エルフ学園のパンは我慢できない

「はーい、じゃあ先生はちょっとだけ外しますけど、できれば帰ってくるまでに問題を解いておいてくださいね♪」


 笑顔で言うとカレン先生は教室を出て行った。


 午後の授業。


 いつもならワイワイと話し声が弾み出すようなタイミングだが、今回は言い渡された問題が難しいのか、みな集中して机に向かっている。


 俺はといば、授業こそちゃんと聞いていたものの、どう考えても問題が解けっこないので手持ち無沙汰だ。訊かれたら素直に分かりませんでしたと答えることにしよう。


 いくら異世界ビギナーとはいえ早々に諦めるのはどうかという気もするけれど、もう普通に知識がなさすぎてできない、みたいなのはどうしてもある(というか、ほとんどがそうだ)。


 カレン先生もそれは分かっていて、授業の初めの復習タイムとかに簡単な質問を投げかける相手を俺にしてくれるなど、色々と考えて授業運営をしてくれてるのはひしひしと伝わってくるのだった。


 その厚意に甘えないように、ちゃんと勉強しないと。


 そう決意を新たにするものの、午後の授業のぽっかり空いた時間。ぼうっとしてしまうのは仕方ない……。


 お腹すいたなあ……。


 元の世界だとこういうとき、机にこっそり忍ばせていたお菓子を食べたりしたものだけれど、この世界にはコンビニもなければスーパーもないわけで、そういう手軽なお菓子が手軽に手に入るようなことはない。


 いくらお腹が空いたとしても、ラゴちゃんの作ってくれる夕食を待つほかないのだ。


 そんなことをぼうっと考えていると、視界の隅に不自然な動きを捉えた。


 そちらに目を向けると、教室の黒板に向かって左後ろに座る俺の対角線上。右前に座るイーゼルがなにやら不審な動きを見せているのだった。


 イーゼルは前を向きつつ、腕だけ動かして机の横にあるかばんに手を入れ、そこからパンを取り出した。そして、それをめっちゃ頬張る。


 で、すべてを口の中に入れるやいなや済ました顔を作り、それを嚥下えんげするときょろきょろと周囲を見回した。


 で、もちろん俺と目が合う。


 まさか見られてたの!? みたいな顔をしてるけど、そりゃあ普通に見えるだろ!


 俺は笑いを堪えながら、視線を正面に戻した。

 視界の端に捉えたイーゼルは、顔を真っ赤にしてもじもじとしていた。



「イーゼル!」


 放課後、席で寮に戻る準備をしているイーゼルに声を掛ける。


「ふぇっ、ファイ……。さっきは見てた、よね?」


「いや、そりゃ見てたけどさ」


「うう……お恥ずかしい」


「あんなに堂々とパンを食べておきながら!?」


「みんな集中してるから、誰にも見られてないと思ってたんだよ~」


「俺たちの集中力を評価しすぎだろ……」


 他のみんなもきっと気付いてただろうと思って尋ねようとしたが、イーゼル以外のクラスメイトたちはさっさと荷物をまとめて教室を出て行ってしまっていた。どうせ寮で会えるからか、こういう場面はけっこうあっさりしていたりする。


 で、それはそうと俺は本題に入ることにした。


「イーゼル、あのパンってどうやって手に入れたやつなの?」


 エルフ学園の周囲にパン屋さんなどないはずだが、イーゼルは確かにおいしそうなパンを食べていた。もちろん街に行けばパン屋はあるし、行商の人なども学園を訪れてはいるようだが、そこまで手軽にパンを買えるような感じではない。


 もし秘密の入手ルートみたいなのがあるのなら、ぜひ教えてほしいと思ったのだ。俺も小腹が空いたときのためのおやつを手に入れたい。


「ああ、あれは手作りだよ?」


「マジで!?」


 見たところかなりしっかりしたパンだったが、まさかイーゼルにそんな才能があったとは。


「そんなにびっくりしなくても。全然本格的なものじゃないから、けっこう簡単にできるよ♪ そうだ! 今から一緒に作ってみる?」


「いきなりだな……」


 とはいえ、手軽にパンを作れるようになれば今後、何かと便利だろう。


「けど、うん。お願いしてもいいかな」


「もちろん♪」


 そう言ってイーゼルは、楽しそうに席を立ったのだった。



「あれっ、誰もいないね」


 連れてこられた寮の談話室は静かだった。


「あー、そっか。みんな宿題してるのかな。今日の問題、難しかったもんね~」


 完全に他人事といった様子でイーゼルは言う。


「イーゼルはしなくていいの?」


「パンの方が大事だよ!」


 果たしてそうなのか? まあ、教えてくれる本人がそう言うのだからいいか。


「ここに材料も揃ってるんだ♪」


 イーゼルは談話室の片隅にあるかまどと、その近くにある棚を指し示しながら言う。ハーブティーが置かれているのは知っていたが、パンの材料もあったとは。


「えーっと、使うのは、小麦粉と、塩と水とオリーブオイルと、ドライフルーツと……」


 イーゼルは棚を確認し、手早く材料を机の上に出していく。


「あと、これ! パン種!」


 そう言ってイーゼルは小さな壺を机の上に載せた。


「パン種?」


「そう! ラゴちゃんに分けてもらって、つぎ足しながら使ってるの! これを入れるとパンが膨らむんだ~」


 なるほど。酵母のことか。パン作りについてはほとんど何も知らないけれど、それによって生地が膨らんでいるというのは、なんとなく聞いたことがある。


「材料は全部でこれだけかな!」


「これだけ!? バターとか卵とかっていらないの?」


「あってもいいけど、なくてもおいしいのができるよ~。まずはドライフルーツ以外をボウルに入れて混ぜる! 小麦粉から入れてくれる?」


 イーゼルは木製のボウルを取り出すと、それを俺との間に置いた。


「量ってどのくらい?」


「う~ん、適当!」


「適当!? こういうのって計量が大事ってよく聞くけど……」


「計った方がいいのかもしれないけど、レシピとかじゃないからね~。あとから水との兼ね合いで調整すればいいから、やっぱり適当だよ!」


「分かった」


 俺は麻袋を持ち上げて、適当に小麦粉を加える。


「おっけー! このくらいの量なら、水はこのくらいかな」


 そう言って、イーゼルは水瓶みずがめから水を注いだ。見た感じかなりアバウトだ……。


「あとは塩とオリーブオイルとパン種をこのくらい加える!」


 目分量で材料がどんどんボウルに集結する。まあ、見た感じ大体このくらい、と覚えておけばいいのだろう。


「ここから混ぜてみて! 最初は手を使わずに、生地がまとまってくるまでかき回すのがいいかな」


「こんな感じ?」


 俺はイーゼルに渡されたヘラでボウルの中身を大きく混ぜる。すぐに粘り気が出て、なんとなく見たこのある、いわゆる『生地!』って感じになってくる。


「そのくらいから手でいってみよっか」


「わ、分かった」


 少しだけ勇気を出して、俺はボウルに手を突っ込んだ。思った以上にねちゃねちゃしている……! しばらくねると固くなってくるが、それでもまだ柔らかい気がする。


「ちょっと水が多いのかな……」


 イーゼルはそう言って、ボウルに手を入れた。イーゼルの指と俺の指が、ねちょねちょの中で一瞬触れ合う。


「やっぱりちょっと柔らかいね! 小麦を足すね♪」


 イーゼルに粉を足してもらってしばらく混ぜていると、今度は良い感じの弾力と滑らかさになってきた。


「ファイ、筋がいいね~! でも、混ぜ方はこんな感じだともっと良いかも!」


 そう言ってイーゼルは俺の隣に来ると、肩を触れ合わせて生地を捏ね始めた。俺が小麦まみれの手をどうしていいか分からず戸惑っている横で、イーゼルの元気に上下する肩が俺の肩に擦れて少しだけ熱を持った。


「ここまで来ればほとんど出来上がり!」


 細かく切ったドライフルーツを生地に軽く混ぜ込むと、イーゼルは手早く手を洗いながら言う。


「次はフライパンをちょっとだけ熱するの」


 イーゼルは火の精霊を呼び出し、薪に火を点ける。俺の場合、ここは火打石などを使って地道に作業することになる。


 俺は手を綺麗に洗って、イーゼルの作業を見守ることにした。


 鉄製のフライパンをほんの軽く熱すると、イーゼルは竈の火を消した。そしてフライパンにオリーブオイルを垂らす。


 それからイーゼルは生地を取り出し、フライパンの表面にオリーブオイルを塗り広げるようにして置いた。


 フライパンに蓋をすると、イーゼルはこちらに顔を向ける。


「このままもうちょっと待つと生地が膨らむんだよ♪」


「もうちょっとってどのくらい?」


「えーと、二時間くらいかな?」


「そんなに!?」


「お話ししてたらすぐだよ~!」


「それより、宿題をやった方がいいんじゃ……」


 呑気に言うイーゼルに、俺はついついそんな皮肉を言ってしまう。一言多いのが俺の悪癖である。


「た、確かに。じゃあ、宿題しながらお話ししよっか! あっ!」


 何かに気付いたようにイーゼルは声を上げた。


「ここ、白くなっちゃってるよ!」


 そう言って、イーゼルは俺の太ももをパンパンとはたく。見ると確かに、小麦粉が付いて白くなっていたのだが、それはそうと位置が際どい……。なんなら今ちょっと当たったし。


「ん……? あっ、そっか!」


「そっかって何!?」


「う、ううん。なんでもない」


 イーゼルは赤くなってそっぽを向いた。とにかく、ズボンに付着した白いものは既に見えなくなっていた。


「ありがとう。えーっと、小麦粉をはたいてくれて」


「う、うん! どういたしまして! 小麦粉をはたいたよっ!」


 そのまま、イーゼルは俺に背を向けて鞄の中身を取り出し始めた。


「あっ……」


 そのとき、イーゼルのスカートの尻の部分に付着した小麦粉を見つけ、つい声を上げてしまう。


「ん? どうかした?」


「いや、お尻のとこ……」


「あーっ、ホントだ!」


 いや、スカートをつまんで確認しないでくれ! めくれるから!


 俺は目を逸らして、自分の鞄から勉強道具を取り出すことに集中する。


「こ、これはわたしが自分ではたくよ……。ごめんね!」


 なぜ謝ってるんだと思いながら、俺は頷いた。小気味よく可愛らしい音が部屋に響き渡り、耳も塞いだ方が良かっただろうかと俺は思う。


「ふーっ。それじゃあ宿題だねっ!」


 談話室の机に向かい合わせに座って落ち着いた俺たちは、とりとめのない話に華を咲かせた。


 やっぱり宿題は全然進まず、でもイーゼルの言った通り、話していたら二時間なんてすぐに過ぎてしまうのだった。



「さあ、ちゃんと膨らんでるかな~」


 イーゼルが蓋を取ると、そこには先ほどの二倍くらいの大きさになったパン生地が鎮座していた。


「すごっ。これって精霊魔法じゃないんだよな……」


「これは魔力を使わなくてもできるよ~! 不思議だけどね」


 じゃあ俺が元いた世界でも、パン作りのときはこんな魔法みたいなことが起こっていたってことか。


 上手く言えないけれど、俺は自分が世界のことを何も知らないまま生きていたのだと心許なくなると同時に、世界の秘密を知ったようなワクワクした気持ちも感じていた。


「これをこのまま適当に分けて、またフライパンの上に置いていくよ!」


「分かった。って、これめっちゃ伸びる!」


「えへへ~。面白いでしょ」


 なんとか生地を丸めて並べ、再び蓋をして弱火で加熱する。たぶん、十分くらい待っただろうか。おしゃべりを切り上げて、俺とイーゼルはフライパンの前に並んでいた。


「ささっ! ファイ、蓋を取ってみて! 熱いから気を付けてね!」


「分かった」


 俺はでっぱりのところに手ぬぐいを載せて蓋を空けた。

 これは、固まってる、のか?


「これでひっくり返してみて!」


 イーゼルにヘラを渡され、言われるままにひっくり返す。


「おお~! パンだ!」


「パンだよ~!」


 そこにはパンがあった。すごい。こんなに簡単にパンって作れたんだ。


 その後、すべてのパンをひっくり返して先ほどと同じくらい加熱。それをまたひっくり返して焼き色を確認する。


「完成~!」


 ぱちぱちと拍手しながらイーゼルは笑顔で言った。


「じゃあ、熱いうちに食べちゃおっか! 残りは明日のおやつにしよっ!」


「ああ、そうしよう!」


 フライパンに触れて火傷しないように慎重にパンを取り出し、それ自体熱いパンをはふはふしながら食べる。


「おいひ~!」


「すごい! 外はカリカリ、中はふわふわって感じだ!」


 塩気とドライフルーツと小麦の香ばしさが織りなす、素朴な味わい。それが、たまらなくおいしい。


「ただいま~! おっ! パン焼いたの? いっこちょうだ~い!」


 そこに、図書室から帰って来たのだろうコトリが玄関からやって来た。


「いいよ~! 今できたて!」


「あら? なんだか良い香りがしますわね」


「う~! 宿題疲れたよ~!」


「……できて、良かった」


 謎のシンクロニシティか、寮の部屋からも、メリル、ノノディル、ララルダが出てくる。


「あ~! パンだ! ノノにもちょうだ~い!」


「……夕飯、前」


「大丈夫! パンは別腹だよ~!」


「仕方ないな~。ちょうどひとり一個あるから、みんなで食べちゃお~! いいよね? ファイ?」


 イーゼルは苦笑いしながら俺に目を合わせる。俺はもちろん頷いた。


「おいし~!」


「……おいしい」


「やっぱりパン作りはイーゼルが一番上手いですわ」


「疲れた頭に沁みるよ~!」


「えへへ~。ありがと」


 パンを頬張る一同を幸せそうに眺めた後、イーゼルは俺にだけ聞こえる声で言う。


「明日のおやつ、なくなっちゃったね」


「まあ仕方ない。時には空腹を我慢することも必要だよ」


「あはは。ファイが言うと重みが違うね」


「確かに、腹を空かせて森で倒れてた俺だからな」


 俺の言葉にくすりと笑ったのち、イーゼルはなぜか少しだけ間をおいて言う。


「ねえ、ファイ。また一緒にパン、作ろうね?」


「やっぱりまだひとりでは無理かな~」


 今日もほとんどイーゼルにやってもらってたようなもんだし、ひとりでやらせるのには不安があるのかもしれない。


「はあ……。ファイって……」


 なぜかイーゼルは小さくため息を漏らす。


「ん? どうかした?」


「ううん。なんでもない。言い方を変えるね。またわたしがパン作りに誘ったら、一緒にやってくれる?」


「へ? うん、もちろん」


「じゃあ、よし!」


 そう言ってイーゼルはなぜか少しだけ顔を赤くして、自らの制服に小麦粉が付いていないかを再び確認し始めた。

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