第三章 接戦! 二人の関係が変

 マコトたちの学校の通学圏内にある小さな私鉄の駅。

 ちょうど先日、キョウカが近所の暴走族をロータリーでシメていた場所、その近くに小さな喫茶店がある。


 少し耳の遠い老婦人が経営しており、駅前にファストフード店がないからか、朝の通勤時にはゆで卵とトースト、コーヒーというシンプルなモーニングを注文する客でごったがえすほどである。

 しかし、日中は閑散としており、常連客がちらほらと来る程度である。


「ちょっとさあ、どうなってるわけ?」

 そんな中、黒髪を背中まで伸ばした女が、携帯片手に、見えない相手に向かって大きめの声で、不平をこぼしている。

「もうね、待ちきれないの、こっちだって段取りあるんだから。へ? へえ、それなりにうまく行ってるの? ならいいけど……それと定時連絡ちょうだいよ!」

 体のラインが出るほどぴったりとした、黒い革製のライダースーツのような洋服を着た女は、すっかり冷めてしまったコーヒーに口を付け、そして再び携帯を触りだした。

「もしもし……はい、もう少しです。もう少し……」

 先ほどの高圧的な態度とは打って変わって低姿勢で、まるで上司に下手な言い訳をしている部下のようにも見えた。


 その頃マコトは傷心を癒すために午前の授業を休み、午後の授業をエスケイプし、つまりは授業には全然出ずに、放課後『いいことをしましょう部』の部室に顔を出した。

「あら、今日はお休みだと思ってました」

 埃っぽい部室内で、優雅に紅茶をたてながら、エマが驚いたようマコトを見た。

「休もうと思ったが、言いたいことがあったから来たんだ」

 マコトは、エマの向かいに座っているソノカをキッと見つめる。

「あれ、ひょっとして私に御用ですか?」

「ああ。俺には少し前から『赤パンダッシュ男』なんてありがたくもない仇名を頂戴してるんだ、まあ、その起源に関しちゃ俺も悪い、しかし、だ。今度はその上に『連続焼き芋放火魔』だ。まず言っておきたいのは俺は放火魔でもなけりゃ、連続であんなことをしてもいない。でも周りのイメージが俺をそうさせたんだよ! イメージって怖いんだぞ! それもこれもソノカがあんなことするからだ! 心無い中傷で、俺は今まで寝込んでたんだ。でもな、それじゃあなんだか負けた様な気がして、一言、文句ぐらいはいってやろうと思ってだな……」

「そうですか、ではこれからの計画をお話したいと思います」

 マコトの、頂点に達してそれでも上昇しようとしていた怒りは、エマによってさらっと流されてしまった。

「いや待て聞け、俺の話はまだ」

「まあ、いいじゃないですか、過ぎた話だし」

 ニコニコと、ソノカがマコトをなだめた。

「ッて、張本人のお前が言うな!」

「そういうこともありまして、今回はソノカの提案で、学外に赴こうかと思います」

「どういうこと? 教室に焚火を放り込んだことかよ? いや、話全然つながってないし、繋げる気もないだろお前ら!」

 

 ブシ!

 

「ぐえっ!」

 エマの後ろで、ここまでの一部始終を聞いていたキョウカが、マコトの腹部に強烈な一撃を与える。

「黙って聞け、今からエマ様がお話しになるんだ!」

 話そうにも、腹部を強打されたので、マコトは口をパクパクさせて、膝を付くしかない。

「またキョウカは先に手が出る……せめてお話を聞いてからすればよかったのに。2、3発ほど」

 エマがにっこりと冷酷な笑みを浮かべる。

「しかし、こいつ、放っておくとまた失礼なことを言うやも知れませんので」

 そういいながら、キョウカは後ろに下がって元の位置に戻る。

「ではマコト、耳が機能するのなら聞いてください。これより餅つきに行きます」

「ほっ、ほもち……お餅つき? どこで?」

「『極楽園』ですよ、老人ホームへ善意の輪を広げるんです。いつまでも校内でちくちくやるよりも外からやってみようということになったんです」

「と、いう私の提案にエマさんが乗ってくれたんですよ」

 さっとソノカが手を上げる。

「餅つきって、そんな季節外れな」

「人を喜ばせる行為に、季節は関係ありません。餅は長寿を意味し、手でこね、突く作業はお年寄りの郷愁を誘いますと、ソノカが言ってました。それに……お年寄りは後がありませんから、すぐに地獄へ」

「受け売りかよ。いや、最後のが本当の狙いだろ。なるほど、老人に目をつけたのはいいかもしれない。でも一口に餅つきといっても、道具はどうするんだよ」

「ここに」

 さっとエマが横によけると、後ろにでん、と杵、臼の餅つきセット、それを運搬する台車が置いてある。

「なんと準備のいいことで……」


 本当に準備がいいな、とマコトはそれからたびたび思った。

 マコトが台車を押しつつ、施設に着けば、食堂ではテーブルをどかし、ビニールシートを敷いた餅つき会場が出来上がっていた。そして厨房で炊いてもらったもち米も。


 あのエマがここまで段取りよくできるはずもなく、ましては従者のキョウカかといえば、エマ以上に動かなさそうである。

「だとすれば、全部ソノカがセッティングしたのか?」

 そんなマコトの隣で、ウサギのイラストが描かれたエプロン姿の、マコトとは5つぐらいしか年の離れていなさそうな、今年専門学校を卒業した感じのメガネの職員がパン、と手を叩いた。

「はーい、今日は高校生のボランティアさんたちと、お餅つきをしましょう!」

 その声に、食堂で世間話をしていたお年寄りたちがまず、かさかさと近寄ってくる。

 さらには居室からわらわらと集まり、臼にもち米を乗せる頃にはかなりの人数となっていた。

「こんなにいるんだな……お年寄りって」

「死臭がぷんぷんしますわ、楽しみね」

 そして冷たい笑みを浮かべるエマ。

「シ、滅多なことを言うなよ、で、誰がついて、誰が餅を返す?」

「それはもちろん……」

 マコトが見ると、腕力には自信のあるキョウカが、鉢巻をしてスタンバイしている。

「それではマコト、お願いします」

 なんとなくそんな予感はしていたが、結局マコトが餅を返す役、キョウカが餅を突く役になった。エマとソノカは老人に混じり掛け声をかけるだけ。

 そして……。

「そうりゃ!」

 キョウカが軽々と杵を持ち上げ、ペタン、と餅を突くと、マコトがそれをこわごわとひっくり返す……間もなく、次の1打が振り下ろされる。

「マコト、キチンとひっくり返せ!」

「早いんだよ、餅を突くのが、もっとリズミカルに突けよ!」

「マコトが私に命令するな!」

「いやしかしこれでは餅が……」

 

 と、言い合いながらも、徐々に2人はリズムを取って餅を突いていく。。

 途中、餅つきの定番である『返し役の手を杵で突く』というハプニングもちゃんと用意されていた。

「んがぁ!」

 ペタン、と、餅にマコトの手形がくっきり残った。

「すまん、つい手元が……いや、やっぱりこれは素早く返さないお前が悪い!」

 ここで言い返すと、今度は杵を脳天に叩き込まれそうになるのでマコトは黙って餅を返した。

「さあ、2人ともがんばって。そーれ!」

「そーれ!」

 いささかやる気なさそうに、エマとソノカが声を掛けると、老人たちもそれに従い、もしゃもしゃと声を出す。はじめは弱々しかったその声も次第に大きくなり、そしてまたキョウカが失敗し、マコトの手の甲に餅と一体化するほどに杵が打ち込まれると、笑い声まで起きた。

「んが!」

「もっと素早く!」

 

 はじめはぎこちなかったものの、次第に息が合ってくると、ペタンぺタン、とリズミカルな音が食堂に響いた。

「よっしゃ交代しよう」

 袖をまくってやる気満々のおじいさんがそっとキョウカの杵を取ると、別のおじいさんがマコトと交代するよう声を掛ける。まさに『昔取った杵柄』で、マコトたちよりもリズミカルに、そして素早く餅が突かれていく。

「へえ、たいしたもんだな……」

「さっと濡らしてさっと返す、ええか、こうやで、こうやで!」

 関西出身らしい男性がマコトに『餅返しの極意』のようなことを教えると、杵を持った方はソノカに『腰を痛めない打ち込み方』を伝授する。


 ペタンペタン……ゴッ、ペタンペタン……。


 交代しつつ、そしてマコトは頭部で杵を請けたりしつつ、餅つきは終了。

 それからはエマとキョウカも加わり、餅を丸め、適当な大きさにすると、醤油に漬けたり、きな粉をまぶしたり、餡子を挟んだり……。

「これも、ソノカが用意したのか?」

 マコトの呟きに、ソノカが頷いた。

「準備よすぎというか、なんと言うか。あの物騒なことしか言わなかったソノカが? 何か裏がありそうな……」

 きな粉餅をほおばり、マコトはそんなことを考えていた。

老人たちは楽しそうに丸めた餅に手を伸ばし、わいわいとにぎやかに食べている。すると、突いた餅はたちまちなくなった。

「これはうまくいったんじゃないですか? それにしてもこの餡子というものは甘くておいしい!」

 エマが、うれしそうな顔を見せ、マコトに言った。

「自分たちで作ったんだからな、そりゃ一味も二味も違う……」

 そう言いかけて、マコトはエマをじっと見ていた。

 餅つきの途中から、エマが本当にうれしそうな顔をしている。あの冷徹な笑顔ではなく、心の底からこのイベントを喜んでいるようにも見えたのだ。

「これは今度、部室でもやってみましょう」

「いや、準備が大変そうだから……」

「ふむ、美味い。なにせ私のついた餅だからな」

「俺が返した餅だ。人の頭コンコン小突きやがって」

 

 こうして『施設での餅つき大会』は盛況のうちに終わった。別れ際、メガネの職員と、老人たち数人が名残惜しそうに涙を流していたので、マコトは社交辞令ながらも『また来ます』といって施設を後にした。

 それにしてもエマの笑顔とは対照的に、言いだしっぺでもあるソノカの表情がどこか暗かったのが少し気になった。


「では、今度は保育所に向かいます」

「はぁ?」

 その翌日のことである。またもやエマがおかしなことをいいだしたのだ。

「保育所って……また餅つきか?」

 ふんふんと、エマが首を横に振る。

「いいえ、今日はマコトが熊田さんの中に入って園児たちを追い回すんです。日常にこういった異形の着ぐるみが突然現れると、子供たちはとても喜び、泣きながら逃げ回るんだ、とソノカが言ってました」

「いや、単に怖がるだけじゃないのか、それにしてもまたソノカか。何かを企んでいるんじゃないのかな?」

「何も考えないお前よりはましだ、さあ、いくぞ」

 キョウカが、熊田さんの頭部をポン、とマコトに手渡す。


 前回の餅つきと同じく、セッティングはソノカの手によってすっかりと整っており、マコトたちは指定された保育所に熊田さんを連れて、これまた町内にある『てんしの子保育園』に徒歩で向かうだけでよかった。


「なんでこんなに準備がいいんだろう……」

 保育園の正門ではピンクのエプロンをつけたソノカがすでに待っていた。

「はあい、皆さん。今日は子供たちを喜ばせましょう」

 よそ行きの声を出すソノカの案内で、小さな体育館といった感じの吹き抜けのホールに通されると、保育士さんと一緒にソノカが段取りを説明する。

「お遊戯は私のするのを真似てください……で、『森のくまさん』をみんなで歌ったら、マコトさんが、あそこから登場です」

 と、ソノカがビロードのカーテンを指差した。

「それまであんな暑いもの着て待機かよ」

「文句を言わない、面白そうな趣向じゃない?」

 エマが、ほんの少し、頬を緩ませる。エマがなんだか楽しみにしているのが、マコトには意外だった。


 ソノカの指示に従い、マコトは熊田さんを装着し、カーテンに包まれるように隠れた。

 しばらくすると、保育士さんに連れられた園児たちが続々と集まって来る。

 ホール中央にはオルガンが置かれ、そのそばにソノカと同じく、制服にエプロンをつけたエマとキョウカが立って、ぎこちない笑顔で、子供らを迎えていた。

「はーい、今日は、高校生のお姉さんがみんなに楽しい遊びを教えにやってきてくれました!」

『はーい、よろしくお願いしまーす!』

 きちんと整列した子供たちの、明るく元気でキンキンと耳に刺さるような声がホールに響く。

「楽しい遊びって……できるのか、あの3人に?」

 カーテンの陰からマコトがそっとのぞいてみた。すると、ソノカが率先して子供たちに手遊びや、簡単な体操を教えている。

「意外だな、そんなことできるのか? あれだけ、エマに悪事をそそのかしていたソノカが? めんどくさがりが揃いにそろった部室で、一番無気力そうなソノカが?」

 はじめはぎこちなかったエマとキョウカも、子供たちと接していくうち、次第に動きが柔らかくなっているように見えた。子供たちも、徐々にではあるが、3人になつきだし、エプロンの裾を引っ張ったり、なにやら話しかけたりしている。

「へえ……やるもんだ。子供たち、結構喜んでるじゃないか」


 お遊戯がしばらく続いたあと、今度は保育士さんの弾くオルガンの演奏で、子供たちが歌をうたいはじめた。ほとんどが童謡で、どれも知っている歌なので、マコトもつい熊田さんの中で口ずさんでいた。

 地獄生まれで、歌を知らないエマとキョウカが金魚のように口をパクパクして何とか合わせようとしているのがなんだかおかしい。

 そして曲が『森のくまさん』に変わった。

『♪あるーひ……』

「ここで、ここで出るのか?」

『♪森のなーかー』

 ソノカが、マコトのいるカーテンをちらちらと見る。どうやら『早く出てこい』の合図らしい。

『♪くまさーんに』

「うぉおおおー!」

 カーテンをガバッと開けてマコトが姿を見せるとパタ、とオルガンが止まり、ホールにいた全員が注目する。

 ホールは突然の乱入者に対し、どうしていいのかわからず、しんと静まり返っている。

「タイミングを外した?」

 マコトは、硬直したままの子供たちを見た。

 味方である筈のエマとキョウカも、ぽかん、としてマコトを見ているだけだった。

「まさかの出オチ……いや、この場合出オチという言葉はふさわしくない。……とにかく『滑った』ということか!」

「うわ、本当に熊さんが来たよ!」

 その沈黙を破ったのは、わざとらしく大声を上げるソノカだった。

「ほ、ほんと、こ、こんなところに熊が!」

「ど、どうしようかしら?」

 エマとキョウカも、ソノカに合わせ、ほとんど棒読みのように声を上げると、子供たちも異変に気づいたのか、ざわざわとしはじめた。

「う、うお、熊だぞ、熊だぞ!」

 両手を上げ、マコトもなんとか威嚇するようなポーズをとってみる。すると、子供たちのざわつきが、徐々にではあるが、大きくなっていった。

「たぁいへんだー!」

 と、ソノカがマコトのそばに駆け寄った。

「ここで、子供たちを追い回してください」

「は? いいのか?」

「大丈夫ですって、うんと怖い声だして、夢に出るぐらいの迫力で!」

 ぽんぽん、とマコトの肩を叩くと、ソノカは『うわー人食い熊だー! グリズリーよー!』と言ってホールをぐるぐると走り始める。

 すると、不思議なもので、子供たちもそれに合わせてばたばたと走り出した。

「ぎゃあああーーーーー!」

 早速泣き出す子供もいて、ホールはちょっとしたパニックに陥った。

「お遊戯で子供の心をつかんだと言うのか? やるな、ソノカ。では……うわあああぉおおおお!」

 雄たけびを上げ、よれよれの着ぐるみがダランと両手を上げ、子供たちを追い回す。

 やせて毛羽立った体で、うつろな黒い目の熊が猛然と走ることで、よりいっそう恐怖感をあおっていた。

「うわあああああん!」

「ぎゃああああー!」

「みんなー逃げてー!」

 子供たちの泣き声と、ソノカの、どこかウソ臭い絶叫が響く中、マコトは子供を怪我させないように手加減しつつも夢中で走った。

「ぐわおー、捕まえた子供は、冬篭り用の食料にして、連れて行くぞー」

 暑さと、視界が限られた中で、マコトは走った。しかし、不思議なもので、だんだんと自分のテンションが上がっていくのが分かった。

「ぐわぉおおー」

 マコトがふと見ると、オルガンのそばには、固まったまま動かない保育士さん、それにエマとキョウカの姿が見える。

 その表情から察すると『お前、勝手になにやってるんだ?』とでも言いたげである。

「ま、まさか……これって保育園側には何にも連絡してないのか?」

 マコトはきょろきょろ辺りを見回し、ソノカを見つけると、走り寄ろうとした。

「オ、おい、ソノカ、なんだか様子がおかしくないか、お前、きちんと許可取ってるのか?」

「キャー、熊が来たーもうダメー」

 ソノカはマコトが近づくと、大げさによろけ、床に倒れた。

「おい、ちょっと聞け、なんだか保育士さんドン引きっぽいぞ、ちゃんと俺の登場のことは話してるんだろうな? 段取りつけてるんだろうな? これだけ子供がパニくるのも想定の範囲内なんだろうな? おい!

 ウゴウゴとくぐもった声でソノカを揺さぶるマコトの姿は、傍から見れば今まさにやせこけた野獣が人を襲うようにも見え、それがまた園児たちの恐怖心をあおった。

「お姉ちゃんが食べられちゃうよー」

 お遊戯ですっかり子供の心をつかんだ優しいお姉ちゃん――ソノカ――が食べられそうになる様子は、子供たちに底知れぬ絶望感を与えるものに見え、泣き声が伝播し、調子外れのコーラスになってホールにこだましていた。

「おい、おい起きろって!」

 マコトがソノカを揺さぶるたびに、子供たちが悲鳴にも似た声を上げる。

「……やリすぎ。やりすぎね、マコトは」

 ぽつん、とエマがもらすのをキョウカが聞き届けると、黙って頷いた。

「おい、ソノカ、そういうのいいから、起きろって!」

「ぎゃー、へろへろの熊がお姉ちゃんを食べようとしているー!」

 泣き叫ぶ子供たち、気を失った保育ボランティア、そして、熊。

「この……いつまで暴れておる、子供らが怖がってるではないか!」

 タンタンと床を鳴らしながらキョウカが駆け寄り、マコトの、いや、熊田さんの顎に右アッパーを叩き込んだ。 


 ドスン!


 ガクン、とあごが上を向き、続いてマコトは背中から床に倒れた。

「な、何するんだ? 俺はただ、ソノカの言うとおり……」

「問答無用だ! 何も楽しく遊んでいた子供らを、ここまで怖がらせなくともいい! さあ、この怖い熊は私が倒したぞ! みんな続け! 大丈夫、この通りだ!」

 

 シュ、ボスン!


 仰向けに倒れているマコトの腹部に瓦割りよろしく、キョウカが手刀を振り下ろした。

「ごへ、お、おごぉ」

 キョウカの声に勇気付けられた子供たちがわらわらとマコトの前に集まる。

「さあ、いけえ!」

 キョウカの号令に子供たちがいっせいに、わっとマコトの上にのしかかり、足や小さな拳をボコボコ、バタバタと叩き込んでいく。

「や、やめろ、やめろ、こ、降参だ、参った! だからやめろぉ!」

 遠慮知らずの子供の中には、飛び上がり、マコトの体に全体重をかけた体当たりをするものまでいた。

「げ、げええ、や、やめて、とめて……」

「みんな、動けなくなるまで、攻撃を続けるんだ! 怖くないぞ、いけえ!」

 力はないが、小さく固められた子供の拳は当たる面積も小さいので、それなりに痛い。 打ちどころによれば大人のパンチよりも効くのだ。

 

 子供たちの攻撃を受け、熊田さんの頭がボコンボコンとへこみだし、その中ではぐわんぐわんと大きな音が響いていた。

 音と痛みの中で、マコトはもはや抵抗する気力もなく、されるままになり、そして……気を失った。


「最初は何事かと思いましたけど……正直『勝手になにやってるの?』と思ったけど、みんな元気に戦ってくれたので、ほっとしました。これに懲りずに、また来てくださいね」

「やっぱり……ちょっとだけ、懲りました」

 ボソッと聞こえないように呟いたマコトを、キョウカがキッと睨む。

 熊騒動から少し後。園の正門では、保育士さんがマコトたちにぺこぺこと頭を下げ、感謝の言葉を述べていた。

 マコトは子供たちの攻撃を受けて気を失った後、あの時のように、ホールの隅で寝かされていたのだ。

 手加減知らずの子供たちの攻撃を受けて、熊田さんはところどころ毛が抜け落ち、頭が出来損ないのたこ焼きのようにボコボコにへこんでいた。

「い、いえ、そんな、じゃあ、また来ます……」


 本心を言えば

 『わざわざ子供らにボコられるためにノコノコとやって来たくはない』

 だった。

 でも、感謝されたのであれば、悪い気はしない。この後、マコトはソノカを思い切り問い詰め、今度からきちんと段取りをしてくれ、と言おうと思っていた。

「ん?」

 そう思ってマコトはソノカを見ると、老人ホームのときと同じように、ソノカはどこか釈然としない顔をして、保育士さんのお礼の言葉を聞いている。

『何がそんなに不満なんだろう、こんなに盛り上がったのに……痛かったけど』

 それも今度、落ち着いたら聞いてみようと思った。


 だが、よく考えてみれば、そもそもソノカは何組の転校生なのか、マコトはもちろん、エマもキョウカも知らなかった。

 休憩時間に学校を探しても、それらしい姿はない。つまり、ソノカは部室でしか捕まらない存在だ。そして、保育園に行った日から、ソノカは部室に姿を見せなかった。

「そんな馬鹿な……まさか成りすまし学生?」


 そんなある日。

 デン、と部室の机には保育関係の本や簡単なレクリエーションの本が、山積みになっていた。

「なんだ、これは?」

 保育園での激闘による痛みがまだ残るマコトは、そんな本の山をしげしげを眺めていた。

「まるで、保育士とか介護関係の資格試験でも受けるみたいだな」

「これ、私が揃えておきました。『しっかり頭に叩き込んで次に備えろ』って意味です」

 マコトの後ろから、そっとエマが顔を出す。

「なんだか、やる気満々だな」

「ソノカと……若干お前のおかげで、エマ様は進むべき道を見つけたんだ」

 エマの後ろから、ひょいとキョウカが顔を出す。

「『若干』は余計だけど、まあ、お役に立てて嬉しいよ」

 マコトの脳裏に、キョウカに杵をぶつけられたこと、子供らに袋叩きにあった思い出が傷みとともに蘇った。

「死に掛けの年寄りに、年端も行かぬ子供たちの喜ぶ姿、よほど今まで楽しい目に遭ったことがないということね。私たちでせいぜい楽しませてあげましょう」

「いや、上から目線でのお言葉、大変ありがたいが、そんなことないぞ。でもまあ、知らないより、知っといたほうがいいか」

 マコトは山の中から本を一冊取り出し、ぱらぱらとめくった。

「しかしなあ、次があるとは限らないんじゃないか? こんなに買いこんで……」


 シュブド!


 風を切る音がして、マコトは椅子ごとひっくり返った。もはや、キョウカがどこをどう殴ったのかも定かではない。

「これ、キョウカ」

「しかし、こいつ、せっかくエマ様が準備してくださったというのに」

「く……『次に備えろ』って、何かあるのか?」

 フンフン、とエマが縦に首を振った。

「来週、老人と保育園を2回ずつ、それと、別の施設からもお声がかかりました」

「は? 別の施設から?」

 驚いたようにマコトが立ち上がる。

「よほど評判がよかったので、その噂を聞きつけたらしいな。だから、エマ様は」

「今度はお勉強してからかかろうってことか。ふうん、エマにしては」

「『エマにしては』だとぉ?」


 ド、ドド!


 不用意な発言をしたペナルティを腹部と顔面に感じ、マコトは再び倒れた。

「でも、せっかくこれからだという時にソノカの姿が見えないのよ」

「ソノカぁ? 俺も探そうとしたけど、どこにもいなかった。あいつ、本当にここの学生か?」

 と、そこに音もなくナイスなタイミングでソノカが入ってきた。

「ふう……」

 ため息一つついて、ソノカが椅子に座る。

「ソノカ、あなたのおかげで、ここの活動も軌道に乗りそうよ」

「それは、それは……」

 浮かない顔で、ソノカが答える。

「それよりもお前、何年何組だ?」

 よいしょ、と立ち上がるマコトに、ソノカは何もこたえず、再びため息をついた。

「……のよ」

「へ?」

 ソノカの声が小さくて、聞き取りにくい。

「今、何かおっしゃった?」

「……うのよ」

「ウノよ? カードゲームがどうした?」

「……がうのよ」

「おい、ソノカ、もうちょっと大きな声で言えばどうだ? お前の提案でエマ様もやる気になっておられるんだぞ」

「……違うのよ、違う、違うの! ぜーんぜん、違うのよ!」

 だん、とテーブルを叩いて、ソノカが立ち上がった。

「な、なにが……だい?」

 その勢いに、マコトは少し後ろに下がる。狭い部室の壁が、背中にひやり、とついた。

「思い描いた絵図とまったく違ってるの! いい、なぜ私があの2ヵ所を攻めようと思ったか、わかりますか?」

「攻めるってお前……」

「老人は餅を喉に詰まらせやすいからと思って餅つき大会をしたら、みんな喜んでバクバク食べるし! 思ったより咽喉部も歯も丈夫みたいだし、あまつさえ自分たちで『若い者には任せられん』って餅つき始めるし、子供に一生モンのトラウマ植え付けさせようとしたけど、あなたがいらないことするから、結構楽しいレクリエーションになっちゃうし! 子供は遊びきってクタクタで、家に帰ってすぐに寝るだろうし、おかげで若いお父さんとお母さんは夜のお楽しみが……とにかく、余計なことして!」

 ソノカがびしっとキョウカを指差す。

「そ、それはすまない……のかな?」

 キョウカも、ソノカの勢いに負け、後ずさった。

「あなたたちをうまいこと乗せて、老人と子供を悲惨な目に遭わせようとしたのに、なに勝手に盛り上がってるんですか、なに勝手に次も引き受けてるんですか? こっちで担いだ神輿が勝手に動いてどうするんですか?」

「俺たち、神輿だったのか? い、いや、気持ちはわかる……いや、本当はよく分からんけど、それで結果的によかったんなら」 

「よくないでしょ、こっちの思惑通りにことが運ばないんだから!」

「お前……なんか勘違いしてないか? 俺たちはみんなを喜ばせて善人を増やすのが目的だったんだぞ」

「片っぱしから地獄の苦しみを与えてあげればいいんです、あなたも最初はそうだったでしょうが?」

 ソノカは、次にびしっっとエマを指差した。

「ええ、最初は。でも、なんだかあんなに喜ばれると、こちらもなんだか嬉しくなって、つい」

「『つい』じゃないですよ、もっと人間を酷い目に遭わせないと。なに勝手に路線変更してくれちゃってるんですか?」

「本人が楽しいっていってるんだからいいじゃないか」

 マコトは老人ホームで、保育園で、いつもはお高くとまって物騒な物言いばかりしているエマが、心底楽しそうな顔をしているのを何度も見ていた。

「よくないですよ! もう、余計なことしちゃって……分かりました、もういいです」

 バタンとドアを閉め、ソノカは出て行った。

「なんだったんだ、今の?」

「言いだした人間が、なぜあのように愚痴をこぼすのでしょうか?」

「さあ……それよりも、あいつは何者なんだ? エマたちの知り合いじゃないのか?」

「いいや、私もエマ様も知らぬ。あのようなもの地獄では見たことがない」

「え……てっきりソノカはお前らの正体も知っているとばかり……」


 じゃあ、ソノカとはいったい何者なのだ?


 ということは後回しで、マコトたちはそれからしばらく、忙しい放課後を送っていた。 近隣の老人ホームや幼稚園、保育園の訪問依頼がひっきりなしに来ていたのだ。

 依頼側にしても『高校生のボランティア』という珍しさが受けたのだろう。老人たちにとっては孫のようでもあり、子供らにとっては頼もしいお兄さん、お姉さんに見えるのだ。


 専門書を読んで、キョウカが慣れない手つきでおり紙を折ったり、エマがへたくそなピアノを弾いてみたり、マコトが熊田さんを着て、子供らを追い回したり……。訪問はいつしか本格的なものになり、マコトたちが本気になればなるだけ相手も本気になってくれていた。


「はい、これどうぞ」

 『てんしの子保育園』、3度目の訪問のときだった。年中クラスのサエちゃんが、教えたとおりに作った折り紙の犬を、そっとエマに手渡した。

「あ、ありがとう!」

 エマはそれをごく自然に受け取り、そしてごく自然に笑顔で答える。

「へえ……」

 ホールの隅で、キョウカと一緒に手遊びを教えていたマコトは、そんなエマの姿を熊田さんの覗き穴越しに見ていた。

「あんな感じで、自然に笑えるんだな」

 へえ、へえ、ほうほう、とマコトは感心したようにうなずく。だが、はたから見れば熊田さんがよそ見をしながら首を動かしているだけにしか見えない。

「おい! 手が止まってるそ、熊!」


 ずど!


 毛羽立った熊田さんの外皮越しに、業を煮やしたキョウカの拳を感じ、マコトはそのまま崩れるように倒れた。そしてまた、体力をもてあましている子供たちの格好の餌食になったのだ。


 そんな毎日が続き、

『このままだと、俺ら、資格取れるんじゃないのか? 保育士とか』

 そんなことをマコトも思うようになっていた。

 訪問が終わると、首についたカウンターがカシャカシャと音を立てるが、どれぐらいの人間を善人にしたのか、数字が表示されていないので分からなかった。


 ただ

『この調子で行けば、いずれ一万人なんかすぐに突破できるんじゃないか?』

 と、マコトは考えていた。


 そして訪問の回数が増えるほど、エマの笑顔が多くなっているような気がした。

 ピアノをとちって苦笑いとか、子供に絵を描いてもらい喜んでいる姿など、とてもあの冷酷な閻魔大王の娘とは思えない、どこにでもいる普通の女の子のようにも見えたのだ。

 一方、キョウカはといえば、相変わらず煮え切らない態度を拳に託し、何かあるとすぐにマコトにその矛先を向けていた。

 そして、ソノカの姿は部室からも、学校からも見かけなくなった。


「じゃあさ、明日の予定だけど……紙屑バスケットゲームはこの前やったから、りんごの皮早むき大会でいいか?」

 その日、部室内では翌日の老人ホーム訪問の準備が行われていた。

「お任せします……しかし、マコト」

「う……なんだ?」

「なんだか、楽しそうね」

 そう言ったエマの顔もなんだかほころんでいた。

「うーん、何だろうね、これって。最初はただ、自分の立場可愛さ、命惜しさに半ば強制的にやってきたけど……もちろん今でもそのつもりだけど……慣れじゃないかな、慣れ」

「慣れで、そんなに笑顔になるもの?」

「そういう、閻魔大王のご息女も楽しそうにされている」

「私が……?」

 驚いたように、エマが目を丸くした。

「あぁ。心底、いやどこまでかは分からないけど……人を喜ばして、自分も喜んでいる。その……何というか、トゲトゲしさが抜けて、優しくなったというか……」

 ふと、目が合った。

「う……」

 黙っていれば可愛いのだ。

 

 黙ってさえいれば。

 

 そんなエマが今、黙ってマコトの前にいる。

 

 だから今のエマは可愛く見えた。

 

 今だけじゃない、最近の、自然と笑顔が出るようになったエマのことをマコトは気にせずにはおれなかった。少なくとも暴力巨乳のキョウカよりはマシだ。

「あのさ、エマ……」

「はい?」


 そして再び沈黙。


 別に何か用事があるわけでもなかった。ただ、その名を呼んでみた、というとても恥ずかしいことをマコトはしてしまった。


 2人を取り巻く空気の層は薄いピンク、実際にはそんなものはないが、マコトにはそう見えた。

 でも、エマも不思議そうにマコトを見ているだけで、いやな感じはしていないようだ。

「あの……」

 『何か言え!』とマコトは心の中で叫んでいた。

 そして『こんな沈黙続くとまずいでしょうが、シチュエーション的にも! 完全にこれ告白パターンだよ? どうするの、俺? ついフラフラっと閻魔大王の娘にコクる自信でもあるのか、俺?』とも叫んでいた。

「あの……」

「はあ?」

「……まあ、がんばろうよ」

 と、マコトはコクるでもなく、ものすごく無難な着地点を見つけた。ただ、その一言をいうだけで、背中に変な汗をびっしょりとかいていた。

「そうですね。みんな待ってますし」

 そして、それにエマが笑顔で答えてくれたのは思いがけない誤算であり、まるで心臓を射抜かれたようにマコトの心臓はバクバクと高鳴っていた。

「お、おう」

 と変に力んで返事をするのが精一杯で、なぜだか照れてしまい、エマの顔を見れなかった。


 ダ、ドゴォ!


「私がリンゴの買出しに行ってる間、手を休めていたな! マナ板は、包丁は?」

 さっと開いたドアから、まるで手だけがぐぐんっと伸びて、マコトの顔面を打ち据えたような気がした。

「ぐえ!」

 倒れる瞬間、目に入ったのは買い物袋を片手で抱え、残ったほうの手でマコトにパンチを浴びせたと思しきキョウカの姿だった。

「エマ様、この者に何かよからぬことをされてはいませんでしたか?」

「い、いえ、大丈夫です。お互いがんばろうとか……それにしてもキョウカは手数が多い」

 そして冷たいコンクリート張りの床の上に倒れる寸前、マコトは呟いた。

「キョウカ、それ、リンゴじゃなくて、梨だ、ナシ」


 その夜……。

 

 マコトの寝室に、そっと立つ影があった。

「ん……」

 電灯はすべて消している……はずだった。しかし、薄目を開けると、こうこうと明かりがついている。

「あれ……俺、電気つけたまま寝たのか」

「さっき点けたのよ」

 その声に、ガバ、とマコトが起き上がった。

 ベッドの足元に立つ人影、そして聞き覚えのある声……カガミだ。

「か、カガミ……さん?」

「ご無沙汰、なかなか忙しいようね」

 カガミは相変わらずクールで、そしていつものようにタブレット端末を小脇に抱えていた。

「ま、まあ、何とか活路を見出したというか」

「姫様があんなに楽しそうに人と接しているので、閻魔大王様もお喜びです」

「そりゃどうも……お褒めに預かり光栄ですが……何も真夜中に来る事ないじゃないですか」

「こっちはこっちで忙しいもので。ごめんなさい」

 カガミがそっとマコトの前まで近づき、首の辺りを覗き込んだ。

「へえ、なるほど……健闘してるわね」

「で、俺のカウンターは今何人ぐらいですか?」

「教えません」

「へ?」

「教えると、それが気になりますから。でも悪くない数字だということは言っておきます。それで、今日来たのは」

 と、タブレットをマコトに見せた。

 画面には荒涼とした地獄の荒野が映っている。

「あなたがはじめて足を踏み入れた地獄の入り口。ここをよく見て」

 と、カガミが指差し、さらには画像を拡大して見せた。

 パタパタと旗のようなものが数本、風になびいている。

「旗……運動会でもするんですか」

「そんなわけないでしょう」

「でしょうね。じゃあ、何ですかこれは?」

「土地を取られたの」

「は?」

 カガミの言った言葉の意味がよく分からない。地獄の土地を、誰が?

「は?」

 なので、もう一度、言ってみた。

「言った通りよ。土地の住人を追い出し、そこを占拠された……。連中はその証拠としてあちらこちらに旗を立てて回っている」

「まるで地上げだ……しかし、地獄の地上げって……命知らずもいたものですね」

「以前から目をつけられていたことは確かなの。それが閻魔大王の改革に合わせるように攻め入ってきた。もはや地獄には抗う力もない……連中はねちねちと、いたぶるように、土地を奪っているのよ」

「それで……俺に何をしろと?」

 そっとカガミがマコトの耳元まで顔を近づける。地獄の使いとはいえ、外見は成人女性だ。マコトは生唾を飲み込みそうになるのを止め、次の言葉を待っていた。

「何もしなくていいわ。ただ、姫様をお守りさえしてくれればいいの。放っておけば地獄にも、こちらの世界にもちょっとしたことが起こるかも」

「ちょっとしたことって、一体なんです?」

「それは……気にしないで」

「気にしますって!」

「とにかくよ、善人を増やす活動は今のままでいいから、何かあれば獄卒の能力を如何なく発揮してほしいの」

「あれ……ですか? 使いこなせないのに?」

 地獄から生き返る際にもらった三つの能力はあれ以来使っていないし、使えるものではないので、そのままにしていた。

「そうだった……全然ダメだったんだ。じゃあ、使えるようにしなさい。それと」

 と、カガミがタブレットを操作する。

「この人物に気をつけて」

 画面に映るのは、どこかの河川敷で盗み撮りされたような、黒っぽい服を着た女の後ろ姿。

「気をつけろといっても、これだけじゃ、誰だか」

「あと、このことは姫様とキョウカには口外しないでほしいの。じゃあ」

 と言うと、カガミの姿は部屋から消えていた。

「言うだけいって……だからどうすりゃいいんだよ!」

 怒りが収まらぬマコトだったが、この後、10分ほどで再び眠りについた。


「どうすりゃいいのかなあ」

 翌日。老人ホームに向かう途中に、昨夜のことを思い出し、マコトが呟いた。

「昨日の打ち合わせどおりにすればいいのよ」

 マコトに何があったのかを知らないエマが、素っ気無く返事をする。

「そうだ。ちゃんと包丁とまな板を持ってきたんだろうな? あいにくと、その、りんごじゃなくてナシの皮むき大会になってしまったが……」

 申し訳なさそうに、キョウカが言った。

「気を緩めないか……」

 それとは関係なく、マコトが呟いた。

「あれ? やってるわよ、マコトこそ最近慣れすぎて機械的になってるところもあるのでは? とはいえ、ほとんど着ぐるみの中だから仕方ないわね」

「意識を集中し、その力をどこに……いったい誰に向けろというんだ?」

 マコトは、これからのことよりも昨夜のカガミの言葉が気になっていた。

「誰にって、そりゃ、ホームのご老人たちだろうが? おい、聞いているのか、おい!」

 キョウカが、いつものように拳を振り上げる。

「ん?」

 マコトの目がある一点にとまった。

 商店と商店の間、ちょうど路地になっている場所に、不良らしき学生が数名たむろしている。

 まるで壁を作り、何かを隠しているようにも見える。

「おい!」

「あれ……なんだと思う?」

 と、マコトが路地の不良を指差した。

「あれは……学生だろ?」

 拳を下ろし、キョウカが答える。

「うん。でもなんか変だよな、まるで路地に人が入らないようにしている」

「じゃあ、何かあるというの?」

「何かある、というよりも何かを隠している。たとえばカツアゲしてるとか」

「こんな人通りの多い場所でか? というか、カツアゲとは何だ?」

「人様の金品を力づくで奪う行為だ」

「まあ!」 

 マコトの説明を聞くと、エマが路地に駆け寄った。

「待てよ、危ないだろ!」

 マコトとキョウカがそれに続く。

 路地前にいるのはどこかで見たような不良たちだった。年不相応な学生服姿に、パンチパーマや剃りこみといった一昔の不良スタイル、そして頭にはツノ……。

「あら、あなたたちは?」

 エマの声に一瞬すごんで見せた不良たちが、その姿を見るやうやうやしく頭を下げた。

「こ、これはこんなところで!」

「お前たち、地獄に戻ったんじゃないのか?」

 キョウカの質問に答えもせず、不良鬼たちはひたすら頭を下げている。

「とにかく、ここを開けてください」

「そ、それだけは!」

「とにかく、見逃してください!」

 鬼がぺこぺこと頭を下げる姿を見るってのも珍しいよな、と思いながらマコトはそのやり取りを見ていた。

「エマ様がおっしゃっているんだ、道を開けろ! 開けなければ、角をへし折る!」

「そ、それだけは!」

 拳を振り上げたキョウカに恐れをなした不良鬼たちが少しずつ、道を開ける。

 エマが先に入り、マコトは一番最後に、中へと入った。

 路地の奥では、不良鬼たちが、少年を取り囲んでいる。絵に描いたようなカツアゲの現場だ。

「だからよぉ、これ買えっていうんだよぉ!」

 不良鬼たちに囲まれているのは、メガネをかけた、色の白い少年だった。手入れの整った長めのさらさらした髪に端正な顔立ち。


 いかにも『モテそう』な顔だ。


「フ、くだらないね、こんなことして誰が得をするというんだい?」

 不良鬼たちの懸命な脅しにも動じず、少年はおびえる様子も見せず、逆に睨むように鬼たちを見ている。 

「俺たちが得するの! いいから買えよ『悪業マニュアル』を!」

 鬼が一冊の本を手に声を上げる。

「あれ?」

 それを見たマコトが素っ頓狂な声を上げると、鬼たちがそれに気づいた。

「あ? なんじゃこりゃワレ?」

「相変わらず口が悪いな……その本って」

 鬼が持っているのは『悪業マニュアル』と手書き文字で描かれた薄い本だ。

「あれは……以前私がもらった本のようにも見えますが」

「ああ。なんとなく作りも一緒だ」

 不良鬼たちが顔を見合わせる。

「ちょうどええ、お前らもこれ買わんかい、オラ」

 不良の一人、いや一匹がエマたちに凄んだ顔を向ける。

「貴様ら、エマ様に向かってその口の利き方は何だ!」

「エマ様? あ、本当だ!」

 キョウカの一喝で、鬼たちがマコトたちをよく見るや、直立不動の体勢を取る。

「こ、これはエマ様!」

 さっきの強面っぷりとは打って変わり、気持ち悪いぐらいの低姿勢だ。その様子からもエマの地獄での地位が分かるようだった。

「あなたたち、地獄にも戻らず、こんなところで一体何をしているんですか? 早く戻ってお母様のお手伝いをしてきてください」 

「しかし、そうは申しましても、何もすることがないんですよ」

「仕事ならそれこそ山……針山のごとくあるだろうが! 何を人間相手に卑劣な商売をしている!」

「それが……何というか、失業中のようなもので。で、バイトを紹介されたんスよ」

「地獄で失業? まさか、そんなことが? お母様に何かあったのでは?」

 不良鬼たちは、申し訳なさそうに頭を垂れるばかりで、返事をしない。

「おい、黙っていても仕方ないだろ、誰か説明できないのか?」

「では、私が代わりに説明します」

 と、鬼たちがすっと左右に分かれた。

 その間に立っているのはソノカだ。しかし、制服姿ではなく、白い衣類をまとい、髪の色も変え、ずいぶんと雰囲気が違っていた。

「ソノカ? お前ずいぶん……」

「あなた、あら、三途の川の……!」

 マコトの言葉を遮るように、エマが声を上げた。

「ご無沙汰しております。そう、三途の川の脱衣婆の孫、ソノカでございます」

「なんだか言動が怪しいと思ってたけど、お前も地獄の住人だったのか……って、よく考えたら髪の色変えただけで、2人とも気づかなかったのかよ?」

「だって……まさかこんなところにいるなんて。他人の空似かと」

「私もだ。脱衣婆の一族なら、こんなところにいるはずない、三途の川で亡者の衣類を剥ぎ取る仕事をしているはず……」

「それがですね、閻魔大王の改革で、三途の川に橋がかかったでしょ、それに服装も自由にするってことで、暇になったんですよ」

 ニコリ、とソノカが答える。

「で、今は私の下で働いてもらってるのよ」

 鬼の後ろから、黒革の衣装に身を包んだ女が現れた。

「あなたは!」

 エマが叫ぶ。

「メズナ? 確か謀反を起こしたかどで、地獄の最下層に閉じ込められていたはず!」

 そしてキョウカが補足するように声を上げる。

「お久しぶりね、お2人とも。お元気なようで何よりです」

 メズナ、と呼ばれた女はニィ、と口角を上げ軽くエマに頭を下げる。

 その態度に、閻魔大王の娘に対しての敬意はまるで見えず、小馬鹿にしている様にさえ見えた。

「ははあ、今ので大体分かった。地獄の反乱者が、こっちで仲間集めて悪さしてる、ということか。それでソノカも」

 カガミの言った『よからぬもの』の正体が、マコトにはなんとなく分かった気がした。それと同時に、ソノカが老人ホームや保育所で見せた不満げな表情の理由もなんとなくわかった。

「それで……地獄送りの人間を増やすつもりが、思うようにいかなかったので、ソノカはヘソを曲げた、ということか。ははーん」

「ふふ、物分りがいい人間ね。そう、まあ色々あってこっちに来たのはいいんだけど、遊ぼうにもね、この子がトロいんで、私がじきじきに動くことにしたのよ。これからもよろしくね」

 黒髪をなびかせ、メズナがマコトにウィンクをする。しかしその不敵な笑みは、どうにも信用できるものではない。

「メズナ……仔細はさておき、こっちに来てくれたことに感謝します。これだけの数がいれば、私たちの活動も……」

 訝しがるマコトをよそに、久しぶりに会う地獄の住人に、エマが喜びの表情を見せた。

「それはそれは、ありがたいお言葉です。でもねえ、私はそんなボランティアごっこには興味がありませんのよ、エマ様ぁ」

「え……では、どうして?」

 メズナが、ニヤニヤと、エマを見る。

「そりゃだって、せっかくエマ様がこっちに来ているのに、それを有効的に使わない手はないでしょうが。私はここで大勢人死にを出して、地獄を賑やかにしたいだけ。でも……」

 メズナがびしっとマコトを指差した。

「ソノカが困ってたように、あなたが『善人を増やそう』なんて余計なことをしたから、それもままならないのよ、だから、死んで、ね」

「なんだと?」

 マコトがさっと身構える。

「この、地獄には飽き足らず、ここでもエマ様の意に反するというのか!」

 キョウカが拳を振り上げ、メズナに向かった。

「やめなさい、キョウカ! この者には……」

「こういった輩はアルミ缶のように叩き潰して地獄に送り返してやるのが一番!」

 エマの制止の声を聞かず、キョウカが突進する。

 すると、メズナをかばうように、ソノカが前に出た。

「ほい!」

 パン、とソノカが手を鳴らした。

「な……」

 異変を察してキョウカが足を止める。瞬間、キョウカの着ていた服の色が変わったようにマコトには見えた。

「あ……」

 マコトはぽかん、と口を開け、キョウカを見た。

 キョウカは瞬時に肌色の衣類を身に着けていた……。

 いや、キョウカの服が変わったのではない、衣類が全部消えていたのだ。

 ということで、マコトの目の前には、全裸のキョウカが、拳を振り上げたまま、静止していた。

「あ……れ、これは……」

 キョウカが振り返る。

 その瞬間、マコトは見た。地獄で何を食べてきたのか知らないが、たわわに育ちすぎた、キョウカの胸のふくらみを、一糸まとわぬ胸部を、つまりはバルルンッと揺れるむき出しのでかいおっぱいを! 

「おぉおお! おっぱっ」

「やああぁあああ!」

 珍しく黄色い金切声をあげ、振り上げた手でそのまま胸を隠し、キョウカがその場にうずくまった。

「見るなぁああ! 特にマコトは見るな、見たら目を潰してえぐるぞ!」

「見てないって! たぶん。地獄の住人にも羞恥心があるのか……」

 マコトが横を向きながら言った。

「脱衣婆の能力は亡者の衣類を脱がすこと……キョウカ、忘れていたのですか」

 ふっと視線をはずし、エマが呟く。

「申し訳ありません、ついカッとなり……しかし、このままでは何も」

 先ほどまでの姿勢はどこへやらで、体を縮めるように、キョウカがエマたちの元へ戻ってきた。心なしか、恥ずかしさからか、白い肌がうっすらピンク色に染まっていたのをマコトは見逃さなかった。

「さて。腕力と胸のデカさだけがとりえのお供はこれでおしまい。さあ、どうします? なあに、エマ様を裸にひん剥いむいて写真撮ってネットでさらして大炎上とか、地獄に持って行って大王様を強請ろうなんてことはなんてさらさら考えておりません。ただ、私たちと行動を共にしてくれればいいのです」

「……やる気満々じゃねえか」

 マコトの突っ込みを無視したメズナが目で合図を送ると、鬼たちが相変わらずすまなさそうな顔で、手に棍棒を持って立っている。

「力ずくでも、とおっしゃりたいのですか?」

 すっとエマが身構える。

「それはエマ様次第ですわ、ふふ。それはそうと、そちらの人間には金輪際エマ様と接触しないようにしておきませんと」

「お、俺を……」

 同じように身構えつつも、マコトには策がなかった。

 ただ、そっとエマの前に立ち、カバンから、万一の着替えにと持ってきた体操服を、黙ってキョウカに渡した……つもりが、老人ホームで着用するエプロンだった。

「す、済まない。しかし……」

 恥ずかしそうに、裸エプロン状態のキョウカが立ち上がる。

 しおらしいキョウカを見て、全裸も大概だが、それにエプロンをすると、なぜにこうもなんだかモヤモヤした気分になるんだろうか、とマコトは思いながら、凝視していた。

 胸元がどどん、と盛り上がり、開いた胸元から大峡谷が見えるエプロン一枚のキョウカは、恥ずかしそうにうつむきがちになっている。

「後ろがスースして、これは……」

 キョウカが顔を赤らめながら壁にペタリ、と背中をつける。

「で、マコトは見るな!」

「あぁ、あぁ」

 と、二度返事して、マコとはメズナたちを見た。鬼たちは棍棒を振り上げ今にも襲い掛かってきそうである。

「いい、潰すのは男の方よ、姫様は傷つけずに捕えること」

 おぉ、とうなずき、鬼たちがじりじりと間合いを詰めていく。

「いけません!」

 と、エマがマコトの前に立った。

「やるならいっそ一思いに私も潰しなさい!」

 さっとエマの手に、ペンチが現れた。

「それで、連中とやりあうのか……」

「仕方ありません……」

 ペンチをかざし、エマが構える。が、マコトの時のように、大きくならない。

「……ダメです、この人たちはウソをついていないから。地獄の住人はピュアなのです」

 悲しそうなエマに同情するように、鬼たちは首を横に振りながらも、近づいてくる。

「いいよ、エマ、危ないから下がって、このままじゃお前も……」

 と、マコトがエマを押しのけようとした時、右手が熱っぽくなったのに気付いた。

「は、これは……」

 何かを思い出したように、マコトは右手の平を鬼たちにかざした。

「……地獄の業火よ、その紅蓮を立ち上げ、我に味方せん!」

 我ながら恥ずかしい叫び声をマコトがあげると、鬼の角の先端に、100円ライターのような炎がポン、とついた。

「なんだ、これは……」

 火の付いた鬼が頭を2、3度振って消す。

「何、今の? 恥ずかしー」

「分かってらそんなこと、俺だって言いたくないんだよ、ええい、燃えろ!」

 さらにマコトが手を向けると、順番に鬼たちの角に、ポン、ポンと火がついた。

 まるで誕生日ケーキにつく小さなろうそくのようである。

「あれは……効果があるのかしら?」

 後ろでエマが尋ねると、マコトは悲しく首を振った。

「な、なら、これは、どうだぁ!」

 マコトは両手を高く上げ、念じた。するとその両手にずんと重い衝撃が走り、三又の槍が現れる。

「で、出た! ……重くない重くないぞこれは……」

 頭上でブンッと回し、マコトは槍を構えようと……したが重くて前にトトト、とよろけてしまう。

「や、やっぱり重い、重いよぉ!」

 図らずもマコトは槍を構えたまま鬼たちに突進する形になった。

「や、やめて止めて……」

 鬼たちがさっと左右に分かれ、マコトを通す、それでも足は止まらない。

「へえ、一応獄卒の力があるんだ。でもぜーんぜんダメなようね」

 よろけるマコトをさっとかわすメズナとソノカはニヤニヤとその無様な姿を見送った。 ようやく足が止まったマコトは再び目を閉じ、そして向きを変え、槍を振り上げた。

「こ、今度こそ、軽い、軽いぞこの槍は!」

 と、言うマコトの言葉とは正反対に、槍はその重さを増していった。

「あ、あらら……」

 再び、マコトが前のめりになって進みだす。

「へえ、これでエマ様をよくお守りできるものね。あなたはその棒切れで遊んでいて。その間に私たちは」

 メズナが合図を送ると、鬼たちはエマにじりじりと近づく。

「あなたたち!」

 エマの声も、鬼たちには届かず、ただゆらゆらと、それでも申し訳なさそうに、手を伸ばす。

「ま、待て! エマに触るなぁ!」

 と、マコトが叫んだ瞬間、頭上にあった槍の重みがふっと消えた。

「か、軽い! やったぞ!」

 軽くなった槍を振り回し、マコトは鬼たちに突進する。

「うらぁあああ!」

「な、何よ、いきなり使いこなせるなんて、聞いてないわよ!」

 その勢いに思わず鬼たちはエマを置いて路地の外へ逃げ出した。

 ぶんぶんと槍を棒切れのように振り回し、マコトは鬼を、そして逃げるメズナたちを追った。

「ムキになっちゃって、元はといえばエマ様のせいであんたは地獄送りになったんじゃないの?」

「う……」

 逃げるメズナの発した言葉がほんの少し、マコトの胸に刺さった。

「どんな約束を交わしたか知らないけど、本当なら、エマ様と大王様を恨むのが筋ってもんじゃないの?」

「ち、ちがう、違うぞ!」

 ほんの少し、槍がずん、と重くなった気がした。

 それでも構わずに、マコトは路地を出た。すると……。

「いやあ、この人危ないもの持ってるー!」

 メズナが、声色を変え、通りを歩いている人の注目を集める。

「あ、あれ、いや、これは……」

 辺りを見回すと、鬼たちの姿はなく、代わりに道行く人が奇異の目でマコトを見ている。

「あいや、その、ちょっとこれは、消えろ消えろ……」

 よろけつつ、槍を消そうと念じるも、その両手にしっかりと収まり、徐々に重さを増していく。

「あ、あれぇ、ちょ……」

 槍の重みで、マコトの体がよろけだす。

「ソノカ」

 それを見てメズナがソノカに合図を送る。

「ほいっ」

 というソノカの声に、2人の姿も消えた。そして、マコトの衣類も消えた。

 涼しげな風がマコトの体をすり抜け、自分がどんな状態なのかをそっと教えてくれた。

 むき出しの股間を爽やかな風が通り抜け、身震いするほどの寒気が襲った。


 続けて、周りからは絹を裂くような悲鳴が立ちあがる。

「え……俺、ひょっとして」

 恐る恐る、マコトは視線を下にやった。視界に入るのは肌色の自分のボディ。一部、黒い毛玉が。

「マコト……絶対振り返らないで」

 路地から顔を出したエマが直視しないように横を向きながら、そっと囁いた。

「はい……」

 槍を掲げた全裸の男子高校生……通報を受けて警察が来るのも時間の問題だ。

 と、いつの間にか槍が消えている。

 往来で万歳したまま硬直している全裸の男子高校生……このままでは本当に警察が来る。


 マコトはさっと路地に逃げ込み、あわててカバンから体操服を取り出した。

「あった……」

「じゃあ、なぜそれを先に貸してくれなかった?」

 ちら、と見ると裸エプロンのキョウカが、胸をたぷんたぷんと揺らしながら近づいてくる。

 

 ガズッ。

 

 胸チラもいとわないショ乳の右拳が顔面に突き刺さり、マコトは体操服を持ったまま、全裸でその場に伏した。

 それからしばらくして……。

 とぼとぼと元来た道を戻るマコトたちがいた。

 結局、体操服はキョウカに譲り、裸エプロンのマコトは周りに見られないように、2人に挟まれるようにして、体を縮めながら歩いていた。

「エマが原因……」

「何か言ったか?」

 前を歩くキョウカが振り向いた。

「いや、さっきの……メズナってやつが、俺がこうなったのは、エマのせいだって。そりゃ俺はエマに見とれてこうなったけど……まさかあれは意図的に?」

 今度はマコトは振り返り、エマを見た。

「い、いえ、私は何も。あの時は確か……」

 エマは何かを隠しているように見えた。それが何だかマコトの気に障った。

「なんだ、ウソは嫌いなくせに……自分はウソをつくのか?」

 少しきつい口調でマコトが言うと……。


 バス!


 振り向きざまに放たれたキョウカの拳が、マコトを吹っ飛ばしていた。

「なんてことを言うんだ、あの時は……あの時は、そう、それこそあのマニュアルとやらに騙されて行ったのだ、そうですよね」

「え……えぇ」

 同意を求めるキョウカに、どこか上の空で、エマが答えた。

 それでなくともさっきからエマはどことなく元気をなくしていた。

「メズナが……あんなことになって」

 ポツリ、とエマが呟いた。

「そうか……あんな奴でも、地獄の仲間、なんだな」

 仰向けに倒れながら、マコトが言った。

 ちなみに、マコトは裸エプロンなので、背中がアスファルトにこすれ、じりじりと痛んだ。

「えぇ。それにソノカも……どうして……」 

 エマは悲しそうに、顔を上げた。

 仲間だと信じていたものに裏切られたことがよほどショックだったらしい。エマはそのまま、マコトを置いてすたすたと歩いて行った。

「この痴れ者! エマ様の気持ちを知ろうともせずに!」

 吐き捨てるように言うと、キョウカがその後を追った。

『エマの悲しみは分かる……それにきついこと言ったみたいで済まない……でも……でも、裸エプロンの俺を一人残して行くことないんじゃないのか?』

 日が暮れかかり、青にオレンジが混じり始めた空を見上げ、マコトはそう思っていた。


 その翌日。

「やっぱり、謝ろうかな……」

 マコトは教室で、ぼんやりと、そんなことを考えていた。

 あれっきり、エマと会話らしい会話をしていない。朝、適当にあいさつを交わしたぐっらいだった。

 それっきり、何となく話しかけづらかった。エマもそんなことを思っていたのか、話しかけてくることはなかった。

「エマはわざと俺を誘い込んだのか? それともあのマニュアル通りにして、ランダムに選んだのか? それで俺がたまたま事故に遭ったというのか?」

 マコトは準備もそこそこに、そんなことを考えていた。

 それよりも、ときどき見かけるエマの顔がいまだに悲しげに見えたのは、やはり、メズナたちの軽い裏切りにあったショックなんだろうか、と思った。

「そうなんだろうな、やっぱり……」

 こんな時はそっとしておくべきなのか、それとも励ましてあげた方がいいのか、マコトはうろうろと考えを巡らせていたが、どうにも声を掛けづらい。キョウカも同じ気持ちなのか、エマのそばに近づいていない。

 

 マコトが何となく見上げた教壇の前に、担任に連れられ、見知らぬ顔があった。


 なぜか、そいつは黒い子犬を抱いている。学校はペット持ち込み禁止だろ、と思いマコトはその時はじめて彼が転校生であるということに気づいたのだ。

「あれ? ……彼は!」

 思わず、マコトは転校生を見て声を上げた。


 マコトたちの前で自己紹介を始めたのはメタルフレームのメガネをかけた、色が白く、手入れの整った長めのさらさらした髪で端正な顔立ちの、いかにも『モテそう』な……つまりは昨日、不良鬼に絡まれていた少年だった。

「宇津木アキラです、よろしくお願いします」

 ぺこりとお辞儀するアキラを、マコトはぽかんと口をあけて、見ていた。

「偶然なのか?」

 思わず、マコトはエマとキョウカを見た。2人とも同じように気付いたようで、ぽかんを口をあけていた。


 恐るべし、転校生!


 マコトを含めボンクラ揃いのクラスの男子連中の中で、アキラは際立った存在であり、転校生という物珍しさと、連れてきた子犬の可愛さもあって、その周りは休憩時間になると、お友達候補の女子が群れを成していた。

「い、犬を連れてきちゃダメなんだぞ!」

 昼休憩に、とある男子がアキラの席に向かって呟いた。しかし、その呟きは女子の人だかりの前に阻まれ、届くことはない。 

 犬のことを注意した男子自身が、自分こそがある意味負け犬だということを痛感していた。

 

 美形には勝てない。


 敗北者たるクラスのボンクラ男子たちは、ただ、華やかなアキラの席をただ遠巻きに見ているしかなかった。

 

 ただ、その群れに加わっていない女子が二名――エマとキョウカだ。

 マコトもまた、転校生のことよりも、エマのことが気になってちらちらと見ていた。

 物憂げな表情をして、ぼんやりと時間をつぶしているようにも見える。

 お供であるキョウカですら、気を遣っているのか、エマのそばに近寄らず、ただ退屈そうに席に着いている。

『やっぱり、昨日のことが気になっているのかな』

 一応、お守り役として、何かできないものか、とマコトはぼんやりと考える。


 そんなマコトを、美形転校生アキラが何度かチラっと見たのだが、まるで気づいていなかった。

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