7.ミリス・ペトロヴナ・ツーリィ

 学園内は殺風景としていた。


 生徒の悲鳴が聞こえる訳でもなく、慌てる教師がそこら辺を走っている訳でもない。


 千人はいたであろう学園の生徒教師は見当たらず、ただただがらんどう。


 校内を覗けば慌てた跡が垣間見れるもそれ以上がない。


 侵入した兵士達もその異様さに慌てたのか、話し声がそこかしこで忙しなく行われた。


 そんな中、校内であろうとゴゴゴゴとその鉄塊を引きずらせ、床に傷を付ける魔女帽子を被った幼女は何かに惹きつけられるように一つの教室に向かう。


 自身の背丈の何倍も大きい黒板が書きかけの白い文字を留めさせ、その向かいには階段状に組まれた席がそびえ立つ。


 入った扉の向かいは天井まである窓が学園の中庭とを仕切っていた。



 ピシャッ



 いきなり教室の扉が閉まった。



「へへっ――簡単に引っかかりやがった」



 階段を一段一段、ポケットに手を突っ込んで降りるのはルーファス。



「まったく、エドとジョシュは腰抜かして逃げちまうし、他の生徒はどっか行っちまっていねーし」



 そう愚痴を垂れて足を止め、幼女を睨む。



「お前、あの学園長を倒したのか?」



「リリーナ・ニコラエヴナ・カタリニコヴァはどこだ?」



「知らねーよ。そんなことより、てめーを倒せばあのふんぞり返った学園長も、高飛車でキチキチうるせえマクスタのお嬢様も、さぞお喜びになるだろ――くぁッ」



 ルーファスの言葉が途絶えた。


 何もないはずの首を一生懸命掻き毟り、何かを取ろうとする。


 幼女も質問を終わらせると視線を彼から窓に移し、息のできないルーファスに興味を示さず、ゴゴゴと鉄塊を引きずる。



 ボォン!



 幼女に向かって投げられた火球は幼女の周囲で何かに遮られるように霧散する。



「はぁ――はぁ――はぁ――こんなチャチな魔導で俺をコケにしやがって!」



 息を吐かせてそう息巻くも、立ち上がった瞬間に目の前を占拠する自身が出した何倍も大きい火球にそれ以上の思考を停止して焦げ付くような熱風を前に自分が死ぬことすら理解できなかった。



 ゴオオオオオオオオオオオオオ――パリーンッ――ザッバアアアアアァァァァァン



 教室の窓を破って入ってきたのは水。


 いや、水流と言っていいそれはまるで生き物の様に窓の一点だけを破り、蛇の様にその火球を丸呑みにして激しい化学反応を起こす。



 ブッシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!



 瞬時に教室中に水蒸気が大量生産され、その膨張した蒸気は逃げ場を失くして窓に圧力を掛け、瞬く間に一枚残らず窓を割って逃げていく。


 この間おおよそ五秒。


 未だ教室には蒸気が立ち込め、視界はまったく意味を成さず服や肌が濡れる不快に襲われる。



「!」



 幼女が何かを察するとすかさず持っている巨剣を前に出す。


 すると鋭い何かが巨剣の腹に命中するのを感じ取るとそれはピキピキと霜を降ろして巨剣をみるみる内に這っていく。



「ミリス・ペトロヴナ・ツーリィ。なぜあなたが」



「リリーナ・ニコラエヴナ・カタリニコヴァだな」



 その火炎で彼女はソロヴィイ元皇帝の第四皇女だと分かり――


 その一声で彼女はソロヴィイで唯一逃げおおせた最後の貴族だと分かる。



「リリーナ・ニコラエヴナ・カタリニコヴァ。国家反逆罪で連行する」



「皇帝の大公女であるあなたがなぜこのような真似を!」



 その悲痛な叫びは幼女に届くことはなく、ピクリとも顔を動かさず巨剣を前に出す。



 ボガーーン!



 教室の扉が強引な力に捻じ曲げられて吹っ飛ぶ。


 そしてその後ろから現れた何者かは使い物にならなくなった扉を追い越して幼女に飛びかかり、組み伏せる。



「なんなんだこいつッ」



「先生!」



「何しゃしゃり出てんだ!! お前を守るためにみんな戦ってんだぞ!」



 その小さな四肢をケイジが持てる力いっぱいで押さえ付けるも、まるで同じ極を無理やりくっつけようとする磁石の如く反発して思うようにいかない。


 するとケイジは上空に舞った。


 ドガン! と天井にめり込まされ、そのまま自由落下で落ちる既を幼女はその巨剣を持ってケイジの中心に刃を捉えて勢いよく振り下げ、今度は地面にめり込ませる。



「なにこれ」



「へっ」



 真っ二つになってもおかしくないその威力をケイジはめり込む地面からにへらと笑いすかさず巨剣を掴んで離さない。


 ケイジを離そうと巨剣を引っ張るも、その力を利用して立ち上がるケイジに余計力を与えてしまう。



「むぅ」



とうとう立ち上がってしまったケイジに口を尖らせる幼女。しかしケイジはその間、幼女には見えないよう剣の腹に手に付いた粉を使って魔導陣を描く。



「あっ」



 ケイジが手を離すと巨剣はズドンと本来の重さ相当の働きを示し、それに柄を持っている幼女は振り回され、身体が宙を舞ったかと思うと今度は地面に突っ伏す。



「リリーナ!」



 ケイジがリリーナに目をやると既にあの黒ずくめの人物にぐったりと横たわったリリーナが担がれていた。



ブォン!



背後から振り回されるその塊にすぐさま反応して両手で抑えて衝撃を吸収する。



「勝手に落書きしないで」



言い終わると同時にケイジの周りに火の粉が溢れ出し、すると瞬時に炎が彼を包み込み火だるまと化す。



「………これじゃ死なないのね」



一切、巨剣を掴む手を緩めることはなく幼女もそれに応じて握り締める右手を緩めることは出来ない。


その間にもリリーナを担ぐ黒ずくめは誰からも邪魔立ての入らない中、悠々と草の生い茂る地面にナイフを突き立てて魔導陣を描く。


すると火だるまになったケイジはするりと込めた力を逃して掴んでいた巨剣を離し、振り切られる巨剣を躱して走り出す。



「ッ!?」



目の前を火だるまになった人間がこちらに向かって全力で走ってくる様に一瞬手に持つナイフを落としかけるも焦燥をもって魔導陣を乱雑に描き終えようとする。



「リリーナッ!!」



火炎に塗れて聞こえるその叫びは完成した魔導陣によって発動した空間転移によってリリーナに届くことはなかった。


伸ばした手は空を切り、彼女のいた場所に突っ伏す。






「ルーファス・バーレイ!」



その声は破壊の限りを尽くされた教室に響いた。



「バーレイ! おい! 大丈夫か!?」



 ガタガタとうずくまった身体を震わせてある一点を見つめるルーファスに届いているかも分からない声を届けようとする。



「バーレイ! 何があった!」



 そこでようやくルーファスはゆっくりと視線を教師に向ける。



「・・・・・・・・・・・・ば、ばけもの・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「何がだ?」



「おい!」



 もう一人の教師が中庭で声を荒げる。



「うっ・・・・・・・・・・・・なんだ・・・・・・・・・?」



 中庭で燃え盛るそれに腕で顔を覆う。


 膝を折った姿勢をした人間の様なもの。例え人間だとしても既に死んでいることは明白。


 一体誰なのか。敵方の兵士だとしてもあまりいい気はしない。


 とにかく、と教師は隣にある噴水から水を水流の様に操って空中を伝わせ、その焼死体にかける。



「・・・・・・・・・・・・お前!?」



 つるりと見せる柔肌。服の一片も身に纏わない身体が水に濡れて露わとなる。


 真っ黒に焼け焦げた物体が現れると覚悟していた教師はその予想外に目を丸くして近づき、顔を覗かせて気付く。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・服をくれ」



 ケイジは顔をその教師に向けてそう一言、言った。






 校門。


 向かいの建物は消防隊が消火活動に勤しみ、そこの道路の端までディーチリント軍が規制線を張り、野次馬がそこに集っていた。


 破壊された門扉、ドロドロに溶けた石畳の地面。


 それらを軍服の兵士達が見分し、写真に収める。



「我軍がそれを察知できたのは三十分前。そしてここに到着する十分前には敵は逃げていた。その間にリリーナ・ニコラエヴナ・カタリニコヴァは拉致。それ以外では教師四人が重傷。他軽傷が十三人」



 学園長室にてそう経緯をまとめるのは軍服姿で長身、髭をカールさせた男。



「軍隊を相手に死者を出さなかったのは奇跡ですな」



「じゃが、国家の存続に関わるものを盗られたがの」



「おい、それは今話すことではないだろ」



 ヴェルターが机に包帯を巻かれて座り、部屋の中央に置かれたソファには新品同様の服を着るケイジ。



「よい。そやつも関係ある」



「・・・・・・・・・・・・・・・あまり関係者は増やすべきではないぞ」



 学園長の耳にそう囁く軍服の男にヴェルターは「ふっ」と鼻で笑う。



「・・・・・・・・・・・・例のものの護衛役だったステファニー・ファン・デ・マクスマフによると校内に潜入していた敵がすぐさま襲撃。善戦するも重傷を負わされ奪取された」



 片手に持つ資料に書かれたことを読み上げ、一つため息を吐く。



「ソロヴィイの良いようにされているな」



「あの魔導陣は国内に転送されるよう編まれていた」



「?・・・・・・・・・・・・どれのだ?」



「リリーナの転移魔導陣。途中で焦ったか知らんが、跡が残ってた。ここから南東に五四キロ先だ」



「君達学園にとっては生徒の消息も重要だが、私達にとっては――」



「バルンブルクか。今、鉄道も通って東に行くにも北に行くにも便利になったとこじゃな」



 いつの間にか広げた地図を見て軍服の男の話を遮る学園長。



「人混みも結構じゃろうて探しにくいことこの上ない。それに工場もわんさか造っておる。隠れる場所には困らんの」



 そこに軍服の男の咳払いが入る。



「何を言いたいかは分からんが、その生徒に関しては私達は力を貸すことはできない。それに今話しておきたいのは〝彼女〟のことだ」



「お前さん、年食ってちぃと頭硬くなりすぎじゃ。わしらはミアの事も話しておろうに」



「馬鹿を言うな。火砲まで国内に持ち込んだ精鋭だ。同じ経路で二人を輸送するとでも言うのか?」



「そっちの方が都合がいいだろ。いざとなれば都市まるごと一つ焦土にできる〝兵器〟があるんだから」



 ケイジのその言葉を最初意味が分からないと疑問符が浮かぶ顔をしていた男も、すぐさま顔色を変えて納得し、その先を考えてため息を吐く。



「・・・・・・・・・・・・灰色の巨人か」



「ミリス・ペトロヴナ・ツーリィ。皇帝の娘にして世界最強の魔女。いやぁ~わしも年老いたわい」



 そう、包帯で巻かれた節々を擦って少し落ち込んだ瞳で言う。



「しかしそうなると我軍が所有する魔導師をかき集めても対抗できるかどうか。ましてやそれほど騒ぎにしてしまうとこちらの分が悪くなる」



 ソファに腰掛けた男は懐から葉巻を取り出して火を点ける。



「ふーぅ――既に学園の事件がソロヴィイの仕業だというのはマスコミの間でも周知の事実。陛下も国内に武装した部隊を知らずに持ち込まれた事よりもソロヴィイに対してどう制裁を課すかに変えるだろうな」



 少し吸って灰皿に葉巻を押し付ける男は立ち上がると学園長を見る。



「バル、これは友人としての頼みだ。動かないでくれ」



 ヴェルターは瞳を半月状に歪ませ、真っ白な歯を見せる。



「お願いだ! バルの予測は当たりだろう。ウチの方でもそう結果が出るはずだ。だが――だが動かんでくれ!」



「わしは動かんよ。こんな傷を付けられたからに、節々が痛くての」



「そうか! あ、いやバルだけでは困る。これはこちらだけで処理をしたいのだ!」



 するとケイジが立ち上がって部屋を後にしようとする。



「か、彼にも動かないよう言ってくれ。頼む!」



 机に手を突いて頭下げる男に未だ歪んだ顔は直さない。



「ケイジくんはこれから休暇でね。さすがに休暇に対して文句を言うのはどうかと思うよ」



 ガチャン、と閉まる扉に下げた頭からため息が漏れる。



「・・・・・・・・・・・・分かった。分かった」



 二言、そう返す男はうつむいた顔のまま扉に歩を進める。



「ライス学園長、学校の修繕と生徒の治療は全て国が請け負う故、ご心配はいりません」



 最後に他人行儀な言葉を投げかけ、一礼の後扉を閉めた。



「・・・・・・・・・・・・はぁ――大変なことになったのぉ」






 グウェツェフト学園より徒歩で二十分。


 州立病院は先の事件による負傷者の治療で忙しくなっていた。



「・・・・・・・・・・・・ミア・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 病室のベッド。


 痛む傷を薬で抑え、動かぬ身体に苛立ちを覚えて彼女は自分の不甲斐なさに苛まれていた。



「ミアを連れて行ったのは誰だ?」



 そのトーンの低い男の声。


 気だるそうに、何の感情も籠もらない毎度その声を聞く度にトラブルかと呆れていたその声。



「ケイジ――さん・・・・・・・・・?」



 顔を動かすので精一杯。眼球を動かしてその声の主を見る。



「黒ずくめだったか?」



「ケイジさん、あなたの言う通りだったわ。ミアの面倒もまともにできない。ましてやこんなにやられちゃって・・・・・・・・・・・・学園長に叱られるわ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「何人だったんだ?」



 そんなことはどうでもいい。


 そう聞こえた彼女はいつものケイジさんだな。と内心自分の欲しかった返答と違うことに分かっていながらも落胆する。



「全身真っ黒。五人掛かりで襲ってきたわ。前、ケイジさんと初めてあった時の人達とは違う」



「初めての相手か?」



「ええ」



 それを聞くとケイジは踵を返す。



「待って」



 足を止め、上体をこちらに向ける。



「私も――私もミアを探させて。目処は立ってるんでしょ? だったら私も――」



「完治したら来い」



 その一言を言い終えるとケイジはまだ言いたいと手を伸ばすステフを置いて去った。






「先生!!」



 廊下に響いたその声は必死だった。


 振り向くとたちまち床に突っ伏し、頭を下げる。



「俺を――俺を連れてってくれ!」



 しかしケイジは振り向いた姿勢を元に戻すと何も言わずに歩き出す。



「頼む! リリーナを探しに行くんだろ? 俺・・・・・・・・・俺、何も出来なかった・・・・・・・・・・・・」



 袖を掴んで止めるルーファスはうつむいて悔しさを滲ませる。


 しかしそれでも彼は無言で歩き出す。


 袖を引っ張るルーファスも自身の力で抑えること叶わずケイジに引っ張られる。



「お、お願いだ! 役に立たないのは分かってる! でも――」



「お前は何がしたい?」



 掴む手を振り払ってそう問うケイジにルーファスは少しの間を要した。



「・・・・・・・・・・・・悔しいんだ。何も出来なかったことに。リリーナに助けられて、今までと違う魔導を見せ付けられて・・・・・・・・・悔しいんだ!」



 何も表情を表に出さず、ピクリとも動かない顔のままケイジはまた歩き出す。



「なんでだ! 頼んでいるのになんで何も言ってくれないんだ!!」



「お前は、一言もリリーナの心配をしていない」



 歩きながら言うケイジの言葉が届いたのだろう。


 悔しさに滲ませていた顔は一瞬の閃きとも驚愕ともとれる顔をしてうつむく。


 歯噛みをし、拳に力が入り、それ以上ケイジに何も言えなかった。

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