10.ディーチリント
二日後。
州立病院の一室に彼らはいた。
「ケガもしてないのに入院させられるのは苦痛で仕方ないわ」
ツインテールの黒髪を解き、身長の倍はあるベッドに座るリリーナ。
「ま、これも国が絡んでいるのでしょうね」
その隣、新調された服を着て立ったままその愚痴を聞くケイジ。
「それにしても、わざわざ病人の服まで着せられて嫌になっちゃうわ。そういえばミアは大丈夫なの? 学園にいるとは聞いたけど――」
「リリーナ」
ケイジは気丈に振る舞うリリーナの話を遮り、ポケットから何かを取り出してリリーナの眼の前に出す。
「手を出せ」
「何よ」
言われた通りに手の平を出すとそこにケイジは手を置いて中にある物を置く。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・これ」
「カタリニコフ家当主の座をお前に譲る。だそうだ」
リリーナの手に乗ったのは小さな指輪。
カタリニコフの紋章があしらわれ環の部分には小さな文字が掘られている。
「そういえば、家を訪ねてくれたのよね・・・・・・・・・ありがとう」
そっと指輪を握りしめ、両手で抱えて胸に収める。
ケイジはそれを見届けると無言で歩を進め、リリーナの病室から立ち去った。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
啜り泣く声はリリーナただ一人となった病室に響き、誰一人としてそれを知る事はなかった。
久しぶりに帰った監督室。
しかし、カーテンで仕切られた仮眠室もといケイジの寝室には新調したベッドが置かれ、そこで寝息を立てるのはミア。
ケイジは開いているカーテンから椅子に腰掛けてミアを見る。
組んだ手を膝に置いて丸めた背から覗くのは鋭い眼光。
「お前は誰だ?」
当然、その小さな呟きでミアは起きはしない。
「もうあれが現実だったのか夢だったのか、区別は付きやしない。千年も前の、俺が不死身じゃなかった時。あの魔女。お前が言葉を発した時に俺はあの魔女を思い出した――」
「ねぇ、私の事、好き?」
「うん!」
「そう。じゃあ――」
「お前は、あの魔女なのか?」
「スー・・・・・・・・・・・・・・・スー・・・・・・・・・・・・・・・」
独り言。傍から見れば危ない人だろう。
しかし、ケイジのその眼光は揺るぎなく、寝ているミアではなくその奥の、誰とも分からない、一瞬見えたあの女に問いかける。
「ケイジ――さん?」
いつの間にかステフが後ろに立っていた。
しかしそのケイジの雰囲気を感じたのだろう。本当にそれがケイジなのか、一抹の不安を抱いていた。
「なんで俺の寝床にミアがいる?」
「・・・・・・・・・・・・あの襲撃でミアを匿っていた部屋が割れてしまって、緊急に場所を変える必要があったんです。なのに学園長ったら、ケイジ強いから同室でいいでしょ。とか言い出して。ただでさえケイジさん自体が監督室に居候の身なのに大変ですよ」
後半、いつものように愚痴に走るステフは更に続ける。
「ただでさえ! 聞きましたよケイジさん! あなたが学園長の秘密の警戒網を止めてたそうじゃないですか! 今回の事件の原因はケイジさん、あなたのせいでもあるんですからね!!」
「フンッ、ミアが起きるぞ」
立ち上がるケイジはステフを退けて監督室を後にする。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケイジさん、初めて鼻で笑った」
いつものように、なんの感情も籠もってはいなかったが確かに、ケイジは初めて人前で笑っていた。
一ヶ月。
朝日の差し込む校門でその真新しい門扉が光を跳ね返して輝く。
新品故に他と色が違って見える石畳を煌々と照らし、その差異を高める。
そして奥に進んだ先、学生が今眼を擦って身支度に勤しむ寮では喧騒が戻りつつある。
「先生、朝食ができました」
「ん」
書類の詰まった棚の隣。
本来ソファのあった場所には今、ベッドが置かれておりそこには綺麗に男用の服が並べられている。
テーブルに座る男は寝巻き姿のまま並べられた料理を重たいまぶたを半開きにして食べる。
「今日、先生は実技でしたよね? どこのクラスなんですか?」
「リリーナのいる所」
「リリーナさんのですか? 確か、先生の実技の中で一番成績が良いクラスですよね? 私もリリーナさんと一緒に授業受けたいな・・・・・・・・・・・・」
「ミア! 遅くなったわ――ってケイジさん!」
バタンと扉を開けたのはステフ。少し急いでいたようで息が上がっていた。
「またミアに甘やかされて! というかもう授業始まりますよ! 早く服着てください!」
まだ口がもごもごと動く中、ケイジはのっそりと立ち上がってベッドに置いてある服を取る。
「食器は洗っておくわ。ミアは今日どうするの?」
「図書館に行こうと思う。読みかけの本があるから」
「そう、じゃあ私もすぐ図書館に向かうからそれまで待っててね」
忙しなく食器を洗う片手間で顔を向けるステフにミアはケイジに服を渡しながら答える。
「今日も寮長の仕事で忙しいんでしょ? そんなに慌てなくても大丈夫よ」
「そうも言ってられないわ――ってケイジさん!」
「先生おはよー」
廊下との間にある窓口から顔を覗かせる生徒は挨拶をしては寮から外に出ている。
「な~に~また夫婦みたいなことしちゃって~。そういうのはマクスマフ先生がやることでしょ~」
時たま顔を覗かせる生徒はそう言ってケイジの服を着せるミアを茶化し、純白に輝く顔を赤くさせた。
「こらっ、早く行きなさい! ケイジさんも子供じゃないんだからミアに甘えない! ミアもケイジさんを甘えさせない!」
その返事を返すことなく服を着込んだケイジは無言のままドアノブに手をかける。
「行ってくるね」
「図書館でジッとしているのよ」
そのすぐ後ろをミアが行き、手を振るステフに答えて手を降っていった。
「ケイジ先生おはよー」
「先生、次授業でしょ? 早く行かないでいいの?」
ケイジの隣を次々と生徒が横切り挨拶をしていく。
しかし肝心のケイジはそれに答えることはなく、生徒もそれを分かって挨拶をしているようだ。
「じゃあ、先生。行ってらっしゃい」
「ん」
ずっと隣を歩いていたミアは図書館を前に手を降ってケイジと別れる。
するとミアと別れた途端、後ろから誰かが駆け足でケイジに向かう。
「彼女、変わったわね」
隣を歩いてそう言うのはツインテールにした黒髪の少女。
「例の一件以来一番変わったのは彼女じゃないかしら。ま、年相応になったと言うべきね」
「お前もだいぶ変わったがな」
「あら、そう? 私は今のうちに卒業の事も考えていろいろと勉強してるだけよ」
「卒業に軍事の勉強はいるか?」
それにリリーナの眉が動く。
「私事を覗くのは感心しないわ」
そう言い捨ててリリーナはケイジを追い越す。
「早くしなさい。あなた先生でしょ」
歩きながら振り返り、再三言われている事にリリーナも釘を刺す。
しかしそれにケイジは何一つ反応しなかった。
校庭の一角。
剥き出しの土に刺さるのは木の棒。
そしてその棒の頂上にまるで接着剤で貼り付けているかのように重心を無視した姿勢で微動だにしない石が一つ。
その棒の隣であぐらをかいて地面に座るのはルーファス。
それ以外にもそのクラスの生徒ががやがやと授業が始まるのを待っている。
「どれほど経つ?」
「二時間」
スタスタと隣に現れるのはケイジ。
「ルーファスさん、朝からずっとやってたんですよ」
「うるせぇ」
いつものようにエドモンドが横槍を入れ、ルーファスは立ち上がるとケイジに向く。
「これでいいだろ?」
「合格だ。他の奴もできてるな?」
そう辺りを見回すと生徒達は曇りの無い顔でケイジを見る。
「・・・・・・・・・・・・よし。なら次だ」
改まったようにポケットに手を入れて生徒の中央に向かう。
「上位魔導を教える」
上位魔導という言葉に生徒達は期待と不安が混じってざわつき、その中でルーファスはガッツポーズを取る。
「先生、上位魔導は最終学年生になってからと聞いたのですが」
一歩前に出てきたのはリシェンヌ。
「ああ、だがお前達も来年にはその最終年生だ。問題ない」
「先生、いくら来年には最終と言えど学園の方針というのがありましょう? それを無視してまで上位魔導に拘る必要はないのでは?」
少し呆れた様子で反論するも、それに口を開けたのは意外にもリリーナだった。
「上位魔導は殺傷を含む魔導。通常の生活ではそうそう使う場面は限られる。だけど、一ヶ月前の事を考えても、自衛のために身に着けておいて熟達するのは損ではないと思うわ」
「どうせ、マクスタの高飛車嬢は平民がそういうのを身に着けられるのが困るだけだろ?」
「ええ、特にあなたのような喧嘩ばかりで誰彼構わず使うような野蛮人には身に着けてほしくはないですわ」
「こっの・・・・・・・・・てめぇはそうやって貴族だけいい思いしようとしてんだろ!」
「ちょっと私が喋ってるの」
「うぇ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
いつもの痴話喧嘩、と思った矢先にリリーナに制止されるルーファスは張り合いが抜けたのか、怒るに怒れなかった。
「リシェンヌも目の前で見たでしょ? あれほどの魔導――もちろん例外ではあったけど、どだい今の私達では無力よ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・まるで、もう一度戦うような言い方ね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そう思っているわ」
数秒、何かを探るように両者が見つめ合う。
「ま、いいわ。それで、何をするんですの?」
「戦え」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ケイジから出てきたその言葉。
誰もが理解はした。しかしその唐突で、過激な言葉に誰もが受け入れなかった。
「はぁ・・・・・・・・・・・・なぜあなたがこの学園の教師をしているのか、甚だ疑問ですわ」
「よっし!! 俺はリシェンヌと対戦する!」
「先生、いきなりそう言われても困るわ。上位魔導よ? ましてや私達は手慣れてもいないのに、怪我では済まないわよ」
三者三様のその反応は一人を覗いて至極当然。
しかしケイジはそれがまるで耳に入っていないかのように話を続ける。
「一対一の対戦だ。誰でもいい。ただし全員が戦闘しろ。今日丸一日使ってでもな」
大きなため息をもう一度して頭を抱えるリシェンヌは顔を上げ、表情を変える。
「では、先生は必ずここで見ていなさい。というか、それが常識ですわ! このような輩の発現する魔導がどう影響するか推し量るなど不可能ですわ」
「は? 俺が魔導を扱えないとか言うんじゃ――」
「お黙り!」
その剣幕に押されてルーファスは黙り込み、向けた顔を再度ケイジに戻して続ける。
「良いですね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「返事をなさい!」
「はい」
腰に手を当ててご立腹の様子のリシェンヌは短いため息を吐いて歩き出す。
「勝利条件はどうされますの?」
「そうだな・・・・・・・・・・・・・・・この石を破壊されたらにしよう」
そう言ってルーファスとリシェンヌに投げたのはこぶし大の石。
「肌身離さず持ってろ。離した場合も負け。当然だが杖は使うな。制服も汚すんじゃない」
その説明を聞きつつ、二人は校庭を進み睨み合う。
「じゃ、始めろ」
その気の抜けた合図にリシェンヌは辟易するもニヤニヤと先程から笑みを崩さないルーファスを捉える視線は本気だった。
「ヘッヘッヘ、まさかこうも早く高飛車嬢と戦えるとは――うわっ」
「口先ばかりですわね」
片手に持っていたルーファスの石はすぐさまリシェンヌの方向へと引っ張られ、それを抑えようとルーファスまでもが引っ張られる。
「クッソォ!」
パンパン! と弾ける炎を生み出し、とぐろを巻いてリシェンヌに突き進む。
「なっ」
「自身が発現した魔導をいとも容易く奪われては、お話になりませんわね」
しかしその炎はリシェンヌが手をかざすと即座に彼女を囲んで回り始め、消え失せる。
「ちっくしょう・・・・・・・・・・・・・・・」
「では今度はこちらから」
バリバリバリバリ!!
両手から発現する雷は校庭の地面を砕き、そのまますべての雷がルーファスに向かう。
「うわっ、おい!」
足をバタつかせて避けつつも向かってきた雷を受け止める。
「いってぇな! 怪我したらどうすんだ! 先生これ反則だろ! あれ?」
駄々をこねて顔を向けるもそこにいるはずのケイジは既にいなかった。
「ちょっと! 先生はどうされたのです?」
「あれ!?」
しかも周りにいた生徒達もいつケイジがいなくなったのか、分かっていない。
「まったく――転移魔導でもして逃げたのかしら。イルメラ、代理の先生を呼んできて頂戴」
「別に先生いなくてもできるだろ」
「あら、先程先生に助けを求めたのは誰かしら?」
「んだとぉ!?」
コツ――コツ――コツ――
延々と続く階段を明かり一つ点けずに下っていく。
当然足元は何も見えず、まず自分がどこを歩いているかさえ分かりはしない。
しかしケイジはそんな中でも、何度も行き来した道だと言わんばかりに一段も踏み外す事なく下っていく。
「?」
そろそろ終着だろうと踏んでいた所にぼんやりと明かりが見える。
「消し忘れたか?」
それは思っていた通り、書庫の明かりであり疑問を浮かべながら足を踏み入れたのだが――
「魔導はその威力と範囲によって位が付けられる。と、言っても案外ガバガバじゃがな」
「じゃあ、ここではどこまで教えるの?」
「基本は基礎魔導をみっちり教える。それがなければ魔導を扱うことさえ覚束んからな――おっと」
焚書庫の中央にあるテーブルでは既に先客がいた。
一人は色素の無い白い髪をなびかせ、紅い瞳をケイジに向けて笑みを浮かべる。
一人は藍色のコートを常日頃から着込み、長い髭と白髪頭の老人はケイジを見るなりにんまりと顔を歪める。
「先生!」
「ケイジく~ん」
先に立ち上がったのは学園長。そそくさとケイジに近寄るとその半月状に歪めた瞳が更にはっきりと分かる。
「わしの〝糸〟を止めてたのはこれのためだったんじゃね?」
学園長は自身のうなじをさすってその白い歯を見せびらかす。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ま、入ってきたのが君達で良かったわい。それで捜し物は見つかったかね?」
学園長は喋りながらミアの隣まで戻るも、その問いにケイジは答えずに本棚に向かう。
「さて、話の続きじゃな」
そう言って椅子に座り、ミアが覗く本へと視線を移す。
ミアからの質問攻めにも臆することなく回答し続ける学園長の傍ら、ケイジは何回も往復した本棚を凝視し、まだ触れていない本の背表紙を見て取るか否かを決めていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」
今まで何気なく通り過ぎていた背表紙にケイジは目を奪われた。
「始祖の魔女・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
埃の被るその本を手に取り表紙を見る。
魔導書でもない普通の本。
しかしケイジはその本の表紙がなぜか気になる。
ペラペラと二、三枚めくりそのまま歩を進めて中央のテーブルに向かう。
「おお、こんなところに童話があるとは」
「童話?」
学園長は一瞥しただけでその本がなんなのか分かり、ケイジはそれが童話だとは知らなかった様子。
「なんじゃ、お前さん最初の大魔女という童話を知らんのか?」
「最初の大魔女?」
しかしそれに興味を持ったのはミア。
既に自身が読んでいた本よりケイジの本に興味が移っているようで、学園長よりも早くケイジの隣に移って本を覗き込む。
「なんじゃ、二人共知らんのか。魔導研究の第一人者じゃよ。千年も前のお人じゃが、彼女の功績で魔導の何たるかを定義してそれまで感覚で発現していた魔導を科学的に証明させたんじゃ。ま、その本はそのお人の童話じゃがな」
「ふーん」
学園長の話を流しつつ、ケイジは本にかじりつくようにして次々に文章を読み進め、ページをめくる。
「それにしてもただの童話であるはずだがの。ここにあるのは不思議じゃ」
「それでどういうお話なんですか?」
本を覗くミアは顔を学園長に向けて問うと一つ咳払いをして語りだす。
「昔々、東方の国に一人の魔女が旅の道中で立ち寄った。しかしそこで大きな怪我をしてしまって魔女は身動きが取れなくなってしまった。じゃが心優しい青年が自分の家に泊めて魔女を看病したそうな。三日三晩の看病と一月の療養を経て魔女は快復した。そこで魔女は青年に例をしたいと申し出た。しかし青年は魔女が高名な方だと知ってしまったために無理な要求をしてきたのじゃ。魔女はそれに怒って彼に呪いを掛けてしまった。呪いは彼がまた心優しい人間になるまで生きながらえさせる呪いじゃった。そして未だ彼はその呪いを解くことができず、まだ世界のどこかで彷徨っているそうな・・・・・・・・・大まかじゃがこういう話じゃ。わしはあんまり好かんがの」
「違う」
「?」
ボソッと呟くケイジは開いた本を戻しもせず立ち上がる。
「ヴェルター、また休暇をもらう」
そしてそのまま焚書庫を立ち去ろうとするもそれをヴェルターが止める。
「ちょちょちょちょっと待て! お前さん今日は授業のはずじゃろ!? ほっぽりだしてここに来るのは構わんが、そのまま休暇を取らせるのはさすがにわしの面目が潰れる」
「先生! また出かけるんですか? その――もう少しゆっくりしていって、ほしいです・・・・・・・・・・・・・・・」
二人からの猛烈な制止に強張った肩をため息と一緒に落とす。
校庭の地面は黒く変色し、デコボコに隆起していた。
「では、最後ですね。カタリニコヴァとアップルヤードは前に」
カールの効いた茶色の髪の女性の声にリリーナとジョシュがその荒れた校庭に向かう。
「それでは――ケイジさん!?」
そのステフの大声に生徒全員が向き、のそのそと校庭に姿を現したケイジに誰もが呆れた。
「ケイジさん!! あなたって人は!」
「マクスマフ先生、怒るだけ無駄ですわ・・・・・・・・・・・・」
呆れてものも言えない、とため息を吐くリシェンヌにステフも肩を落とす。
「ケイジさん、帰ってきたならあなたがやってください。ほらっ」
眉間にしわを寄せるケイジの腕を掴んで強引にステフが立っていた場所に持っていく。
「はいっ、ではお願いします」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・始めろ」
分かってはいたがやはりその気の抜けた掛け声に二人共、気合いが入らない。
しかし、始まったからには、と視線を鋭くしてジョシュを睨むリリーナは地面を蹴るとまるで幅跳びの様に大きく跳躍して迫る。
「!?」
腕を大きく振りかぶり、手中から作り出されるのは鋭利に尖った氷。
反応の遅れるジョシュではあったが、その氷を身に受ける既で両者の間で突如地面が隆起して岩が現れる。
「――! 速すぎだろ」
大きく仰け反ってしまったジョシュはそのまま尻もちを付き、岩の後ろにいるであろうリリーナに視線を送る。
すると岩の表面がピキピキと霜に覆われ始め、それは岩を包むと地面を這い出す。
「ちょ、ちょちょちょ!」
慌てて腰を上げて逃げ出すジョシュだが、それと同時に片手間に火を発現して振り返りながら払うと炎はたちまちに壁となって霜を溶かしきっていく。
「!?」
後ろから気配を感じる。
そう思った時にはもう遅く、ジョシュの後ろにいるリリーナはジョシュの股目掛けて蹴り上げる。
「おうッ!!」
その小さな悲鳴はそこにいる全男子生徒の股間を縮こませる威力を持ち、ジョシュはそのまま地面に伏した。
「てめぇ!! それはさすがに反則だろ! ずりーぞ!」
「ごめんなさい。石がそこにあったから」
「リリーナの勝ちだ。ルーファス、保健室に連れてってやれ」
リリーナを睨む険しい表情は崩さず、ルーファスは悶えるジョシュに肩を回す。
「お前、石どこに隠したんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・あ、あそこ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「馬鹿じゃん」
腰が引けているジョシュを立ち上がらせ、一歩ずつ歩かせるルーファスは悶絶に顔を歪めるジョシュの言葉に呆れ返る。
「あ――ああ・・・・・・・・・・・・破片が・・・・・・・・・・・・・・・破片が」
その痛々しい姿に男子は同情の眼差しで見つめ、女子はクスクスと笑う。
「ちょっとやりすぎたかしら?」
「問題ない。自業自得だ。それで全員やったのか?」
「ケイジさんが居ない間に大半は終わらせておきました」
ご立腹の様子のステフではあるが、いつものようにケイジはまったく気に留めてなどいない。
「面白い授業をやっとるようじゃの」
「学園長、ミアを見て頂きありがとうございます」
「よいよい、わしも暇じゃったしの」
「これでいいな」
「駄目じゃ」
ケイジの言葉に速攻で学園長は反対する。
「ケイジくん、君も一応は教師なんじゃ。休暇を取るにも手続きを済ませてからではないと、色々と迷惑なんじゃ」
至極当然だ。
ケイジは行こうとした足を戻して向き直る。
「よろしい。ま、そう手間は取らせんよ。明日にでも出るといい。今日はいなさい」
「え? ケイジさんどこか行くんですか?」
「学園長」
顔を強張らせるステフを他所に後ろから来た教師は学園長に耳打ちすると目を丸くした。
「いつだ?」
「来てます」
まるでそれが合図であったかのように校門の門扉がガラガラと開かれ、そこから黒塗りの高級車が何台も入ってくる。
「ステフ、ミアと生徒達を移動させてくれ。ケイジくん、君はここにいなさい」
「皆さん、校舎に戻ってください。早く」
一礼をしてすぐさま振り向き、生徒を誘導しつつミアを側から離れさせない。
その間にも車列は校庭を横切り、学園長の前で止まると一斉に車の扉から着飾った兵士達が出てきたと思うと学園長の前に止まった車の扉をその兵士の一人が開ける。
「バル、久方ぶりだな」
「陛下も、お元気でなによりです」
口元に髭を豊満に蓄えた老人は胸元に光る勲章を身に着けた黒い服装で学園長と握手を交わす。
「堅苦しい挨拶はなしだ。君がケイジだね。いつも見ているよ」
流れるようにその老人は隣にいるケイジと握手を交わす。
「では、君の部屋に案内してくれるかね?」
それに学園長は深々と頭を下げ、すると周りの兵士達が動き出す。
「いきなりですまなかったな。ああ、ありがとう」
女性教師からテーブルに紅茶が置かれ、老人は礼を述べると共に懐から葉巻を取り出す。
「陛下自ら、なぜこの学園に来られたのですかな?」
「堅苦しい挨拶はなしだと言ったはずだ。それとも、もう親友ではないと言うか?」
指先から火を灯して葉巻に近づける。
学園長も小さくため息を吐いてソファに深く腰掛け直す。
「皇帝陛下が一介の学校に顔を出すなぞあり得んぞ」
「お前はいつもそうだ。自分の立場を弁えず毎回私を持ち上げる。お前の学校は世界一だと誇らんのか」
「お主は少し自重というのを覚えんかっ」
「フンッ、戯言に付き合わせたな。知っているかもしれんが、一応名乗っておこう。ディーチリント帝国皇帝、アルード・ヴァイム・ヴェルムンド・フォン・ディーチリントだ」
そう言って再度手を差し伸べ、片手間で葉巻を吸いつつケイジと握手する。
「さて、此度の件で君が活躍したことは承知している。だがなぜ、今我が国の味方をする?」
「味方?」
「ああ、味方だ」
皇帝は懐から一枚の紙を取り出す。
ケイジはそれを手に取り、書かれている文章を読み進めた。
「二百年前の大宗教戦争時代の手記だ。そこに戦場を大混乱に落とし入れた男の話が書かれている」
皇帝の言う通り、その文章は手記の一部を抜粋して転写したようだった。
「東方の国の出で立ちの男は主戦場のど真ん中を悠々と通り、双方の軍の戦術も戦略も無駄にしてしまった。挙げ句、その男を捕らえることも、殺すことも叶わず最後には大混乱に陥った戦場だけが残った」
そして皇帝はまた懐に手を入れ、今度は写真を取り出す。
「五十年前の写真だ。丸で囲った男。これは君だな」
何の変哲もない農場だろう所で集合写真を撮ったものだ。
そしてその集合している老若男女の中、丸で囲ってある人物はケイジそっくりだった。
「これはグレータニアで撮られた写真だ。君は、いくつなんだ?」
「なんじゃ、お前さんわしより年上か?」
横から顔を覗く学園長はケイジが手に持つ写真を見て問うも、当の本人はその写真をテーブルに置く。
「この話に関係あるか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・フンッ、無い。ここにミア・ヴェーベルという少女がいるのは知っているな?」
吸い終わった葉巻を灰皿に押し付けて再度、深くソファに腰掛ける。
「あれは機密だ。君もその一端を垣間見ただろう。あれを他国に渡すつもりはない。と、言ってもこの老人のせいでろくに研究もできんがな」
指を差されたのはケイジの隣に座る学園長。
にんまりとその白い歯を見せ付ける。
「君は、それと同じだ。持ちすぎた力だ。だから――君は我が国の味方なのかね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・考えたことはない」
その回答に皇帝の表情は曇る。
「では、私がここの生徒全員。ミア・ヴェーベルも含めよう。彼らを脅しの材料に我が国に奉仕しろと言ったら、どうするかね?」
「いい選択ではない」
「フンッ」
「お主、一体何が言いたいんじゃ? 今まで放任しとったクセしおって此奴が来た途端なんじゃ」
ジロッと目玉だけを動かして学園長を見ると深いため息を一つ吐いた。
「お前は昔から俗世に興味は無かったな。今も新聞の一つも読んではいないのだろ?」
そう言ってまた懐から葉巻を取り出すと火を点けながら立ち上がり、窓から外を望んだ。
「あれだけの事をしたんだ。我が国も相応の対応をしなければ臣民も収まりがつかん。だが、動員までかけたにも関わらず、ポルタは一向に動かん。ましてや当のソロヴィイも何食わぬ顔ときた」
話を進める毎に葉巻に口を付ける回数が増していく。
「ポルタを経由しなければそもそも我が領土には辿り着けんというのに、なぜ一個中隊もの規模を持ち運べたのだ!? それでいて我が軍の通行は拒否。何を考えておるんだッ」
「ヴァイム、憂さ晴らしはできたか?」
「フンッ」
大きく鼻で笑い、ソファに戻ると灰皿に葉巻を押し付けて腰掛ける。
「ポルタは役に立たん。もしポルタがソロヴィイになれば次は我が国だ。ケイジ、君に我が国のために奉仕しろとは言わん。勝手に国を出るのもいいだろうしかし、ソロヴィイの肩を持つな」
立ち上がる皇帝は最後に念を押す。
「いいな?」
「ああ」
その返事を聞くとスタスタと扉まで歩き、ドアノブに手をかける。
「邪魔をしたな」
ガチャリと扉を開けて廊下で待っていた兵士を連れて歩いていく。
バタン、と車の扉が閉まり、気が抜ける様に鼻から息を出す。
「例の二人の監視は引き続き行います。それとケイジと関連のある生徒は全員卒業後五年間まで監視を行います」
「よろしい」
隣に座る軍服姿の男との短い会話を終え、車列は門扉を通り過ぎる。
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