正しい方向
男は会社からの帰り道、黒いスーツにサングラスを付けた集団と曲道でぶつかってしまった。
「あっ。」
男のメガネはその拍子に外れてしまい、そのまま彼らに踏みつけられてしまった。
「邪魔だ。どけ。」
メガネを踏みつけた集団は、ぶっきらぼうにそう言って去っていってしまった。
そういうわけで、男は眼鏡屋に来ていた。
「レンズも割れてて、フレームも曲がってますね~。」
店員は壊れたメガネを見ながらそう言った。
「なんとかなりませんかね。長年かけ続けてきて愛着もあるんですが。」
「そういうことなら、フレームの方はなんとかしてみましょうか。ですがレンズの方は交換しないといけないので視力の検査をしましょうか。」
男は、ランドルト環なんていう大層な名前がついたCのマークが書かれた視力表の前に立たされる。
「では、これはどちらの向きに穴が空いていますか?」
店員はもっとも大きい、右の方向が空いている、ランドルト環を指した。
「左です。」
男はそう答えた。店員は怪訝そうな顔をする。
「あれ、お客様。そんなに視力悪かったですっけ?」
「もしかして間違ってますか。なんだが、そう見えちゃって。」
「ちょっと、他の検査もしてみますか。」
そういって、店員は赤色のカラーシートを取り出した。
「これは何色に見えますか。」
男は答える。
「青ですかねえ。」
店員は驚く。赤色を見て、緑や紫と答える人は一定数いるが、真逆の青と答える人は珍しい。
「失礼ですがお客様、本当に目が見えてますか。試しに私の指の数を言ってください。」
そういって、店員は男の顔の傍で指を3本挙げた。
男はそれを見て言った。
「3...?いや3じゃなくて5ですね。」
とある青年は組織のアジトに進入していた。
「マリア、君を連れ出しに来たよ。」
「まあ、真司さん。どうやってここまでやってきたの。」
マリアと呼ばれた女は、アジトの奥の部屋に捕まっていた。彼女は組織のボスの箱入り娘だったが、自分の父親が悪事をしていることを知って、それを世間に公表しようとした結果、監禁されてしまっていたのだった。
「組織の人間に紛れ込んで来たんだよ。さあ、僕と一緒に逃げよう。」
「でも、私を連れて行ってしまうと貴方も捕まってしまうかもしれない。」
「大丈夫。ここに来るまでの道順は覚えている。さあ、僕の手を取って。」
青年は彼女を連れ出して逃げ始めたが、すぐさまアジトに警報が鳴り響く。
「侵入者を発見。通路を封鎖します。」
そして無情にも、正面に進もうとした青年の前でシャッターが下り、道が閉ざされてしまう。
「真司さん。やっぱり逃げるのは無理よ。私が囮になるからあなただけでも逃げ切って。」
青年の目の前にあるのは、閉ざされたシャッターと、どこに繋がっているかも分からない左右の道。
「クソ。俺はどうすればいいんだ。」
そんな時、青年と女の頭の中で声がした。
『左です。』
考えている暇はなかった。青年はその声の通り、左に向かった。
道の先には、赤色の蛍光ランプで照らされた道と、青色のランプで照らされた道が分岐していた。
『青ですかねえ。』
彼らの頭の中に先ほどと同じような声が響く。さっきよりも頼りないトーンだったが、もうこの声を信じるしかない。青年は青の通路に進んだ。
通路の先は扉とパスワード入力装置があった。女は喜んで言った。
「これなら、あたし知ってるわ。前に話しているのを聞いたの。」
そういって彼女は
「63453」
と パスワードを入力したが、警報を示すブザーが鳴った。
「このパスワードは誤りです。直ちに正確なパスワードを入力してください。」
自分の入力ミスと思った彼女は何度も同じ番号を入力するが、扉は開かない。
「きっと、パスワードを変更したんだわ。」
女はパニックになっていた。そんな時にあの声がした。
『3...?いや3じゃなくて5ですね。』
女は咄嗟に「65455」と入力する。扉が開く。
男は店を出て、とぼとぼと夜道を歩いていた。
「おかしいなあ。俺ってそんなに目が悪かったけ。今でもぼやけるぐらいでちゃんと歩けてるのになあ。」
男は、あの後メガネ屋で眼科に行くように勧められ、念のためとタクシーまで呼ばれそうになったが、なんとか断って帰宅していた。
そんな男の前を、手を繋いだ男女が息を切らしながら右の道へ曲がっていった。なにかから逃げているといった様子だった。一体何があったんだろうか、そう男が考えていると
「おい、お前。」
後ろから、黒いスーツにサングラスをかけた集団に声をかけられた。
「今、男と女が走っていったのを見たか。」
「見えましたが、どうかしたのですか。」
「お前には関係ない。さっさと、そいつらがどっちに曲がったのかを教えろ。」
サングラスの男はイライラした口調でいった。
そこで男は笑みを浮かべながら、自分の中で最も正しいと思った方向を指さした。
「左です。」
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