第5話 恋人と、家族のいない家で

 先ほどの公園と同じ町内、歩いて5分もかからない場所に冷治の家はあった。

「おじゃましまーす」

 玄関から上がると、菅原涼はいつものように、冷治の靴も揃えてくれた。

 ひと気のない静かな空間をながめて、菅原涼は口を開く。

「いつ来ても、冷治くんちって誰もいないよね」

「母さんまでいないのは週に一、二回くらいだよ。父さんだって、夜中には帰ってきてることが多いし」

 姉が一人いるが、隣の市にある大学に入ったのを機に一人暮らしをしているので、やはり家にはいない。

「社長さんは大変だなあ」

「独立して社長になる前から父さんはこんな感じだったけどね。……母さんまで帰らなくなったのは、会社をおこしてからかな」

 社員数人の小さい会社で、人手不足を家族で補っている……と、いう事情は彼女だってとうに知っている。話すことそのものが目的の、意味のない会話だ。

 階段の横をすり抜けて、菅原涼は一階の奥にある風呂場へ向かっていく。

 その足が、徐々に床を離れていく。

 彼女はもう、脚を動かしている振りをするのもやめていた。

「菅原涼。足が浮いてるよ」

「冷治くんしかいないんだから、いいじゃん。知ってるでしょ? 疲れるんだよ、ちゃんと歩いてるふりをするのって」

 地面を歩けない苦労など、空中に浮かべない冷治にはもちろんわからない。

 けれどもちろん、知らないよ、などと言えるはずはない。

「洗濯機も借りていい?」

「どうぞ」

 彼女が頻繁に出入りするようになったのはここ二か月ほどのことだったけれど、もうずいぶんと慣れたものだ。

 二か月前――何の前触れも、きっかけもなく、空を飛ぶ力を手に入れてから。

 それより前にも家には来ていたけれど、冷治に会うというより冷治の家族と顔つなぎするのが目的だったように思える。

 出入りしているとはいえさすがに彼女用のバスタオルなどはないので、冷治はいつものように自分のバスタオルのうち比較的新しいものを脱衣所に持っていった。

 脱いだ服が入っているのであろう洗濯機が揺れる音を聞きながら、適当な場所に置く。

「バスタオル、置いておくから」

「ありがと、冷治くん」

 すりガラスの向こうから、水音に混ざって返事が聞こえた。

 肌色のシルエットが浮かんでいる……彼女の、あまり大きくない胸や細い腰のラインを思い出して、恥ずかしくなって目を慌ててそむける。

 待っている間ゲームでもしていようと思いながら、自室へと向かった。

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