第一章 衝撃!地獄変

キィイイイイイイイイイーーーーー!


 ドンッ!


 高校生、小津マコトは死んだ。通学路で、17年の短すぎる人生に幕を閉じたのだ。

 と、あっさり書くのもなんなので、もう少し細かく記しておく。


 学校からの帰り道、マコトはいつものように携帯をいじりながら家路についていた。

  そしてふと顔を上げ、何気なく車道の向かい側に目をやった瞬間。

「え?」

 となり、

「おい、まさか、ウソだろ……」

 ポツリ、と呟いてしまった。

 内心では

『おぉ、おぉおお、イエーイイエーイ、ワーオ!』

 と大騒ぎ、一人祭状態だった。

 何がこの少年を騒ぎ立てさせたのか? 道路向かいの歩道を、自転車に乗った少女が行く。マコトと同じ学校のブレーザータイプの制服を着ている、肩ぐらいの長い髪に、少し派手目なリボンを風になびかせた少女、というか女子高生というか同じ学校。

 アレ、こんな子いたっけ、何年だ? まあ、広い学校だからなと思ったのも束の間、その視線は少し下に移った。

 向かい風を受けて女子高生のスカートがひらひらと舞っている。そのひらひら舞っている間からちらちらと何かが見える。

「ん?」

 失礼だと思いながらも、目を凝らして見た。

 ひらひらの奥には縞々、それも黄色地に黒の模様がくっきりと映える、虎縞の下着が見えたのだ。

 マコトの脳裏に幼い頃よくうたった歌がよぎった。

「おにーのパンツはいいパンツー、鬼のパンツを履く女子? イヤイヤ、虎縞パンツって、あるのか、あったのか? あるも何も、今、目の前に存在しているじゃないか!」

 ひらひらの隙間からのぞくちらちらはなんとしましま?

 女子高生は見られても平気だといわんばかりに、虎縞パンツを見せながら自転車を漕いでいる。普通ならスカート後部をサドルに挟む様にして自転車に乗るものだが、彼女は違った。スカートを挟んでいないものだから、前も後ろもパタパタと、そのタイガー模様がいやでもよく見えたのだ。

「まるで、彼女は『見ろ見ろ』と言わんばかりに……」

 マコトは催眠術にかかったように、なんだか無性にもっと見たいという衝動に駆られた。

『相手も見せつけるようにしているわけだし、俺に非はないはず。それに、ここで虎縞パンツを見ておかないと、今度いつ会えるか分からないじゃないか! さ、撮影はしないから、もっと近くで……』

 と言いながら、手にした携帯は撮影モードにチェンジさせ、ふらふらと、車道を渡ろうとした。

「見たい、もっとこの目に焼き付けておきたい!」

 とんっ。


 マコトは背中を誰かに押されたような気がして、2、3歩前に出る。その瞬間、術が解けたように、我に返って辺りを見回した。

「え、俺、何してんの……っておい!」

 マコトの目はその瞬間まで、向かい側の歩道に釘付けだった。だから、自分のすぐ近くまで、ダンプカーが迫っているとはまるで気付かなかったのだ。気付いた時にはすでに遅し。


 重い衝撃音とともに、マコトの体はまるで風に舞う木の葉のように、宙を舞い、そして、万有引力の法則に従い、アスファルトに落下したのだ。

 

 一瞬の出来事だったが、マコトの目には周りの風景がスローモーションのように見え、そして徐々に暗くなっていくように見えた。

 遠ざかる意識の中、マコトには、衝突音に気付いた赤リボンの虎縞パンツ少女が自転車を止め、こちらを振り返るのが見えた。


 一瞬目が合った……かどうかを確認する前に、マコトの意識はそこでぷつりと切れた。 小津マコト、アレもしたいコレもしたい、アレもほしいこれも欲しい、欲と妄想にまみれた、多感な年齢の中での、あっけない最期だった……。


 と、ここで終わっては何も始まらない。


 次にマコトが目を覚ましたのは、病院のベッドでもなく、霊安室でも、ましてや自宅の寝室でもなく、見たこともない、黒い地面の上だった。

「こ、ここは……」

 マコトはゆっくりと立ち上がりながら、今までのことを思い出してみた。

 ダンプカーの凶悪なフロント部分、そして虎縞パンツ、鬼のパンツ、しましまパンツ、今にして思えば結構可愛かったあの子のパンツ、パンツ、パンツ、ぱんつおぱんつ……。

「パンツしかねえのかよ!」

 思わず、そんな自分に突っ込んでしまった。

 パンツどころじゃない、今、自分がどこにいるのか、もう一度よく考えてみた。

「はねられた、パンツ見てふらふら道路に出たから、ダンプにはねられたんだ……」

 じわじわとあのときの様子が甦ってきた。はねられた衝撃で宙を舞い、すべての風景が逆さまになった様子も……。

 しかし、それにしても、痛みがまるでない。

「あれだけ飛ばされたんだから、骨の一本も折れていてもおかしくないけどな……」

 マコトはラジオ体操をするように腕を伸ばしたり、体をねじったりしてみた。

「まるで……痛くない。と、いうことは……」

 どういうことなのか、次第に状況が飲み込め、マコトは戦慄した。

「まさか……俺……し、し……」

 次の言葉が出ない。言ってしまうと、自分の今の状況を認めることになりそうだからだ。

「し……し、しん……」

 そう言いかけて、マコトは顔を上げた。頭上にはどんよりと雲のない赤い空がどこまでも広がってはいるが、太陽が見えない。足元は黒い地表が、そしてごつごつとした岩がどこまでも続く荒野だった。

 それだけで、はっきりした。

「俺、死んだのか?」

 マコトはゴクリ、と唾を飲み込んだ。

 いやひょっとして……と別の案も考えてみた。


 1 ダンプの運ちゃんがここまで運んでくれた。

「何のために? だからここどこだよ?」 


 2 ものすごく遠くまで飛ばされたが奇跡的に無傷。

「だからここはどこなんだよ? いや、落ちていったの覚えてるし。近所にこんな場所ないし」


 3 いまだに夢の中

「うん、これは可能性ありそうだよな。どれどれ……」

 と、頬を思い切り引っ張ると、ジンジンと痛みが走った。

「夢じゃない。夢みたいだけど、夢じゃないのか? じゃあ……」


 4 実はこれが現実で、パンツ見てからの展開が夢の中。

「なるほど……って、じゃあここはどこなんだよ! 今までの人生が夢オチって長すぎるだろうが!」

 

 自分のいる場所がどこなのか? もし仮に死んだのであれば、この怪しげな雰囲気から、ここがどこだか分かった。


「じゃあここは……天国?」

 改めて、マコトは辺りを見回した。赤い空と岩場しかない、生き物すら存在しないような世界……。

「て、天国にしたらえらく殺風景だな。ど、どちらかと言えばまるで地獄……うぐっ!」 

 マコトは、はっと息を飲んでしまった。

「地獄って……おい」

 認めたくなかったが、マコトの脳が、ここは『地獄』であることを認識した、してしまった。赤い空に黒々とした大地、生物の気配がまるでないそこは、それ以外に形容のしようがない。

「地獄……いやヘル、インフェルノ……まあ、どれも『地獄』の意味だわな」

 マコトは呆然としつつも、その場に腰を下ろす。

『果たして自分は、地獄送りに遭うような悪いことをしたでしょうか?』

 記憶をずるずると辿ってみる。しかし、これという悪いことをした覚えがないし、他人を陥れたり悲しませるようなひどい嘘もついたことがない。

「いや、あの時のズル休みのことか……もしかして、去年のカンニングの件……女子更衣室は……覗きかけたけど、あれは未遂だ。見たけど、未遂だ、誰も脱いでなかったし。ひょっとして、幼稚園の時おつかいのお釣りをごまかしてガム買ったあれか? ……ショボイ、どれもこれもショボイ」

 思い出しても、どれもこれも決め手に欠けるようなものばかりだ。こんな場所に送られるのはよほどの悪人だろう、こんな小者過ぎる自分がここに来たのは何かの間違いだと思った。

「しっかし……どうすりゃいいんだよ」

 見渡す限りの荒野で一人、ぼんやりを空を見上げた。

「もしもここが、仮に地獄だとして……三途の川渡ったり、石積んだり、閻魔大王に舌抜かれたりとかあるんじゃないのか?」

 どこかで、ここは地獄であるということを払拭したいマコトは呟いた。

「それはまたおいおい……」

 背後で誰かの声がした、女性っぽい声にマコトが振り返る。しかし、誰もいない。 

 その代わりに、異様な臭いが漂ってきた。鼻をくんくん鳴らし、マコトは思わずのけぞりそうになった。アンモニアのような鼻をつく刺激臭が辺りに立ち込めた。

「く、なんだ、この臭い。臭い攻め地獄か?」


 キリキリキリ……。


 続いて、耳を塞ぎたくなるような金属をこすり合わせるような音が聞こえる。それは徐々に大きくなり、それに比例するように、異臭も強くなっていった。

「な、なんだよ、これが地獄の責め苦って奴か……あ」

 顔を上げ、近付いてくる音の主を見た瞬間、マコトの足がすくんだ。

「アリ、えない……いやシャレじゃなくて」

 先ほどまで目の前に転がっていた大きな岩が動き出したのだ。岩じゃない、触角をせわしなく動かし、首を振り、顎をキリキリと鳴らす、アリ。それも、バスぐらいの大きさの奴が、1匹。さらにその後ろから数匹……。

「デカ……い」

 マコトはじりじりと後ずさった。巨大アリは明らかにマコトをじっと見ている。

「お、俺は甘くもないし、美味しくもないから……ほ、他を当たったらどうかな?」

 マコトの問いかけに、巨大アリは答えはノーとばかりに首を振ると、大きな顎を更に広げた。その間から、透明の液体が、ぼとぼとと地表に落ち、刺激臭を更に強くした。

「ぐ……この臭い……蟻酸か? 授業で習ったことがあるぞ、それに、金属音は顎を鳴らす音だったのか!」

 誰に聞かせるともなく説明っぽいセリフをはいたマコトに正解だとばかりに巨大アリは首を縦に振る。


 キリキリキリ……。


 アリが徐々に迫ると、マコトは背を向け、地面を蹴り上げるようにして逃げた。

「な、なんで俺を狙ってるんだ? ハ、これが本当のアリ地獄?」

 これまた、誰に問うわけでもなくマコトが叫ぶ。

「それ、面白くないから」

 走るマコトの耳元で声がする。

「イヤ、別にウケ狙おうと思ったんじゃなくて、……ってさっきから誰だよ?」

「それもまた後で……覚えてないかしら? 6歳の頃、あなたがしたこと」

「ろ、6歳? それがなんだよ!」

 走りながらマコトは記憶を辿ってみた。6歳、アリ……。その時、何があったのかを。「な、何も覚えてないよぉ!」

「じゃ、しばらく走ってて頂戴」

 キリキリという音が大きくなっている。アリはすぐ近くまで来ているが、振り返る余裕もない。

「6歳……その時にアリをいじめたとか何とかか?」

「うーん、惜しい、もう少し」

「そういや昔……公園で、ペットボトルの水でアリの巣穴を水没させたことあるけど……」

「ちゃんと覚えてるじゃないの、ご名答」

 声の主は相変わらず姿を見せない。

「それか、それが今頃なんで、というかそのレベルで地獄行きかよ、おい!」

 姿無き謎の声からの返事はなく、代わりにグン、とアリの前足が伸びてマコトの胴体を掴んだ。

「ぐあ、ひっぃい!」

 マコトの体は後ろに引っ張られた。カギ状のツメが腹部に食い込み、激痛が走る。

「そ、そんな些細なことで地獄送りなら……ここはもっと人がいてもいいんじゃないのか? それなのに、俺だけ……か、よ」

 アリの前足に捕まり、足をじたばたさせながらも、マコトの体はふわりと宙に浮いた。 後ろを見ると、大アリの巨大な顎が迫ってきている。

「こんな目に遭わせるんなら、あのときの年長組の男子みんな地獄送りだぞ、よっちゃんなんか虫眼鏡でアリを焼き殺してたんだからな! シゲルは巣穴にションベン引っ掛けてたぞ!」

 アリの大顎が迫る。蟻酸の臭いが強くなり、もはやこれまで、とマコトは目を閉じた。

 と、マコトはストン、と尻から落ちた。

「う……助かった……のか?」

 ついさっきまでマコトを捕らえ、食せんとした大アリの姿が無い。後ろからわらわらとついてきていた群れの姿も、すっかりとなくなっている。

「助かったのか、俺?」

 腹部を触ってみると、先ほどの痛みがまるでないので、マコトは安堵した。が、


 ドドドドドド!


 次の瞬間、地表から水が、それも津波のような大量の水がマコトを包み込み、唸りをあげた。

「ご、ごぼ……息が……」

 激流に飲まれ、マコトの体は上になり下になり、洗濯機に入れられた衣類のように、ぐるんぐるんと縦横に回転していった。

「ご……が……」

 息をしようにも顔を上げることができない。どこが上で下なのか分からない。それ以前に体のコントロールが効かない。

『俺は……このまま溺死してしまうのか? いや、既に死んでいるのだからその表現はおかしい。そうか、こんな責め苦を延々味わうのが地獄なのか……でも、アリをいじめただけで地獄送りなんて理不尽すぎる! 責任者に会ったら抗議してやる!』

 渦に巻かれながら、マコトはそんなことを考えていた。

「じゃあ、してみる?」

 水の中、しかも渦に巻かれてもみくちゃにされているのに、その声ははっきりと聞こえた。

 気がつくと、マコトは先ほどと同じように、黒い地面の上に座っていた。激流は既に無いどころか、水があった気配すらない。

「濡れてない……」

 あれだけの目に遭ったのだから、全身びしょ濡れでもいいはずだ。しかし、全く濡れていない。不思議そうに体のあちこちをさわるマコトの前に、1人の女が姿を見せた。カガミだ。

「あんた……あんたもここに?」

 スーツ姿にメガネのカガミを見て、彼女もまた自分と同じく亡者なのか、とマコトは思った。

「いいえ、違うわ。私はここの管理役の1人、カガミと言います。さっきのアリと水攻めはあなたの罪の一部を思い出してもらうためにやったの」

「管理役? じゃあこの場所ってのはやっぱり」

「そう、ここは地獄。イメージ違う?」

 カガミが、小さく笑う。

「イメージ通りでもあるような、無いような。ともかくだ、きちんと説明してくれよ。なぜ、俺がこんな目に遭わなくちゃいけないのかを!」

 カガミを睨むように、マコトは立ち上がった。

「じゃあ、私から説明してもアレだから、さっきあなたが溺れながら呟いたように、責任者に会ってもらいましょう」

「責任者?」

「そうよ、地獄の責任者」

「ということは……え、エンマ、ダイオウ?」

 こくりとカガミが頷く。

「いたんだ、閻魔大王……そりゃ地獄があるぐらいだしな」

「なにゴチャゴチャ言ってるの。さ、いくわよ」

 と、カガミが手をパンパン、と2回叩いた。


 ぱっと目の前の風景が変った。

 先ほどのいかにもな地獄の様相から一転、マコトはオフィスビルの一室にいた。

 目の前には、重役が座るような大きめで豪勢なデスク、そしてその奥にはカガミと同じく、スーツを着た自分より少し年上の女性……。

 そしてデスクの上にある三角錐型の名札には筆文字で『閻魔大王』と書かれている。

「えと……その……なにこれ? と、いうことは閻魔大王って……」

「そう、私」

 デスクに座った閻魔が、ニコリと答える。

 そう言われても、マコトはことの一切がまるで飲み込めなかった。そんなマコトを見て、いつの間にか閻魔の後ろに立つ、カガミがふっと口元を緩めた。

「無理もないわね。改めて紹介するわ。この方が地獄を治めていらっしゃる、正真正銘の閻魔大王様」

「どうも、よろしくね、小津マコト君」

 軽い、あまりにも軽い口調でデスクの女性は立ち上がり、マコトに軽く会釈をした。

「え、えぇえ!」

「まあ、驚くのも無理ないわねー。って今驚く?」

 と、閻魔大王は再び腰を下ろすと、カガミになにやら指示を出した。

「そっちの世界じゃ地獄ってこういうものなんでしょ、いまだに」

 カガミは手にしたタブレット端末をポン、ポンとタッチすると、ある画像をマコトに見せた。

 そこには、江戸時代か、それ以前に描かれたと思しき地獄絵図が映っている。大鏡の前で亡者に罪状を告げる唐服に角帽、杓を持った閻魔大王。100人に聞けば、100人全員が抱いているであろう閻魔大王のイメージだ。

 それを見ながら、マコトはうんうんと頷くしかなかった。

「これ、地獄とか閻魔大王ってこんなイメージだけど……」

「古! 古すぎよ、こんな格好私の三代前でやめになったわよ。人間だってそうじゃない、いつまでも着物姿でチョンマゲ結って刀差して『サヨウシカラバゴザルゴザル』って言ってるわけじゃないでしょ?」

「そう言われりゃ、そうだけど……でもあまりにギャップがありすぎて」

「まあ、みんなそう言うから説明するのが面倒なんだけど、こう見えて、ここも近代化を図っているわけなのよ」

「はあ……」

「ちなみに私はさっきの絵にあった大鏡。亡者の罪状を調べ上げて見せつけるポジションね」

 タブレットをちらつかせ、カガミが言った。

「はあ、近代化ね……」

 それでもマコトはピンと来なかった。

「そうだ、マコト君、大王にクレームつけたいんでしょ?」

「え……あ……」

 クレームを言えといわれてすぐに出るものじゃない。それに相手は容姿はイメージとは違うけれど、閻魔大王だ。

「その……」

「なによ、怒らないから言ってみなさいよ」

 ニコニコと閻魔がマコトの次の言葉を待っている。

 本当にこの女性が閻魔大王なのか? と思いながらも、相手を怒らせないように、マコトは慎重に言葉を選んだ。 

「あの、アリの巣にいたずらしたぐらいで、地獄送りはちょっとやりすぎなんじゃないでしょうか?」

「へ、アリの巣?」

 閻魔がきょとんとした顔になる。

「え、そうじゃないんですか?」

 マコトもきょとんとしそうになった。

「亡者の罪を数えるのは、カガミの仕事だから。私はそれを聞いて審判を下すの」

「ちなみに、マコト君のその他の罪状ですが……。ズル休み、カンニング、女子更衣室のぞき、アリの巣水攻め……その他……ええと、はっきり言ってどれもこれもしょぼいです」

 タブレットをぽんぽんと触りながら、カガミが補足する。

「我ながらショボイ……そんな些細なことで地獄に送られるなんて」

「あなたは、それよりももっと深い罪を犯しているのよ」

 カガミが、タブレットをマコトに見せる。

 そこに映されたのは、ダンプカーにはねられる直前のマコトの姿を、俯瞰で撮影した動画だった。

「これ……俺?」

「ここに来るきっかけになった事故ね。ここで一つ残念なことがあるのよ」

 カガミが動画を少し巻き戻す。

 自転車の少女を追うようにふらふら、ニヤニヤしているマコトの姿が映っている。

「わ……恥ずかしい」

「こっちだって恥ずかしいわよ、よりによって女の子のパンツ見たさに車道に出て事故に遭うなんて、どれだけ間抜けなのよ!」 

 閻魔が険しい表情で、声を荒げる。。

「イヤ、これぐらいのリアクションは俺らぐらいの年齢なら誰でも。それに、これが深い罪なんですか?」

「そうよ、なによりも深く大きな罪よ!」

「イヤでも……」

「なによ、まだ何か言いたいわけ?」

 ギロっと閻魔が睨むようにマコトを見る。

「別に俺がスカートめくってパンツ見たわけじゃないし、向こうがひらひらさせてるから悪いんですよ。彼女だって同罪です」

「あれぇ、女の子のせいにしたいわけ? ひどい男ねー。ねえ、カガミ?

「は、はあ……」

 困ったようにカガミが答える。

「だってこんなのおかしいですよ、パンツ覗いたのがアリを溺死させるより罪が重いなんて!」

 その理不尽な仕打ちに、マコトも思わず声が大きくなる。

「だって、あの子は……」

「大王、それは……」

「あ、そうだったわねゲフンゲフン、ともかく、こんな破廉恥な行為で地獄送りになるなんて、みっともないのよ。そこで、特別に生き返らせてあげるわ!」

「え……どんな理屈ですか、それ?」

「うーん、みっともない死に方した人にはこの地獄にはいてほしくないとか、そんな感じで解釈して頂戴。ただし、条件つきで」

「はあ、やっぱり、こういう時って普通に返してくれないんだよなあ」

「どうするの、生き返るの、ずっとここでアリさんと遊んでるの?」

 カガミが口を挟む。

「そりゃ生き返りたいですよ、でも何をすれば……」

「なに、簡単なことよちょっとしたお願いごとよ、マコピー」

 両手を組んで、先ほどの激昂振りとは打って変わり、閻魔がお願いポーズをとる。閻魔大王からお願いされる人間なんて今までいただろうか? そんなことより、大王が自分のことを『マコピー』と呼んだことがすごく気になった。

「ま、マコピー!? イヤ、その呼び方は、ちょっとやめてもらえませんか?」

「じゃあ、マコッチでいい?」

「それもどうかと思いますが……まあ、まさか閻魔大王にそんな風に呼んで貰えるなんて意外だし……まあ、光栄かな、と思いますが」

「そうよ、フレンドリーな地獄! これからここも亡者のみんなが住み易い場所に変えていくのよ、それが地獄界初の女性大王になった私のやりたいこと! いい湯加減の血の池地獄、痛くない針の山、個室でインターネット完備の無間地獄! 等々、私はやってみせるわー!」

「最後のはネットカフェでしょ」

 これから歌でもうたうんじゃないかと思うほどに、閻魔が両手をばっと広げると、カガミがタブレットを見せる。まるで遊園地のような地獄の外観に、亡者も、鬼もニコニコしているイメージイラストだ。

「まるで、世界一有名なネズミさんの遊園地みたいですね。というか、パクってません?このお城とか、火山とか未来都市とか。ってそんなの地獄にありました?」

「プローモーションビデオも作ったけど見る?」

「いえ、結構です」

 テンション高い閻魔大王だ、とマコトは思った。それに感情の振り幅も大きい。こりゃカガミさん、疲れるだろうなあ、と余計なことまで考えていた。

「はあ、なかなか大変そうですけど頑張ってください。てか、それって天国じゃないんですか?」

「いいえ、地獄は地獄。『地獄極楽化計画』と銘打っていますが、天国じゃないの、地獄は地獄! 先祖から受け継いだこの土地を守って行くのが私の使命でもあるの! 手放すなんてとんでもない!」

 ばん、と閻魔が机を叩く。

「そんなことは言ってないですけど……まあ、苦しまずにすむ地獄なら、みんな大歓迎だと思いますよ。で、俺は何を頑張ればいいんですか? そのお願いってのは?」

「そう、それなんだけどね……」

 覗き込むように、閻魔大王がマコトを見上げる。

『う……閻魔大王、髪をアップにしてるけど、下ろすと結構可愛いんじゃないのか、この人? ちょいと大きめの八重歯もいい感じ。というか俺、いつから年上趣味になったんだよ、というかここにいるの人間じゃねえし、そこまで守備範囲広くねえし!』

 とか何とか、マコトが心の中で呟いている間に

「……してほしいのよ」

 閻魔が用件を告げたが、耳には入ってなかった。

「え、なんて言ったんですか? 考え事をしていたもので、すみませんがもう一度」

「まあ、閻魔大王にワンモアプリーズした人間は初めてよ」

 カガミが少し驚いた顔を見せた。

「じゃあ、もう一回言うからちゃんと聞いてね。簡単よ、私の娘のお守りをしてほしいの。それだけ」

「娘さんの……えぇ、こ、子持ちだったんですか!」

「悪い?」

 閻魔が口を尖らせる。

「いえ、そんな年齢に見えないなあ、と思って」

「嬉しいー。で、そのお願いを聞いてくれたら生き返ってもいいわよ」

「はあ……よく分かりませんが、この際何でもしますよ」

「じゃあ、条件を飲むと言うことで。それと補足として。閻魔大王のご息女である姫様は只今、時期大王になられる為の見聞を広げる意味もあって人間界、つまりあなたたちのいる世界に留学中です。最近、姫様の周りでよからぬ動きがあると聞きます。なのでマコト君は姫様のお守りをしつつ、この地獄を住みやすくするお手伝いをしてもらいたいの。善人を増やして地獄送りの人数を減らしてもらいます」

「うんうん、そういうこと。簡単なお仕事よ、マコッチ」

「ボディガードと、善人を増やすぅ? でもそんなことしたら、ここがさらに寂れちゃうんじゃ?」

「できるだけ人数を絞り込んだ上で、住みよい地獄にしたいのよ」

「なるほど。他に選択肢はなさそうだし、了解しました。それと俺、マコッチで確定なんですね」

「よかったぁ、これで断られたらどうしようかと思ったわよ」

 無邪気に閻魔が微笑む。本当に一児の母なのか? と思うほどに若く見える。

「ではオプションとしてあなたに獄卒、つまりは地獄の使いとしての能力を授けます。だから、レクチャーを受けてから、人間界に戻ってね」

「はあ、レクチャーですか」

「そう、いつ姫様の周りに現れるよからぬものと戦うかもしれないし、トラブル回避のために使えるかも知れないので」

「いっ、戦うんですか?」

 ぎょっとなったマコトはカガミを見た。顔は少しだけ笑っているが、目は笑っていない。

「まあ、場合によりけりかしら」

 ほんの少し、カガミの口調には感情がこもっていない。

「は、はめられた! 2人とも結構美人なもんで、地獄という場所のおどろおどろしさとのギャップについ気を許してしまった! どうりで話がうまいと思ったよ。でも、ここでずっと暮らすよりはマシかも。いや、戦うなんてできるのか、俺? 何と戦えと言うんだよ! 実に少年漫画チックだけど、とにかくレクチャーでも何でも受けてみるか……」

「それ完全に独り言よ。そういうのは、口に出さないものよ、マコッチ」

 そう言った閻魔の前に、牛乳らしき液体の入ったコップが置かれていた。

「さ、これ飲んで」

「これ、なんですか」

「見てのとおり牛乳よ。これを飲むことで、あなたは牛頭の力を身につけることになるわ」

「ゴズ? ゴズってなんですか?」

「『牛』に『頭』と書いて、ゴズ。地獄の番人よ。頭が牛で体が人間」

 と、カガミがタブレットを見せる。

「頭が牛の人間? 神話に出てくるミノタウロスみたいなもの?」

「うーん、ミノさんとはまた違うけど、まあ、いいから飲んで」

「ミノさんって……大物司会者か。では……」

 と、マコトは牛乳を一気に飲み干した。いたって普通の牛乳の味だ。それを見届けると、カガミはタブレットをぽんぽんと触る。

 ……すると。


 いつの間にやら、風景が変っていた。


 どこの学校にでもありそうな、体育館のど真ん中にマコトは立っていた。そして、側には青いジャージで、チャックを上まできちんと閉め、首からは笛と、ストップウォッチをぶら下げた姿のカガミ。

「生き返ったのか……」

「いいえ、ここは特訓場。さっき授かった能力を伸ばした上で生き返ってもらいます」

「えっと、その能力ってのは……」

「じゃあ、一つ目の能力、発火能力から」

 5メートルほど離れた場所に、燭台がすっと現れた。

「蝋燭? あれを……まさか?」

「そう、発火能力であそこに火をつけてみなさい。さあ」

「火をつけるって?」

「意識を集中させるのよ。簡単でしょ?」

 ちょっとした超能力のようなものかな、とマコトは燭台をじっと見つめた。

「よし……蝋燭に火がつけ、つけ、つけ、つけ、つけ、つけ……つけつけつけつ……ケツケツケツ」

「ちょっと、意味が変ってるわよ。それに口に出さなくても結構だから」

「でも、今まで念力で火なんか起したことないもんで。どうやっていいのか」

「いい? あなたにはこの体育館が黒焦げの炭の固まりになるぐらいの能力があるの。その辺を意識してね。うんと意識するの」

「そんなことしたら俺もカガミさんも……」

 と、言いかけて、ここは地獄だった、死ぬとか生きるとか問題じゃなかった、とマコトは再び、燭台を睨んだ。

「ぐ、ぐううううううう、地獄の業火よ、我の命に従え!」

「うわ、いかにもな感じで、ダサいけど。でもいいわよ、その調子」

「う……なんか恥ずかしい。でも……おこせ、灼熱地獄! でえい!」

 マコトは両手を伸ばし、燭台に向けた。

「もっと、その呪文的な気合を、あなたのボキャブラリーを駆使してやってみなさい」

 蝋燭がふら、ふらと小さく揺れる。

「いえ、そんなにボキャブラリーは豊富じゃないんで……。我ときて、燃やせよ親のない雀……ええいなんでもいいから燃えろぉ!」

 マコトの脳裏に燃え盛る炎のイメージが沸き起こった。両腕が熱くなり、それが徐々に指先へと伝わっていく。

「ん、がぁああ!」

 見ると、両手が真っ赤に光りだした。

「そうよ、もう少し、その思いをぶつけるのよ!」

「つぁああ!」

 その瞬間、両手から発せられた赤い光が、蝋燭を、いや燭台ごと燃やし、溶かしていった。……ような気がした。

 それはあくまでも『気がした』だけで、実際のところ蝋燭の先に、ほんの小さな炎がポン、とついただけに過ぎなかった。

「それだけ? ちょっとぉ、マコトく……」

 力尽きたマコトは、床の上でぺしゃんこに潰れるように伏せていた。

「……勢いだけか……それでもうバテてるの?」

「いや、もうへとへとです。もう無理。力を使いきりましたぁ」

「う……」

 絶句しつつもメガネをすっと掛け直し、カガミはタブレットを操作する。

「じゃあ、次行きます。はい立って」

「もう、次ですか? 休憩させてくださいよぉ」

「生き返りたいんでしょ? さ、今度はこれを持って」

 よろよろとたち上がるマコトの足元にいつの間にか、赤い柄の槍が転がっている。

「ご存知とは思うけど、地獄の獄卒たちが使う三又の槍ね」

「ご存知ないですけど」

 と、マコトは足元を見た。自分より少し長いくらいの柄の先端は、フォークのように三又に分かれている。

「これを縦横に振るい、姫様に楯突く者たちを突き刺してやりなさい。じゃあ、5分間、どれぐらい動けるかテストします」

「え、これを5分も?」

「ほら」

 さっきまで燭台のあった場所に、のっぺらぼうの等身大パネルのような人型の的が三つ、立っている。

「あれを突き刺すんですか? こんな重たい槍で?」

「ハイ、はじめ!」

 マコトの質問には答えず、カガミは笛をピーッと鳴らす。

 慌ててマコトは槍に手を伸ばし、持ち上げようとするが、まるで動かない。

「う、動きません」

「さっきのように意識を集中すれば、棒切れの如く軽く感じるはずよ、さあ!」

「は、はぁ……う、うーーーん、うーーーん」

 意識を集中させ、唸っても唸っても槍は動かない。

「この槍は軽いと思うのよ、軽いのよ、軽いの、羽根のように!」

 ピッピッと笛を吹きながら、カガミの声が大きくなる。

「は、羽根のように軽い、羽根……羽根……」

 カタン、と槍が徐々にではあるが持ち上がってくる。

「よ、よし、これは軽いんだ、羽根のように軽いんだ。てぁ!」

 気合とともに、マコトは槍を重量挙げのように、頭上高く持ち上げる。

「そうよ、その調子よ。簡単なら型なら教えられるから、さあ、構え直して」

「は、はい……」

 カガミに笑顔で返事するも、マコトの顔は幾分か強張っており、その重みで足がカタカタと震えだしている。

「変なこと想像しちゃダメよ、あなたが持っているのは羽根のように軽い槍だから!」

 そう言いながら、カガミはストップウォッチを見る。

「ここまでで半分か……」

「じゃ、じゃあ構えます、構えますんで」

「雑念を振り払うの、羽根のように軽いから!」

 両腕をブルブルさせながらゆっくりとマコトは、槍を腰の位置まで下ろし始める。

「こ、これは軽いんだ、羽根のように、羽根のように……ハ、ハネ……ハ、ハガネ、鋼のように……くわぁあ!」

 下ろし始めた途端、槍がグンッと重くなり、マコトは体のバランスを崩してしまった。「あ、ぁあああああ!」

 バランスを崩したマコトはそのままヨロヨロ、トトトトト、と前方に小走りに駆け出した。

「や、やめて止めてやめて止めて、止まって止まってとまってぇえ!」

 駆け出したマコトは三つの的に槍ごとぶつかる。


 ぐわぁあああん、あん、あんぁん……。


 重さを増した槍が板張りの床に、その大きな音を反響させ、転がっていく。

「あーあ」

 呆れたようにカガミが呟く。

 マコトは砕けた的と一緒に、床の上に大の字になり、ゼエゼエと荒い息をしている。

「あーあ」

 2度めの溜息をつき、その惨状から目をそむけると、カガミはタイムを見ることなく、ストップウォッチのボタンを押した。

「まさかここまで使えない人間だったとは……おかしいわね」

 カガミは、ふらふらになって立ち上がるマコトをちらり、と見て、すぐに目をそむけた。

「お、重いじゃないですか、あの槍!」

「それはあなたが余計なことを考えるからです」

 マコトはハアハアを息を切らせつつ、元の位置に戻った。

「……それで、もう、これで終わりなんですか?」

「それがね。大変申し上げにくいんだけど……あともう一つあるのよ」

「いぃ、まだあるんですか?」

 こくん、と頷き、カガミはタブレットに触れる。

「最後は『牛のような怪力』なんだけど、今までのあなたの様子を見ていると……とてもじゃないけど、できそうにないわね」

「で、でも、最後の最後で能力が発揮! っていうパターンもあるじゃないですか」

「そうは言うけど……」

 と、体育館の中央を指差した。

 さっきと同じように、そこにはいつの間にやら軽自動車ほどの大きさの岩がデン、と置かれている。

「あれを持ち上げて、体育館の壁ぶち破って放り投げるっていうテストだけど……」

 ゾクっとしたものが背中を高速で走り、マコトは首を横に、それこそ吹っ飛ぶくらいの勢いでブンブンブンブンブン、と振った。

「無理無理無理無理、む、無理です、いや無理っぽいです」

「無理ってことね。はじめっから放棄してる感じだしね。さあ、どうしようかしら」

「やっぱり、生き返りは無理でしょうか……」

 おずおずと尋ねるマコトを尻目に、カガミは携帯をかける。

「もしもし、大王ですか? ……ダメ、全然使えません。まるでダメ、てんでダメです。ダメというよりムダかも」

「ウグ、わかっている事とはいえ、キツイ……」

 マコトは、胸の辺りを押さえつつ、カガミの電話が終わるのを待つ。

「どうします、代打で誰かを。はあ? はあああああ……了解です」

 釈然としない顔で、カガミが電話を切った。

「で、どうなんですか?」

「大王様からお達しが。残念ながら……生き返って頂戴、とのことです」

「はぁ、やっぱり……へ、今なんて言いました?」

 マコトは落胆し、うな垂れたと思うと、ぱっと顔を上げた。

「だから、生き返って欲しいって大王様が。……その、獄卒の能力は追々発揮されるんじゃないかって、なんだか投げやりな言い方だったけど」

「いいんですか、本当に?」

「いいんじゃないでしょうかね、そう仰ってるんだから」

 喜びに声を震わすマコトとは対照的に、カガミは適当に答える。

「あ、ありがとうございます。お礼を言っていいものかどうかよく分からないですけど、ありがとうございます!」

 生き返れる! そう思っただけでマコトはなんだか鼻の奥がツンとして、自然と涙が溢れ、こぼれそうになった。

「うーん、こっちもお礼言われていいものかどうか微妙だけど、まあ、気をつけて。ここ出たら、人間界だから」

 カガミは、体育館の正面入口である鉄扉を指差した。

「ハ? えらく簡単なんですね。では、短い間でしたが……」

 ペコペコとカガミに頭を下げ、マコトは入り口に向かう。

「こっちで色々やってる間に、人間の世界では1週間ぐらい経ってるからね。それと、姫様とは面識あるはずだから」

「そんなに経ってるんですか?」

 背後から声を掛けられ、マコトは驚いたように振り返った。

「それに面識あるって……」

「偶然か大王様の気まぐれか、姫様はあなたの学校に既にいるわ。だからそのまま学校に向かいなさい」

「はあ……」

 面識のある人物って一体誰だろう? と思いながらもマコトは鉄扉に手を掛けた。


 ギ、ギィイ……。


 鉄扉をきしませながら開けてみると、外は光に満ちた真っ白な世界だった。

「そのまままっすぐ……まあ、何というか、ご健闘を……」

 後ろでカガミの声を聞きつつ、マコトは一歩外へと踏み出した。


「なんじゃこりゃ!」

 まるで某有名刑事ドラマの、これまた有名なシーンのように、マコトは声を上げた。

「なんじゃこりゃ!」

 そして、念を押すようにもう一度叫んだ。

 光の回廊を抜け、いつの間にか人間界に戻ったマコトは生き返った喜びを噛み締めつつ、カガミの言うとおりに学校へと向かったのだが、校門前で、その足がパタ、と止まった。

 校門側の塀には赤スプレーで『WELKAME HILL!!』と、血文字のように書かれているをはじめ、無数の落書きがされてあった。

「『WELCOME HILL』? 『丘にようこそ』? いやそこは『WELCOME HELL』じゃないのか、つづり間違ってるし。それじゃあ『ウェルカメ』だろうが」 しかし、一週間前にはそんなものはなかった。なんだか嫌な予感を覚えつつ、マコトは教室へと向かった。

 異様だったのは校門だけではなかった。廊下にはゴミが散らかり、そこらじゅうに落書きがされてある。

「まるで、学校崩壊……」

 そして、そこら辺で異様な姿の学生を見かけた。大柄で、額に深い剃りこみを入れたり、パンチパーマにガクラン姿の、いかにも一昔の不良のような風体の連中だ。

 そして、パンチ頭には、一本、または二本角がにょきり、と生えている。

「まるで、鬼みたい……っていうか鬼そのものじゃないか!」

 そんな連中が教室へ向かうマコトにガンを飛ばしたり、品定めのようにじろじろ見ては下卑た笑いをあげていた。

「どうなっちゃったんだ?」

 そして、廊下にはいつ設置したのかずらり、と自動販売機が並んでいるがどれも酒類とタバコばかり。

「まるで市立不良養成高校じゃないか!」

 よく見ればポイ捨てされた吸殻がそこら辺に落ちている。

「ど、どうなったんだよ!」

 マコトは早足からダッシュへ変り、いつもの教室へ急いだ。


 ガラリ!


 とドアを開けると、そこにはいつもの風景があり、見知った顔のクラスメイトがいる。昼休みだろうか、みんな弁当を広げており、その中の数人はマコトの顔を見て驚いている。

「え、ちょ、おま……」

「あぁ、生き返った……というか、奇跡的に助かってね。てかさ、外の自販機とかあれナニ? どうしたんだよ、学校?」

「そ、それは……」

 誤魔化すように、クラスメイトは下を向いた。

「ん……?」

 他の生徒も同様に、マコトと目を合わせようとしない。奇異に感じながらもマコトは教室の後ろにある、自分の席に腰を下ろした。

「ん……」

 おかしい。教室に入った時はそうでもなかったが、席に着くと何か違和感を覚える。

 自分以外周辺には誰も座ってない。

 よく見れば、教室の後ろ半分には誰もいない。

 

 いや、いた。

 

 マコトは廊下側、壁沿いの隅の席を見た。そこには外で見たような鬼っぽい、いや鬼の不良たちがたむろしている。どうやら誰かの机を囲むように談笑しているようだ。

 その中の一人が、マコトに気付き、振り返った。 

「なんじゃお前は?」

「見慣れん奴やのう、新顔かい、ほれ挨拶せんか!」

「はぁ……」

 ただでさえ外見の怖い鬼たちが口々にドスをきかせた声でマコトをどやしつける。

「い、いえ、何でも……ええっと」

「ワレコラ、副会長様に挨拶したんか、エェ?」

「副会長って……誰だよ?」

「なんじゃいその口の聞き方は! エエオイコラワレェ!」

 赤ら顔の鬼っぽい学生、というか赤鬼が吠える。 

 しかし口の悪い鬼だ、それに関西弁がぎこちないな、とマコトは顔をしかめた。

「おだまりなさい!」

 と、鬼の群れがさっと割れて、その間から、声の主が見えた。

 いかにも活発そうなショートカットの小柄な女子が、席から立ち上がる。

「みんな、下がって」

 ショートカットがそう言うと、鬼たちはさっと後ろに下がる。

「何者だよ……」

 見たこともない女子だ。ついでに言えば、立ち上がった時、その低めの身長に対してアンバランスな大きさの胸が制服越しにたふん、と揺れているのを、マコトは見逃さなかった。

「あなた、新顔みたいね」

 ショートカットが冷たい口調でマコトを見る。

「新顔も何も、君は転校生か?」

「ワリャコラ、なんちゅう口のききかたしとんじゃ」

 自分のことは棚に上げ、口汚くわめいた瞬間……。

 

 バキ!


 ショートカットはその顔面に右ストレートを叩き込んだ。

「ぐぎゃ! すんまへん、すんまへん!」

 顔を抑えながら、青鬼がショートカットに何度も頭を下げる。

「お黙りなさいって言ったでしょ?」

 冷静に言いながら、ショートカットは右拳を軽く振った。

 パンチを繰り出す際、またしてもそのサイズ過多な胸がふるるん、と揺れたのを、マコトは見逃さなかった。

「つ……つよ、い」

 鬼を制し、さらには鉄拳制裁を加える見慣れぬ少女……そして巨乳。

「まさか……お前。お前が?」

「お前?」

 ショートカットの片眉がぴくん、と動くと、何かを察知した鬼たちは壁に背をつけんばかりに下がった。それとは逆に、ショートカットはたふんたふんと胸を揺らしつつ、マコトへと歩み寄ってくる。

「お前が……何なの?」

 鬼がひるむほどのパンチを受けたくはない。だが、鬼を従えるこのショートカット(そして巨乳)こそ、おそらく自分が守るように命じられた人間なのだ。

「お前が……え、閻魔大王の娘か?」

「は?」

 ショートカットが、素っ頓狂な声を上げ、足を止める。

「名前聞くの忘れたけど……俺はそのお前のお母さんに頼まれたんだ」

「お母さんに?」

 再び、怪訝そうに、片眉を上げるショートカット。それと連動して、片乳がかすかにふるん、と揺れた気がした。だがそれは『そうだったらいいのにな』というマコトの願望だった。

「俺は小津マコト。お前を守るために」

「違う!」


 ヒュッ!


「地獄からよ」

 

 バキ!


『みがえった』まで言い切らないうちに、風を切ったショートカットの右拳はマコトの左頬に確実にヒットした。

 ブワンブワン、と頬が揺れ、スローモーションのように両足が床から離れ、そして後ろにゆっくりと倒れていく。

『この瞬間も、奴の乳はたふんたふんと揺れてるんだろうな。ありゃブラジャーつけてないぜ』 

 そんなどうでもいい事を考えている間に、マコトの体は硬い床に沈み、軽く意識が遠のいていった。


「……マサマ、エマ様!」

 遠くで声がする。あの鋭いパンチを放つショートカット巨乳の声だ。徐々に意識がはっきりする中で『もう面倒だからあいつの名前『ショ乳』でいいや』とか、マコトが本当にどうでもいいことを考えながら、体を起こすと、見慣れない顔がまた一つ、ショ乳と一緒にマコトを見ていた。

 「イヤ……知らない顔じゃない。あいつは……」

 と、ト書きを否定しながらマコトが呟く。

 肩まで伸ばした髪に、馬鹿でかく派手な赤いリボン。見ようによってはでかい角のようでもあり、鬼を統べる者としての象徴のように見えなくもない。そしてショ乳よりも薄い胸。

 2人の後ろでは、鬼たちが恭しく、頭を下げている。

「なるほど……」

「エマ様、こいつです、この無礼者が変なこと言ってきたんです。それにわたしをエマ様だと勘違いしてたみたいで。敵でしょうか?」

 ショ乳が『エマ様』と呼ばれた赤リボンに、少し甘えたような声を出している。

 殴られたショックでまだはっきりしていないが、この赤リボン・エマとショ乳の関係はなんとなく分かった。

「そうか……そっちか、お前が閻魔大王の娘か」

 マコトはエマを指差した。

「まあ、何かしら藪から棒に?」

 お上品な口調で、エマはマコトを怪しむように見る。

「覚えているぞ、あの時、俺がそもそも地獄送りになった原因……」

「はぁ? 私は全くあなたのことを存じ上げませんが?」

 エマが小首をかしげる。状況が違えば、惚れてしまうぐらいに可愛い仕草だが、今は違った。

「あの時、俺がダンプにはねられた原因……」

 マコトがわめきだしたのでそれを制さんとばかりに、ショ乳が拳を握る。

「あら? ひょっとして……あの時の?」

 エマが何かを思い出したように、軽く手を打つ。

「そうだ、一週間前の学校帰り、お前は自転車を漕いでいた。そして……」

「エマ様……」

 ショ乳がすっと右腕を引く。

「そしてその日、お前は虎縞のパンツを履いていた!」

「ま!」

 エマが、そしてショ乳が顔を赤らめる。

「間違いない、お前が俺を地獄に送った張本人、そして閻魔大王の娘、ということは……あ、俺はハメられたのか! 虎縞パンツにハメられたのか! くそう!」

 全てのからくりに気付いたマコトは、やるせなく天を仰いだ。

「閻魔め、知ってて俺を送り込んだのか!」

「ぱ、ぱぱぱ、パンツ、エマ様のパンツを……柄までも!」

「なるほど、鬼の親玉もまた鬼のパンツを……」

「言うな!」 


 ヒュ、ガキィン!


 がら空きになっていたマコトの顎に、ショ乳の右拳が唸りを上げた。

「ひぃ」

 顎が砕けるような感覚を覚えながら、マコトは再び眠りについた。


 その瞬間、ショ乳の胸はふるりん、と揺れた。

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