見えない彼女

 唐突な話だが、俺には見えない彼女がいる。


 いや待ってくれ。妄想の類いではないんだ。むしろそうだったらどんなに良かったことか。俺に彼女がいるなんて言ってるのは俺自身じゃなくて周りの奴等なんだ。


 高校に入り、教室の隅で突っ伏していた俺にクラスの女子達がやたらハイテンションでこう尋ねてきたのだ。

「ねえ、メイとは何時から付き合ってるの?」

 メイと言う名前に心当たりはなかったので、最初はドッキリなのかと疑った。だが話を聞いている感じ、どうやらその冬月メイと呼ばれる女子は俺の隣に座っているらしい。いや俺の隣は野球部の吉川のはずなんだが。一体どうなっているんだ。


「映画館でデートしてたって噂で持ち切りなんだけど。」

 確かに俺は昨日映画を見に行った。だが断じてデートに行ったわけではない。そういえば一人で行ったはずなのに、カップル割引かなんかと言われて料金が少し安かったような...


 そのタイミングで、メイと呼ばれる女子が席に戻って来たらしい。勿論、俺には何も見えない。

「ねえねえメイ、昨日蒲生君とデートしたって本当?」

「いや、だから...」

「あんたには聞いてないわよ。」

そういって俺はジロりと睨まれる。

「彼氏とはどこまでしたの?」

 その質問にわずかな間が空いた後、キャーキャー歓声があがる。

本当に誰に聞いてるんだ。


 そんなこんなで俺は3年間の高校生活をエア彼女と過ごし、大学進学を機に一人暮らしを始めた。そうすれば彼女との関係から解放されるかと思ったからだ。だが見通しが甘かった。

 どうやら俺達は今、同棲していることになっているらしい。 




「小林先輩、今日は飲まないんですか。」

「あいにく俺は今日は車で来たんだよ。蒲生は免許持ってないのか。」

 小林先輩は一応高校からの先輩だ。一応というのは高校時代、体育会系の彼と文化系の俺では接点はなかったためだ。だが研究室が一緒になったことがきっかけで大学ではとてもお世話になっている。

「別に不自由してませんし、俺にはまだ必要ないですよ。」

「そんなんじゃ彼女とドライブにもいけないじゃないか。」

「彼女って、俺には彼女なんていないんですが。」

「まだそんなこと言ってるのか。高校の頃から有名だったぞ、なんせ冬月メイと言えば、あの冬月グループのご令嬢、話題にならないほうが無理な話だ。」

「そうは言ったって、俺には何も見えないんですもん。」

「そんなことばっか言ってると、いつか誰かに取られちまうぞ。」

 俺は耳にタコができるぐらい聞かされたその言葉をかき消すようにジョッキに入ったビールを煽った。


 頭が痛い。どうやら昨日かなり飲みすぎたらしい。記憶がおぼろげだが、先輩に家まで送ってもらった気がする。

 洗面台に向かうため、フラフラとした足取りで壁伝いに歩いていると、見に覚えのないひんやりとした感触があった。手元を確認してみるとその正体はドアノブだった。

 ドアノブがあると言うことは必然的に扉がついているわけで、顔を向けると今まで壁だったはずの場所に見知らぬ扉がはまっていた。その異様な光景に酔いは一気に冷めた。


「なんだこれ。」

 ドアノブをひねると、さっきまで誰かが住んでいたかのような生活感のある可愛らしい部屋が広がっていた。

「なんだよ、これ。」

 部屋を見渡していた俺は、中央に置かれた丸テーブルの上に置き手紙を見つけた。そこには丁寧な字でこう書かれていた。

『ごめんなさい』


 壁に飾ってあったコルクボードには、俺と今まで見えなかったはずの彼女の写真が貼られてあった。

 卒業式で撮った写真、文化祭で撮った写真、通っていた映画館での写真。

そこに映っている彼女の美しさに思わず息を飲んだ。いつもこんな美人が俺の横にいたのかと。彼女の姿は俺にとってまさに理想の女性だった。

 だがそこに他の写真と服装が異なるものが一枚あることに気が付いた。

「中学の時の制服?」

 何か大事なことを忘れている気がして、俺は手がかりを探し始める。



知らない番号から電話がかかってきた。

『もしもし、吉川?』

私の名前を呼ぶ懐かしいこの声は、同じクラスだった蒲生だ。

「なんで、あんたが私の電話番号を知ってるのよ。」

『なあ、メイがどこに行ったか知らないか。』

「はあ?あんたメイから何も聞いてないの。」

昔から蒲生はアホだったが、メイもメイだ。お互いバカじゃないの。

「メイはあんた以外の奴と結婚することになったのよ。どっかの御曹司って言ってたっけ。お嬢様は大変ね。」

 メイとは大学が別になってからも連絡を取り合っていた。だが結婚式のことを蒲生に言ってなかったのだろうか。

「そもそもあんただって、メイに付きまとわれて迷惑してるって言ってたじゃないの。そんなあんたが今更どうしようっていうの?」

『確かに俺はメイに何もしてあげられなかった。でも見ちゃったんだよ。』

「何を?」

『置き手紙についた涙の跡。』

私は深いため息をついて言った。

「気が付くのが遅いのよ。あんたは昔から。」

『ああよくご存じで。昔から吉川は頭が良かったよな。それならバカな俺が考えてることも分かるだろ?』

全く手のかかるカップルだ。今度地元に戻る時は、久々にからかいに行ってやろう。

「結婚式は今日!場所はあそこよ。えーと、ちょっと前に話題になってたでしょ、海が見える丘の上の教会。」

『ありがとう吉川!俺達の式には絶対呼ぶから!』

そう言って電話が切れた。独り残された私はぼそりと呟いた。

「伝えられなかったのは私も同じか。」


 俺は無我夢中で走っていた。頭の中では混線した記憶がノイズのように反響する。

『彼女とドライブにもいけないじゃないか。』

 全くその通りだ。こんなことなら免許でも何でも取っておくんだった。

『メイはあんた以外の奴と結婚することになったのよ』

 なんでそんな大事なこと言ってくれなかったんだ。いや彼女は俺に伝えたはずだ。でも俺だけが彼女の気持ちに気が付いていなかった。

『結婚式は海が見えるところがいいな。』

 今のは誰の声だ?俺はこの声をどこで聞いた?

 そうだ俺は、中学校の卒業式に好きな女の子に告白して、両想いだったことに喜んで、それからどうなったんだっけ。俺は何を忘れている?そうだ次の日から


彼女の姿は見えなくなって


「おい蒲生!」

 現実に引き戻されるように名前を呼ばれた。

「取り戻しに行くんだろ。乗れよ。」

 振り返ると車に乗った小林先輩の姿があった。

「野郎とドライブするために買ったんじゃないんだがなあ。」

 俺が助手席に飛び込むと、先輩は力強くアクセルを踏み込んだ。

「小林さん滅茶苦茶助かりました。でもなんでここにいるんですか。」

 その問いに先輩は白い歯を見せて言った。

「おいおい、可愛い後輩の頼みを聞くことに理由なんて必要か?」




 唐突な話だが、僕の目の前には見えない花嫁がいるらしい。


 失礼、どうも混乱していて自己紹介が遅れてしまった。僕の名前は藤堂夏彦、藤堂グループの御曹司で次期社長候補だ。

「では、誓いのキスを。」

 横に立っている牧師がそう告げたのがしっかりと聞こえる。

 どうやらこれは妄想の類いではないようだ。むしろそうだったらどんなに良かったことか。

 最初はドッキリなのかと疑った。そもそも冬月家との婚姻が決まったのも急だったし、内々に顔合わせを兼ねた式を挙げると来てみれば、新婦の姿はないまま式が進行していく。

 僕に社長の器があるかを確かめているのか?だがそもそも僕には他に思い人が...

 そんな悩み吹き飛ばすように、勢いよく入り口の扉が開いた。

 

「その結婚ちょっと待ったあああ。」

 突然そう叫んで乱入して来た俺に視線が集まる。だがこれまでの過ぎ去ってしまった時間に比べれば、後悔することなんて何もなかった。

 バージンロードの先に彼女は立っていた。写真で見た姿よりも、記憶の片隅に残っていた姿よりも彼女は美しくなっていた。

 なぜか安堵の表情を浮かべている新郎を横目に、俺はメイを抱きかかえる。その瞬間、彼女の姿は泡のように消えてしまった。だが俺の腕の中には確かに彼女がいる。

「やっと見つけてくれた。」

 聞こえるはずのない声が聞こえて、唇には忘れることのない柔らかな感触が残った。



「屈強な男達に囲まれて十死一生の中、俺は一騎当千の大活躍!」

 もちろん次のゼミの飲み会は、新婦奪還の話題でもちきりだった。

 あの時先輩が警備の目を引き付けてくれたおかげで、俺はメイと共に逃げ出すことができた。

 そのせいで先輩は警察のお世話になりかけたらしいが、むしろそのことを大学中に公言して、主犯は自分だと俺のことを庇ってくれたらしい。

「恰好いい武勇伝を広めたら、女子からモテるかもしれないだろ。」

 そう話す先輩に俺は一生頭が上がらないだろう。


「だが付き合っている男には姿が見えなくなるなんてなあ。悪い魔法使いにでも目を付けれらたのか。いや怪力乱神は語らずとも言うし。」

「でも、そのおかげで結婚式はどうにかなったじゃないですか。」

 これは俺の予想にすぎないのだが、どうやらメイと付き合っている人間は彼女のことを認識できなくなるらしい。

「向こうの御曹司さんも災難だっただろう。どんなに家柄の良い美人でも、見えない女とは付き合えないよな。」

 結局、俺と先輩が結婚式を台無しにした件を訴えられなかったのは、新郎の大反対があったからだ。まだ籍も入れてないんだし、僕には他に好きな人がいると言って周りを説得させたらしい。きっと彼は将来立派な社長になるだろう。


「つまりメイを愛せるのは俺だけってことですよ。」

 恥ずかしげもなくそう宣言すると、先輩は上機嫌で肩を叩いた。

「まあ、お互い頑張ろうじゃないか。」 

「お互いって、先輩にも彼女が出来たんですか。」

 まさか本当に武勇伝効果があったのだろうか。

「まだ付き合ってるわけではないんだが、こないだいきなり高校の時のマネージャーから連絡が来てな。そこから色々やり取りしてるんだ。」

 なるほど可愛い後輩からの頼みって言ってたのは。そういえば小林先輩は確か野球部だったっけ。




 唐突な話だが、俺は今日父親になるらしい。


 いや待ってくれ。俺は一体誰に話しかけているんだ。どうやら相当動揺しているらしい。そもそも彼女とそういうことをした覚えはないのだが。まあそれは何時もの事だ。

 見えない彼女との子育てはどうなるのだろうか。生まれてくる子供を俺は認識できるのだろうか。不安で頭が一杯になる。

 でもきっと上手くやっていけるに違いない。俺の妻と同じように、愛なんてものはどうせ目には見えないんだからさ。


 二人を隔てる扉の向こうから、元気な泣き声がはっきりと聞こえた。

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妄想秘密結社 はつみ @hatumi-79

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