第8話 バスタオルの彼女
突然、冷治の頬に柔らかいなにかが触れた。
ここ数ヶ月……菅原涼と出会ってからの過去を思い出しているうちに、ソファでうとうとしていたらしい。
目を開けると、すぐそばに菅原涼の顔があった。
「わっ!」
「きゃっ!」
跳ね起きた拍子に真上を飛んでいた彼女とぶつかる。
立ち上がりながら、空中で一回転した体を両腕で支えた。
重量などないかのように浮いているのに、抱えあげるとしっかり重みを感じるのはなんだか奇妙だ。
「だい……!」
声をかけようとしたところで、冷治は彼女がバスタオルを体に巻いただけの格好だと気づいた。
あわてて目をそらして、それから改めて問いかける。
「大丈夫? 骨とか、折れてない?」
返答はすぐに返ってはこなかった。
目をきつく閉じ、菅原涼は痛みをこらえている。
弱々しい動きで手が自分の胸からお腹にかけてに触れ、確認しているようだ。
「たぶん……だいじょうぶ……。ちょっと、息ができなかったけど」
「ごめん、油断してた。ケガがなくてよかったよ」
「私がいたずらしたからだよ。でも、気をつけてね。冷治くんは力、強いんだから」
彼女は息を大きく吐いた。
「わかってる」
冷治は菅原涼の胸元を覗こうとして……バスタオルのあわせめがずれて肌が見えているのに気づき、また目をそらした。
「でさ、なんでそんな格好なの? なにか着てきなよ」
「洗濯機借りるって言ったじゃん。ぜんぶ洗っちゃったよ」
腕から逃れた彼女は、部屋の中で浮かびながら言った。
見えない椅子に座っているような姿勢で……見えてはいけない場所がいろいろ見えそうになっている。
「だから、なにか着るもの借りようとしたら寝てるから……ほっぺにちゅーしたら起きるかなって思って」
「普通に声をかけて起こせよ……できたら部屋に入る前に。バスタオルじゃ中が見えちゃうだろ」
「別に、冷治くんだったら好きなだけ見ていいけど?」
「……よくないよ。たぶん」
確かに見るのは初めてではないのだけれど、それでもよくないと感じるのはおかしな考え方なのだろうか。
なにか服を出そうとした時、つけっぱなしのテレビが目に入った。つけたらやっていた番組に興味を引かれて見ていたことを思い出す。
その番組はもう終わり、今はニュースをやっているようだ。
先ほどの火事がニュースのうち一つとしてあがっている。
『火事の原因はわかっていません。警察では連続放火事件の可能性もあると見て、慎重に捜査を行っています。また……』
また、に続く部分で菅原涼について言及されていた。不審な人物が燃える建物から人を連れ出そうとしたという目撃証言があり、警察は事件との関連を調べています。
空を飛んだという荒唐無稽な事実は省かれていた。
冷治が頼んだ彼女の活躍は、捜査の撹乱に役立ってしまっているようだ。反省しなくてはならないと思いつつ、服を準備する。
二ヶ月もあれば、人は非日常に慣れることができる。恋人が空を飛べるようになったという事実にも。
しかしこの時、冷治も菅原涼も現実から目をそらしていたというべきだろう。
少し考えただけで二つ、考えなければならないことが出てくるはずだ。
一つには、突然空を飛べるようになった少女のように、他にもなにか特殊な力を得た誰かがいてもおかしくないということ。
もう一つは、超能力を手にした人間がいると知れば、目をつける者が当然いるだろうということだ。
事件は、これから始まろうとしているのだった。
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