第19話 紫村赤音の発火能力

 一人になって、家に帰る途中で少し遠回りして、冷治はまた公園の横を通った。

 きっといるんじゃないかと思っていたけれど、やっぱりそこには紫村がいた。

 ブランコを周囲を囲んでいる金属製の枠に座って、うつむいている。

「言いたいことがあったんなら、ちゃんと言った方がいいと思うよ」

 声をかける。

 一瞬身震いをして、紫村は冷治のほうを見た。

「……レイちゃん。戻ってきてくれたんだ……」

 立ち上がって、数歩冷治に近づいてくる。

 ただ、その視線は地面を見ていた。

 公園の入り口付近にある街灯を軽くつかんで少し待ったが、彼女はそれ以上近づいてこようとはしない。

「菅原涼がいたら、なにか言いにくいことがあったのか?」

 問いかけに、紫村はわずかな動きだったけれど、頷いた。

 幼稚園の頃からずっと見慣れていた顔が、ようやくこちらを向いた。

「ねえ、レイちゃん……。……お願いがあるの。菅原さんのこと、黙っててあげるから……あたしの、恋人になって」

 か細い声で告げられた瞬間……冷治の手の中で金属がひしゃげる音が響いた。

 街灯が斜めに曲がっているのが視界の端に引っかかっている。

「そんなことを言うために、ここでわざわざ待ってたのか?」

 自分の声に怒りが混ざっていることが、冷治自身にもはっきりとわかった。

「だって、ずるいじゃない! 菅原さんはずるい!」

「なにがだよ。俺と付き合ってることがそうだって言うんなら……ずっと何も言わなかった紫村が悪いんだ」

「そうじゃない! じゃなくて……そうだけど、でも、そうじゃない!」

「わけわかんないこと、言うなよ……」

 大声でわめき散らす紫村がいったいなにを言いたいのか、冷治にはわからなかった。

 ショートカットにした彼女の髪がわずかに浮いていたことは視界に入っていたけれど、まだはっきりと認識はしていない。

「言いふらしたいなら、好きにしなよ。別に誰も信じやしない。俺はただ、不安がってる菅原涼に、これ以上余計なことを考えさせたくなかっただけなんだ」

 大きく息を吐く。

「あいつが必要ないって言うまでは、俺はそばにいるって決めた。今のところは恋人なんだから……それくらいするべきだって思ってる。だから……」

「それが……それがずるいって、言ってるんだよ。だって……!」

 赤い光を感じて、冷治は顔を上げた。

 もう日はとっくに沈んでいるはずなのに、どこから光が放たれているのか。

 答えはすぐにわかった。

 そばにいる紫村の体が、光っているのだ。

「紫……村……!?」

「あたしだって冷治くんのことが好きなのに! そばにいて欲しいのに……! ず・る・い・よ……!」

 涙の雫がこぼれたかと思うと、空中でそれは蒸発して消えた。

 赤い光は彼女の周囲で揺らめき、そして時折体から吹き出しては半円を描く形に光線が走っている。

 いや、それはすでに光ではなくなっている。

 今や赤い炎が、彼女の体を包み込んでいるのだった。

 自分や菅原涼と同じ異変が紫村赤音にも起きていたのだ。

「落ち着け、紫村!」

 数歩近づくと、肌を焼く熱が感じられた。

 手を伸ばせば届く距離だ。

「来ないで! あっちに行ってよ!」

 叫び声とともに炎が広がった。

「……紫村!」

 彼女の体から発される熱気は秋の夜の冷たい空気を押しのけて冷治の体をあぶる。

 増強された筋力の影響で彼の体は常人を超える頑丈さも得ていたが、熱を防ぐにはなんら役に立たない。

 赤い光は広がり、炎は周囲に飛沫のごとく飛び散っていた。

 それでも、逃げるわけにはいかないと感じたのは、たぶん昨日のことかあったからだ。

 人助けのために菅原涼を危険にさらした自分が、危険を避けるのは道理に合わない。

 ましてや燃えている彼女は冷治の幼馴染みなのだ。

「落ち着け、紫村! 今、助けるから!」

 地面を蹴って、体を炎の中に飛び込ませる。

 手のひら牙焼ける感触をこらえながら、手を炎の中に押し込む。

 炎に包まれた手首はとても細かった。

 いや、バスケの選手である彼女の腕は女性としてはたぶん筋肉がついているのだろうが……けれど、今の紫村の腕は、本当に細く、弱々しく感じたのだ。

 腕を捕まれて、紫村は目を丸くしていた。

 炎が収まり始めたのに気づいて、冷治の腕から力が抜ける。

 折れていないか確かめようとした瞬間、突然、腕が引きはがされた。

 胸元を突き飛ばされて、冷治は数歩後ずさる。

「レイちゃんなんか……大嫌い!」

 叫んで、紫村は冷治に背を向けた。

 走り去っていく彼女を追いたかったが、雑草に火がついていることに気づいて冷治はあわててそれを踏み消し始める。

 手のひらがとても熱い。袖口も焼け焦げてしまっているようだ。

「……助けて欲しいなら、そう言えよな」

 火を消しながら冷治は呟いた。

 どう助ければいいのかはわからなかったけれど。

 冷治はとりあえず火傷を冷やすために家へと走った。

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