第21話 バスケ部の牧野先輩

 当然ながら、生徒が一人くらい来ていなくとも授業は普通に行われたし、冷治も菅原涼ももちろん授業を受けた。

 昼休みになって、二人はいつものように学食へ向かった。

「クラスの連中は単に風邪で休んでるだけって聞いてるらしいよ」

「バスケ部の人とか、なにか知らないかな」

「どうだろう。……女子バスケ部に知り合い、いる?」

 小学校でミニバスを始めた彼女は、確か高校でもバスケットボールを続けているはずだ。

「一人だけいるよ」

 菅原涼の答えを聞いて冷治は少し驚いた。二人とも、友達が多い方ではなかったからだ。

「誰?」

「牧野先輩」

 知っている名前があがったことに、冷治は少し驚く。なにしろ、牧野については食堂で1人食事をしている姿しか知らなかったからだ。

 とある事情で、冷治たちはれほぼ毎日彼女のところに押しかけているが、会話が成立しているとはとても言いがたい。

「ああ……あの人、バスケ部なんだ」

 正直言って、いつも食堂の隅で不機嫌な顔で食事をしている彼女が運動をしている様子は想像がつかなかった。

「下手らしいけどね。三年間一度も試合には出たことないって。ただ、マッサージとかケガの手当てとかには詳しくて、頼りにされてるらしいよ」

「そうなんだ。そんな人が……なんで、あんなことしたんだろうな」

 三階にたどり着いて、食堂に入る。

 牧野先輩……牧野かなめは、いつも通り一人で食事をしていた。

 彼女と二人が知り合ったのは、6月の終わりごろ。学校の帰り道のことだった。まだ、菅原涼のことを『菅原さん』と呼んでいた時期のことだ。

 二人で寄り道をした後だったので、デートの後だったと言ってもいいかもしれない。

 菅原涼が学校の近くにある古本屋に寄りたいと言うので、それに付き合ったのだ。

 そして、駅まで戻る途中にある橋の上で、牧野が飛び降りようとしているところに遭遇してしまったのだ。

 知り合いではなかったけれど、だからと言って放っておけるはずもない。

 飛び降りたところをどうにか捕まえて、二人がかりで引っ張り上げたのだ。

 けれども助けた二人を牧野は罵った。なにも知らないくせに、余計なことをするな、と。

 十秒くらい考えて、冷治は告げた。

「だったら、知ったうえで止めるから事情を教えてください」

 苦し紛れに言った言葉にあきれ返って、牧野はその日、黙って帰った。冷治と菅原涼も、ほとんどなにも話さずに帰った。

 一晩考えて、冷治は自分の言ったことを続けることにした。

 別にやりたかったわけではないけれど……制服からすると彼女は同じ学校の生徒らしい。まだ関わることができるのに、放っておくことは『優しい』ことではないと思ったのだ。

 菅原涼は止めなかった。たぶん、呆れてはいたけれど。

 翌日からほぼ毎日、冷治は昼に牧野のところへ押しかけて事情を聞きだそうとした。

 当たり前だが、彼女は一度たりとも冷治の質問に答えようとはしなかった。

「お疲れさまです、牧野先輩。座ってもいいですか?」

 今日も現れた非常識な後輩たちを、牧野は不機嫌な表情で迎えた。

 麺は多いが具はほとんどないうどんが彼女の前にある。

「……好きにしなさいよ」

「そうします」

 相手も不快だし、自分だっていい気分のしないこの会話をなんのために毎日続けているのか、冷治は自分でもよくわかっていない。

 とはいえ、牧野が今日も生きていることを確認するだけでも無意味ではない……と、思いたいところだ。

 少なくとも、夏休み明け――連絡先も家も知らないので、夏休み期間中はなにもできなかった――にも、牧野はちゃんと学校に来ている。

「そろそろ話してくれる気になりませんか?」

「ならない」

 会話はだいたい一言で終わる。

 菅原涼と雑談しつつ、何度か話しかけてみるがとりつくしまもない……というのがいつもの牧野と過ごす時間のパターンだった。

「そうですか。残念です」

 とりあえず牛丼を一口食べる。

 それから、改めて冷治は口を開いた。

「今日はちょっと、他にも聞きたいことがあって来たんです」

 牧野は答えなかったけれど、とりあえずこちらに顔を向けてきた。

「バスケ部の紫村赤音なんですが……今日、休んでますけど、なにか部のほうには連絡は来てないですか? 自分でも連絡取ろうとしたんですが、返事がなくて」

「あーちゃんが?」

 一言だけ言葉を発したものの、彼女は言葉を続けようとはしなかった。

 しばらく黙って、それから牧野は口を開いた。

「……あんたたちって、誰が相手でもそんな風に、お節介なの?」

「いえ、俺だけです。菅原涼は違います。……たぶん」

「一緒に行動できるだけでもたいがいだと思うけどね」

 菅原涼はなにも言わずに牧野を見ている。

「悪いけど、なにも知らないよ。私はもう部活やめたから。バスケ部の子たちの心配は、もうしないことにしたんだ」

「そうですか……残念です」

 一瞬だけ冷治は目を伏せた。

「今度は、本気で残念そうだね」

「どういう意味ですか?」

「別に」

 牧野は中断されていた食事を再開してしまった。

 箸を持つ手に、薄手のゴム手袋をつけているのが見える。潔癖症なのだろうが、はっきりと聞いたことはない。よくバスケなどできていたものだ。

「でもまあ……心配になるのは、わかるかな。あの子、一人じゃなにもできないんだよね。一見明るいけど、実はいつも不安がってる。寂しがり屋なのよ」

「……そうですね」

 高校からの付き合いだろうに、牧野は冷治よりも紫村のことをよく見ているようだ。

 冷治も食事をしようとしたところで、菅原涼が口を開いた。

「先輩。バスケ部をやめたのは、どうしてですか?」

「受験のため。別にどうでもいいじゃない」

「へえ、受験されるんですね、先輩」

「しちゃ悪いの? 知らないなら教えてあげるけど、私、三年生なの」

「いえ……すみません、悪いわけではないですが」

 棘のある口調で告げた牧野に、菅原涼は頭を下げた。

 部活をやめる前の話でいいからと、紫村の様子について聞こうとしたけれど、牧野はなにも答えてはくれないまま昼休みが終わってしまった。

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