エルフ学園の風呂は独占できない
「あ~、ごくらく極楽」
湯船に浸かりながら、俺はついそんなおっさんっぽい声を上げてしまう。
エルフ学園の宿直室用の浴室。
屋外に面して飛び出したみたいに設置され、屋根と壁をつなぐ部分に窓がなく直接外気と触れ合うそこはほとんど露天風呂みたいな趣で、吹き抜ける夜風とお湯の温かさの対比が気持ちいい。
湯船はデカい木桶みたいな感じで、備え付けの囲炉裏みたいなところで沸かした湯と水を混ぜ合わせて適温にする形式らしい。
もちろん、毎日こんな贅沢ができるわけではなく、というか毎日湯船に浸かる文化がここにはないらしく、ラゴちゃんが「今日は風呂を沸かしたから入っていいラゴ~!」と言ってくれた日だけ、その恩恵に与ることにしているのだった。
いやあ、それにしても、この世界でこんなにゆっくりと湯船に浸かることができるようになるとは、本当に思ってもみなかった。
サバイバル生活のときは、冷たい水に凍えながら身体を拭えただけでも生き返ったような心地がしたものだ。あの頃と比べると、極楽という表現もあながち間違っていないような気がする。まあ、あの頃はマジで死にかけていたのであまり冗談にならないかもしれないが。
ガラッ。
そのとき、浴室の扉の向こうから勢いの良い音がした。おそらく、手前にある小さな脱衣スペースの扉が開かれたのだろう。
えっ、ちょっと待って。これって、誰も入っていないと思った女子が鼻歌を歌いながら入ってきて、キャー! ってなるパターンのやつ?
それは非常に困る。これからエルフ学園で世話になるにあたって、そういう気まずいことはなるべく避けたい。
と、そんなことを考えている間に、脱衣スペースと浴室の間の扉が開くガラッ、という音がする。
「わー! ちょっと待って!!」
「ラゴ~っ!!!???」
俺が急いで扉と反対側を向くと、案の定、悲鳴が聞こえてきた……のだが、
『ラゴ~っ』?
「なんだ、ラゴちゃんか」
「なんだとはなんだラゴーっ! いると思ってなかったからびっくりしたラゴ~!」
ラゴちゃんは扉を閉めると、ふわふわと浮かびながらこちらにやってきて、俺の頭の上にのった。
「まさか、他の生徒が来たと期待したラゴ? なんて破廉恥な奴ラゴっ!」
「いや、期待じゃなくて、警戒?」
「ふんっ! そもそも、女の子が入ってくるかもと思うのが、それを期待してる証拠ラゴ。風呂は女子寮にもあるに決まってるラゴ~?」
「まあ、そう言われたら反論できないけども……」
確かに、今までイーゼルたちがこの風呂を使っている様子は一切なかったわけだし。
でもそれを言えば、ラゴちゃんが使っている様子もなかった。
「ラゴちゃんもお風呂入るんだ……」
「当たり前ラゴ~! というか、そのついでにファイに声を掛けてるだけラゴ! ファイのために風呂を沸かしてるんじゃないんラゴからねっ!」
「どうしてツンデレみたいな言い方に!?」
まあ、いつものラゴちゃんの言い方から何かのついでなのかなとは薄々思っていたのだけれど、薪の調達とかそういう関係かと勝手に納得していて、特に深く考えてはいなかったのだった。
「まあ、せっかくの機会ラゴ。裸の付き合いということで、腹を割って話すラゴ~!」
そう言ってラゴちゃんは俺の頭から降り、湯船に入ってきた。
「ぬいぐるみなのにお湯に浸かって身体重くなったりしないの? ていうかそもそも、火の精霊なのにお湯に浸かっていいの!?」
「まったく、質問の多い奴ラゴ。確かに重くなるけど、別に気になるほどではないラゴ。あと、火の精霊が水に弱いのは確かラゴけど、この身体に憑依してるうちはそれもそこまで関係なくなるラゴ。だから、風呂にゆっくり浸かれるのは
「
「いや、いま思いついて適当に言っただけラゴ。外で言ったら笑われるから注意するラゴ~」
ラゴちゃんはそう言って愉快そうに翼をパタパタさせた。飛沫が思い切りこちらに飛んでくる。
「で、どうラゴ? もう誰かに告白されたラゴ?」
「いや、されてないし。というか、この短期間で告白なんてされないでしょ」
「なんだ~。つまんないラゴね~」
この精霊、けっこうゲスな話題が好きなのか?
「じゃあじゃあ、誰が一番好みのタイプなんだラゴ?」
「そ、そういうんじゃねーから」
「く~! 近頃の若者はこれラゴから~!」
ラゴちゃんはそう言って、再び翼をバタバタさせてお湯をかけてくる。
「近頃の若者ってなあ……。ていうか、そう言うラゴちゃんっていくつくらいなの?」
「精霊にはそんな尺度は通用しないラゴ! 炎の歴史を訊くようなものラゴ~」
「なるほど……。エルフといい精霊といい、この学園は俺以外、みんなすごいよな……」
「どうしたラゴ? なんか悩んでるラゴ?」
「いや、やっぱり俺ってこの学園にとっては異質な存在だからさ。なんか他の人にはこの世界も、全然違うものに見えてるんじゃないかって思って不安になる瞬間はあるんだよ」
俺は、自分がラゴちゃんにそんな相談をしていることに驚いていた。
たぶん、クラスメイトのみんなや、校長やカレン先生を前にしても、こんなこと言おうと思わなかっただろう。もしかすると、自分がそんなことを思っているなんて気づきさえしなかったかもしれない。
でもなんだか、ラゴちゃんには素直に話せてしまった。ぬいぐるみのファンシーな見た目がそうさせるのだろうか。
「はん。そんなの気にするだけ無駄ラゴ! 精霊なんてもっと違う世界を見てるけど、別に困ったことはないラゴ。なんとなくいい感じにしとけばいいラゴ~!」
「なんとなくいい感じって……」
呆れながらも、そう言われたことで心が軽くなったのは事実で。
俺は、この『エルフ』学園でエルフ以外である存在が、俺とラゴちゃんだけなのだと気が付く。
「ラゴちゃん! これからもよろしくな~!!」
「はあ? いちいちそんなこと言うなラゴ~!」
思わず出た俺の言葉に、ラゴちゃんは訝しげな目を向ける。そして今までで一番の勢いで翼をはためかせ、俺はすごい勢いで頭から湯を被った。
俺は思わず声を出して笑い、ラゴちゃんもラゴッラゴラゴと笑う。
その声は浴室を抜け出て夜の森に吸い込まれ、きっと明日の空気に変わるのだろうと俺は思った。
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