悪夢の幕開け

 俺は蝶になって花畑の中を飛び回る夢を見ていた。なんて幸せなんだろう。こんなにも自由に仕事にも行かないでいいなんて。

 ん?仕事にも...?


「仕事にいかないと!」

 俺は夢から覚めて、そう叫んだ。いや叫んだつもりだったんだがそれは声にはならなかった。

(体の調子がおかしい?)

 俺は布団から這いずり出て、部屋においてあった姿鏡の前で驚いた。


 鏡の中で俺はなんと、蟲になっていた。虫と言っても蝶のように可愛いものではない、芋虫と蝿を足したような不気味な見た目。体長も数センチ程度ではなく、丸々成人男性一人分ぐらいの大きさ。虫ではなく蟲という表現をするべき異様さだった。


「お兄ちゃん、朝だよ!起きなー」

 その時、妹が俺の部屋に入ってきた。そして蟲の姿の俺を見て

「え…。お兄ちゃん…。」

 部屋からダッシュで出ていってしまった。

 無理もない、愛する兄がこんなグロイ見た目になっているのだ。ああ、俺はどうなってしまうんだろうか。


 そう考えていると、妹がスマホを持って戻ってきた。彼女は俺の姿を写真に撮って、SNSに投稿した。

『朝起きたらお兄ちゃんが虫になってるんだけどw』


 それは瞬く間にバズった。時間帯は通学通勤中の朝、そこに話題性抜群のグロい画像。噂が広まるのに十分なインパクトであった。

 その姿は言語を越える。俺が蟲になったことは半日も経たずに世界に広まった。


 もちろん直ぐ様メディアは俺のことを取り上げた。

「話題の蟲になった男性ですが。ブラック企業に勤めていたということで、専門家によると過剰なストレスが彼を蟲に変えたのではという見方をしており…」

「気象庁の発表によると、地球温暖化の影響で年々気温が上がってきており、昆虫の生息域は拡大しています。今回の件も…」


 妹のSNSにも色々な所からメッセージが届いた。

『テレビ局の者です。どうか番組に出演しては頂けないでしょうか。』

『昆虫研究学会です。お兄さんのことを調べさせてはくれませんか。報酬は言い値で構いません。』

『その姿は正に悪魔ベルゼブブ!我が悪魔教団は貴方のお兄様に従います。難なりとご命令を。』


 しかし、意外にも多かったのは、「可哀想」という反応だった。こんな気持ち悪い姿になってしまったのだ。

『蟲男を救う会』と名付けられた、チャリティ活動は世界中で行われ、数日で億単位の金があつまった。

 俺の人生をドキュメンタリー番組にしたいとテレビ局は言い始め、とんとん拍子に小説化、ドラマ化、映画化の予定が組まれた。



 そして俺は今、リムジンに揺られながらとある会場に向かっていた。

 運転手は言った。

「いやあ、今話題の蟲男さんを乗せて運転できるなんて光栄です。しかし、本当に蟲なんですね。」

 その言葉の通り、俺は世界的に有名になっていた。だがしかし、俺の姿を見たことがある人はまだ少ない。本当に蟲男なんているのか?疑っている人は多かった。

 だからこそ、俺は今日初めてメディアに出演しに向かっているのだ。


 俺は会場に入り、ステージに移動する。ステージのカーテンはまだ締まっているが、向こう側からは人のざわめきが聞こえる。更にこのイベントは世界に放映されるのだ。これで名実ともに俺の姿は世界に広まるだろう。


 そんな時だった。俺の後ろにあった純金でできた趣味の悪い俺の銅像が倒れかかってきた。

 蟲になった俺はそれを避けられ…



 避けられる!!


 何故なら俺は複眼なのだ。自分の背後まできっちり見える。しかも見た目に反して体は軽く、空も飛べるのだ。

 しかし、このアクシデントのお陰で少し気が緩んだ。そういえば、蟲になってから常に緊張状態だったのだ。俺は本番前に少しリラックスした。


「さあ、皆さんお待ちかね。今日は皆さんにとって記憶に残る一日となるでしょう。」

 ステージの向こうで司会の声が聞こえる。

「では、蟲男の登場です!」



 舞台の幕が開かれる。俺はその瞬間、



 人間に戻った。

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