第6話 菅原涼は計算高い
菅原涼と、青山冷治がはじめてまともに会話したのは、5月の半ば頃のことだ。
彼女は頭がよく、さらに言えば計算高い女性だった。
ゴールデンウィークの次……いや、次の次の週のことだったと冷治は記憶している。
家に帰る途中、毎日通る公園の前で、冷治は彼女に呼び止められた。
なんとなく顔に見覚えがある気がしたのは、高校で同じクラスなのだから当然の話だった。もちろん、名前は覚えていなかった。
一番最初に『同じクラスの菅原涼です』と名乗ったので、名前を覚えていないことは彼女もわかっていたようだ。
話があると言われ、冷治は一緒に公園に入った。
そして、街灯の下で、菅原涼は告げた。
「青山冷治君。好きです。私と、付き合ってもらえませんか?」
まっすぐ、冷治の顔を見て。
戸惑い、顔を逸らしたのは冷治のほうだった。
「ええと……」
最初に頭の中をよぎったのは、どうすればなるべく傷つけずに断れるか……ということだったように思う。
「どうして?」
けれど、答えは出てこなくて、とりあえず口にしたのはそんな問いかけだった。
うつむいて少し考え、彼女はまた顔を上げた。
「顔が好みだから。それと、青山くんが優しい人だから……で、しょうか。ほら、例えば……こないだ、駅で転んだ人を助けてあげてましたよね?」
思い当たることはあった。
もっとも優しいわけじゃない、と冷治は思った。ただ、義務的に、優しくしようと決めているだけなのだ。違うのだけれど……どう違うか説明するのは面倒だった。
「……単なる、気まぐれだよ。たまたまだ」
「ええ、そうかもしれませんね」
あっさり言われたので、冷治はたぶん、不思議そうな目つきをしてしまったと思う。
けれど、菅原涼はそのまま言葉を続けた。
「でも、そうじゃないかもしれません。あの……付き合ってる人がいるとか、好きな人がいるわけじゃ、ないんですよね?」
「うん、それはないけど」
「でしたら、青山君がどんな人か、知る機会を私にもらえませんか?」
「……どういう意味?」
「お試しで、三ヶ月だけ付き合ってみるというのはどうでしょうか。青山君のことがもっと知りたいし、私のことも知ってほしいです」
彼女のほうを向いて、そして彼女がずっと自分をまっすぐ見ていたことに気づく。
「知ってみて、それでダメだって言われたら、諦めます」
たぶんその目がまっすぐだったから……冷治は三ヶ月ですむなら、いいかなと思った。
思った時点で、菅原涼の思惑通りだったのだろう。
「そんなに悪くないなって思ったら、お試し期間を延長してみましょう。……あ、もちろん正式に付き合ってくれるならそのほうが嬉しいですが」
「いいよ。たぶん、三ヶ月で終わりになると思うけど、それでもいいなら」
「そうならないように、がんばりますね」
話はそれで、まとまった。
後から考えれば、最初からこういう話に持っていくのが菅原涼の目的だったのだろう。
セールスマンの営業トークみたいなやり口だ。
人によっては可愛げがないと受け取られそうだが、冷治は別に気にならなかった。
ドラマなどで見ただけで実在するかどうかは知らなかったが、泣いてわめいて付き合うよう強要してくる女性に比べればスマートなやり方だと思う。
付き合うことに決めた相手を夜道でそのまま放り出すのはさすがにまずいと考えるくらいの常識はあったので、その日は表通りまで彼女を送っていって別れた。
次の日から、恋愛ゲームで好感度を上げるように、菅原涼は冷治に近づき始めた。
最初は偶然を装って帰り道に現れ、一緒に帰るよう誘ってきたが、やがてそれは毎日の習慣になった。
そして、朝も駅で待ち合わせるようになった。
冷治はまったく気づいていなかったが、実は中学校も同じだったということをその頃には聞いていた。
クラスの皆にはもちろん知られていて、冷やかされるのは最初少し面倒だったが、菅原涼はうまく受け流していたし、冷治もすぐそうできるようになった。
そもそも大して友人が多かったわけではない。
週末に時折、冷治の家に遊びに来るようになり、理由をつけては彼女の家にも誘われるようになった。
わずらわしいことは増えていた。けれど、目標や時間のかかる趣味があるわけではなかったので、冷治はそれほど不愉快には感じなかった。
帰り道以外にデートしたのは、7月の下旬。夏休みに入ってからだ。
気ままにお店をながめて、ファーストフードでご飯を食べて、それからゲーセンに行く……面白みもないルートだけれど、無駄な時間を過ごした気はしなかった。
つまるところ、冷治は彼女といることが楽しいと感じていたのだろう。
デートの帰りに、駅前のスーパーマーケットにある広場で、菅原涼は冷治へ満面の笑みを向けた。
「青山くん、今日は付き合ってくれて、どうもありがとう」
振り向くとき、鈴の音がした。彼女のカバンについている、猫の形をしたキーホルダーの音だ。
先ほどゲーセンでとってあげた品だ。今どき招き猫なんて古臭いとしか言いようがないが、それでも菅原涼は喜んでカバンにつけていた。
「いや、……俺も楽しかったよ、菅原さん」
「……ねえ。よかったら涼って呼んでくれないかな。私も……冷治くんって呼ぶから」
いつもはっきり迷わず話す彼女にしては、珍しく途切れがちな言葉だった。
「呼ばれるのはいいけど、呼ぶほうは恥ずかしいな……」
「ダメ?」
黒い瞳が、上目遣いにこちらを見る。
「段階を踏むのはどうかな。菅原涼さん」
「……えええ……。なら……」
彼女の中での落としどころを考えているようで、しばらく会話が途切れる。
拳を額に当てて思案している。
「わかった。それでいいから、せめて呼び捨てにして欲しい」
そして決然とした口調で菅原涼は告げた。
「じゃあ、菅原涼。……ヘンな感じだな」
「呼ばれてみるとそうでもないかも。私だけの呼び名って感じがする」
真剣な調子で言って……それから彼女は大笑いをした。いつも微笑んでいたけれど、声を上げて笑うところは珍しいと思ったことを冷治は覚えている。
好きなのかどうかはわからないが、とりあえず、彼女が望むなら一緒にいてもいいかと、思っていた。
ただ、二人の仲が進行したのは、また別のきっかけがあったからだったが。
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