11.三年

「先生! ご飯出来ています」



 既に夕刻をとうに過ぎてテーブルに並ぶごちそうは少し冷めていた。



「ケイジさん、大変でしたね」



 ミアとステフはテーブルに腰掛けてはいたものの、目前に食器は無かった。



「ああ」



 椅子に座り、フォークとナイフを手に取り、食事を始める。



「あの人がこの国の長なんですか?」



「ええ、ヴァイム二世よ。陛下もこの学園の出身で特に魔導は優秀だったと聞いているわ。しかもヴェルター学園長と同期でもう一人の友人と三人でよく出かけていたと聞くわ」



「先生はその人と会ってみてどうでした?」



 咀嚼する口にグラスに注がれた水を飲んで一息吐く。



「まあ、相応だな」



「先生、それじゃ分かりませんよ」



 不満そうに半目で見つめるも、いつものようにケイジは意に介さない。



「それじゃ、後は頼むわね。ケイジさん、こちらの書類にサインするだけでいいのでちゃんとサインしてから出掛けてください。いいですね?」



 二、三枚の書類をテーブルに置き、それを眺めている間にステフは慌てた様子で身支度をする。



「ミア、本ばかり読んで夜更かししちゃ駄目よ。ケイジさん、食器は自分で洗ってくださいね。ミアに手伝ってもらっちゃ駄目ですから」



 扉を開けて顔を振り返らせてそう言うと「はーい」とミアだけの返事を聞いてケイジを睨みながら扉を閉める。



「先生はそれに目を通しておいてください。私が洗っておきますから」



 料理を平らげるとすぐさまミアは食器を片付けだして台所へと運んでいく。


 それにケイジは任せ、自分は隣に置かれた書類に目を通す。






 消灯した部屋。


 カーテンで仕切られたベッドではスヤスヤとミアが寝息を立て、書類の隣に強引に置かれたベッドではケイジが寝ている。



 ケイジがパチリと目を開けた。


 時刻はまだ深夜だろう。陽の光は一切無く、月光か街灯かが薄闇となってその部屋の窓から射し込む。



「動かん」



 ボソリと呟いて自身の身体が石の様にまったく動かないことを自覚する。


 そして瞳を少しずらすと視界に入ってきたのは白髪が煌めく少女がにんまりと笑みを零して見つめていた。



「ミア?」



 ゆっくりと上体を下ろして足をするりとケイジの布団に忍ばせ、ケイジの隣に横たわる。



「一度してみたかったの」



「誰だ?」



 即座にミアの皮を被った誰かだと感づく。



「もう、怖がらないで。大丈夫よ」



「だったらこの拘束を解け」



「まあ、それは――ふふっ」



 その誤魔化しに少し苛立ちを覚えつつも、ケイジはこの者の目的を聞き出す。



「お前は誰だ?」



「ミアよ。ミア・ヴェーベル」



「違う」



「ふふっ、混乱するのも分かるけど、〝この私〟もミア。〝あの私〟もミア。同じなの」



 期待していた回答ではないものの、ある程度は理解したケイジは続ける。



「なら、なぜ出てきた? このミアは何が目的だ?」



「もう、忘れちゃ駄目って言ったじゃない。まあ、千年も前だからね。忘れちゃうのも仕方ないけど――」



 ミアは口元をケイジの耳に寄せる。



「あの山。チュルニーチ山脈の尾根の麓。あなたと初めて会った小屋はまだ残っているわ」



 ミアはするりと布団から足を出し、起き上がる。



「じゃあ、待っているわね。あなた」



 足音の一つも立てないミアの素足はそのままカーテンの中へと姿を消す。



「ふぅーーーーーー」



 強張った身体が解けていく感覚を手に入れ、大きく息を吐く。


 布団から右手を出し、何事もなく身体が動くのを確認する。


 上体を起き上がらせ、カーテンの奥を凝視する。



「はぁ・・・・・・・・・・・・」



 一つため息を吐いてケイジは再度ベッドに横たわる。






 校庭が青白く染まり始める。


 小鳥のさえずりが聞こえ始め、虫達のざわめきも増していく。


 しかし人間は未だ夢の中。寝息を立て、薄ら寒い朝を布団に潜ってやり過ごす。


 そんな中、学生寮の監督室で身支度をする男が一人。


 新調して一ヶ月が経つ服は身体に馴染んできていた。


 インク瓶と数本のチョーク。それ以外に荷物はない。



「行くんですか?」



 カーテンを開け、横たわる身体からそう問いかける。



「ああ」



「あの、気を付けてください」



 ドアノブに手をかける頃にはミアが後ろで見守る。



「行ってらっしゃい」



「ミア」



「はい?」



「帰ったら話すことがある」



「・・・・・・・・・分かりました」



 ごく短い会話を終え、開けた扉はバタンと閉まった。







 バタン!!



「!?」



 扉から入ってきた皇帝を目にする軍人達は今までの喧騒とは打って変わり、即座に立ち上がって一礼をする。


 一段上がった地面を踏み越え、そこに置いてある椅子に腰掛ける。


 それを見終えると立ち上がった軍人達は皆一斉に椅子に座り直す。



「皆、議論を尽くしておるようで何より。参謀長、情報部は如何ほどか?」



 長テーブルが部屋の中央に置かれ、そこに座るのは勲章を輝かせる軍人ばかり。


 その一人、テーブルの隅に腰掛ける長身の男が答える。



「はい、現在人員を増やしつつ任務に従事しております。質も各国と肩を並べるほどにはなったかと」



「ソロヴィイには二度と我が領土を踏ませるな」



「はっ」



「空軍の編成は出来ているか?」



 顔を反対に座る男に向く。



「はい、操縦士の育成に全力を注いでおり、編成の方も順次完了する見込みです」



「航空機の生産はどうだ?」



 それに空軍の長は少しうつむき、額から流れる汗をポケットから取り出したハンカチで拭く。



「はい――試作機の方は対地、対空共に出来上がり後は量産するのみとなっています。しかし・・・・・・・・・・・・」



「なんだ?」



「しかし、発動機の量産に苦慮しており配備はうまくいっておりません」



「いつなら配備は完了する?」



「・・・・・・・・・・・・・・・五年――ほど掛かります」



 それに一番険しい顔をしたのは空軍の長の反対に座る男。



「三年で完了させろ」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい」



「陛下、空軍新設は急務でありますが、如何ほどの戦力になるか未だ疑問が残ります。しかも我が陸軍から人員を引っ張って新設では戦力の無駄遣いです! これでソロヴィイとの戦闘があった場合に動かす人員が減りますぞ!」



「その話は散々しただろう。しかも航空機による近接航空支援はあなたも評価していた」



 陸軍の長の話に答えたのは参謀長。しかしその参謀長の話に陸軍は納得していない。



「しかしだな、近接航空支援は魔導砲兵でも代用できる。ましてや魔導砲兵なら持続的に火力を投射する面で有利だ」



「参謀長、ボバルト・アインツィヒは陸軍の中でも航空機運用に秀でていると聞いたが?」



 突如、皇帝は陸軍の話を遮って話しだした。



「はい。彼は操縦士でもありますからその方でも精通しております」



「ふうむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 今まで息巻いていた陸軍はしぼんだ風船の様に肩を落として冷や汗を流した。




 ガチャ




 扉が開かれたと思うと足早に参謀長に近づき、男はメモを参謀長に渡してすぐさま去っていく。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・陛下、悪い知らせです」



 メモを覗いた参謀長の顔色は芳しく無く、皇帝も少し前のめりになる。



「ソロヴィイがポルタに宣戦布告しました」



 その言葉にその場にいた全員がうなだれ、ため息を吐き、額に手を当てる。



「とうとう来たか」



「陛下! 即時宣戦布告を致しましょう!」



「動員した兵を国境に張り付かせろ。ポルタから救援があればソロヴィイに対して宣戦布告と同時にポルタ領内へと入れ。参謀長、異議はあるか?」



「では、様子を伺うのですか?」



「そうだ」



 張り上げた陸軍の声は誰にも届かず、彼の意見とは反対に皇帝は静観という選択をした。


 上げた腰をストンと椅子に戻し、陸軍は肩を落とす。



「三年だ」



 その言葉に長テーブルに座る軍人達は一斉に顔を上げた。



「三年で陸軍、空軍、海軍、それと情報部。その全てを完璧にしろ。それまでは我が戦争を押し止める」



 皇帝は立ち上がるとすぐさま軍人達も立ち上がり、緩慢に段差を下り、手を後ろにやって開いた扉から出ていく。





 この日、すぐさま各国新聞メディアがそのポルタ侵攻を大々的に報じた。


 そしてその一週間後。


 ポルタ王国は世界地図から姿を消した。






 ある山奥。


 勾配のきつい斜面には鬱蒼と木々が乱立し、しかしその木々は手入れをされているようで整然と並んでいる。


 足元には針葉樹から落ちた枯れ葉が覆う程度でそれ以外の雑草はさほど無い。


 そしてそこを突っ切る山道。


 人が大手を振って歩ける大きな道は車一台分はあるだろう。


 そこを一人、懐かしむように周りを見回しながら歩く男が一人。



「二度と来ることはないと思っていたが」



 ぼそりと呟くケイジは正面を向いて目的の場所を見る。


 木をまるごと使ったログハウス。


 その隣には切り倒した材木が横たわり、更にそれを切り刻んだ薪もある。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 真剣な表情になるケイジはそのままそのログハウスのドアをノックする。



「はい?」



 出てきたのは老人。


 しわくちゃの顔ではあったが、よぼよぼとした動作は一切見受けられない。



「ここはホボルツキーの山か?」



「あー、観光でしたら申し訳ないが今仕事の真っ只中で家に上がることは出来ないんです」



「違う」



「え?」



 その予想外の発言に老人の表情が変わり、足を一歩引く。



「この家で少し世話になってな。礼を兼ねて訪ねたかった」



「はあ・・・・・・・・・・・・どちら様ですか?」



「ケイジだ」



「ケイジ・・・・・・・・・・・・」



 首を傾げる老人は扉を半開きにさせたまま家の奥へと向かう。



「バルト! おいバルト!」



 家の奥へと大声を上げる老人はそのまま姿が見えなくなり、ケイジは半開きの扉から中に入り、玄関口の廊下を見回す。



「はい、すいません。ケイジさんでしたか?」



 そして出てきたのは大柄な男。


 丁度老人と一世代違いに見える。



「ああ、少し家を見回っていいか?」



「あー、お礼というのはどちらにですか? ウチの父も知らないと言っているのですが・・・・・・・・・」



 男の後ろに立つ老人も警戒しているようで顔が強張っている。



「大分昔だ。あなた方の世代ではない」



「ああ、ではケイジさんはそのご子息か何かですか?」



「ああ」



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 あまり納得をしている表情ではないものの、老人と顔を見つめてぼそぼそと話し出す。




「まあ、中でお話を聞きましょう。どうぞ」



 老人の強張った顔が変わることはなかったが、男の指す方向へとケイジは招かれる。


 玄関口から廊下を通り、右手に見えるのは暖炉。


 絨毯が敷かれ、ソファが一つ鎮座する。


 男はそのソファへと案内するも、ケイジは周りを見回し、ゆっくりとした足取りで向かう。


 そしてケイジはその隣の扉を開けて中を覗き込む。



「ああ、そこは寝室なので開けないでください」



「知ってる」



「?」



 大柄な男の方も顔が強張り始めた。



「何も変わってないな」



「え――ええ、一応市の方から保全を任されているので作りは何一つ変えてません」



「今も木こりをしているのか?」



 ケイジは戻って案内されたソファに腰掛けると「どうぞ」と老人がコーヒーの入ったカップを渡す。



「ええ、代々ホボルツキー家は木こりを生業にこの山を管理しています。千年前からと言われていますが、あまり信憑性はありません。ところで――」



 男と老人はそれぞれ椅子に座り、ケイジと対面になると話を変えた。



「ケイジさんは誰にお礼をしたいのですか? もしよろしければお調べしますが?」



「・・・・・・・・・・・・・・・本当は来るつもりはなかった」



「?」



「二度と思い出したくない。その感覚だけが残ってあの時何があったのかすら忘れていた」



 独り言の様に見当違いな事を話し出すケイジに両者鳥肌が立つのを感じる。



「あんた、一体何を言ってるんだ?」



 老人の問いかけにケイジは反応しない。


 ただジッと暖炉の火を見つめて物思いに耽る。



「まさか、最初の大魔女とかいう童話になっているとは思ってもみなかった・・・・・・・・・・・・あいつは、何を考えて俺をこんな姿にしたんだ・・・・・・・・・・・・・・・」



 パチパチと暖炉に焚べた薪が燃える音だけが聞こえる。


 老人も男もどうすればいいか分からず、その場の居心地の悪さにただそわそわとするしかなかった。



「邪魔をしたな」



 ケイジは立ち上がり、廊下を進んで玄関の扉を開ける。


 バタン、と閉まる音を聞いて二人は立ち上がり、恐る恐る寝室に向かって窓を覗き込む。



「・・・・・・・・・・・・・・・なんなんだ?」



「最初の大魔女とか言っておったな。もしかして呪いの青年じゃ・・・・・・・・・・・・・・・」



「ハッ、そんなわけねぇ」





 麓から下るとちょっとした街がある。


 しかし片田舎らしく人通りもまばらで街中央にある噴水の広場には人が素通りする程度。


 そんな中を山から下ってきたケイジはやはり素通りする。



「ポルタの話、聞いたか?」



「知らねぇ」



 家の塀にもたれかかって男二人が話していた。



「酷い有様らしい。あれから三年経つが、戦争の復興よりも兵器の生産なんだと」



「そうはなりたくねぇな」



「つっても、ウチの王様じゃあポルタと同じになるのが関の山だろ」



「やめろよ。そういうのは言うもんじゃねぇ」



「それにしてもてっきりそのままディーチリント攻めると思ったのに全然攻めねえな」




「三年・・・・・・・・・・・・・・・」



 小耳に挟んだそれにケイジは立ち止まる。


 すると、風で流されたくしゃくしゃの新聞がケイジの足元で引っかかる。


 ケイジはそれをおもむろに手に取り、何かを察したようで深いため息を吐く。



「寄り道ばかりしていたが、まさか三年も経っていたとはな・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 新聞をそのまま手放し、ポケットに手を突っ込んで足早にその場を後にする。



「あいつら、もう卒業しちまってるよ・・・・・・・・・・・・・・・」

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