第32話 クリスタルボックス

 廊下に飛び出して、窓から下をながめる。

 外に面した窓からは炎が見えなかったからだ。

 角ばったUの字をした校舎の何ヶ所かが燃えていた。

 移動した経路は、上の階から見るとずいぶんわかりやすい。どうやらUの字の端近くから突き出した形の体育館へ向かっているようだ。

(消防車……呼んだ方がいいのかな。けど、銃を持ってる奴がいるところに呼んで、なにかあったら……)

 迷った末に、冷治は消防車を呼ぶのはやめておいた。

 先ほど駆け上った階段を、また駆け降りる。

 一階に降りたところで、体育館のほうから銃声が聞こえてきた。

 いろいろなところに火がついていて、もう明かりは必要ない状態だった。

 体育館へと向かう。

「くそっ、あの姉ちゃんだけでも厄介だってのに!」

 長谷部の声が聞こえてきた。紫村がどうなっているのかはわからない。

 体育館へ通じる渡り廊下まで来たところで、ようやく冷治にも状況が見えた。

 まず見えたのは女性の後ろ姿。レザーの黒いロングコートを身にまとい、髪を頭の上でまとめていた。

 彼女は銃を片手で構えて、悠然と体育館の床に靴音を響かせていた。

 その向こう、ステージと女性の間に膝をついて、やはり銃を構えている長谷部の姿。女性の後ろ姿に半分隠れていたものの、見えている。

 紫村がいるのは長谷部よりさらに向こう……つまり、ステージの上だった。

 ステージに伏せて頭を両腕で抱え込んでいる。火はとりあえず消えているようだ。

 長谷部は発砲しているが、女性のほうは銃をただ構えているだけだ。

 放たれた銃弾は何故だかすべて女性の体をそれている……いや空中のなにかで弾かれているのだ。

「長谷部さん! 加我さんからの伝言です。『クリスタルボックス』が来ているって言ってました! 気をつけろと……!」

「馬鹿野郎! 見りゃわかる! 来るなって言って……ぐあっ!」

 冷治に怒鳴り返した長谷部へと、女性が初めて発砲した。

 立ち止り、ゆっくりと狙いをつけているのが後ろ姿からもなんとなくわかる。

「うおおーっ!」

 叫んで、冷治は床を蹴った。

 廊下のタイルが砕ける感触を靴の底から受ける。

 いつもより強い力が湧きおこっている。おそらく、意図的に気合を入れて出した力だけではないからだ。だが、そんな理屈を考えている余裕は冷治になかった。

 衝撃は女性に激突するよりも少し手前で体に受けた。

 けれど、冷治は全身を弾き返してくる力を、自分の力で突き破る。

 見えないけれど非常に硬質ななにかが砕け散った――そう思う間もなく、次に冷治は柔らかい感触と激突していた。

 突進の勢いは落ちていただろう。

 もつれ合いながら冷治と女性の体が体育館の床に転がる。

 握った拳を振り上げる。

「やめろ、青山!」

 制止する長谷部の声が聞こえたおかげで、冷治はどうにか自分の拳を彼女の頭へ振り下ろさなくてすんだ。

 とっさにずらした拳は木造の床をたやすく砕いてめり込む。

 もし頭を殴り付けていたら殺してしまったかもしれない。それくらいの力だった。

「邪魔よ! どきなさい!」

 初めて聞く女性の声が体の下から聞こえてきて、冷治の体が見えない壁で空中に押し上げられた。

 押し上げられる感触はすぐに消えたものの、次に女性のつま先がお腹にめり込む。

「レイちゃん!」

 紫村の声が聞こえた。

「冷治くん、大丈夫!?」

 そして菅原涼の声も聞こえた。

 体育館の入り口には壁に沿う形の階段があって、一階と二階どちらからも入れるようになっている。二階側から姿を見せた菅原涼が空中を飛んで冷治のそばに来た。

 激しく咳き込みながら、背中を支えられて抱き起こされる。

 目を開けた冷治は、見た。

 また真っ赤な光を紫村が放っている。

 彼女はなにかを叫んだのはわかったけれど、悲鳴とも怒号とも取れる叫びの内容はうまく聞き取ることができなかった。

 次の瞬間、爆発的な炎がステージから巻き起こり、体育館全体に広がった。

 菅原涼が冷治の体を抱えて、一気に後方へと飛行する。

 廊下を曲がったところで、炎が二人の後ろを駆け抜けた。

「ごめん、助かった」

「無茶しないでって言ったのに」

 泣きそうな顔を見せた菅原涼にもう一度頷き、冷治は体育館を覗き込む。

 ステージの上に移動した女性が、炎の中で倒れている長谷部へ、銃を向けていた。

「やめろ!」

 とっさに入り口辺りに落ちていたなにかを拾った。投げつけようとしたところで、冷治はそれが長谷部の携帯電話だと気づく。

 思わず動きを止める。

 女性が長谷部に向けていた銃口を、冷治へ移動させる。

 だが、先ほど菅原涼に告げたとおり、一発や二発は平気なはずだ。

 携帯はポケットに放り込み、ひるまずに走り出す。

「……面倒ね」

 炎の中から、冷たい声が聞こえてきた。

 体育館の中央あたりで、冷治はまたなにかにぶつかって前進をはばまれた。

「くそっ」

 拳を叩きつけると空気がゆれる。

 校庭に出る扉へ女性が逃げていくのが見える。

 逃げる女性はそのままに、冷治は倒れている男へと駆け寄る。

 と、同時に目の前にあった壁が消えて冷治はつんのめった。

 意識のない長谷部を軽々と抱えあげる。

 ステージ上に、紫村の姿はなかった。

 冷治は菅原涼と共に体育館から、そして小学校から駆け出した。

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