5.ソロヴィイ連邦帝国

 一週間。



「リシェンヌ様、茶葉が届きました」



 アフタヌーンティーを楽しむ貴族が二人。


 その一人、イルメラは紙製の箱をリシェンヌに差し出す。



「やっと届いたのね」



 箱を開け、茶葉の香りがテーブルを中心に広がる中、そこに紛れ込まされている紙切れをリシェンヌは取る。



「・・・・・・・・・・・・・・・・・・いつ出回るの?」



「明日にでも号外が出ます」



「はぁ、お父様も警戒がお強いこと」



「申し訳ありません」



「いいのよ。謝らなくて。あなたを側に置きたいと言ったのはわたくしだし、見習いの身分でここまでさせてくれるのは中々無いことよ。誇りなさい」



 それにイルメラは深々と頭を下げる。




 ソロヴィイでクーデター


 カタリニコヴァ夫妻亡命失敗




 リシェンヌの持つ紙切れに書いてあるその二行は明日にでも世界中の新聞やラジオで号外として流れる。


 リシェンヌはその紙切れを放ると、同時に炎が巻き起こり跡形も無くなる。



「それよりも、先生は生きてらっしゃるのかしらね」



 ケイジが休暇を取って一週間。


 ソロヴィイにて、クーデターが勃発。


 隆盛を極めたソロヴィイの絶対王政は終焉を迎えた。






「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!」



「おお! ルーファスさんやりましたね!」



 しかしその石はものの数秒でコロリと木の棒から落ちた。



「だあッ!! はぁ――はぁ――はぁ――」



 いつから対抗心を燃やしだしたのか、ルーファスは休憩時間も返上してケイジの出したその実技に打ち込む。



「あなたもよくやるわね」



 実技に打ち込むルーファス達の広場に一人、女子が入る。



「へっ、おめーもとうとう平民だな」



「ルーファスさん!」



「あら、私は元は孤児よ。今更平民になったからって何も変わらないわ」



 山積みにされている石から一つ取り出し、リリーナも実技に打ち込む。



「チッ」



 意に介さないその態度が気に入らないのか、ルーファスは舌打ちをする。



「ルーファスさん、リリーナさんのこと気にしてたみたいですよ」



 壁を背もたれにして新聞を読むジョシュはルーファスが秘密にしたがるであろうことを暴露するとルーファスはすぐさま顔を真っ赤にする。



「だッ誰がッ!! 心配するわけねーだろ!! てかてめーもさっさとやれよ!」



「それと心配のしすぎでリリーナさんの部屋に入ろうか迷って扉の前でうろうろしてたりも――いって!」



「なんでバラすんだよ!! てめーら後で覚悟しとけよ!!」



 二度も背中から刺されたルーファスは動揺を隠せるはずもなく、しどろもどろにエドモンドを叩いてごまかそうとする。



「ふふっ、あなたって優しいのね」



「やっ――・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 今度は違う意味で顔を真っ赤にしているのだろう。


 いつも強気のルーファスだが、今回はうつむいて頭を掻くしかない。


 トンッとリリーナは投げた石を木の棒の天辺で安定させ、ケイジと同じように微動だにしない。



「あなた達も先生が帰ってくる前にできるようになりなさい」



 そう言ってリリーナは未だ安定している石を置き去りにその場を去る。



「ケッ、見せつけやがって」



「リリーナさん、可愛いなぁ」



「あいつのどこがッ」



「でもルーファスさん確かリリーナさんのことそっちの意味でも気にして――あああああ!! サーセン! 言い過ぎました! 石投げないでください!!」



 三度目の暴露にとうとうルーファスは杖を取り出し、山積みの石を動かしてエドモンドに投げつける。






 トボトボと廊下を歩くステフにすれ違う生徒が声を掛ける。



「こんにちは」



「こ、こんにちは・・・・・・・・・・・・・・・」



 しかしその声に生気はなく、掠れて聞き取りにくい。


 目の下にはうっすらクマが見え、頬は少しばかりコケている。


 あれから二週間。


 ケイジの代わりに学園長に頭を下げ、実技の代わりを他の教師に頼むため頭を下げ、その間に行方不明になったミアを探し回り、管轄する寮のトラブルを鎮め、自身の受け持つ授業をこなす。



「はぁ・・・・・・・・・ケイジさんが来てから疲れが溜まる一方よ・・・・・・・・・・・・・・・」



「ステフ、大丈夫?」



「あ、リリーナさん、そちらこそその後の調子はどう?」



 隣をすれ違うリリーナにさえ気づかないステフにリリーナは顔を覗いて心配する。



「私は問題ないわよ。後はケイジに任せてるし、両親もこうなることを分かっていたからあの手紙を送ったのよ。私も覚悟しなきゃ――それより! ステフの方が心配だわ」



「わ、私は大丈夫よ。ちょっと立て込んでいるだけ」



「もしよかったらミアのお世話だけでも私が代わりましょうか?」



 そのギラギラと輝かせる目にステフは違う心配の芽が出たことを察する。



「だ、大丈夫よ。あの子ももう上等部に入る子だもの。子供扱いしては失礼よ」



「でもあの子、歳にしては少し――その・・・・・・・・・言っては悪いけど〝遅れている〟わよね? やっぱり元は孤児とかだったの? それなら私もそうだったし、彼女のいいお友達になれるわ!」



「ま、まあ確かに十三歳で少し幼稚なところはあるけどそのうち年相応になるわよ。だから――」



「だから! その年相応にしてあげるわ!」



「あ――あはは・・・・・・・・・・・・」



「リリーナ様」



 ステフにとってはそれが救世主に思えただろう。


 長い黒髪をポニーテールに纏めた長身の女子はリリーナに声を掛ける。



「あら、あなたリシェンヌの――」



「見習い侍女になりましたイルメラです」



「じゃ、私は――」



「あっ――」



「リシェンヌ様がお呼びです。早急にとの事ですのでこのまま私がご案内致します」



 絶好のタイミングを逃すはずはなく、ステフはそそくさとその場を後にし、リリーナも追いかけること叶わず。イルメラにがっちり止められる。



「・・・・・・・・・・・・分かったわ」






 ティーテーブルに座るのはリシェンヌのみ。


 それと対面で椅子が一脚置かれている。



「こちらに」



 イルメラはその空いている椅子にリリーナを誘導し、先にティーブレイクを嗜むいつもと変わらぬリシェンヌに早急に呼ばれた訳との落差を気にして座る。



「それで? 急にどうしたの?」



「先生が帰ってくるわ」



 その一言でリリーナの表情が変わる。



「普通だったら一ヶ月は掛かるのに、二週間とは早いわね。先生は大丈夫なの?」



 イルメラは素早くティーカップを用意し、紅茶を注ぐ。



「ええ、いつもと変わらないそうよ。と、いうより転移魔導を使っているのか知らないけど、わたくしの情報を持ってしても彼を見つけるのは至難の業でしたわ。まったく・・・・・・・・・ただでさえこの動乱の中、二週間で往復すること自体あり得ないのに。大変でしたわ」



 背もたれに上体を存分に預けてリシェンヌは呆れ返る。



「先生とはまだ短いけど、十分彼が異端というのはよく分かるわね。でも、それだけで私を呼びはしないでしょ?」



 注がれた紅茶をリリーナは両手でゆっくりと持ち上げ唇を付ける。



「ソロヴィイがあなたを狙っているわ」



 リリーナの持つカップが揺れ動き、口づけする紅茶が跳ねる。



「新しく誕生した政治は今までの体制を悪だと断じて徹底的に弾劾するそうよ。あなたのご両親は本当に聡明ね。書類上も公式にあなたとの縁は切れていますの。あなたの家にもあなたの部屋や私物は全て存在しなかったわ。まるでリリーナという存在がそもそも無かったかのように」



 揺れ動いたカップはその振動を更に大きくし、リリーナの頬を涙が伝う。



「・・・・・・・・・・・・ごめんなさい。少し言い過ぎたわね」



「いいえ・・・・・・・・・・・・ありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 リシェンヌはその涙を自身の言い方によるものだと思っていた。


 しかし、リリーナは違った。



「お父さん・・・・・・・・・・・・お母さん・・・・・・・・・・・・本当にありがとう・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 流れる涙はその量を増やし、嗚咽を孕んでリリーナは咽び泣く。




「ごめんなさい・・・・・・・・・・・・」



「いいのよ」



 腫れた瞳を拭って幾数分の間沈黙を保ってくれたリシェンヌに謝る。



「まあ、学園長も名だたる魔導師ですし、ここに居ればそうそう襲われるような事はないと思うわ。安心なさっては?」



「それは学園長が味方だったらの話よね」



 思わぬ言葉にリシェンヌは目を丸くする。



「ふふ、確かにそうね。学園長に聞いてみます?」



「いいわ。ありがとう」



 その言葉と同時に席を立つリリーナ。



「わたくしはあなたの味方ですわ。例え平民になったとて」



「ええ、頼りにしているわ」



 腫れた瞳は元に戻り、心なしか目元が鋭くなった。


 その場を後にするリリーナを見送り、リシェンヌは小さく手を挙げる。



「お父様がソロヴィイに関しての情報を集めていると思うから、それをわたくしにも横流し出来るようになさい」



「かしこまりました」



 すかさず上体を屈めてリシェンヌに近づくイルメラは耳元でささやくその内容を把握し、お辞儀をして踵を返す。


 一人になるリシェンヌは優雅に、緩慢とカップを持ち上げ、紅茶を口に運んだ。






『我が国でもデモ多発』


『「贅沢は敵だ」と横断幕』


『皇帝陛下、沈黙を保つ』



「最近物騒になってきましたね」



「そんなもん見てないでお前もやれッ!」



 未だジョシュは壁を背もたれに新聞を読む。


 しかしジョシュの言うようにその新聞の見出しの大半は王政を倒したソロヴィイの記事と、それに触発されて各国で打倒王政を唱えるデモの記事でいっぱいだ。



「ここも危ないかもですね」



「ル、ルーファスさん・・・・・・・・・・・・」



「おお! エドできてるじゃねーか!」



 エドモンドの乗せた石はグラグラと揺れ動くものの、棒の天辺で姿勢を保っている。



「おい、ジョシュ! エドもできたんだ。そんなん読んでないで――ええええええええええ!!」



 振り返るルーファスが見たのは壁にもたれ掛かるもう一人の男。


 ジョシュの新聞を覗き見し、その使い古してボロボロの、ましてや焦げていて所々破れてもいる。


 更に貧民らしさが出てきているのは先生ことケイジ。



「あ、先生帰ってたんですね」



「おいてめー! また俺達ほっぽりだしてましてや二週間以上どこ行ってたんだよ!!」



「ルーファス、エドモンド、お前達は乗せた石を維持しろ。五分だ。それができれば合格だ」



「そんなこと聞いてねぇ!」



「ル、ルーファスさん・・・・・・・・・これどうすれば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」



 ケイジの事になるといつもより声量の大きくなるルーファスは久々にその大声を猛らせ、それは方方に反響した。



「正直、これだけの期間でそこまで出来るとは思っていなかった。そのまま魔導の感覚を体得すれば今後困らないことはない」



 いつもながら淡白に、なんの感情も籠もってない言い方ではあったが、初めて褒められたルーファスは少しうつむく。



「うっせーな。こんなんできて当たり前だろ」



「ジョシュ、お前もやるんだ」



「はーい」



 新聞を畳んで傍に置き、今までルーファスがどれほど言おうと動かなかったジョシュは背伸びをしつつ石の山に向かう。



「おい! 校門にヤバイ連中が来てるぞ!」



 走ってきたのだろう。少し息を吐かせた男子が校門の方に指を差してルーファス達に教える。



「て、先生! 帰ってきてたんスか!?」



「何があった?」



「よくわかんないけど、なんか魔導師みたいな人が校門にいるんスよ。軍服来てる人もいるしなんか軍隊っぽいんス」



「学園長には知らせたか?」



「はい、もう校門にいます」



「お前達は近づくんじゃないぞ」



 その断片的な情報を持ってケイジの顔は険しくなり、初めて見るその表情にルーファス達は只事ではないというのを実感する。





「え? 行くんですか・・・・・・・・・?」



 ケイジが去ってすぐ、ルーファスもその後を追おうとするのをエドモンドが止める。



「ああ。怖いならついて来なくていい」



「・・・・・・・・・・・・・・・」



 ルーファスのその言い草に少し不快になる二人は無言で彼の後ろに向かう。



「ヘヘ、楽しくなりそうだ」



 不敵な笑みを浮かべて、ルーファスはこれから起きる事に期待を膨らませていた。

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