8.バルンブルク

 バルンブルク。


 グウェツェフト学園のあるカルンツより南東に位置する工業発展著しい都市。


 都市の中央より北と東に鉄道が伸び、あらゆる物資の中継地として、また運ばれた物資の加工場として発展を開始したところだ。


 故に道路の舗装、新しい工場の建設、そこに勤める従業員の宿舎の建設とそこかしこで工事だらけ。



「こりゃ、探すのも追いかけるのも面倒――」



 駅を出てすぐ。眼前にあるのは道路を舗装している工事の数々。


 車一台通れる隙間をバスが走り、その傍らで重機が轟々と動く。


 そして奥に目をやれば建設中の建物ばかりが並び、人と資材の波が待ち受けていた。



「だと思ってたんだがな・・・・・・・・・・・・・・・」



 しかし、工場から溢れる煙のせいか、どんよりと煙る空にはそれ以上に真っ黒で禍々しい渦が竜巻の様にある地点に吸い込まれていく様がでかでかと存在した。



「・・・・・・・・・・・・これほどの魔導を見るのは初めてだ」



 通り過ぎる人の波は誰もその異常な空を見ることは叶わず、辺りで唯一見れるのはケイジ一人だろう。


 呆然と空を眺め、一つため息を吐く。


 歩を進め、そのでかでかと示された魔導の渦の中心。


 ミアなのか、灰色の巨人と怖れられるソロヴィイの皇女なのか、どちらにせよ探す手間が省けたと楽観視して人の波を掻き分ける。






 駅より徒歩で二時間。


 工事に工事を重ねる道は行き止まりだの作りかけだので街中が迷路そのものだった。


 唯一頼りになる魔導の渦は遠ざかったり近づいたりを繰り返し、目的の場所に着くのかさえ怪しかった。



「はぁ・・・・・・・・・・・・・・・」



 そして着いた目的地。


 ケイジの頭上には禍々しい闇とも言えるその渦が覆い、昼過ぎだというのにケイジだけ暗がりの空を見上げる。



「ケイジさん、ですか?」



 その声に振り向くとなんら普通の格好をする見知らぬ男が話しかけてきた。



「誰だ?」



「・・・・・・・・・・・・今日の天気は悪いですね」



 いきなり馴れ馴れしくそう言うと目の前の空を見上げる。



「・・・・・・・・・・・・ああ」



 彼にもこの光景が見えている。



「ここではなんですので、別の場所で話しませんか?」



 それにケイジは返事をすることなく彼の後を付いて行く。




 少しばかり歩いて角を曲がり、広い通りで屋台に近づく。



「ケイジさんは何にしますか?」



「一緒でいい」



 屋台の側にはテーブルと椅子がいくつか並べられており、ケイジは先に椅子に腰掛ける。



「どうぞ、ケイジさんは――」



「お前達はどうするつもりだ?」



 それに男はフォークで刺したポテトをプラプラとさせる。



「・・・・・・・・・・・・・・・こちらとしては動いてほしくない。というのが現状です。しかし――」



 男はそこからでも見えるその空に目をやり、うつむく。



「魔導師の間では、特に〝よく見える〟者の間では我々ではどうにもできないのではないか、という不安も聞こえます」



 それを聞くとケイジはフォークを取り、皿に盛られたポテトとソーセージを勢いよくがっつくとものの数秒で平らげる。



「旨かった」



 席を立ち、そう言い残して立ち去ろうとするケイジに男は立ち上がる。



「ダメです! 動かないでと――」



「すぐ終わる」



 口に付いた汚れを指で削いで舌で舐める。


 ポケットに手を突っ込んで立ち去るケイジに男はそれ以上を言わねばならなかった。


 しかし眼前の空を見上げてそう言い出せない己の弱さに顔をうつむかせる。






 少しばかり歩いて角を曲がり、車の行き来の激しい通りでケイジは止まる。



「さて・・・・・・・・・・・・」



 見上げる先は一つの工場。


 中で何をしているのか、やたらと機械の騒音が激しくその工場の前だけ耳栓を付けたいほどだ。


 そしてその上空。


 未だ禍々しい渦はその規模を縮小することなくその工場に注がれる様にして魔導が渦を巻いて落ち込む。



「かなりでかそうだな」



 正面から見る工場は大きなシャッターの扉が一つ。


 隣には他の工場が立ち並んでいる。ように見える。


 ケイジはおもむろにチョークを取り出しその場で魔導陣を描き出す。


 当然、周りの通行人は物珍しそうにその光景をジロジロと見るが、ケイジはなんのその。


 そしてものの数秒で描き終えると即座にケイジは消え失せ、描いた魔導陣も無くなる。


 周りの通行人は「おお!」と声を上げて驚き、消えたケイジの場所を凝視する。


 しかしその背後、通行人が凝視する反対の工場の屋根が光り輝き、ガタン、とケイジが現れるのを知る人はいなかった。



「やっぱでけえな」



 屋根から見える光景は一面の屋根。


 つまりそれは正面から見えた工場はすべて繋がっており、一区画分の巨大な建造物だということを示す。



「こんなもんをわざわざ造って用意周到なこった」



 ケイジはそのまま屋根を歩き、空から垂れ下がる渦の中心へと向かう。





「気色わりぃ・・・・・・・・・・・・」



 渦の中心、人一人分の大きさにまで細くなった渦は屋根を貫通して更に下へと伸びている。



「触れただけで死ぬな」



 そう呟くケイジはその魔導の渦に手を突っ込み得も言われぬ感触を味わって自身の手を見る。


 そして下を覗き、少し引いて懐からインク瓶を取り出す。



「光は抑えめにしないとな」



 蓋を開け、指を入れて屋根に魔導陣を描く。



「裏に張り付いたほうがいいだろうが――ま、意味ないか」



 ボソボソと独り言に勤しみ完成させた魔導陣はいつもより抑えめの淡い光を放つ。



 機械の騒音が蔓延る工場内の屋根裏。


 その天井に淡い光が広がり、魔導陣が浮き彫りになる。


 すると瞬時にして人が出現し、そのまま落ちていく。



「てぇ!」



「あー! やっぱりな!」



 重力に任せるしかないケイジは予め準備をしていた魔導師達からの赤々とした閃光に身を丸めるしかない。


 盛大な炸裂音が落下する人間一人に次々と鳴り響き、爆炎で彼を認識することが難しいにも関わらず、赤い閃光は彼が地面に着くまで正確に当たり続けた。



「かかれ!」



 炎の塊と化したケイジだが、工場の地面にポトリと落ちるや否や数人の魔導師が一斉に駆けつけ、ケイジを中心に大きな魔導陣がものの数秒で描き出されて作動する。


 明滅する光はゆっくりとその光量を減らし、すると淡白い膜がケイジを覆う。



「チクショウ!」



 バッと燃える上着を脱ぎ捨て立ち上がる。


 ズボンは膝まで燃え落ち、中のシャツも端が所々焦げている。



「さすが不死身の男!! この程度では死にませんよねぇ!」



 工場内に響くドでかい声に自分の身なりを気にしていたケイジは振り向く。



「知ってますともぉ! どのような攻撃でも傷一つつかない。しかも不老長寿! あなた本当に人間ですかぁ!?」



 ケイジの目の前、そこには巨大な容器が一つ。


 いくつかのパイプで繋がれ、その容器には緑の液体が充満している。



「ミアッ!」



 そしてその容器の中央。


 緑の液体で満たされる中に白髪の少女が一人浮いている。



「ちなみに今までの行動はすべて監視されていましたよぉ。こちらも人員が不足していましてねぇ。魔導師の方々でいろいろと作戦を練ってこういう形になったのですが、こちらとしては不安で堪りません・・・・・・・・・・・・」



 天を仰ぐ姿勢でいるミアの真上。ドス黒く渦を巻いて落ちる魔導は竜巻の終端の如く、ミアの胸に吸い込まれていく。


 すぐさま駆け寄りたいケイジだが、その前に淡白い膜が邪魔をする。


 手を添え、下を見てこの魔導の正体を探ろうと視線をあちこちに移す。



「ア・ア・ア・・・・・・・・・ダメですよケイジさぁん。ソレわたくしが開発した超位魔導陣なんですから、簡単に破ってもらっては困りますぅ――フフフ・・・・・・・・・というより変なことしないでください」


 指を振り、大仰な身振りを取る。


 ミアの更に後ろ。壁に造られたキャットウォークからキーキーとうるさくドでかい声を上げるのは細身の男。


 白衣を着込み、白い手袋をしてメガネをはめている男は傍から見ても科学者と言える。



「と、言ってもあなたもそれなりの強者だとの報告は挙がっています。当然ッ! わたくしが創ったその魔導陣も打ち破るとの試算は出ています! なのでッ! こちらとしても少しでも長くそこに居座っていただきたい――イヒヒヒ・・・・・・・・・・・・」



 身振り手振りを交えて男の話は続く。



「まだまだこちらの試算ではこの被検体の実験は続くんですよぉ。なんてったってこの被検体ッ! ほぼ無限に魔導を生成しうる能力があると思われるからです! ああ――魔導の見える方々が羨ましい・・・・・・・・・・・・今頃は被検体の頭上に大きな大きな魔導が渦巻いているのでしょう・・・・・・・・・と、いうわけであなたが魔導陣を破ることを計算して考えますと後一時間はそこで待ってもらえると嬉しいですねぇこちらとしては。あ、ちなみに現在の魔導生成量見たいですか? 見せましょうほらぁ!」



 そう言ってキャットウォークから手に持っている書類をケイジに向けて見せるも、そもそもの距離があるので何も見えない。



「わたくしの開発した魔導貯蓄装置を駆使して溜め込んだ魔導はおおよそ七八メガリットルッ!! とても――とても素晴らしい・・・・・・・・・・・・わたくしの開発した貯蓄装置もッ! そして被検体の能力もッ! たったの九時間です! 九時間でこの生成量ッ! 一週間経ったらどれほど貯まるか・・・・・・・・・・・・今からワクワクが止まりません――フフフ。あ、ちなみに使い道に関しての質問は受け付けません。閣下から口止めされているので口が裂けたら身体が裂けちゃいます――フフフ」



 ベラベラと勝手に喋る男を尻目にケイジはほとんどが灰になった上着を拾い、そこからインク瓶を取り出す。



「お? お? 何するんですか? 興味深いですねぇ。お・・・・・・・・・・・・? なるほど内側に魔導陣を描き足して反作用を及ぼし相殺するのですね! なるほど考えますねぇ教訓に致します。今度捕らえる時は身体グルグル巻きにしないといけないですね。というかまだ一時間経ってないのでその魔導陣は成功してほしくないのですが――あーあ・・・・・・・・・・・・・・・」



 ビリビリビリと内側に描き終えた魔導陣が稲妻を発し淡白い膜に衝突する。


 すると今度はケイジを拘束する魔導陣が明滅し始め、それは激しさを増し稲妻を発し始める。



「おお!! 美しい! 初めての現象だッ! 記録に取りたい――うわっ」

 しかしその稲妻は周囲の鉄骨を焼き始め、遠方にいる男のところまで飛んでいく。

 ケイジを拘束した魔導師達も自身に降りかかる稲妻に対処するので精一杯。

 するとケイジのいる膜の中が一瞬真っ白になって見えなくなる。



 ボボガーーーン!!



 地上から雷が降ったかの如く、空間を切り裂く轟音と共に特大の稲妻が四方へ拡散する。


 鉄骨を焼き切り、機材を破壊して誰もが目が眩む中、一瞬でそれは終わり静寂が訪れた。



「ファーーーーーーーーーーー!! なんという威力だッ!! とても興味をそそられますぞ! これは新しい研究課題だ! 早急に準備せねば・・・・・・・・・・・・ンーッ」



 すぐさま起き上がってそのドでかい声を上げたのは白衣の男。喚き散らして懐から手帳を取り出すと殴り書きをして自分の世界に入り込む。



「ところで、〝閣下〟って誰だ?」



「え・・・・・・・・・? あ、これは身体裂けちゃいますね」



 ケイジは緩慢に歩を進め、遠くに見える男を睨む。



「あ、というかもう後五十分ほど待っていただけますか? そうすると丁度いい感じにサンプルが貯まるんですけ――ど・・・・・・・・・・・・」



 ケイジの右手が揺らぎ始め、空間が歪んでいることにそこにいる誰もが認識できた。



「魔導師さん! 何やってるんですかッ!!」



 欄干から乗り上げて叫ぶ声に呼応するように立ち直った魔導師達は一斉に手元を赤く光らせ、閃光が輝く。


 瞬く間にケイジはまた爆炎に包まれる。



「ッ!?」



「ど、どうしたのです?」



 しかしすぐさま魔導師達がざわついた。


 爆炎の隙間から見えるその純白に煌めく物質に誰もが驚愕したのだ。



「これ以上服を燃やされると困るんでね」



「こ、氷ぃ!? ただでさえこの工場内は摂氏二五度を保っている! しかもこの戦闘で三〇度まで跳ね上がっているであろうにッ! 氷ぃ!? しかも! あれだけの火炎を浴びて溶けない氷ぃ!?」



 何度も連呼し、驚愕を隠しきれないと言わんばかりだが、男はハッと気づいてケイジのしようとしていることに戻る。



「あ、ま、待ってください。今容器を破壊されると今まで貯め込んだ魔導の逆流が起きるかもしれない。しかもこういう作業はデリケートだ。ただでさえここで戦闘を起こしている事に不安で仕方ないのにそこから機材の破壊は――だぁめだ」



 見切りを付けたのか、すぐさま走り出してキャットウォークから逃げる男。


 それと同じくしてケイジは溜め込んだ右手を前に突き出すとバキバキバキと容器全体にヒビが入り、その分厚い容器が中の液体の自重に耐えきれずザッバーンと緑の液体を撒き散らす。



「アアアアアアアアアアアァァァァァアアアアアァァアアアァァアアアア!!」



「ミアッ!」



 工場内の照明が明滅しだす。


 ゴゴゴゴと地鳴りが轟き、魔導師達も攻撃を止めて周囲を見回す。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 光の消えた工場内に静寂が蔓延る。



「ミア・・・・・・・・・・・・」



 バリバリバリバリバリ!!



 一瞬の内に天井が裂かれてグバッと外側にねじ切って開かれる。


 すると風が一斉に入り込み、暴風が工場内を駆け巡りだす。



「ミアーーー!!」





「おいなんだあれ?」



「今日天気悪くなるって言ったか?」



「雷も鳴ってるぞ!」



 その光景は市内からもよく見え、とぐろを巻く黒雲が竜巻の様にある一点に落ちていく。





「なんだこの風はッ・・・・・・・・・・・・」



 立っているだけでも精一杯。


 両腕を前に出してミアの居た場所に向かおうとするもうまくいかない。



「逃げろーッ!」



「風に触れるな! 死ぬぞ!!」



 微かに聞こえるその叫び声に振り向くと今まで攻撃していた魔導師達が工場の四隅に固まって怯えている。


 しかも風の範囲に入っている魔導師は総じてぐったりと地面に伏せて微動だにしない。



「まさか――これ全部魔導なのか!?」



 猛烈に当たり続ける風を感じ、その全てが魔導であることにケイジは暴風吹き荒れ、眼前すら何も見えない、しかしその先にいるミアを捉える。



「早く穴を開けろ! どんどん強くなってるぞ!!」



「開いた!」



「行け行け! 逃げるぞ!」



 我先にと壁に開けた穴を通って逃げ出す魔導師を尻目にケイジは一歩近づくたびに強くなる風を耐えて踏み出す。



「くぅ・・・・・・・・・・・・仕方ねぇ・・・・・・・・・・・・・・・」



 ケイジの足が止まった。


 しかしそれと同時にケイジの身体がゆっくりと下に下がり、バキッという音と共に足がコンクリートの地面にめり込む。



「チクショウ! 全然歩けねえ!」



 そのめり込んだ地面から足を離して一歩を踏み出し、また地面にめり込ませる。


 その動作一つ一つがぎこちなく、しかし確実に歩を進めることはできた。





「どういうことだ!」



「分かりません。しかしながらあれはただの気象現象ではないです」



「とにかく周囲二キロの住民を避難させろ! その間に本部に連絡ッ! 指示を仰ぎつつ残りの部隊は私と一緒に来い!」



「了解!」



「あの男はどうした!?」



「はっ、工場の周囲を監視していましたが現れませんでした!」



「一体何がどうなったんだ・・・・・・・・・」



 部屋の一室で交わされる言葉達は語気を強めて人々は皆忙しなく動く。



「集まったか?」



「はっ」



「なら来い! 建物を包囲の後待機。何か異変があったならすぐ俺に報告するんだ!」



「了解!」



 建物から出るとそこには整然と軍服姿の人達が並ぶ。


 住民は風が吹き荒ぶ中、黒雲を眺めながらもそこから遠ざかっていく。


 しかしそれとは反対にその軍服姿の集団は既に街中が嵐とも言えるその風を掻き分けて中心へと向かう。





「ミア!!」



 風がいきなり止んだ。


 と、いうより台風の目とも言える場所にケイジは踏み込んだ。


 そしてその中心。


 未だ宙に浮くミアは最初に会った頃のように服とは言えない前と後ろに布をあてがって紐で結んだだけの服を纏い、穴の開いた天井から魔導を吸い込んでいる。



「聞こえるか!?」



「あ・・・・・・・・・ア・・・・・・・・・・・・・・・こワイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・コワイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「ミア! ミア!! 俺の声を聞け! 聞くんだ!!」



「コワイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・たすケテ・・・・・・・・・・・・・・・こわイ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「チクショウ!」



 天を仰ぎ、涙を流すミアにその声は届かない。



「チクショウ・・・・・・・・・宙に浮くなんて芸当やったことないぞ」



 足元を見て、何かを確かめると地面から霜柱の様に氷がせり上がり、ケイジを持ち上げる。



「くっ・・・・・・・・・こりゃ厳しいぞ」



 ふらふらと姿勢を崩しそうになりながらも、おおよそ五メートルの氷柱を作り上げ、ミアにたどり着く。



「ミア・・・・・・・・・・・・」



 未だ天を仰ぎ、魔導はその華奢な身体に吸い込まれ続ける。


 ケイジはどうこうすることも出来ないが、彼女の腕を掴んでしっかりと自分の声を届かせようと試みる。



 バリッ



「ぐっ――」



 腕を掴もうとした瞬間、自身の両腕が地割れの様に裂け始め、真紅の液体を噴き上げた。



「いってぇ!」



 ケイジは身体を仰け反らせ、落ちそうになりながらも新たに氷柱を作り出して踏みとどまる。



「いってぇ・・・・・・・・・痛みなんていつぶりだ・・・・・・・・・・・・・・・」



 しかしその痛みは彼女から少し離れただけですぐに消え、両腕を見ると大量に噴き出した血がこびり付くだけで傷が無くなっていた。



「なんだこりゃ・・・・・・・・・・・・・・・」



 不思議そうに腕を撫でるがそれよりも、と前を向く。



「チクショウ。どうする?」



 ミアに近づくのが難しい。しかし魔導でどう対処すればいいか分からない。


 工場内の暴風も勢いが増している。このままではいずれこの工場だけの騒ぎではなくなる。



「どうする――どうするどうするどうする・・・・・・・・・・・・・・・」



 焦燥だけが湧き上がり、手をこまねくことしかできない。



「アァ・・・・・・・・・・・・・・・あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 ミアの胸には未だ魔導の渦が流れ込み、その華奢な身体に対してあり得ない量が蓄積され続けている。



「逆流起こすとか言っといて未だに取り込み続けてるじゃねぇか・・・・・・・・・・・・・・・逆流か――いや、反作用だ」



 何か思いついたケイジは腕にこびり付いた血を指ですくい、右手の平に魔導陣を描く。



「うまくいけよ・・・・・・・・・」



 描き上げた右手を恐る恐る近づけ、魔導の渦が流れ込む胸に一気に当てる。



「アアアアアアアアアアアアアァァァァアアアァァアアアアアアアアアアァアァァァァァァ」



 接触した瞬間魔導陣が発光し、ケイジの手の甲から一気に魔導が間欠泉の如く噴き上がる。



 バリィ!



 それと同時にケイジの右腕が裂け、猛烈な突風を起こしてケイジを襲う。



「ぐっ・・・・・・・・・・・・こりゃもげるな」



 既に右腕の感覚は無い。


 しかし右腕がミアの胸から離れることはなく、その莫大な量の魔導を吐き続ける。



「アアアアァァァァアアアアアアァァアアアアアアアアアアァァァァアアッァァァァアア」



「ミアッ! もう少しだ!」



 突風に煽られて噴き出した血がムチのようにケイジの顔に貼り付く。





「ソロヴィイの兵士を捕えました!」



 嵐吹き荒れる工場の外。


 そこで軍服姿の男達が工場を包囲し、一人の男の指示を待っていた。



「連れて来い!」



 工場の正面にいるのは数人の男。


 その一人は軍服ではない、普通の庶民の服に身を包む男を引きずっている。



「ここで何をしていた?」



「ひぃ! は、早く逃げないと!」



 引きずられる男は酷く怯えていたが構うことなく張り手を食らわす。



「ここで! 何をしていた!?」



「じ、実験だ。だがあいつが来てめちゃくちゃになった・・・・・・・・・それで――」



 そう怯える男は工場の上空に渦巻く黒雲に目をやる。



 ブオオオオオオオオオオ



「ひぃ!」



「なんだ!?」



 突如、その工場から間欠泉の如く黒い煙が噴き上がり、上空の黒雲と混じって雷が轟き出す。



「は、早く逃げないと!! あの魔導に触れただけで死んじまう!」



「隊長! これ以上ここで待機するのは危険です! あの魔導は異常です!」



 嵐は更にその威力を増し、工場の外壁はトタンを剥がして吹っ飛び、木々は幹から左右に振り回される。


 しかし、その中でありながら隊長と呼ばれた男はジッとその魔導を見上げる。



「それは魔導師としての本能か?」



「・・・・・・・・・・・・・・・はい」



 その言葉を聞くや否や暴風が耳をつんざく中でも聞き取れるほどの大声を出す。



「住民の避難はどうなった!?」



「完了しています!」



「上はなんと言っている!?」



「後十分で増援が来ます! 到着次第我が隊はそこの指揮下に入ります!」



「ならそいつらに現在の状況と避難範囲を五キロに指定すると具申しろ! 必ず通せ!!」



「了解!!」



 隊長と話していた男は暴風でまともに歩けない中を走り抜けていった。



「隊に連絡だ! 一キロ離れて待機!」



「了解!」



「オラァ! 立てぃ!」



 背中に通信機器を背負う男にそう告げ、未だ怯えてうずくまる男を強引に立たせる。



「ひぃ!」





 バラバラバラ! と周囲の外壁が吹き飛び舞い上がる。


 既にケイジ達のいる部屋は部屋と呼べなくなり、隣の部屋とを仕切る壁も吹き飛んだ。



「ぐうっ・・・・・・・・・・・・もげちまうッ」



 ぶらんぶらんと右手の指が引き千切られそうに舞い、手首もそれに続こうとする。


 しかしそれを阻止せんとケイジは残った左手で右手首を固定する。



「長すぎだろ!どれだけ溜め込ませやがったんだ!!」



 彼の体感で何時間と過ぎる刻に身体は保てそうにない。



「アアアアアァァァァァァアアァァ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ケ・・・・・・・・・ケイ――ジ」



「!? ミアッ! うわっ――」



 しかし、暴風に巻き込まれてグルグルと回る鉄骨がケイジの氷柱に突き刺さり、脆くも氷柱はバラバラに吹き飛んで、その上に乗るケイジは魔導を逆流させる半ばで落ちていく。



 パンッ



「!?」



 しかしその伸び切って言うことの聞かない右手を誰かが掴んだ。


 ゆっくりとケイジの身体は持ち上がり、彼女の目線と合わさる。


 そして懐かしむ顔をする彼女はケイジを抱きしめる。



「いい男になったわね」



「お、お前――」



 彼の言葉を塞ぐように彼女は口づけをしてそのまま意識を失う。



「おい! うわっ」



 すると今まで宙に浮いていた二人は忘れられた重力を思い出したかのようにズドンとその身に受けて落下する。



「うっ――あぁ・・・・・・・・・・・・痛くねぇ」



 咄嗟にミアを抱え込み、ケイジの背中からコンクリートの地面に激突する。



「うぅ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



「ミア!」



「先生・・・・・・・・・・・・?」



 再度瞳を開けたミアは先程の雰囲気とはまるで違う。



「先生・・・・・・・・・・・・私――」



 上体を起こすミアはまるで寝起きの様に目を擦り周りを見る。



「先生、これなんですか・・・・・・・・・・・・?」



 いつの間にか風は止んでいた。


 大きく穴が開いた天井からは黒雲の一欠片も残っておらず、晴れ晴れとした太陽が日差しを二人まで届かせていた。



「ああ、大丈夫だ。ケガはないか?」



「わ、私、記憶が無くて」



「ああ、全部終わったから大丈夫だ」



 周りの凄惨な状況に不安そうに顔を曇らせるが、ケイジは起き上がると端の焦げたシャツを脱いでミアに掛ける。



「立てるか?」



 ペタリと地面に伏せたままミアは首を横に振る。



「あっ」



 ケイジはミアを抱え込むとひょいっと持ち上げる。



「帰るぞ」

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