第二章 混乱! 荒ぶる地上編
「く……」
いまだに頭が混乱する。今自分がいるのは地獄なのか、人間界なのか? マコトは今までの出来事をゆっくりと思い出しながら、目を開けた。
地獄から帰ってきたこと、虎縞パンツ、学校がいつの間にか荒廃していたこと、虎縞パンツ、閻魔大王の娘、虎縞パンツ、そしてショートカット巨乳、略してショ乳のしびれるような右ストレート、虎縞パンツ、いやあのパンチは若干捻りが入っていたと思う……。
気を失ったマコトは、今、白いシーツがぴんと張られた保健室のベッドの上……に……いなかった!
ごつごつと固い板の感触、そう、気を失ったまま放って置かれ、教室の後ろで寝転がらされていた!
「か、壁が目の前に……じゃなくて寝てたのか、俺? 待て待て、30人近くもいてちょっとは気にかけろよ! いたわれよ! 保健室に運んで『あれ……ここは? そうか、俺……』って言わせてくれよ!」
ガバ、と立ち上がり一気にまくし立てるマコトに、クラスの誰もが振り返った。
もちろん、閻魔大王の娘も、その取り巻きの不良鬼も、そしてショ乳も。
「あらあら、ずいぶんと寝起きの悪いこと」
わざとらしいぐらいに閻魔大王の娘、エマが驚いた顔をして見せた。
それがまたマコトには気に食わない。
「だってそうだろ、こんなところに寝転がせやがって。お前、もうちょっと人の話を聞こうとか……」
「お前? エマ様を『お前』呼ばわりだと?」
ズンズン、とショ乳が近付く。
「しまった……」
マコトが気付いた時にはときすでに遅し。視界にチラ、とぶるんと揺れる物体が見えた瞬間。
ガキッ!
上下の顎がずれるような衝撃を味わいつつ、マコトは再び眠りの中へと堕ちていった。
「く……」
いまだに頭が混乱する。今自分がいるのは地獄なのか、人間界なのか? マコトは今までの出来事をゆっくりと思い出しながら、目を開けた。
「って、ぅおおい! ループしてるよ!」
気がついたら、椅子に座らされ、縄でグルグル巻きにされている。
椅子に座らされているだけ、さっきよりは気をかけてもらっているのかもしれない。しかしひどい扱いに変わりない。
縄はがっちりと巻かれてあり、マコトはじたばたしようにもただ椅子を前後に揺らせるしかなかった。
「なぜ縛る、なぜ縛る? それも業務用のごっついロープで! 殴り飛ばして縛り上げるって、これ完全に港とか海に放り込むパターンじゃないかよ! それともこの後、ガソリンぶっ掛けて、カミソリで耳をそぎ落とすんじゃないだろうな?」
床に寝転がされた後は椅子でぐるぐる巻き……。どちらがいいのかとか、そんな事は問題ではなく、マコトは自分の身に降りかかる理不尽に対し、そして、自分を囲むように見ているエマとショ乳、それに鬼たちに向かって吼えた。
「そうされたいのなら、お望みどおりにいたしますわ。なんなら、火をつけて差し上げてもよくって? その体勢で火をつけられたら、片羽根をもいだチョウのように無様なダンスを踊るだけですわ」
ざわつく周囲を制し、静かにエマが答える。
「そ、それは勘弁……しかしだ、俺が口開けるたびにドついてたら、話が進まんだろうが! ……あれ?」
ふと我に返り、あたりを見てみると、マコトがいるのは教室ではなかった。
エマたちの向こうには、スチール製の灰色の書架と長テーブルが見える。
「ここ……教室じゃない。生徒会室じゃないか? じゃあ何で保健室に運んでくれなかったんだよ?」
「それは……ここが私たちの根城だからです」
と、エマが相変わらずクールに答える。
「根城ぉ? ってことは……その……なんだ、おい」
「控えおろう! このお方こそ次期閻魔大王にして、この真旭(シンキョク)高校生徒会長である、大東エマ様なるぞ!」
まるでいつか見た時代劇のような口調で、ショ乳がすっと一歩下がり、エマを改めて紹介する。
「はあ……なるほど。彼女が閻魔大王の娘だったのか。しかし、よくこんな連中引き連れて選挙に勝てたもんだ。いや、ちょい待ち、この短期間に選挙でもやったのか?」
「それは……この芦部キョウカ並びに配下の者たちが……できるだけ力を使い、抵抗するものを片っ端からねじ伏せていったからですの」
「腕づくで押さえ込んだってことだな?」
ぞっとするような話だ。それを、エマはさも当たり前のように話している。
「要するに暴力による学園支配か……でもそれって世間じゃ『会長』じゃなくて『番長』って呼ぶんじゃないのか? 地獄から来て、基本的な人間世界の勉強が全くできてないようじゃあ……」
マコトの言葉に辺りが、怒りにざわつく。
「この、言わしておけば! エマ様、こんな奴しゃべれなくなるまで……」
拳を震わせたショ乳ことキョウカがさっと前に出る。
「お待ちなさい。この下衆の言うことを最後まで聞いてみようじゃありませんか。その上で、思う存分叩きのめすなり、前歯全部折るなり、生きたまま背中の皮をはがすなりすればよろしくってよ」
「げ、下衆?」
上品な中に、どぎつい表現を含んだエマの言葉に、キョウカが不服そうに後ろに下がる。
「それにだ、俺があんた……エマの母さんから聞いた話と様子が少し違うな。なるほどこりゃ計画が遅々として進まないわけだ」
「計画? 下衆が私の計画を知っているとでも?」
エマが、ほんの少しだけ驚いた。
「下衆下衆と……まあ、いいや。あんたの使命は善人を増やすことだろ? これじゃあ意に反し、悪人ばかりのさばっちまうよ」
「『あんた』とか呼び捨てとか、さっきからエマ様に対し無礼であるぞ!」
「まあまあ、キョウカは下がってなさい。あの者の命はこちらが握っておるのです。せいぜいさえずらせてあげましょう。不要な時はぷちゅン、と握りつぶせますわ」
エマの涼しげで、かつ冷酷な物言いに、マコトは戦慄を覚えつつも、話を続けた。
『それに今、話を終えると、命が取られる』
とも思っていた。
「俺は、そんなあんたの手伝いをするのにやってきたんだけど、悪事の片棒は担げない。地獄を住みよい世界にすること、それに……えーっと、なんて言ったっけ。たしか悪い虫をよりつかなくするために、おかしな技仕込まれて派遣されたっていうのに」
「なるほど。あなたの言い分はよく分かりました。ただ私はお母様より、こうすることにより、みんなのためになる、と教わりました。何か不服でも?」
「大いに不服だ。悪党ばっかり増える一方で、まあ地獄に悪人が増えりゃあそれでいいかもしれないが、それはおま……エマのお母さんの思惑とは大いに違うと思うけどね」
「しかし……お母様が後からこんなものを……」
狼狽するエマの側で、キョウカがすっと一冊の小冊子を見せる。
手書きで書かれたその表紙には『亡者増加マニュアル』と書かれてある。
「これによれば、人間界で悪人を増やした方が地獄は繁盛すると……」
ぱらぱらとエマが冊子をめくって見せたが、手書きで『人間界で悪人を増やす方法』『悪事そそのかしマル秘テク』などの見出しが見えた。
「同人誌、というか回覧板のような……」
「それにメールだって」
と、次にエマは携帯を広げる。そこには
『悪人増やして地獄をにぎやかにしてね(:**)orz。ママより』
というメールの文面があった。
「……ウソくせえ。あの母親ならやりかねないけど……しかし、なんだよこの無理して『ママちょっと頑張ってみました』みたいな絵文字は? 意味が分からん」
「エマ様のみならず閻魔大王まで愚弄するのか、貴様!」
キョウカの拳が今にも燃えそうに、ふるふるとわなないている。
「下衆は……お名前なんていいました? ひょっとしてお名前があるので?」
「名前ぐらいあるよ、小津マコトだ」
「ではマコト、これが偽りならば、なぜそのようなことを? 誰が何のために?」
「さあ、誰がやったかは知らないけど。でもあまりにも俺の聞いた話と違いすぎるから、訂正させていただいたまでだ」
「では、私の行いは間違っていたと?」
「そうだね、少なくとも俺をぶん殴ってふん縛るなんて、聞かされてないね」
「では……どうすればよいのですか、マコト?」
少し不安げに、エマが尋ねるので、マコトは『それ見たことか』とばかりに鼻をフン、と鳴らした。
「まずは、この縄を解いてくれ。話はそれからだ」
「エマ様、こんな奴の話など」
「一応聞きましょう。これが間違っているのであれば。もしマコトが間違っていたら……その時は好きなようになさい」
エマの指示で、渋々とキョウカがマコトの縄を解いた。
どうでもいいことだが、その時、キョウカのたわわに実った胸が背中にふるん、と当たったが、マコトは口にはしなかった。
「さて……さっきも言ったように俺は地獄から、閻魔大王の命を受けて甦った。じゃあなぜ地獄に堕ちたのか? それも元々はエマの虎縞パンツのおかげで」
「ま!」
「この!」
エマが顔を赤らめると同時に、キョウカがさっと動いた。
なぜパンツの話題をふると、この黙っていると可愛いエマって女の子は顔を赤らめるのか、そしてなぜこのじっとしていると可愛いキョウカという女は、俺に拳を振り上げるのか。マコトがそう思っているうちに
バキッ!
と、しびれるような衝撃を顔の左半分に感じ、ゆっくりと倒れていった。
「だから……人間界で善人を増やすのがエマの使命。これは基本だ。悪人増やせなんて俺は聞いてない。学校を荒れさせて悪人を増やすなんて全くのデマ。それにその小冊子とメールはどうにもウソ臭い」
顔の半分を赤く晴らしたマコトが、エマに説明をする。しかし、エマの態度は今ひとつ煮え切らない。
「これだけ言っても分からないかな……」
「分かる訳がない! お前のようなものがエマ様のお守りをする? この私がいながら閻魔大王がそんな指示を出すはずがないのだ!」
「だからぁ、お前がいてもこの体たらくだから俺が遣わされたんじゃナイ……」
ボスン!
今度はマコトの腹部に、キョウカが強烈なパンチを入れた。
「げ……だから、そういうことなんで……おげ」
ゲエゲエと喘ぎながらマコトが言った。
「では私は何者かにそそのかされたとでも?」
「まあ、お偉い人には何かと敵が多いしね。そういった外部からの妨害を防ぐのも、俺の使命らしい」
「そ、そうだったんですか……だとすれば、私はマコトにとんだむごい仕打ちをするところでした」
「いやもう、仕打ちくらいまくったし」
「エマ様、こんな奴の言う事……ん?」
キョウカが大きな瞳をさらに広げるように、マコトの首の辺りを見た。
「これは……この男、本物?」
「あら、本当にあなたはお母様の命令でやって来たようですね」
「ん? 何かついてるのか?まあ、これで分かってもらえたか……」
なぜ自分の首のあたりを見て納得したのか、よくは分からなかったが、とりあえず説得はできた、とマコトは思った。
「それではマコト。善人を増やすためにはどうすればいいのか、あなたの考えを聞かせてください」
「取りあえずは、この荒れ果てた学校を元に戻すこと。不良鬼にはお引取り願い、学校を元通り綺麗な校舎に戻し、後は……まあ、そのうちに」
といったものの、それ以降のプランなんかマコトは持ち合わせてはいなかった。
「では、そうしましょう。それと……体育倉庫に集めたアレも解放した方がよろしいのでしょうか?」
「アレって、何か集めてたのか?」
「この周辺地域の、学校を暴力で支配していたものたちです」
「は?」
マコトの口がぽかん、と開いたままになった。
「外敵から学校を守るために先手を打ったまでよ! すでに数人、集めてある」
ぐっと拳を握りキョウカが自慢げな顔になる。
「その……それって、周辺の学校のヤンキーってこと?」
恐らくキョウカがその鉄拳で近隣の学校をシメていたんだろうということは、想像に硬くない。
「やんきい? よくは存じませんが、とにかく徒党を組んで、風紀を乱すもの、好ましからざるものたちです」
『お前が言うな、それ』とマコトは思ったが、黙っていた方が身の安全だとも思った。
「それはいつ頃から……」
「かれこれ三日前かな、さっきのお前みたいに縄で縛って転がしている。大丈夫、みんなピンピンしている」
エマの代わりに答えるキョウカに、さっとマコトの血の気が引いた。
「それ、ピンピンしてるんじゃなくてジタバタしてるんだよ! は、早く解放してやれ、飲まず食わずで三日間も縛ってるって……それ犯罪だから、悪い人だから! 通報されたらアウトだから! まずはそこから! って、本当かよ、それ?」
可愛い顔してなに恐ろしいことをやっているんだ、とマコトは思った。
一応、念のためとキョウカに連れられてマコトが見たものは……石灰の臭い漂う体育倉庫の中、イモムシの如くうごめく数名の男たちであった。
あるものは縄で、またあるものはマットに巻かれ、もはや動く元気もない様子だ。改造学生服やスカジャンに身を包んだ彼らは、マコトの姿を見るや、ゴロゴロと這いより、普段の威勢のよさはどこへやらで、『助けてくれ』と涙を流していた。
「うわ……マジだったんだ?」
「ウソなどつかん、さあ、これを解放するのか? 少し惜しい気もするが」
それを聞いたグルグル巻き男たちの顔がぴくん、と引きつった。
「全然惜しくないから。持っていても何の得にならないし。さあ、縄を解いてやれよ」
全員の縄を解くとそれぞれがマコトに頭をぺこぺこ下げ、キョウカに恐れをなすように、ひょろひょろと逃げていった。
「それで、あとは何をするんだ?」
「後は、廊下の自販機だ。タバコとかお酒の」
自販機類はキョウカの指示によって鬼たちの手によって撤去された。それが終わると地獄へ戻るよう、エマが声を掛ける。すると、ふっと鬼たちは消えていなくなった。
たまり溜まったゴミや窓にこびりついたタバコのヤニはあとで掃除するとして、これでやっと振り出しに戻った、とマコトは安堵し、生徒会室に戻ると一仕事済ませたように椅子に深く腰掛けた。
「改めましてマコト……」
長テーブルの対面に座ったエマが落ち着き払った声を出す。その後ろにはボディガードのようにキョウカが立っており、マコトが不用意な発言をしないか見張っている。
「な、何でございましょうか?」
エマにつられてマコトもついお上品な口調になってしまった。
「本題に入る前に……私は……騙されていたのですね」
「まあ、そういうことになるね。誰だか分からないけど」
「誰が犯人なのか、とは今は聞きません。大事なのは、私が騙されていた、という一点です」
「はあ、そこ、大事かな」
「最重要事項です。私が、この私が、誰とも知れぬものに騙されるなんて!」
エマの口調がだんだんと大きく、激しくなってくる。見れば、キョウカが、巻き添えはごめんとばかりにすっと後ろに下がっている。
「ゆ、ゆ、ゆゆ……ゆる」
「ゆる……キャラ? おい、どうしたエマ?」
「マコト、エマ様は地獄生まれの地獄育ちで真面目なお方。真面目ゆえに、ウソをついたりつかれたりするのが大嫌い、そのこと、肝に銘じて置くがいいぞ」
怒りに体を震わすエマの後ろで、キョウカがそっと告げる。
「って、今ここで言うのか、それ? いや俺が騙したというわけじゃないし」
「ゆる……せない、許せないのよぉ! 根性も口もハラワタも腐りきった嘘つき野郎がよぉ!」
お上品な口調が一転して荒くなり、キッとエマがマコトをにらむ。
その目は赤く燃えており、そして、ざわざわと髪の毛が逆立ち始めた。
「お、おい、キョウカ……何が始まるんだ?」
「見ていれば分かる、もう私でも止まらない」
逆立ったエマの髪の毛は、リボンと同じぐらいに赤く染まり、そして手には何やらペンチのようなものが握られていた。
「ペンチ……なんでこんなときにペンチが……」
そこでマコトはあることに気付いた。
カガミに見せてもらった地獄絵図。その中で、獄卒たちが亡者の舌を引っこ抜いている姿。それに使われていたのと全く同じものを、今エマが握っている。
「ちょ、ちょっと待て、おい待て、だから待てよ、俺じゃないから俺じゃ……」
「うるせええ! もう二度とウソつけないようにしてやる、その舌引っこ抜いてタンシチューにして食わしてやる!」
手にしたペンチがグングンと大きくなり植木バサミサイズになると、エマはズタタタっと、長テーブルを駆け、マコトに近寄る。
「おぐ!」
そして片手でマコトの口を広げて、ペンチを口の中にずぶりと差し込んだ
「お、おうおぅ……」
金属の冷たい感触と鉄の味が口の中に広がり、そして舌に、固いペンチの先ががっちりと挟まれる。
「っしゃあ、釣り上げたるでぇ、この嘘つきベロンチョをよぉ!」
そして、ドン、とマコトの胸に足を乗せ、両手でペンチをしっかりと握り、うんと引っ張る。
「あ……が、がががが、カハー、カハー!」
マコトはもはや言葉にならない音を大きく開いた口腔から発し、必死に手足をばたつかせる。まさに地獄の苦しみ、流石は閻魔大王の娘だ、といらぬ感心をしていた。
「が、ガハ……」
涙でにじむマコトの目が、ある一点に止まった。
エマが力を込めるために足を大きく広げているので、あの虎縞パンツがちらちら見えたのだ。
「が、がぅううううう」
マコトが、ぱっくり開いたスカートの奥を指差し、必死にエマに訴える。
「おが、パンく……ひえてまふ」
「『パンク冷えてます?』なに言うとんじゃこらぁ!」
激昂したエマはとことんガラが悪くなっていた。
「あの……エマ様、パンツ見えてるといってるのでは?」
そっとキョウカがささやくと、ふっとエマの力が抜けた。
「が、がああー、げ、げ、おぇ、おげぇ」
口からスポン、とペンチが離れると涙とよだれにまみれ、マコトがえづく。
「わ、私としたことが……そうよ、マコトを責めても仕方ありませんわ。許して頂戴ね」
さっとテーブルを降りたエマはスカートを調えると、恥らうようにマコトに軽く頭を下げた。
「い、いや、あ、あがあ」
『いやあ、たいしたことじゃないよ』と言いたかったが、マコトは大きく口をあげすぎて上下の顎が合わずにカクカクと鳴らしていた。
その頃、地獄・閻魔庁では……。
「と言うことで、接触には成功したようです」
カガミがタブレットを閻魔に見せていた。そこには、マコトの舌を引っこ抜こうとしているエマの姿が映っていた。
「あらあ、さっそく仲良くやってるじゃないのぉ」
「これが、仲良くでしょうか……姫様、かなりブチ切れてませんか?」
「そう? さあ、これからがマコッチの頑張りどころね」
「ところで……あの、ですね」
タブレットを収め、言いにくそうに、カガミが口を開く。
「なあに?」
「マッコチ……」
「マコッチよ、カガミ。マコッチが何か?」
「そのマコッチに、具体的な使命を伝えてないような気がしましたので」
「え……あ、そうだ、そうだったわ。大変! どうしようか?」
「一番伝えないけないことをお忘れでは?」
困ったものだ、とカガミが溜息をついた。
そして、生徒会室では……。どんよりと重たい空気が流れていた。
ホワイトボードには『善人を増やして地獄に行ってもらう方法』と、マコトのいささかやる気のない筆跡で書かれてある。
そして、溜息ばかりついてるエマ、なんだかよく分からないけど、怒りに震えているキョウカ……。
「なんだか矛盾した内容だよなあ」
と、ホワイトボードを見るマコト。
「で、結局……何もないんですね。具体策のないまま、私の部下や、体育倉庫に閉じ込めたものたちを返してしまったのですね。その小さな、ムシケラ並みの小さな脳みそじゃあなにも生み出さないのですね」
「面目ない、というかやっぱひどい物言いだよな。だって俺も今日生き返ったばかりだし漠然と『善人増やせ』って言われただけだし。なんだか生き返れるって言うからホイホイ話に乗ったけど、途方もない話だよなあ」
「それをなんとかするのがお前の仕事だろうが!」
「俺はあくまでも補佐なの。エマが考え、俺が……キョウカもサポートすると。で、エマも何も思いつかないのかよ?」
「その口の聞き方を慎め!」
だん、とキョウカが立ち上がり、拳を振り上げた。
「待ちなさい。確かに私が率先して意見を出さないといけませんわ。ミミズ脳のマコトの言うとおりです」
「ミミズですか、ムシケラ以下のミミズ並みですか……」
「要は善人を送ればいいのですね?」
「その善人という基準がどうにも曖昧なんだよなあ」
「あれはどうでしょうか?」
思いついたようにエマが手を打つと、キョウカが賛同するように両手を上げる。
「それは妙案!」
「まだ何も言ってないだろうが。で、エマ、どんな案だ?」
「あそこに……例えばタンクローリーと申しましょうか、その、可燃性の液体をパンパンに塔際した大型自動車を突っ込ませるのです」
「例えなくてもタンクローリーだな。で、どこに突っ込ませるんだよ」
「あそこといえばあそこだろ? それも分からんのか?」
「分かるわけがない。じゃあ、キョウカは分かってるのか?」
「いや、それがその……エマ様、どこでございますか?」
「ほれみろ」
「あそこといえば、この国の政の要である国会議事堂。あの中にはこの国を良くしようと奮闘している善人どもがウジャウジャいます。それを一気に火の海に叩き込めば……」
「いやいやいやいや……国会が善人だらけとは限らん。それに、タンクローリーをどこで調達するんだ? 運転は?」
『う……』という気まずそうな顔で、エマとキョウカが顔を見合わせた。
「それは……マコトの仕事だ」
「あ、いま少し間があった。この計画に無理がありすぎるの、分かってるんじゃないか?」
「そ、そんな事はありません。では、この国の将来を担う最高学府の中でも選りすぐりの者が通う学舎に、燃料をパンパンに搭載したタンクローリーを」
「いやだから、タンクローリーから1度離れたほうが……」
「ならば貯水池に、一滴で象一頭を殺せる致死量の毒を流すとか」
「エマ様、聞いた話によりますと、あのドーム球場とやらのドームに穴をあけると、外側に空気がブワッと出ていくそうです。コンサートでも、野球でもとにかく満員で人がごった返している中でそれをやれば……」
「ドーム内の空気とともに、一気に中の人間が外に吹き飛ばされるのですね、修復不可能なぐらいに体が千切れ、宙を舞うのですね? 辺り一面は血肉で赤く染まり、死者は地獄行き…… それは素敵なアイデアです」
「お褒めに預かり、光栄です」
さっきから無邪気そうにえげつない話をしているんなー、とマコトは2人を見ていた。
「あの……」
そっとマコトは手を上げた。
「なんです、マコト。何か名案でも?」
いい感じに話がまとまって嬉しそうな顔のエマが、マコトを指差す。
「さっきから2人の言ってることは名案というより妙案というより……その、どちらかといえば妙ちくりんな案だと思うけど……」
「妙ちくりん? まあ?」
あら意外? といったふうにエマが目を丸くし、そしてキョウカは、怒りの鉄拳を握った。
「だから言葉を慎めと言っておるのに! 何も策がないくせに偉そうだぞ!」
そう言いながらぶぶん、ぶぶんと胸を揺らし、キョウカがマコトに詰め寄り、胸倉を掴んだ。その瞬間、いい匂いがマコトの鼻を突いた。『地獄の遣いもちゃんとシャンプーするんだな』と、まことはうっとりしつつどうでもいいことを考えていた。
「策も何もだな……まあ、聞けよ。さっきから大量殺戮の話ばかりでさ、善人をどうこうしようという話が出ていない」
「だからこそ善人の多い場所にタンクローリーを、と申しているではないですか?」
「なぜ、そこまでタンクローリーにこだわる? ここで問題視すべきは、大量殺人ではなく善人を増やすことだ」
「ならば、お前に妙案があるのか? エマ様ばかりに考えさせて!」
ぐりぐりと胸倉を掴む力が強くなり、キョウカとの距離が縮まる。苦しいが、キョウカの胸がわささわささ、と揺れ、手を伸ばせば触れそうな位置にあるのがなんとも言えず、思わず顔がほころんでしまう。
「ない……ないけど、もう1度考え直そうじゃないか」
『考える』といっても特に名案があるわけでもない。
どうにも『善人を増やす』なんて、雲を掴むような話だ。
「まてよ……」
「お、何かいい考えでもあるのか?」
キョウカが、ふるん、とその手を離す。
「そうだ……生き返ったのなら、別にこんなことしなくったっていいんじゃないか? 特に脅迫されてるわけじゃなし……いや、俺個人の話だ。この2人に関わらずとも、俺はこのまま生を謳歌……」
グサッ!
突然、マコトの腹部から背中にかけて激しい痛みが走った。まるで目に見えない棒か槍のようなもので貫かれたような衝撃だ。
「がっ! あが」
立ち上がったマコトが仰け反り、体をびくん、びくん、と震わす。
「あら、いい考えが浮かんだようで、喜んでいらっしゃいますわ」
「それほどまでに……喜びの舞を舞うとは。期待できそうですね」
「そ、そうじゃない、そうじゃなくって……あひぃっ!」
グサ! グサ!
今度は脳天から臀部、そして両脇腹に、見えない槍が突き刺さる。
「あ、あがあああああ」
ぴょんぴょん、ふるふるん、と上下左右に体を震わせながら苦痛に顔を歪めるマコトを、エマとキョウカが期待の眼差しで見る。
ザ、ザザザザ、ザグ!
そして全身のいたるところに見えない槍が刺さり、そして無数の見えない蜂が針をつきたてるような感覚がすると、マコトはぴょんと気をつけの体勢でしばらく硬直し、そしてダダン、と崩れるように床の上をのた打ち回る。
「だーっ、イダダ、いだだだだだ!」
「あら、イダダ……とは。ひょっとして痛がってらっしゃる? 」
「このリアクションはどこかで見たような……」
ようやく2人がマコトの異変に気付く。だが、手の下しようもなく、ただその串刺しにあったイモムシのような奇妙なダンスを見ているしかなかった。
「だ、だじけ、て……だだ、イダダ……」
「はい、そこまで」
マコトの耳に、聞き覚えのある声が聞こえると、すっと痛みが消えていった。
顔を上げると、呆れた顔のカガミが立っている。
「カ、カガミさん?」
「姫様、お久しぶりでございます。キョウカ、ちゃんとやってるの? 姫様の足手まといになってない? きちんと食べてるの?」
マコトに構わず、カガミはエマに一礼、そしてキョウカに母親のような、姉のような口調で声を掛ける。
「やってるって! その、まあ、色々あるけど……」
カガミには弱いらしく、強気なキョウカが珍しく口ごもりつつ反論する。
「姫様、こちらからの説明が遅れました。これが私たちが送り込みました獄卒の小津マコト、マコッチです」
「あの……マコッチってオフィシャルになったんですか?」
体に異変がないか辺りを触りつつ、マコトが立ち上がる。
「しかし、カガミが来るとは……あちらで何かあったのですか? お母様の身に何か?」
「い、いえ、何もないですわ。地獄は至って平和で安泰。ただ今日は補足説明をしに来たまで」
不安げなエマを、カガミは精一杯の笑顔で制する。
ここで地獄の現状を話してエマを不安にさせることはできない。焦りつつも、何とかカガミはその場を取り繕った。
ただ
『鋭い……さすが閻魔大王のご息女』
と、カガミは思った。
「マコッチ……あなたに話していなかったわね。さっきのは針山地獄体験版」
さっと話題を変えるように、カガミがマコトを見る。
「は? さっきのズキズキが体験版?」
「そうよ。あなたがよからぬことを考えたり、目標を達成できない場合は、いながらにして八大地獄を体感できるようになっているの。それで」
と、カガミがマコトの首の辺りを指差す。
「首に何が……そういやさっきも」
エマとキョウカも、マコトの首を見て、話をひとまず理解してくれた。いったいここに何があるのだ、と触ってみた。
硬い首輪のような感触がある、しかし、まるで付けているという感じがしない。
「これは、重さを感じさせない特別ごしらえの首輪よ。『善人カウンター』も兼ねてるの」
「カウンター? この首輪が」
触るとカチャカチャと感覚があるが、付けている気がしないとは奇妙なものだ、とマコトは思った。
「そう、今日は大事な事を言い忘れたので、忙しい中、やってきたのよ」
改めて、とばかりにカガミはおほんと咳払いをし、マコトに向き直る。
「え……。小津マコトの生き返りの条件は善人一万人を作ること」
「い、一万人?」
「まあ?」
「おぉ」
『一万人』という言葉に、マコトたち3人がそれぞれ声を出す。
「それって……多いのか少ないのか……」
「その間、その首輪は外れませんし、完全に生き返ったとは言えません」
「そんな大事なことを……なんで言わなかったんだよ!」
「今言いました。だからわざわざ来たのよ。それと使命を怠った際もさっきみたいなことになるから。じゃあ、頑張ってね」
そういい残し、カガミの姿がふっと消えた。
「おい、おいちょっと……」
マコトは手を伸ばすが、空を掴むだけでカガミの姿はすでにない。
「なんだよ、それ。俺ずっとこのままかよ……なんだよ善人一万人って。ムチャだ」
「いいえ。そんな事はありません。まだ方法はあります」
きっぱりとした顔で、エマが言い切る。
「あるのか、この変な首輪を外す方法が?」
「あります」
毅然としたエマの態度に、マコトの期待感が高まる。
「ど、どんな?」
「簡単なこと。首と胴を外せば首輪は取れてマコトは自由の身になります。キョウカ、物置から、杉の木を伐採する大きな鋸を」
「はっ」
「って、って、待て待て、それじゃあ、俺死んじゃうよ! 首輪じゃなくて俺の命優先で考えてくれ! それとなんだよ杉の木伐採用の鋸って? 林業でもやってるのかよ」
「エマ様のご提案に不服か?」
「あぁ、鋸で首ちょんぱされるぐらいなら、だったら……」
マコトはつかつかと、ホワイトボードの前に立った。
「……真面目に善人一万人増やすこと考えるよ。くそう、やっぱりタダでは生き返らせてくれなかったかぁ」
こうして話し合いは振り出しに戻った。
一時間後……。
生徒会室に、ぐったりと机の前に座る三人の姿があった。
ホワイトボードには『善人を一万人増やす』と書いてあり、その周りをゴチャゴチャと、書いちゃ消し書いちゃ消しの跡があった。
「なんも思いつかん……」
机に伏せたままマコトが呟く。
「善人とは……なんなんだ?」
「そりゃあ、いい人だろう。いい人を作るって……なんせ『人間の性、悪なり!』なんて言葉もあるしなあ」
「いっそ悪人のままおっ死んでくれればいいんだ……」
「それじゃあコンセプトが変わってくるって、何度言ったら分かる?」
「お前は……自分の保身、自分可愛さで必死になってるだけだろうが? そりゃ私も、カガミ様に睨まれると、怖いけど……」
「へえ、カガミさんが怖いんだ?」
「こ、怖くない、睨まれると怖いんだ!」
マコトには、必死になって虚勢を張る、鉄拳制裁しか能のないショ乳がほんの少しだけ可愛く見えた。ほんの少しだけだが。
「一緒じゃないか。へーえ、暴力ショ乳にも弱点があったか」
「この、言わせておけば! 顔が変形して誰か分からなくなるまで殴ってやる、で、ショ乳とはなんだ、ショ乳とは?」
「いやまあ、それはいいじゃないか……そこは聞き流せ」
てな会話を、マコトとキョウカが机に伏せながら、ダラダラ続けている間、エマは天井を見つめ、何かを考えているような、考えていなさそうな、そんな顔をしていた。
「善人を増やす……そうです、そうですよ!」
はっと何かを思いついたエマが、バン、と机を叩く。その音に、キョウカとマコトが顔を上げる。
「何か、思いつきましたか?」
「さっきの逆をやればいいのです!」
「さっきの逆……?」
「分かりませんか、ついさっきまで私は鬼たちを使い、この学校を暴力で支配していました。地獄送りの悪人を増やそうとして、率先して悪事をみんなにそそのかしてまいりました。その逆をすれば!」
「あぁ、なるほど……単純に言うと、そうなるか。悪い事の逆、つまりはいいことを俺たちが勧めるのか」
「さすがはエマ様!」
「そうです。ですので今からここに……何をすればいいんでしょうか?」
「え、そこまでかよ!」
「無策のお前が偉そうな事を言うな!」
「そうなんです、思いついたものの、具体的に何をすれば良いのか……」
「まあ、俺らがいいことをしたり、いいことを人に勧めりゃいいんじゃないかと。目立つようにサークルとか、部活を作るとか。でかいことをせずに、まずは学内からか、なるほど」
困り顔のエマに、マコトが助け舟を出す。
「その小さい脳みそでよく考えてくれました、ではマコトの意見を尊重し、ここに『いいことをしましょう部』を立ち上げたいと思います!」
「え、それでいくの、そのネーミングダサくない? 部活にするの?」
「黙れ!」
ぶん!
キョウカの右拳が、がら空きになっていたマコトの顔面に炸裂した。
『いいことをしましょう部』……そのネーミングのセンスのなさはさておき、いよいよエマたちの活動が本格的に動き出した。まずは、生徒会室を本来の生徒会長たちに明け渡し、自分たちは、階段下にある物置のような……というか、物置にその拠点を移した。
小さな明り取りの窓に照らされた室内は狭く、埃っぽく、行事で使われたあらゆる、それこそ粗大ゴミ寸前になりそうな雑多なものが置かれていたので、それらを片付け、掃除することからはじめた。
あらかた片付けるとそこに、人数分の机を並べてみる。それだけで部室はいっぱいになってしまった。
「うーん、まあ場所は確保したとして……あとは何をするか、だ」
「それは……せっかく立ち上げたのですから、私たちの存在をアピールしないと。例えばビラ撒きとか」
「ビラ、撒くの?」
「さすがエマ様! ならあれを使えば周囲の注目を集めるのでは?」
キョウカが、部室奥に置かれたぐちゃりとつぶれた毛布の塊のようなものを指差した。「あれは……確か、部員勧誘用に手芸部が作った熊の着ぐるみ……名前は熊田さんだ。そのあと、体育祭とか文化祭とかイベントごとに出てきたような。イヤだめだ、アレは……汗を吸いまくって凄い臭いになってるし、ろくに管理してないので、カビが生えている、ってさっき捨てればよかった」
「そうか……」
キョウカがふと、エマを見た。
エマは『やれ』と、目で合図を送る。
うん、とキョウカは頷き立ち上がると
ブン、ドド!
マコトの腹部に一撃を与え、抵抗できないところをすかさず後ろに回りこみ、羽交い絞めの要領でずるずると引きずり、『えいさぁあ!』と、着ぐるみの上に投げ飛ばした。
辺りをもうもうと埃が舞い、マコトは思い切り吸い込んで、盛大にむせた。
「お、おえ、ええ、何をするんだ!」
「……着てみてください」
「へ? 今の俺の説明聞いてなかったのかよ? こんなもの、生ゴミの袋を頭から被るようなものだぞ!」
「着てくださいね」
思わず惚れてしまうくらいの満面の笑顔で、エマが可愛く尋ねる。
「いやだ」
「そう……キョウカ」
「はい」
ブン、ドス!
「ぐ、ぐぅ……」
つつ、と近寄ったキョウカが2発目をマコトの腹部に見舞った。
「く……」
いまだに頭が混乱する。今自分がいるのは地獄なのか、人間界なのか? マコトは今までの出来事をゆっくりと思い出しながら、目を開けた。これで3度目だ。が、何も見えない。
「う……」
真っ暗だ。そして鼻を突く、ものすごい、得もいえない臭い。
例えるなら、牛乳を拭いた雑巾をそのままにして一週間放置したような、そんな臭いがする。
「う。うわああ、なんだ、この臭い、おえ、おええぇええ!」
さっと頭に手をやると、ヘルメットのようなものを被っている。ヘルメットじゃない、 発泡スチロールの芯に、ウレタンやらを貼り付けた着ぐるみの頭部だという事に気付くのに時間はかからなかった。
「か、被せたな、うえ、俺をぶん殴って気絶させて。ぅぇ、うぇ……着ぐるみをきせやがったな! うえ……」
強烈な臭気が襲う中マコトは立ち上がり、何とか頭部をとろうと必死に手を動かす。
しかし、それは傍から見ると、幾分かくたびれた、ひょろ長く出来の悪い熊の着ぐるみが可愛く手を振っているようにしか見えない。
「これは……なんて愛らしい」
「エマ様、これで周囲からイヤでも注目されますよ」
「取れ、取れ、取ってくれ、臭いで殺される、目が痛い! やめろ、死ぬ、うえ、うえええ、ここで吐いたらちょうど首の辺りから、俺のおぅえ……」
熱さと臭いに、マコトは気が遠のきそうになった。
助けを求めるマコト、というか熊田さんがエマたちに手を伸ばすが、それも『ちょうだい』と、手を出しているようにしか見えない。
マコトは、汗にまみれながら、このまま臭いに殺されるぐらいなら気を失った方がどれほど楽か、と考えていた。
「では……今からビラを作りましょう」
そんなまことを無視し、さっとエマが椅子に座った。
「この部活の特徴を捉えた文章を書けばいいのですね」
さっとキョウカがB4サイズの紙を広げる。
「待て待て、俺を忘れるな、うぉおおい! あぐ」
グシャリ、と熊田さんを着たままマコトはお望みどおりに気を失い、崩れるように倒れた。
2日後……。
熊田さんを洗濯し、汚れと臭いを何とか落とすのを待ってから、完成したビラを持ったエマたちは、早速登校時間の校門前に並んだ。
「どうぞ、どうぞー」
「新入部員募集中でーす」
エマもキョウカも、いつもより高めのいわゆる『よそ行きの声』で、学生たちにビラを配る。
その横では、熊田さん着用のマコトが、もそもそと踊ったりしながら、周囲の注目を集めていた。
熊田さんのインパクトは大きく、女子が群がり、笑顔でビラを持っていったり、写メを撮るなどしている。だが、ロクに目を通すものは多くなく、中にはエマたちの目の前でぽいと捨てる学生もいた。
「おのれ!」
それを見たキョウカが、怒りの鉄拳をぶるぶると震わせる。
「よしなさい、あのような者は後で校舎の裏でこっそり足腰立たぬまでに殴りまわし、見せしめに逆さづりにでもすればよいのです」
「……なんか、恐ろしいこと言ってる」
熱い着ぐるみの中、マコトの首筋に冷たい汗が流れた。
ビラ撒きは休憩時間ごとに行われ、そのつどマコトは熊田さんを着たが、誰からも、何のリアクションもなかった。
「まあ、初日はこんなものだろ」
翌日も、そのまた翌日も、ビラ撒きは行われた。
「まあ、最初はこんなものだろ」
そしてそのたびにエマとキョウカはよそ行きの声を出し、マコトは熊田さんを着た。熱い着ぐるみの中で大量の汗をかくので、マコトは2、3キロやせたのではないか、と思った。
そして……。
「まあ、一週間は様子見だろうな……」
と、狭い部室で、熊田さんの頭部を外しながら言ったマコトに、エマは冷たい視線を送った。
「本当でしょうか? もう、何か動きがあってもいいはずなのでは?」
「いや、何事も最初の一週間……じゃないのかな」
気休めの言葉に感づいたエマの視線が、マコトに鋭く刺さる。
「マコト、本当にこれでいいんでしょうね、これで善人が増えるんでしょうね?」
「いやだって熊田さんとかビラ配りはそっちが提案……」
「どうなんだ、エマ様が尋ねておられるのだぞ!」
パキパキと指を鳴らし、キョウカが拳を握った。
2人とも、普段やり慣れないことばかりやっていたので、いよいよ耐え切れなくなってきているようだ。
「そ、そうだな……そのうち、何とかなるよ、うん」
とりあえず、笑顔だ。マコトはそう思い、着ぐるみ疲れの顔の筋肉を緩ませて見せた。
「そのうちぃ? 何とかなるだとぉ?」
エマの目が鋭さを増し、口調が変わりつつあった。
「そ、そうだよ。こういうのは長期のスパンでもってだな」
「先も見えぬことをやらしていたっていうのか? 具体的にいつどうなるかも分からないのに『大丈夫』だとぉ?」
エマがペンチ――正確にはやっとこ――をどこからともなく取り出し、カチカチと鳴らしだした。
「し、知らんぞ……」
さっとキョウカが部屋の奥に逃げる。
「う、嘘なんかついてないって、こういうのは気休めといって、いやそれもまずいか……」
ずずず、とマコトが後退る。このままでは先日のように舌を抜かれてしまう。
「嘘をついてこんなことをやらせていたというのか、おーう?」
むくりむくりとやっとこがエマの手の中で大きくなっていく。
「やば……あははは、もうちょっとがんばろうよ」
作り笑顔で、マコトは後ろに跳び下がった、といっても狭い部室なので、壁際にペタン、と背中がつく。
エマは立ち上がり、やっとこをカチカチと鳴らす、すでにその大きさは前回のごとき植木バサミサイズになっている。
「う……」
「え……」
すでに背中のファスナーを下ろしていたので、マコトが動くたび熊田さんの着ぐるみがずるずると脱げていく。
「おぅ、おう……」
ガラの悪さを全快にし、エマが近づく。そこでマコトは
「たー、ごめん、本当は見通しなんかつくわけないんだよ!」
と叫びながら、ドアに飛び、猛ダッシュで逃げた。
「待たんかいコラワレコラー!」
後ろで、ものすごい怒声が聞こえるが無視してマコトは走った。階段を上り、教室の前まで来ると、マコトははあはあと肩で息をしながら立ち止まった。何とか舌抜きは免れたものの、なんだか下半身が涼しい。
「あ……」
ズボンがない。あるのは、今日に限ってはいてきた幸運を呼ぶ、とされる赤いトランクス。
熊田さんの中は熱いので、マコトは装着時にTシャツと短パンになっていた。
どうやら、ゴムのゆるい短パンが、熊田さんを脱ぐ際に一緒にずれたものと思われる。 それに気づいた瞬間、あちこちで女子の金切り声が、男子の椿事を面白がる嬌声が廊下に轟く。
「し、しまった……」
熊田さんの中にいる時と違った種類の汗が全身に噴出し、マコトは部室へ戻った。
「す、すみませんでしたー。短パン取りに来たけど、舌抜かないでください!」
部室に入るなり、マコトはエマに頭を下げた。
「まあ? 何のことかしら……ってマコト、下着が!」
すっかり落ち着いたエマが、マコトを見て顔を赤らめると、すかさずキョウカが前に出る。
「このド変態が!」
フ、ブシッ!
いつもながら鮮やかな一発を食らったマコトは後ろに吹っ飛び、開いていたドアからそのまま廊下に出て、大の字になって倒れた。
そしていつものように気を失わなかったのは幸いだった。その代わりにしばらくの間『変態赤パンダッシュ男』というあまり有難くない渾名を頂戴することになるがそれは少し後の話。
やはり適当なことをいった罰が当たってしまったんだな、とマコトは倒れたまま、廊下の蛍光灯を眺めながらそんなことをこと思っていた。……赤いパンツを見せながら。
ビラ配りをはじめて10日……。結局のところ、ビラ配りは何の効果もなかった。ざっと見た感じ、いいことをしている人間なんていそうになかった。いつもと変わらない、いつもの学校だ。
一応活動として放課後には集まることになっていたので、マコトたち3人は部室で何をするでもなく時間をつぶしていた。
「いきなりの手詰まり……」
マコトが首の辺りを気にしながら言った。付けている感覚はないものの、このままだと首輪の力でまたひどい目に遭わされるからだ。
「困った……ビラ撒きは結局、いたずらに紙くずを増やすだけになってしまったか」
「やはり、ここはタンクロー……」
「だーから、なんで二言目にはタンクローリーが出るんだよ、それって何の解決策にもなってないから!」
「おのれ、エマ様に向かって!」
ブシ!
「ぐへ!」
キョウカの拳がズン、とマコトの下顎に響いた。殴られ続けているが、どうにもこれだけは慣れようがない。
「し、しかしだな……キョウカはこのままでいいのか? 下手すりゃタンクローリー部になるんだぞ」
「エマ様のご提案だ……と、とはいえあまり名案とは思えないが……」
キョウカが、エマと目を合わせないようにそっと横を向き、声を潜めた。
「ほれ見ろよ。付き合い長いんだったら注意したほうがいいぞ」
「マコトはそんなにタンクローリーが嫌いなのですか?」
「逆になんでそんなにタンクローリーが好きなのか聞きたいよ。何度も言うけどさ」
「はーい、津田ソノカです!」
あれ、とマコトは一瞬自分の耳を疑った。
「今、誰かなんか言った?」
「だから津田ソノカですって! お話の腰をボキボキに折って申し訳ないんですけど、津田ソノカがやってきました!」
マコトたちが見ると、髪を両側で巻いた、小柄な少女が入り口に立っている。
中学生ぐらいにも見えるが、この学校の制服を着ていた。
「えっと、どちら様で?」
「だからさっき言いましたよ、先輩」
「あぁ、ソノダさんとか言ったっけ?」
「微妙に違います、津田ソノカです! 津田ソノカ、自己紹介する手間を省こうと思ったのに!」
巻貝のような髪を左右に揺らし、ソノカが全力で訂正する。
「そう、それで、津田さんはどうしてここへ? あぁ、物置にご用があるとか? どうぞ、なんでも持っていっていいわよ」
ふんふん、とソノカが首を振った。
「違いますよ、これ、これです」
ソノカがビラを取り出し、ビラビラと振って見せる。
「そのコンセプトにいたく感銘を受けましたので、ぜひ入部させてください!」
と、ソノカが頭を下げると、マコトたちは呆気にとられたような顔で見た。
「おい……入部って、いいんだろうか?」
と、マコトはエマを見た。
「実に頼もしいことじゃありませんか、入部を許可します。あら?」
と、今度はエマがソノカをじっと見た。
「どうかしました、エマ様?」
「キョウカ、この方に見覚えはありませんか?」
「え……」
と、キョウカとエマに見つめられたので、照れるようにソノカは少し後ずさりをする。
「な、何ですか、何ですか?」
「あなた……ええと、ソノカさん? 私と会ったことはありませんか? いやどこかで会ってるはずですが」
「いえ……だって、私、転校生ですから」
「え、転校生なの?」
「厳密にいえば明日から。だから、お2人とはこれが初対面です」
「そうでしょうか……どこかでお会いしたような……」
「……確かに、会ったような会ってないような」
エマはまだ納得いかない、と首を傾げると、キョウカも、思い出すように天井を仰ぐ。
「他人の空似でしょう。とにかく、この学校のどの部活動よりも、ここに入りたいと思いました、よろしくお願いします!」
そして巻貝頭のソノカが、頭をひょい、と下げる。
「まあ、珍しい人もいたなあ、と思うけど……いいんじゃないか?」
「そうですね、一人でも多いほうが活動の幅が広がるというものです」
「あ、ありがとうございます!」
と、ソノカが頭を下げたまま、喜びを声に出した。
こうして首輪のマコトにショ乳と赤リボン、それに巻貝のソノカを加えて、『いいことをしましょう部』の活動が始まった。
「で、なにするんだよ?」
と、首輪を触りつつ、マコトがつぶやいた。
翌朝、校門にマコトたち3人に新入部員であるソノカを入れた4人の姿があった。
この日はビラ配りも兼ねて、登校する学生の服装チェックをすることになっていた。
服装の乱れは気の乱れ、ひいてはきちんと正しく制服を着こなせるようにならないと、善人にはなれない、というマコトの苦しい提案が通ったのだ。
「そこ、きちんと上着を出して」
「あなた、ボタンはしっかり留めなさい。さもないと地獄送りになるわよ」
「そうだぞ、エマ様がそうおっしゃっているんだ!」
と、少々ウザがられながらも、服装チェックを続けた。その途中、何度かビラについての質問があった。
そもそもこの部活は何だ? という『何をいまさら』な質問が多かったが、つまりいい人を増やすためにみんなでいいことをしようよ、というのが趣旨であることを告げると、じゃあ、と頼みごとをされるのだ。しかし、それを断るわけには行かないし、マコトにすれば、ビラまきの効果が徐々に出ていたので、ここで活動をもっと知ってもらおうという腹積もりだった。
放課後は掃除。翌日は、校門で受けた依頼をこなすために、4人は離れて活動した。
『小さいことからこつこつやっていけば、周りも同調してくれるはずです。善意の輪を広げるということですね』
とは、エマの珍しくまっとうな意見だった。それにはマコトも『うん』と頷かざるを得ないし、キョウカも賛同、新入りのソノカは黙ってついていくしかなかった。
頼まれごとのほとんどが昼食の買い出し、授業の代返、宿題の代理……そして、買い出し、代返、代理、パシリ、パシリ、パシリ……。
「なんかおかしくないか?」
一週間が過ぎた放課後、部室で、3年生の教室掃除を終えたマコトが、部室で疲れたように言った。
「……おかしいとは?」
ラブレターの代筆をしながらエマが顔を上げる。
「いや、確かにいいことしてるよ、善人っぽいよ。でもいいことしてるのは俺たちだけだろ? 他の連中は俺たちをいいように使って楽してるだけじゃないのか?」
「そんなことないだろう。みんなに喜ばれるというのがエマ様の願いなのだから、しかし……」
山のように詰まれた宿題のノートを前に、キョウカがげんなりとしている。
「だろ? 『しかし……』なんだよ。このままじゃ『いいことをしましょう部』は単なる便利屋扱いだ。違うんだ、その、よくはわからないけど、善人を増やすってそうじゃないような……」
「でしょうねー。私も、そう思ってました」
ドアにもたれるように、ソノカが立っている。
「いいことばかり『やっている』んじゃなくって『やらされている』んですよね。これじゃあ、善人は私たち4人。そりゃ根っからのいい人はいますよ。でもこれじゃあ増やしようがないですね」
「じゃあ、どうすりゃいいんだよ?」
「私に考えがあります。人間なんて、所詮は悪意の塊ですよ」
そう言って、準備があるからと、とソノカは部屋を出て行った。
その翌日。
「ぐわああああああ!」
部室でエマたちを待っていたマコトの体が、突然燃えるような熱さを感じた。
「な、ん、だ、これ、これって……」
マコトが首の辺りを触る。先日の『いながらにして針山地獄』のように、今度はかまゆでの計にあっているのか?しかし、自分は何もしてない。
「な……なんだこりゃ、ひょ、ひょっとして……」
のたうつような熱さに包まれつつも、這うようにマコトは廊下に出てみた。
ウォンウォンウオォン、オォオオオオ!
煙い……。まるで何かを焦がしているよおうな臭いに爆音が廊下に轟く。
「この臭いは、まるで排気ガス……誰だ、校内にバイクで乗り込んでいるのは?」
……エマだった。マスクに真っ白の特攻服の下はサラシ一枚、それに赤い鉢巻きのエマが、先端が長く、斜め前を向いたロケットカウル、運転席と後部座席に段のついた3段シートに後部からにょっきり伸びた爆音マフラー装備という典型的な暴走族スタイルのバイク――おそらくベース車はカワサキの400CC――にまたがってアクセルを空ぶかしさせている。
「な、なにをやっているんだ? ち、ちみは……」
ボボボボン、ボボボ、ボボボ……。
耳を裂くような爆音で、エマが答える。
アクセルを吹かすたびに、灰色の排気ガスがあたりに立ち込め、異様な臭気を発している。
「や、やめろ、やめろおおー! あっちぃい!」
全身が燃えるような熱さを感じながらもマコトがありったけの声を絞り出した。
ボボ、ウゥン。
キリ、とエマがエンジンを止めると、辺りは排ガスがふわふわとた漂っている。
「マコト、どうしました。……似合わなかったでしょうか?」
「に、似合う似合わないの問題ではなく、なぜ今その格好?」
「それは、私の提案だからです」
後部座席にいつの間にか、ソノカがちょこんと座っている。
「そ、ソノカ、どうしてこんな……」
いつの間にか熱さは消え、自由の身になったマコトが立ち上がると、ソノカは小さく、フフ、と笑った。
「簡単なことです。自分たちばかりがいいことしても善人は増えません。ならば逆をすればいいまでのこと。今からこの『チーム愚礼斗魔神牙』は校内を駆け抜けたのちに、校庭に出て行きその存在をアピールするのです」
「いや、ここでもう十分アピールしていると思うが……とにかくやめろ、そんなこと、最初の時と一緒じゃないか?」
「そうでしょうか。新しい試みのように思えましたが」
バイクを降り、不満げにエマが首をかしげる。
「いーや、そんなことしたらまた俺の体が……まあそれはいいとしても、昨日は愚痴ったけど、今はあぁしていくことが最善策なんだよ、絶対悪いことをしてはいけない」
「マコトさんの頭は溶岩石のように凝り固まってらっしゃるのですか? 悪人を増やすんじゃありませんよ、私たちが汚名をかぶることで、みんなが善の心を取り戻せればいいと思うんですけど」
「私もそう思います。いわゆる反面教師になるのです。悪を演じることで、みんなが善の心を取り戻すのです。これでストレスを感じずに済みます」
「しかし、なんというか極端な発想だと思うよ、これ。って今までのストレスだったのかよ?」
しかし、このままでは学校の便利屋から周辺住民を困らせる暴走集団になってしまう……。
確かにソノカのいうことも一理あるが、エマが悪いことをするたびに、自分も首輪の力で酷い目に遭わされる。それだけはごめんこうむりたかった。
「とにかく、暴走族はやめろ、といって他の悪い事もやめろ!」
「ナイスアイデアだと思ったんですが……」
残念そうに、ソノカが巻貝頭を垂れた。
と、ここで、マコトは一人足りないことに気がついた。
「あれ、キョウカは……」
なぜだか、聞くのが怖かった。よくない答えが返ってくる、そんな予感がしたからだ。
「あぁ、キョウカさんなら……」
「キョウカなら、私たちの力を誇示させるために、周辺のヘッド格を鉄拳……」
「うわー、聞くんじゃなかった、やめろ! 行ってやめさせろー! 体育倉庫に転がすのも禁止だー!」
予感は当たった。
マコトは両手をばたばた振って、とにかく外へ駆け出した。
闇雲に走り回ったマコトが一時間後に駅のロータリーで発見したとき、キョウカはどこで調達したのか、巨大な槍のようなカウルのついた黒いバイクにまたがり、地域のその手の集団をすっかりと手中に収めているところだった……。
そしてその翌日。
マコトは、校門前にデン、と置かれたタンクローリーに腰を抜かし、その上でけらけらと笑っているソノカ、それをうっとりとした目で眺めるエマと複雑な顔をしたキョウカの姿に得もいえぬ戦慄を感じた。
「どこでこんなもの……やっぱりタンクローリーじゃないといけないってルールがあるわけかよ?」
ソノカの推奨する『反面教師になりましょう計画』は、それからもたびたび続いた。
ある時は個人サイトを集中攻撃し、ネットを炎上させ、またある時は男女問わず更衣室に小型カメラを設置し、そしてある時は現金輸送車襲撃を企てたり……。
「やめろー!」
後手に回ったマコトはそのつど、首輪の力に苦しめられながらもすんでの所でこれを回避することになっていた。
「やめろ! 君は何か、そんなに周りを困らせて楽しいのか、それとその準備の良さは何だ、バックに組織でもついているのか?」
ある日、マコトはソノカを部室に呼び出し、きつく注意した。
「でも……エマさんもノリノリですし、先日も排水溝に可燃物質を気化させて隣町の球場の地下で……」
「ガス吸って死に掛けたよ、あの時は。とにかく、地道な行動が実を結ぶんだ……と思うよ」
「そうでしょうか? 騒ぎを起こした私たちが悪者になれば世間は『あーあ、馬鹿だなあ』『あぁはなりたくないよね』と、少しはマシな発想をしてくれるはずです」
「でも、そのために、大勢の人が傷つくことになる……かも知れないんだぞ」
「その時は……地獄も繁盛するんじゃないでしょうか?」
ニヤリとしたソノカから出た『地獄』というフレーズに、マコトは一瞬ドキッとした。
「まさか……地獄の関係者か?」
それならば今までのありえない行動もなんとなくだが、納得がつく。
しかし、巻貝頭は首を横に振った。
「いいえ、そんな恐ろしいものじゃありませんよ、至って健全な人間……マコトさんこそ、私のやることを邪魔するのは、誰かから命じられているのですか?」
穏やかに、的をついた言葉だった。
「い、いや……俺はその、なんというかボランティア精神というか……」
マコトは口ごもった。ソノカも得体が知れないが、今自分の素性を明かしたところで、信じてもらえるわけがない、と思ったからだ。
それからは、ソノカもあまり突拍子のないことをすることはなくなっており、マコトたちはいつものように便利屋に従事していた。
しかし……と、マコトの中に、わだかまりがある。
このままでは何も発展しないのではないか? という不安もあった。ソノカのやることは極端だが、あれぐらい大胆にできれば……と思った。
いつもの活動に戻ったとたん、エマは不機嫌そうな顔をし、キョウカは、何かが足りないとばかりに拳を震わせている。
何か、何か突き抜けるようなことができれば……と、マコトは2年の学年主任に頼まれた校舎裏の枯葉集めをしながらそう思っていた。
「何ができるってんだ?」
枯葉の山を見ながら、マコトが呟き、じっと手を見た。
「確か、俺には……」
地獄でもらった役に立たない能力があったはずだ。手のひらを上にして軽く念じるとボン、と槍がその上に現れた。
「んがぁ!」
その重さにバランスを崩すと、槍はころころ土地を転がり、すぐに消えた。
「やっぱり、あの時と一緒だ。まったく……こんな能力もらっても……」
チラ、とマコトは枯葉の山を見た。目に力を込め、じっと枯葉を見つめる。
ボッ。
ろうそく程度の火が立ち上がり、枯葉をぶすぶすとかがしていく。
「これで何をしろというんだ?こんなもの、枯葉燃やして焼却炉に持っていく手間が省けるだけ……せいぜい……そうか、そうだ、そうかもだ!」
しばらく後、校舎裏に人だかりができていた。
『焼き芋大会』
と、手書きで書かれた看板につられて来たのだ。校舎裏にはほんのりと芋を焼く香ばしい匂いが、漂っていた。
「はいはい、まだあるよ、押さないで押さないでねー」
マコトは枯葉の山に火をつけ、自腹で買ってきたさつま芋を入れ、集まった学生に振舞ってみたのだ。すると、その噂が広がり、われもわれもと校舎裏に詰め掛けてきた。
「なるほど……これは美味ですね」
「確かに……うん、おかわり」
二つに割った焼き芋を頬張りながら、エマもキョウカも嬉しそうにしている。
エマたちの笑顔、それに周りのおいしそうにしている顔……。
「別に焼き芋屋を開業しようってわけじゃないんだ。みんなが喜んでくれれば、それが目的に繋がるんじゃないかと思ってね」
「マコトにしては名案だな、お代わり」
「とてもよい着眼点だと思います。これなら大勢の人の心を喜びに満たし、善人になる可能性も」
「そうだろ、ね? つまりはこういうことだったのかもしれないよな、今までの苦労は無駄じゃなかった……」
「なるほど焼き芋ですね。枯葉が程よく燃えさかっておりますね。そこ、かーらーのー!」
さっと現れたソノカが、燃える枯葉の山を抱え、ひょい、と近くの窓に投げ入れた。
するとすぐさま中から悲鳴が上がり、もくもくと黒煙が窓から立ち上った。
「マコトさん、やっと気づいてくれたんですね、こういうことですよね、小さなところから私たちが悪行を積み重ね、嫌われることによって……」
ソノカが言い終わらない内に、マコトは火を消すために、教室に飛び込んでいた。
「……え、違うんですか?」
それからしばらくマコトには『連続焼き芋放火魔』というありがたくない渾名がついたが、それ少し後の話だった。
周りからの非難を受けながらも消火活動に必死になるマコトを見て
「もっと燃えればいいのに……」
と、ソノカが呟いた。
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