溶け合う愛

 詳しい議論は省くが、ロマンティック・ラブ・イデオロギーによって、女性はセクシュアリティを妊娠と出産の反復から切り離すことが可能になった。そうして避妊法の進歩によって、ギデンズが「生殖の社会化(生殖を人為的なコントロール下に置くこと)」と呼んだものによって、生殖、親族関係ならびに世代との結び付きを断った「柔軟なセクシュアリティ」が成立した。それが反省能力によって性の改革から、「純粋な付き合い」へと変容していく。


 「純粋な付き合い」とは、関係それ自体のために、さらには、相手との持続的な結びつきからそれぞれの人が引き出しうるもののために、ある社会関係が結ばれる状況のことである。そして、純粋な付き合いが維持されるのは、その中にいる個人それぞれにとって十分に満足のいくものが与えられると両者が考える場合に限られる。


 伝統的な親族同士の結び付きによるカップルと対象的に、純粋な付き合いは社会的または経済的な生活という外的な条件によって繋ぎ止められることはない。婚姻関係の維持を外側から支える要素は消えつつある……。


 どんな人格的関係であれ、それを維持するためには相応の努力が必要であるが、関係それ自体のためだけに存続する関係においては、パートナー間で都合が悪くなることは全て、本質的に関係それ自体を脅かすことになる。純粋な付き合いにおいて、関係が常に不確実なものである点を認識しながらも、なお危険を冒してその関係を保ち続けようと投企していく必要がある。そうして、愛が増大すればするほど、関係が解消した時の精神的ダメージも大きくなる。ここが百合の面白みの一つである。歴史的に、同性愛者は異性愛者に先んじて、純粋な付き合いに生きる実験をしてきた。純粋な付き合いは、柔軟なセクシュアリティと並行し、それと因果関係を保ちながら生じてきたものだ。


 愛情のあり方に関しては、ロマンティック・ラブに代わって「溶け合う愛」が生じてきた。ロマンティック・ラブに必要なのは情熱的な愛であり、それを上手く成し遂げる為には(ロマンティック・ラブ・イデオロギーの目的は結婚である)「男」らしい男と「女」らしい女である必要があった。表面的には平等な関係の見せかけがあるが、実はジェンダーの不均衡を内包している。ロマンティック・ラブという幻想は、現実には多くの場合、女性の家庭生活への隷属と結び付いていた。


 それに対し、溶け合う愛は情緒的なギブアンドテイクの対等な関係を前提とする。関係が対等になればなるほど、愛は純粋な付き合いに近づいていく。溶け合う愛は、カップルとしての純粋な付き合いが成立する為の条件でもあり、その結果でもある。やはり溶け合う愛に関しても、ロマンティック・ラブとは違い同性愛者が先立って行っている。

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