14.開戦

 部屋中に甘い紅茶の匂いが立ち込める。


 テーブルには紅茶が三つ。


 ケイジとミアが隣同士に座り、対面には金髪の淑女が一人。



「休暇はご満足いただけて?」



「ああ」



 ケイジの返答にクスリと笑い、紅茶を含む。



「野暮用でここを通ったので、久方ぶりに来てみたの。学園長も変わりなく、安心しました。あなた方も」



 するとリシェンヌはテーブルの中央に紙切れをスッと出す。



「お土産ですわ。気に入ると嬉しいのだけれど」



 ケイジはその紙切れを手に取り、折り畳まれたそれを開く。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・国境が賑やかだと思ったら、そうか」



「あなたもわざわざ占領下のポルタを通って帰るなんて、常人のやることではなくてよ」



「学園長は――」



「ええ、先程渡しました」



 熱いのか、ミアは口を近づけて息を吹きかけ、紅茶を冷ましていた。



「それで、なんでこんな土産を渡す?」



「自己満足よ。これでも、ここでの生活はそれなりに思い出深いの」




 コンコン




 ノックが聞こえたと思うとガチャリと入ってきたのはメイド服姿のイルメラ。


 少し息が上がっており、両手に抱える木製で箱型のラジオをテーブルに置くとすぐさま電源を繋げる。



「イルメラ、どうしたの?」



「お聞きください」



 ただその一言を述べてイルメラはダイヤルを回す。


 ノイズの乱れる音を振り回し、声が聞こえるその一点を探し出す。



「――し――――わ――――いまこのとき――立ち上がるのだ! この世界に蔓延る王政をッ! この世界に根付く普遍をッ! 今ッ、我らが変革を持って打ち砕くのだ!! 今この時をもってソロヴィイ共和国連邦はディーチリント帝国に対して宣戦布告する!」



 その言葉に続き、ノイズ混じりに歓声がけたたましくラジオのスピーカーから響く。



「はぁ・・・・・・・・・・・・・・・やはりこういう情報は確実性が乏しいわね」



 その歓声をブチリと切ってイルメラが電源を落とすと、リシェンヌはため息まじりに片手で頭を抱える。



「五日早まったな」



 ケイジがテーブルに放るその紙切れには『五日後、ソロヴィイがディーチリントに宣戦布告』と書いてあった。


 するとリシェンヌは飲みかけの紅茶を置いて立ち上がる。



「あなた方も、早く身の振り方をお決めなさい」



 そう一言、言い終わるとリシェンヌはイルメラが開けた扉を出ていき、その後にイルメラはラジオを抱えて一礼し、扉を閉める。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 静まり返った部屋の中で紅茶の残り香が漂う。



「ケイジ、これからどうする?」



「千年も生きてると戦争って単語に一々驚かなくなる」



 ケイジは立ち上がると扉に向かう。



「どこ行くの?」



「煙草を買いに行くだけだ」






 カチ――カチ――カチ――


 時計の音が聞こえるだけの部屋で学園長は窓から外を覗いていた。


 ソファに座るケイジは口に咥えた煙草を吹かしながらテーブルに置いてある灰皿に灰を落とす。



「ケイジさん、煙草吸うんですね」



 ステフはお盆に乗せたコーヒーを配っていた。



「七百年ぶりだがな」



「な、ななひゃく・・・・・・・・・・・・・・・?」



「お前さん、そんなに生きとるならこれをどうにかできんか?」



 瞳をうつむかせる学園長にケイジは煙草を灰皿に押し付ける。



「国に関心はない」



「むぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 振り返り、椅子に腰掛ける学園長はずるずると背もたれから上体を下げていく。



「わしの学園も終わりじゃ。皆家に帰って残ったのはディーチリントの生徒のみ。教師も離れていくばかり・・・・・・・・・・・・・・あーーーー! これでどう運営せいと言うんじゃーーーーー」



「が、学園長っ、癇癪起こしても仕方ないですよ!」



 学園長はバタバタと手足をバタつかせてダダをこねる子供の様に振る舞う。



 コンコン



「入れ」



 ガチャリ、と入ってきたのは男性教師。



「軍部の方がお見えです」



「通せ」



 つい先程まで子供であった学園長だったが、スッと姿勢を正して机に肘を突き手を組む。



「どうぞ」



 そして入ってきたのは長身でクルッと巻いた髭が特徴の男。



「なんじゃ、お主か」



「これでも参謀長を務めている立場なのだが・・・・・・・・・・・・」



 しかしその男を見るなり学園長は組んだ手を解いて背もたれにもたれる。



「すまないが、マクスマフ氏は席を外して頂きたい。ああ、ケイジ氏は居てくれ」



 それにステフはお盆を持ったまま軽く会釈をして扉に向かい、ケイジも腰を浮かせたのだが、その言葉に再度腰を下ろす。



「なんじゃ、今回は此奴に用か?」



 男は学園長の質問に答えることなく、手に持つ紙をケイジの前に置く。



「機密だ。口外はするな」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・何が言いたい?」



「わしにも見せてくれ・・・・・・・・・・・・・・・・・・なんじゃこれ?」



 椅子から降りてケイジの持つ紙をするりと持ち出す学園長はそのほとんど黒塗りの名簿に疑問符しか浮かばない。



「参謀長として君を招集したい」



 ケイジ達の向かいのソファに座る参謀長は懐から葉巻とマッチを取り出す。



「フィル。お主は昔から回りくどい言い方ばかりしておったが、その出しにわしの卒業生を使うのは気に食わんぞ」



 学園長が持つその紙は『中央戦線』と題され、どの部隊がどれだけの数配置されるか書いてあった。


 そして部隊名も、人名もほとんどが黒塗りの中、唯一名前が明かされていた箇所がある。



「リリーナが戦場に行くことと俺となんの関係がある?」



「灰色の巨人がそこにいるそうだ。そして彼女は中央戦線行きに志願した」



「カタリニコヴァを殺したくなければ戦場に行けといいたいのか貴様は!?」



 そのケイジへの投げかけに学園長は大声を上げて怒鳴る。



「・・・・・・・・・・・・君はディーチリント国民ではない。だから、先程言ったように私個人として君を招集したい。いわば勧誘だ」



「俺には関係ない」



 スクっと立ち上がるケイジはそれ以上の言葉を発することなく扉を開けて出ていく。


 それに参謀長はケイジの後ろ姿を見ることなく、葉巻を灰皿に押し付ける。



「では、私はこれで」



「二度と来るでないッ!」



 その罵声に一切動じることなく参謀長は何食わぬ顔で扉を開けて出ていく。



「ケッ!」






「本日明朝、北部レイニッツにて大規模な戦闘がありました。この戦闘により我が軍の負傷者は千人を越えるとの情報があります。しかしながらソロヴィイ陸軍はその二倍の損害を被ったとされ、この侵略を我が軍が押し留めているとの事です。次です。先月のドルジェンでの大規模戦闘を記録したニュース映画が今月十九日より上映されるとの事です。題名はドルジェンの大反攻となっており我が軍が行った最初の反攻作戦という――」



「ねぇ! ラジオ切って!」



 本の山から響くミアの声は、テーブルでノイズ混じりに聞こえるラジオの声を上回った。


 しかしそれに、椅子に座りラジオを聞くケイジは微動だにしなかった。



「もうっ」



 そのミアの苛立ちと共にラジオのスイッチが独りでに捻られてプツリと声が途絶える。



「ミア、食器は洗っておいたから後は棚に仕舞っておいてね。ケイジさん、午後からの授業はありますか?」



 カタカタと台所で食器を洗っていたステフは洗い終わると振り返ってエプロンの裾で濡れた手を拭く。



「ない」



「じゃあ、ミアの事お願いしますね。今日はちょっと立て込んでいるので夕飯は遅くなります」



「私魚がいい」



「だったら少しは手伝いなさい」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 しかしそれにミアは本を覗く視線を変えることなく無言を貫く。



「ではケイジさん、お願いします」



 扉を開けて振り返り、そう言うステフに誰も返しはしなかったがステフはそれを気にせずに扉を閉める。


 するとケイジは腕を伸ばしてラジオのスイッチを捻る。



「次です。昨日、ヴァイム皇帝陛下より我がディーチリント陸軍に向けての演説が行われました。これより、ヴァイム皇帝陛下の激励のお言葉を拝聴ください――」



 ぼんやりと天井を見つめてそのだらしなく垂れきった身体を椅子にもたれさせる。



 パタンッ



 ミアは本を勢いよく閉じ、タタタッと熟れた足取りで本の絨毯を通り越して椅子に座るケイジの元まで駆け寄る。


 そしてケイジの傍に盛られた本の山に腰を降ろす。



「リリーナさんの事が心配なの?」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 ぼんやりと焦点の合わない目から生気が戻る。


 プツリ、とまた独りでにラジオのスイッチが切れるとケイジは少しため息を吐く。



「なんで分かった?」



「分からないわけないでしょ。学園長のとこ行ってからずーーーっと上の空だったんです。それに、ケイジの事はなんでも分かります」



「フンッ」



 一つ、鼻で笑うとケイジは立ち上がって扉に向かう。



「散歩に行くぞ」



「え?」



「早く支度しろ」



「はい・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」



 扉を開けて先に出るケイジにミアは疑問符が収まらなかった。






 石造りの建物が軒を連ね、その間に延々と張り巡らされる石畳の道路。


 そして道路の集合場所。大きなロータリー交差点のある一角に赤い軒先テントが目印のカフェが一つある。


 するとそこに親子ほどの年齢差を感じさせる男女が外に置いてある丸テーブルには見向きもせずに店内へと入っていく。



「いらっしゃい」



 老齢なカフェの制服を着こなす男性がカウンターで微笑んで出迎える中、二人は奥の方にあるテーブル席まで進む。


 二人が座るとすぐさまウェイトレスが駆け寄りメモ帳を取り出す。



「コーヒー」



「私も」



「かしこまりました」



 メモ帳に注文を書き留め、ウェイトレスはカウンターの方へと向かう。



「リリーナの所へ行こうと思う」



「え?」



 そのいきなりの言葉にミアは疑問符が浮かんだが、少しうつむくと一つうなずく。



「じゃあ私も――」



「駄目だ」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「おまたせしました」



 するとウェイトレスがテーブルにコーヒーを二つ置いてすぐに立ち去る。


 ケイジはすぐにカップの取っ手を持ってその芳醇な香り漂うコーヒーを口にする。



「俺はリリーナの事が心配だ。ルーファスも付いているだろう。二人共心配なんだ。あんな、大義名分を並べただけの――人殺しが容認される世界だ。だからこそ、お前を連れては行けない」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 ミアは未だうつむいたまま、ケイジの話を聞く。



「お前がどれだけの事を知っているかは知らない。だがな、あんな世界は人の死に方じゃないし、人の生き方じゃないんだ」






「えーーせーーへーーーーーい!!」



 フードからボロボロと大粒の涙を流して泣き崩れる男は腕に軍服が血塗れの男を抱える。



「えーーせーーへーーーーーい!!」



「うぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 そしてその叫び声に目を覚まし、頭を抱えて起き上がるもう一人のフード姿の女。



「もう死んでる」



「え・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」



 その声に再度血塗れの男を見ると、ぐしゃぐしゃに嗚咽する顔から涙がピタリと止まった。


 抱える男は、一瞬たりとも瞬きをすることなく、ただただ見開いた瞳の中は真っ黒に染まっていた。



「ルーファス! 行くわよ!」



 腕に抱えた男をドロドロの地面に横たえ、四肢に力が入らないのかふらふらと立ち上がる。



「さっきまで――さっきまで普通に話してたのに・・・・・・・・・・・・話してたんだ・・・・・・・・・・・・・・・」



「早くしな――ルーファスッ!!」



 塹壕の角、ルーファスの更に背後からするりと出てきた軍服の違う男はリリーナと目が合った。


 認識はした。


 敵だと認識した。


 しかし、両腕に抱える小銃を構えてルーファスを避けて背後の敵に当てるという行為に――


 躊躇いがあった。



「うっ!」



 リリーナの真横をつんざき鳴り響いた高音と同時に敵は倒れた。


 するとリリーナの背後を人が通ると何が起きたのか未だ分からず呆然としているルーファスに近寄り、有無も言わさず首根っこを掴んで屈ませるとそのまま走り出す。



「何をやってる! 行くぞ!」



「何があったの?」



「分からん。だが、どこも死体だらけだ。一旦ここから出て指示を仰ぐ」



 未だ、空から轟く炸裂音はどこからともなく湧いて響き、慣れないその音にリリーナは顔をしかめる。






 グネグネと曲りくねる塹壕の迷路は進んでいるかも分からなくなりそうな程延々と続き、しかし空から轟く炸裂音は確かに遠のいていた。



「はぁ――はぁ――はぁ――」



「こっちだ!」



 塹壕の深さが徐々になくなり、地面と同じ高さになる。


 塹壕の出口だった。しかしつい数時間前に通った場所。


 手招きする兵士に近づくと大声を上げる。



「三キロ北に防御陣地を構築する! そこまで撤退だ! 行けぇ!」



「了解!」



 はっきり答えたのはリリーナと男のみ。


 ルーファスは息を上げて口を動かす程度で何を言っているかなど判別は出来なかった。


 しかし彼女らがまた走り出すとルーファスは上がる息を整えてそれに付いていくしかなかった。

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この世に永遠は存在しない 蚊帳ノ外心子 @BAD_END

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