第4話 飛行少女の恋人
火災現場から離れた後、スマホで連絡を取り合って、冷治は『彼女』と落ち合う場所を決めた。
木々がたくさん植えられたそこそこ広い公園に、すでに人影はない。
街灯も何本かは立っているが、夜闇のすべてを照らし出すことはできない。
中央あたりにある明かりの下で、冷治は『彼女』がゆっくりと降りてくるのを待つ。
明かりの真ん前を通過するところで、被っていたコートのフードを外し、長い黒髪を背中から引っ張り出す。
一瞬広がった艶のある髪が、明かりを反射して輝いたような気がした。
学校指定のカバンを肩掛けにしている。さっきは持っていなかったはずだから、たぶんどこかに隠していたのだろう。
足先が冷治の腰の高さまで来るくらいまで降りたところで、『彼女』はさらに口元を隠していた赤いマフラーも外した。
化粧気のない、同い年の少女が微笑みを浮かべて冷治を見下ろしている。
「ありがとう。助かったよ、菅原涼」
手を伸ばすと、彼女はその手を握り返した。
「どういたしまして。冷治くんの頼みだったら、私はどこにでも飛んでいくよ」
軽く引っ張って、地面まで下ろしてやる。
「……けど、みんなに見られちゃったな」
「いちおう言われた通り、顔は隠したつもりだけど……」
「うん。正体がわからなければ、いいんだけどね」
深刻すぎる言い方にならないように、冷治は一応気を使ったつもりだったけれど、それがうまくいったかは自分でもよくわからない。
「ばれたらばれたで、空を飛んでどこかに逃げちゃえばいいし」
「ま、おかげて逃げ遅れた人が助かったんだ。ちょっと噂になっても、きっとすぐ忘れられるよ。人の噂も七十五日っていうし」
冷治は息を吐いた。口元に白い空気が流れ出し、すぐに消えた。
わかっている。気にするくらいなら初めから頼まなければよかったってことくらい。
突然得た飛ぶ能力にできるだけ慣れたい……と言っていたのは彼女だったけれど、だからって利用していいはずはないのだ。本当は。
それでも、助けを呼ぶ声が聞こえて、助けられる方法があるのにしないのは間違っている気がしたのだ。あの瞬間は。
「……たぶん、写真を撮られちゃってるから、そのマフラーはしばらく使わない方がいいと思う。お礼代わりに、俺が新しいマフラーと帽子、プレゼントするよ」
「えー? お礼だったら、ちゅーしてくれるほうが嬉しいなあ」
口角をさらに上げ、菅原涼が冷治に身を寄せてくる。
もう寒くなってきた夜に、彼女の体温を感じられるのは少し心地いい。
菅原涼の肩をつかむと、当然のように彼女は目を閉じた。
唇を優しく重ね合わせて、柔らかな感触を少しの間確かめる。
「もうちょっと濃厚なのがいいんだけどなー」
接触していた部分が離れると、少女が言った。
「誰かに見られたらどうするんだよ」
「見られないと思ったから、ここに降りてくるように言ったんでしょ? それに、知られて困る人なんていないじゃん。付き合ってるの、もうみんな知ってるんだから」
それは確かに事実だが、困らないからと言って恥ずかしくないわけではない。
もっとも菅原涼のほうは、どちらかというとみんなに知って欲しいようだ。
「……そういうのは人目につかないところでしようよ」
「しょうがないなあ、冷治くんは」
触れていた温もりが、不意に消えた。
手のひらにだけはまだ残っていたけれど。
彼女が……少し過剰なほど触れ合うことを求めるのには、いちおう理由はある。
もっとも、『良識的な大人』の皆さんは、きっと理由を知ったところで眉をひそめるのだろうけれど……。
頭の中に泣きはらした目で冷治を見下ろす涼の表情、おそらく初めて笑顔以外の形で彼に向けられた表情が浮かんだ。
あの時、初めて冷治は本当に彼女の顔を見たような気がしたのだ。
ぼうっとしていると、菅原涼が言葉を続けた。
「煙の臭い、ついてるよね。冷治くんのうちでシャワー浴びてってもいい?」
「いいよ。うちの親もいないから、言い訳考えなくていいし」
「いないんだ。なら、泊まってっちゃおうかな」
上目遣いに見つめてくる。
手を握る力が、少しだけ強くなった気がした。
「お好きにどうぞ」
そっけない声で冷治は答える。
こういうとき、特に理由がなければ彼が拒否しないことを彼女は知っている。だから、最初から涼の問いはただの確認だった。
「じゃ、行こ!」
手をつないだまま冷治は菅原涼と一緒に歩き出した。
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