい力が出て……」

「それよりも、ロウソクの火であぶって切るとか……」

「うん、でも、おかしいな……牛のような怪力が」

 マコトがうんうんと、縄を解こうと引っ張ったり捻ったりしている背後に、すっとメズナが立ち、そしてマコトの脳天めがけて棒のようなものを思い切り振りおろした。


 ゴキャン!

 

 その異音に、エマが顔を上げる。

 マコトの頭頂部に、鋲がびっしりとついた棍棒が乗っかっている。いや、それがたった今、マコトの脳天を砕いたのだ。

「が……は」

 マコトの口から、音のような、声のようなものが漏れる。

「ま……マコト」

「何やかやと私の計画の邪魔ばっかりしちゃって、もう! 最初っからこうすりゃよかったのよね!」

 もう一度、棍棒を振り上げると、今度は横に振り払った。

 

 ギニュン!


 横なぎに振るわれた棍棒は、マコトの右側頭部にヒットした。


 グギリ!


 吹っ飛んだマコトは、墓石に左側頭部を打ち付け、そしてそこにもたれるように崩れ、首がL字型にぐにゃりを折れ曲がった。

「あ………」

「ふう、人間なんてもろいものね。これでちょいちょい触っただけで、ぐちゃぐちゃになるんだから」

 棍棒と、墓石にもたれかかるようにして倒れるマコトを見て、メズナがにぃ、と笑う。 エマは、ピクリとも動かないマコトを見つめたまま、自身も固まったように動かない。

「さて、地獄のお姫様」

 棍棒を手の平でトントンと叩き、メズナがニヤニヤとしている。

「どうやら、あっちも勝負がついたみたいよ」

 エマが見ると、体操服をボロボロにしたキョウカが鬼たちに捕らわれ、羽交い絞めにされている。

「エマ様……申し訳ない。以前マコトが言った通りだ。キレが鈍ったかもしれない……」

 そういうと、キョウカががくり、と首をうなだれた。

「フフ、頼りないお供たちね。さあ、これで抗う術はなくなったわね、お姫様。おとなしく私たちの言うことを……ん?」

 と、メズナが鼻を鳴らした。ぶすぶす、と何かが焦げている。

「あぁ?」

 いち早く異変に気付いたのは鬼たちだった。鬼たちが慌てるように、メズナを指差す。

「メズナ様、エマ様、エマ様……」

「エマがどうしたの……よ」

 と、メズナはエマを見て、息を呑んだ。

「マコト……キョウカ……」

 逆立ったエマの髪の毛が真っ赤に染まり、そしてその爛々と燃える瞳は血の涙を流しながらまっずぐにメズナを見ていた。

「何、何が起こるのよ?」

 エマの裸身を包んでいた白い布が、加熱するエマの体温で、ぶすぶすと焦げている。

「マコト……」 

 エマがゆっくりとマコトのそばまで歩くと、しゃがみこんでそっと顔を近づける。

「マコト……」

 声を掛けても、おかしな方向に首のねじれたマコトからは、何の返事もない。

「マコト……」

 エマがゆっくりと立つと、再び、メズナを見た。

「許せない!」

 エマの全身が赤く発光すると、全身のあちらこちらから小さな火が立ち、そして、それが徐々に大きく、広がっていった。

「許せない……マコトを、キョウカを……よくも」

 ボン、と布が勢いよく燃え、炎がエマを包み込み、真紅の塊と化した。


「あ、あれを!」

 鬼の一人が、空を指差した。


 夜空が湾曲し、さらに暗い空間が、裂け目のように縦長の口を開こうとしている。

「これは……まさか、これが地獄門? なんだぁ、エマ自身が鍵だったってこと?」

 メズナは、エマを見た。炎の塊と化したエマはじっとしたまま動かない。

「怒りと悲しみに耐えきれず、地獄のお姫様は焼身自殺? まあいいわ、やった、これで地上の死者がよみがえるわ!」

 両手を天高く広げ、メズナが歓喜の声を上げる。しかし、何も起こらない。

「あれ……死者たちよ、墓石を押しのけ、今こそ復活するのよ!」

 メズナの呼びかけに答えるように、かすかに、カタカタという音が墓場中に響いた。

「は? 何この音? いいから早く甦れっての、死者たち!」

 しかし何の変化も起きず、カタカタという音だけが空しく響く。

「え……あれ、地獄門じゃないの? いやいや、どう見ても地獄門でしょ」

 メズナが空の裂け目を指差す。

「そうだよ、あれこそがお前の望んでいたものさ!」

 炎に包まれたままのエマが答えた。

「え……なんか口調変わってない?」

「ンなことぁどうでもいいんだよ、メス!」

 ぶわああ、と炎がひときわ大きく燃え上がると、さっと消え、中から髪を赤く逆立てたエマが現れた。

「エマ……あんた」

 一糸まとわぬ赤い裸身に、胸と足の付け根に小さな炎を灯したエマが、きっと赤く燃える瞳でメズナを睨む。

「さすが、閻魔大王の血族……そういう形態にチェンジするわけね」

「ナリはどうでもいいんだよ、このスベタ!」

 すっと差し出したエマの手には巨大な赤いペンチが現れ、たちまち大きくなる。

「私の仲間を……友達を奪ったてめえは、許しちゃおけねえんだ!」

「へえ……まあ、いいわ、地獄門が開いたんなら、後はあっちからあの人の仲間を……ねえ、いるんでしょ、近くに、聞こえてるの、手配お願いよよ!」

 と、メズナはあらぬ方向に声を掛ける。

「誰と喋ってやがる! あれはてめえらの帰り道だ! いいや、もっとも生きてればの話だがな!」

 ブンと、エマがペンチを振ると、それはさらに大きく、エマの背丈ほどに変化した。

「威勢のいいことね。鬼、いいからおさえこんじゃって!」

「おぉう、エマ様、ごめん!」

 キョウカをその場に置いた鬼たちが、唸りを上げて、エマに殺到する。

「地獄での恩も忘れやがって、ザコはすっこんでろぉ!」

 向かってきた鬼の胴体をペンチで掴むと、そのままエマは軽々と放り投げた。

「でりゃあ!」

「ぎゃああー」

 投げられた鬼は、叫び声を上げながら宙を舞い、地獄門の中へ消えていった。

「さあ、次は誰だ!」

 エマが両手でペンチをガチン、と広げる。

「てめえら一匹残らず、あそこに送ってやるぜ!」

 ビシッとエマが地獄門を指差した。

 敵わないと見た鬼たちはいっせいに首を振り、逃げ出した。

「まてこらああ!」

 阿修羅のような形相のエマが後を追う。

「鬼が背中見せて逃げるんじゃねえ!」

 たちまち鬼たちに追いついたエマは、その背中に、脳天にペンチを叩きこんでいく。

「ぐぎゃん!」

 たちまち鬼が次々と倒れていく。

 巨大ペンチを軽々と使いこなすエマの顔は、マコトたちの復讐というよりは、ただひたすら鬼たちを痛めつけることを楽しんでいるように、ニカァッと笑っていた。

「どうしたどうしたオラ、デカパイのキョウカをよってたかっていたぶってくれたなあ、おいコラえぇ!」

 鬼たちが棍棒を振りかざし、必死に抵抗を試みるも、エマはそれをペンチで受け止め、粉々に砕いてしまう。

「どりゃあ!」

 さらに逃げようとする鬼には、墓石の上を軽やかに駆け、先回りしてペンチの一撃を叩き込んでいった。

「でりゃあ!」

 最後の一匹が、エマの前にへたり込んで、命乞いを始めた。

「すみません、すみません、もう裏切りませんから、どうぞ命ばかりは……」

「鬼のくせに命乞いなんかするんじゃねーよ!」

「後生です、エマ様ー」

 一本角の鬼がエマの前に土下座をする。

「鬼がみっともねえ真似するんじゃねえ!」 

 エマはぐしゃり、と鬼の後頭部を思い切り踏みつけた。

「ぐわぁ!」

 鬼の顔を地面にこすり付けるようにぐりぐりと後頭部を踏みしめたエマはさらに力を込め、その頭頂部に生えている一本角を踏み砕いた

「ぎゃあああ!」

 頭を押さえ、鬼がゴロゴロとのたうつ様子を見て、エマがにやにやと笑う。

「どうせすぐに生えるんだろうが! オーバーだ!」

「無茶苦茶ね……鬼、というか、鬼以上……いや、鬼以下」 

 その凶行に、メズナが思わず、息を呑んだ。

 それからエマは倒れた鬼を一匹づつペンチで挟み、紙くずをゴミ箱に投げ入れるように軽々と、地獄門に叩きこんでいった。

「どりゃあ!」

 最後の一人を放り投げたエマがクルリと振り返る。後に残ったのはぐるぐる巻きにされたソノカと、メズナだ。

「さて……まずはてめえだ」

 エマはまず、ソノカのそばに来ると、縛っている縄をむんずと掴んだ。

「え……そんな、エマさん、私ですよ私……」

「よくもさっきは裸にむいてくれたなあ、あぁ?」

 ニヤリ、としたエマが、ソノカを軽々を担ぎ上げる。

「さっきのお返しはきっちり返させてもらうぜ、うぉりゃあああ!」

 そして、ハンマー投げのように、ソノカをぐるぐるとまわし始めた。

「や、やめてとめてとめてやめて……目が回りますー」

「あ、そう。やめりゃあいいんだな、ほれ!」

 ぱっとエマが手を放すと、遠心力でソノカが勢いよく、空に放り出される。

「あーれー、メズナさん、お達者でー」

 空でぱっくりと口を開いている地獄門に消えながら、ソノカの声が小さく聞こえる。

「さて……」

 邪悪な笑みを浮かべながら、エマがメズナを見る。

「てめえだけは許せねえ……たとえ舌引っこ抜いて、体バラバラにして豚のエサにしても収まらねえ……」

「へえ、やれるものなら、やってみなさいよ。その方がこっちとしても張り合いがあるというもの!」

 ブン、とメズナが棍棒を振り上げ、走る。

 ニヤリと、エマもメズナに向かって走る。


 ガキィイン!


 鈍い金属音が響いた。メズナの棍棒を、エマのペンチががっしりと受け止めたのだ。


「らぁ!」


 コイィン!


 エマが体を大きくひねり、棍棒をへし折った。

 そして続けざまに、閉じたペンチでメズナの腹を打ち据える。

「ぐはぁ!」

 どっと膝から倒れるメズナの体を、エマのペンチががっしりと挟み込んだ。

「へへ、勝負あったな。これでてめえも……」

 巨大ペンチで挟んだまま、エマがぶわんぶわんとメズナを振り回す。

「いいか、二度とあの門くぐってこっちに来るんじゃねえぞ!」

 エマは回転速度を徐々に上げていき、行きの駄賃とばかりに墓石にガツンガツンと、メズナをぶつける。

「い、いたたたっ」

「マコトはもっと痛かったんだ、もっと味わえ!」

 飛び散った墓石の欠片が、回転力を増していくエマに巻き上げられ、そして小さな竜巻になりつつあった。

「ぐ、ぐぅ……こ、これが……これが閻魔大王の力……」

「少年漫画の悪役みてえな口きいてるんじゃねえ! おらあいくぞぉ!」

 エマが回転速度を上げるたびに炎が立ち上がり、小さな竜巻は赤く燃え上がっていった。

「うりゃあああ! 焦熱・メリーゴーランド!」


 やがて燃えさかる竜巻はそのまま上昇し、地獄門の中へと消えていった。そして……。

 ボン! 

 

 と小さな爆発が起こり、小さな炎がちろちろと、地上に降りてきた。

「ふう……」

 炎は人の形となり、エマの姿に戻った。

「く、いくら連中を叩きのめしたところで、マコトは帰ってこねえ……ならいっそ、ならいっそ、ここを地獄にして、マコトを連れ戻してやろうじゃねえか! まさか私が地獄門の鍵だったとは、メズナもいいこと教えてくれるじゃねえか!」

 ぶわっと炎がエマを包み込んだ。

「さあ、死者たちよ、今度こそ正真正銘、地獄の覇者たる者の血筋、大東エマの命により甦れ!」

 エマの体からごおおっと炎が巻き起こり、辺りを焼き尽くす。

「……で、なぜ起きてこない? おい、次期閻魔大王の指示が聞けねえってのか!」

 メズナの時と同じく、墓場には何の変化も起きない、ただカタカタという音だけが鳴り続けている。

「おい、起きろ、起きろって! あれ………」

 エマをまとっていた炎が小さくなり、そして消えていった。

「あ……れ」

 エマは両手を、そして体中を見回した。肌と髪の色が元に戻っている。

「メズナも、鬼も……。ひょっとして、また私……やったのかしら」

 顔を上げると、地獄門がゆっくりと閉じようとしている。

「あれが……地獄門?」

「ええ、そうです……そりゃもう、見事な暴れっぷりでした」

 よろけつつ、ボロボロのキョウカが立ち上がる。

「キョウカ、無事だったのね……でもなぜ、死者は蘇らないのかしら?」

「それは……この国が火葬国だからじゃないですか? 使者を蘇らせるといっても、火葬されてるんじゃ、ただの骨です」

「……じゃあ、さっきのカタカタは」

「大方、骨壺の中の骨が動いていたんでしょう。連中もそこまでは考えていなかったようですね」

「そう、ね……でも、マコトはなぜ……生き返らないの?」

「そ、それは……」

 返答に困ったキョウカが、マコトを見た。

 首がぐにゃりと折れ曲がったマコトは、ピクリとも動かない。

「結局、何もできなかった。マコト、ごめんなさい……」

 うつむきがちにエマがマコトに近づく。


 ウォオオオオン!


「野良犬?」

 突然の犬の遠吠えにキョウカが、びくりとする。

「あれは……」

 閉じかかった地獄門から、黒い影が飛び立ち、エマたちに向かってくる。巨大な四足の動物のような影だ。


 ウォオオン!

 

 影はエマたちの目の前に、ずずん、と着地した。


 ウォオオ!


 巨大な、それも象ほどの大きさの黒毛の犬が、エマとキョウカを睨みつける。

「い、犬?」

「そのようですが、しかし……」

 異様なのはその大きさだけでない。がっしりとした体の先には、瞳のない赤い眼を光らせた頭部が二つあった。

「こんな犬……地獄にいたかしら?」

「いいえ、これは別の世界の生き物ではないでしょうか。でもなぜここに……」

「それはやはり、私たち、いいえ、私を」


 ウオォ!

 

 二つの首を交互に上下し、巨大犬が唸り声を上げると、右の首が威嚇するように、グンと前に伸びる。

「こいつ……エマ様に向かって! しかし、今のままでは勝ち目がない……」

 墓石にもたれながら、キョウカが後ずさる。

「逃げましょう、キョウカ」

 エマがキョウカに肩を貸し、二人は巨大犬に背を向け、よろけつつも逃げた。しかし、このままでは追いつかれて噛み殺されるのは目に見えている。

「これもメズナが……」

「いや、わかりませんが、しかし、明らかにこちらに対し、敵意を露わにしているのは事実です」

 よろよろと逃げる二人の後ろを、墓石を蹴散らしながら犬が追う。

「あいつ、まるでいたぶるように、じりじりと……エマ様、ここは何とか食い止めますので、私を置いてお逃げください」

「そんなこと、できるわけないじゃない! さあ、頑張って!」

 キョウカの言った通り、巨大犬は鼻を鳴らしながら、まるで楽しんでいるようにゆっくりと二人の後ろをついてくる。

 負傷したキョウカに、エマもまた、さっきの変身で体力を消耗してしまい、足元がおぼつかない。


 オオゥ!


 やがてそれに飽きたように、巨大犬の巨体が宙を舞い、通せんぼをするように二人の前にズドン、と降り立った。

「きゃ!」

 その地響きに、エマがバランスを崩し、二人はその場に倒れこんだ。

 ハアハアと舌を出し、二つの首を左右に振りながら、まるで笑っているように、巨大犬は目を細め、二人を見つめている。

「もはや、ここまでのようね……」

「エマ様、申し訳ございません」

「いいえ。今まで、ありがとう」

 へたり込んだ二人の見上げる先には、瞳のない赤い眼が四つ、じっと見つめている。


 ウォオオオ。オウ、オウ。


 鼻を鳴らし、熱い息を吹きかけながら、ゆっくりと二つの頭が近づいてくる。

「エマ! それとキョウカ! 諦めるな!」

「え……」

 驚くエマの前に、人影が一つ、飛び込んできた。

「大丈夫か?」

 背中を向けながら、影が尋ねる。首が少し傾いた、ぴちぴちの体操服の後ろ姿……マコトだ。

「マコト!」

「でもなぜ? 死んだんじゃなかったのか?」

「よくは分からんが、とにかく今はこいつを……とはいえ、どうしたらよいものか。とにかく、俺が時間を稼ぐから逃げろ!」


 グワオ!


 マコトに思案する隙を与えず、びゅんと犬の前足が伸びる。

「うわああ!」

 が、よけようと体を屈めたマコトは、反射的にそれをがっちりと右手で受け止めていた。

「え?」


 ガ、ガウ……。


 巨大犬は足を戻そうとするが、マコトはそれを逃がすまいと、両腕でがっちりと抱え込む。

「どうしちゃったの、俺?」

 マコトが驚いたように、エマたちを見た。

「それは私たちが聞きたいわ。どうしてそんな力が……」

「いや、俺にもわからない。あれ……ひょっとして、牛並みの怪力が復活したのか!」

 マコトは犬の前足を掴むとそれをぐいい、と思い切り押し戻した。

「たぁっ」


 グワッ。

 

 押された勢いで、その巨体が滑るように後ずさる。

「すげえ……さっきよりも凄くなってないか?」

「いいぞ、マコト、今のうちだ! 奴を地獄門に送り返してやれ!」

 キョウカが、拳を振り上げる。

「あぁ。まるでさっぱり分からんが、今はこの力をフルに使うしかない。だとすれば……」

 さっと右手を伸ばしたマコトの手に、三又の槍が現れる。

「おぉ、これまた、まるで小枝のように軽い!」

 槍を頭上高く振りかざし、マコトはぶんぶんと回してみた。


 ウォオオオオオン!


 二つの頭を振り、巨大犬が砂塵を上げて向ってくる。息遣いが荒く、明らかに怒り狂っている。

「来るか、犬!」

 軽やかに地を蹴り、跳躍したマコトは、巨大犬の左頭部に槍を投げつけると、その背後に降り立った。

 

 ギャン!


 脳天に槍が刺さったまま巨大犬はマコトを追うように、体の向きを変えた。

「ぬん!」

 そばにあった墓石を軽々と持ち上げ、マコトは犬の右頭部に、一つ、二つとぶつけていく。


 ギャン、ギャン!

  

 投げつけられる墓石をヘディングの要領で弾き返しながら、巨大犬は体をよじり、ますますたけり狂っっていた。

「なんて罰当たりの、マコト」

「しかし、まるで人が変わったようですね……奴こそ、鬼のようです」 


 グワァアア!

 

 巨大犬の体が再び、宙を舞い、マコトめがけて飛んでくる。

「さあて、シメだ。燃えさかれ、地獄の炎!」

 迫りくる巨大犬に両手の平を向けると、ぼっと炎が巻き起こり、犬の全身をちりちりと焦がしていく。

 二つの頭部を攻撃された上に、火をつけられた巨大犬は頭から落下すると、ジタバタ、ドタンバタンと地面に体をこすり付け、必死に火を消そうともがきだした。

「だぁああ!」

 その機を逃すまい、とマコトはバタンバタンと象の鼻のように振っている犬の尾を両手でしっかりと掴んだ。

「む……軽い、いける、いけるぞ、でりゃああ!」

 そして、エマがしたように、マコトはハンマー投げよろしく回転し、巨大犬を勢いよく放り投げる。


 ギャイン!


 火がついたまま投げられた巨大犬は、三たび宙を舞い、わずかに黒い割れ目を残すだけになっていた地獄門に、すっと消えていった。

 それに合わせるかのように、地獄門もじんわりと消えてなくなり、あとには暗い夜空だけが残った。


「ちっ」

 地獄門が閉じた時、墓石の後ろで、舌打ちが聞こえた。

 その姿は暗闇に紛れはっきりとしないが、顔のあたりに、メガネのフレームがきらりと光って見えた。


「ふう……一日中体育をやったような疲労感が……」

 がくん、とマコトが両膝をつく。

「マコト!」

 よろけるように、エマと、キョウカが近づく。

「いや、俺は何とか大丈夫だ……でも、二人こそ」

 ふらりと立ち上ったマコトが、ぎこちなく笑顔を見せる。

「よかった……てっきり、マコトはもう死んだものとばかり……」

 ほっと安堵の表情を見せるエマがよろけるのを、マコトがさっと抱きとめる。

「無理するなよ」

「あ……ありがとう」

 顔を上げ、かすかな笑顔を見せるエマに、マコトも思わず顔をほころばせた。

「おのれ……といいたいが、この場合は仕方ないか。とにかく、無事でよかった」

 ボロボロのキョウカも、笑顔を見せる。

「はい、お疲れ様」

 いつの間にか、マコトたちの前に、カガミが立っていた。

「え、いたんですか? いつから?」

「『無理するなよ』『あ……ありがとう』で、顔を見合わせて笑顔、それを見てキョウカも笑顔という、絵に描いたようなエンディングっぽいところからね」

「復唱しないでください、恥ずかしいじゃないですか!」

「そ、そうよ、言わなくてもいいわよ」

 あわてる二人を前に、カガミはいつものように、表情一つ変えない。

「ひとまずは危機を回避したということで……たださっきの犬やメズナを裏で操る黒幕がいるってことは忘れないでね」

「え……それこそ、少年漫画のエンディングっぽい話ですね。て、ことはこれで終わりじゃない、と?」

 うん、とカガミが頷く。

「まあ、事実だから仕方ないわね。それが何者かこっちでも調査するけど、そっちでもよろしく。それと……マコッチ、よく獄卒の能力を使いこなしました、偉いわ、さすが地獄の血筋よ。とっさの感情の高ぶりが発動理由だと思うので、そこん所、うまくコントロールしてね。それと、あなたは任務が終わるまで死ねないの」

「死ねない?」

「そう。だって一度地獄に落ちてるもの。まあ『半死半生人』という所ね」

「そうか。それであれだけぶん殴られても死ななかったのか……って納得しかねるけど、まあ助かったんで、いいか」

「じゃあ、引き続きよろしく」

「あ……ちょっと待って」

 マコトは、そっとエマを立たせると、カガミを墓石の裏に誘った。

「あの……」

「どうしたの? 何か内緒話でも?」

「そうなんですが……その……さっき言ってた『地獄の血筋』についてですが」

「早くしないと二人に怪しまれるし、私はこれでも忙しい体なのよ」

「じゃあ言います。俺とエマは……兄妹なんですか?」

「違います」

 首を振り、キッパリとカガミが答える。

「でも、メズナが言うには、閻魔大王も人間の世界に来たことがあって、そこで……」

「あぁ……」

 思い出したように、カガミは顔を上げる。

「確かにそうね。でも、二人で行ったの。大王の双子の妹さんも一緒にね。それに、あなた、そもそもあなたのお母さん、おうちにいるでしょ?」

「そうですけど……それ聞いてから、あれは義理の母なんじゃないかと思って」

「それはお母さんに失礼でしょ。あなたのお母さんが閻魔大王の双子の妹よ。保険の外交やってたでしょ? あれね、大王に勧められて始めたのよ」

「あぁ、そうだったんですか……っておい、それはそれで話がややこしいでしょうが! 俺の母親が閻魔大王と双子? そっちの方がびっくり情報ですよ!」

「だからこの任務に就かせるのに、あえてあなたを地獄送りにしたの。メズナの策に乗った姫様のパンチラで地獄送りになるとは思わなかったけど、遅かれ早かれあなたは地獄に行く予定だったのよ」

「は? 全部予定の上の行動? あー、なんだか最近母親が優しいと思ったら、グルだったのかよ! あれは軽いフォローのつもりか! そうか、だから俺には獄卒の能力を使いこなせることができたのか、ってそんな大事な話は最初っから話してくださいよ! うろたえるけど、納得しますから!」

 まくしたてるマコトを気にせず、カガミの姿はすっと消えてなくなった。

「あー、また最後まで話を聞かずに消える!」

「どうした、マコト? カガミ様と何話してたんだ?」

 ひょい、とキョウカが顔をのぞかせる。

「あいや、さっきの俺の能力について質問がね……」

 ごまかしながら、マコトはエマの元に戻る。

「どうしたんですか、一体?」

 心配そうにエマがマコトを見る。そういえば以前はこんな顔もできなかったな、そしてそんな顔もまたいいな、とも思った。

『でも……俺とエマはイトコ関係にあるのか? イトコ関係でそういう……その、なんというか、モヤモヤした気分になっていいものなのか? いとこ、イトコ、イトコ……』

『イトコ』という単語が頭の中をぐるぐると回りながらも、マコトは『心配ない』と、手を上げた。

「さあ、帰りましょう……明日からまた忙しくなるわよ」

 エマの笑顔に、マコトもうなずく。

「それとマコト」

「ん?」

「改めて……ありがとう」

「あ……あぁ」

 エマから感謝の言葉をもらうとは思ってもいなかったので、マコトは少し照れるように視線を外した。

「その……俺にできることがあったら、これからも」

「ありがとう」

 二度目の感謝の言葉は、エマの笑顔に添えて送られた。

 マコトは、そんな笑顔を正視できず、視線をエマの裸足の足元にやった。

 裸足の足、そしてその上には……。

「あ」

「どうしたの、マコト?」

「……エマ」

「なに?」

「裸だぞ、お前」

 思わず口を突いて出た言葉が、あまりにもストレートすぎたのでほんの少し、間が空いた。

「あ。あぁぁぁぁぁ!」

 そして事の異変に気付いたエマが小さく叫び、体を隠すように丸める。

「マコト……貴様、エマ様の裸体を今まで!」

「いや、みんな気づいていたのかなって。だからあえて突っ込まなかったんだけど」

「そんなことあるかぁ!」

 

 ボシュ!


 ズタズタの体操服からはみ出そうな胸を震わせ、キョウカの一撃がマコトの顔面を鮮やかに打ち据えた。

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