フェミニズム!? ええ、いただきます!
女性の権利はわれわれの慣習にすぎないものなのか、あるいは女性の権利を求める闘いは普遍的でもあるのか?(そしてその闘いは、解放を求める闘いの一部なのか?エンゲルスから毛沢東にいたる社会主義の伝統においてはつねに、女性の権利を求める闘いは解放を求める闘いの一部であった。)
英国の社会学者であるタムシン・ウィルトンは成人した後に異性愛者からレズビアンへ「移行」した人びとを対象としたインタビュー調査をまとめ、その経験を「予期せぬ喜び」として、詳細にえがきだしている。ウィルトン自身も、人生の途中まで異性愛者として生き、その後、自分がレズビアンであることを発見したひとりである。
ウィルトンが着目したのは、「たんに生物学だけでは性的魅力を説明することはできないということを示すような、緻密で経験的な証拠を科学的に提示する」という手法であった。そのため、「レズビアンに<なる>」という越境行為を経た女たちの経験を詳しくえがきだすことが、第一の目的とされる。そして、そのような手法をウィルトンは、「科学」として定義しなおすのである。空想から科学への鮮烈なる移行!
日本にも、異性愛者から「レズビアンに<なる>」という経験をした人々が存在する。日本のウーマン・リブを担ったひとり、町野美和は、リブ新宿センターのメンバーとして活動していたが、「その中でフェミニズムを推し進めるとレズビアンにならざるを得ないと気付き、1967年頃からレズビアン運動を始めた」と述べている(町野・敦架より)町野が「レズビアンになった」理由は、次のように説明されている。
女の受け身性を否定し、自分のしたいことを自分でやれるという自立した能動的な生き方でなれるものではありません。私は10年という長い歳月をかけて徐々に真のレズビアンになりました。それは女に刷り込まれた「女は男と性交すべきだ」という意識を払拭するだけでなく、それを強制する社会を見定め、その中で孤独の闘いを強いられてきたあん窯に呼びかけてコミュニティづくりを進め、「この男社会を変える最終手段としてのレズビアン存在」とレズビアン運動の政治性を主張し、レズビアンの仲間とともに活動することで、お互いを支え励ますというトータルな運動を通してでした。
―― 町野美和,敦賀美奈子「あらゆる女はレズビアンになれる、もしあなたが望むなら」219,220P
歴史学者のジョン・デミリオは、合衆国におけるレズビアン/ゲイ解放運動の歩みを振り返りながら、「わたしたちはどこにでもいる」という運動スローガンに象徴されるような、レズビアン/ゲイという存在の普遍性・不変性に疑問を投げかけている。デミリオが強調するのは、そのスローガンが政治的な意味をもっていて、ある時期には戦略として有効であったが、だからといって「正しい」とはいえないという点である。少なくとも、レズビアン/ゲイをとりまく状況は、時代的な背景をもち、社会的な変動にさらされてきたわけである。特に、レズビアン/ゲイという<主体>が生まれる背景には、資本主義が大きく影響してきたと、デミリオは述べる。
百合の話に戻ろう。書く事とは、つまるところ革命的である。<本>と<革命>は切っても切れない関係にある――ムハンマドにヴォルテール、マルティン・ルター、フリードリヒ・ニーチェ、そして中世解釈者革命。1917年のウラジーミル・レーニン。
百合作品を書く事――それは現実にも影響を与える。それは少しずつ<象徴界>に書き込まれ、現実の人間の行動を変える。その現実を反映して、新たな百合作品が書かれるのだ。ギデンズの理論に立ち返ると、現代が「制度的反省能力」が社会的事象に徹底して働くようになるハイモダニティであるとするならば、それは百合が革命的な――虚構世界を破壊する強き力を持つという事だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます