ぜんぶ青信号!

 寝て起きて、会社と自宅を往復するだけの生活。仕事も入社した頃はやる気に満ち溢れていたが、怠惰な先輩社員達の影響でいつの間にか時間を無駄に潰す毎日が続いていた。


 ある日の出勤前の朝、スマホを弄っていると変なアプリのリンクを踏んでしまう。


『貴方の無駄な時間を消去します!』



 説明欄にはそれだけ書かれていた。俺は興味本意でそのアプリを入れてみる。

  アプリを開くと、画面にチアガールが現れて突然応援し始めた。


『フレー、フレー、あーおーぐーみ。フレッフレッ青組!フレッフレッ青組!』


 俺は苦笑してしまう。無駄な時間とはまさに変な映像を見せられた、今そのものだ。俺は車に乗り込み、会社に向かった。


 しかし、会社に着いた時には俺は違和感を覚えていた。けどその時は、その正体がなんなのか分からなかった。

 そんなことよりも、オフィスに入って俺はもっと衝撃を受けることがあった。何時ものはギリギリか、少し遅刻してやってくる先輩達がすでに仕事を始めている。その日の業務は、今までの遅れを取り戻すかのように滞りなく進んでいった。


 少し早めの昼休みになったため俺は会社から少し離れた、美味しいと評判の蕎麦屋に向かっていた。だが評判通りすでに行列ができている。別の店にしようかと引き返そうとしたが、その時俺の前に並んでいた男の電話が鳴った。

「あ、はい。え、今からですか。すぐ戻ります。」

 そう携帯に喋りかけた男は、いそいそとどこかに行ってしまった。 

「ママ―。やっぱりハンバーガーが食べたい。」

 行列の中で男の子がダダをこね始める。

「そう言われると、ママもなんかそんな気分になって来たわ。」

 何時の間にか行列はあれよこれよと瞬く間に解体してしまった。


「えっ!今日は残業しないんですか?」

 俺は仕事終わりの夕方、俺はつい聞きかえしてしまう。

「残業もなにも、今日はもうなにも仕事は残ってないぞ。」

 いつもは何かにつけて、サービス残業という名の暇つぶしで不労所得を貰っている先輩がそう答えた。

 俺の頭の中には、今日の出来事に対しての原因が一つ思い浮かんでいた。


 帰りの運転中、俺は自分の仮説を証明するために、とある点に注意しながら運転していた。


「青、青、また青だ。」


 俺が運転する車は、常に青信号を通っていた。冷静に考えてあり得ないことだった。運が良い悪いの問題ではない。信号の間隔によっては間違いなく止まることになる場所もあるはずなのに。

 今日の昼休みの件も同じだろう。あんなに大勢の人間が突然、いなくなってしまうなんてありえない。

 俺は走行中に、思わずあのアプリを開いてしまう。


『フレー、フレー、あーおーぐみー!』


 相変わらず、訳の分からない応援をしているが、本当に俺の無駄な時間を削除しているらしい。俺はある種の全能感に似たものを感じて思わず口角がつり上がってしまう。

 気が付くと、自宅に着いていた。今日の会社までの道のりも確かそうだった。まあ、いいか。あれから先も間違いなく全部青信号だったし。


 その日の夜は、久々に疲れてしまったのか。深い眠りについた。いや実際のところはどうなのだろう。俺は眠り始めたと思って目を瞑ったら、朝になっていたのだ。夢を見ない程、熟睡していたのだろうか。それともこれは逆に眠りが浅いのか?


「そう言えばお前、前にやりたいって言ってた企画あっただろ。あれ持ってきて見ろ。」

 相変わらず青信号だけを通って出社すると、部長がそう話しかけてきた。前にやりたいって言ったのは何時の話だろう。もう自分でも忘れていたぐらい昔のことだ。

「とりあえず見てやるから、企画をまとめておけ。」

 俺はこの会社に入って初めて、自分の意志で企画を書くことになった。入社したてで輝いていたあの頃を思い出していると、企画書はあっという間に完成していた。それを部長に見せに行く。

 「うん。なかなか良くできているじゃないか。じゃあこれは俺が責任を持って上に通しておくから、このプロジェクトの主任はお前に任せたぞ。頑張れよ。」

 俺はなぜか部長の口一つで、重大な仕事を任されることになった。

 忙しく仕事に終われる日々。やりがいはとてもあった、ただ忙しさに追われ、はっと気が付くと仕事が終わっている。


 


 俺はこの間のプロジェクトを完遂させ、新たな企画を書かされていた。しかし、俺はもう疲れ切っていた。いや体調は間違いなく良いのだ。だが最近、全然寝た気がしない。それどころか、通勤中や休憩中の記憶がないのだ。俺の精神はすり減っていっていた。

 だから、パソコンに向かっているうちに意識を失ってしまう。


 それと同時にハッと目が覚める。時間はあれから数時間経っている。ただ、異常な事に目の前のモニターには完成した企画が載っている。その画面を見て俺の不安は確信に変わった。

 まず俺は今、無駄な時間を削除されている。会社の体質が改善したのも、日常の待機時間が消えたのもそのためだ。しかし、もう一つ削除されているものがある。


 それは俺の無意識だ。時間は俺が気を抜いた瞬間に大きく進んでいく。進んだ時間の中の俺はなんらかの行動をしている。だが俺にその時の記憶はない。ただ俺は気が付くと、常に意識がある状態なのだ。

 睡眠も味わえず、一息もつけない、そして気を狂うこともできない。いや、実際には狂っているのかもしれない。だが、俺はその時の意識を体験できないだけで。




 俺はその日、会社から歩いて帰っていた。少しでも意識がある状態で精神を休める時間を確保するためだ。

 あれから有給を申請してみた。勿論それは直ぐに承諾された。しかし、問題は休日に意味がないことだ。何処かで意識を飛ばした瞬間には、次の日の朝になっている。


 俺は交差点の横断歩道に差し掛かる。相変わらず、信号は青だ。

 青?俺はその時初めて俺の無駄な時間を削除しているそもそもの原因を思い出した。


「アプリだ。」


 何故こんな簡単なことが気が付かなかったんだろう。いや、実際には何度も考えていたに決まっている。ただその考えがアプリによって、無駄のものであると削除されてしまっただけで。


 俺は自分の意識が残っている内に、すぐさまスマホを付けてアプリを削除した。しかしアプリ消えたはずのアプリからメッセージが届く。


『問題です!人生の無駄な時間はもちろん削除されるべきですか?』


 画面には『青色のYES』と『赤色のNO』が表示されている。


 前までの俺だったらこの質問に同意していただろう。しかし、このアプリが俺に教えてくれたのは無駄な時間の大切さだ。もしかしたら、このアプリは俺にそれを伝えるために作られたのかもしれない。俺がその淡い期待と共に、赤色のNOを選択するとアプリは答えた。


『ブップー。不正解です。この世に無駄な時間など必要ありません!』


  俺はその解答に思わず我を忘れ、スマホを地面に叩きつけた。なめ腐りやがって。やっぱりこのアプリはこの世に存在していいものではない。


 しかし俺はとあることに気がついた。俺は今確かに、”我を忘れた”。

 だが時間は飛んでいない。顔をふと上げると、目の前の信号は赤信号。


「やった。ついに俺は抜け出したんだ。あの青信号の世界から。」


 しかし俺はもう一つの事実にも気づいてしまう、今立っている場所は、”横断歩道の真ん中”であることに。


 車の走ってくる音が聞こえる。右を向くと、すぐ目の前にトラックが。運転手は、何にか良いことでも見つけたのか楽しそうな表情でスマホに目がいっている。


 トラックは青信号をそのまま何事もなかったように走り抜けていった。

 道路に残ったのは、真っ赤な血溜まりと一台のスマホ。


 割れた画面からチアガールの声が聞こえる。

 『無駄な人生、消去完了!お疲れ様でした!』

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