第5話 人間(とロボット)の絆

 薄暗くした部屋で、腕に鈍く光が反射している。


 どれだけ人間の腕に似せようと、この腕は人の腕ではなくて機械だ。痛みを感じることもないし、重みも違うし、変な音もするし、感覚も特定の場所に限られている。大切に使ってきたつもりだったが、よく見ると細かな傷が多い。それはこの鉄の身体では痛みを感じることができないからだ。痛みを伴わない機械の腕に、どうやって気を配ることができるんだろうか。


 羽田の今後にはみっつの可能性がある。


 ひとつ目は亡くなってしまった羽田凌二の親族に引き取られるケース。


 ふたつ目は他人に売却されるケース。


 最後がこのまま廃棄処分となるケース。


 それを決めるのは羽田ではなく、もちろん死んでしまった羽田凌二でもなく、羽田凌二の遺品を扱う権利のある人間だ。おそらく羽田凌二は遺書を用意しておらず、その権利があるのは親族になるだろう。親族がどんな判断を下すかは分からないが、ストレージの契約すらままならない状況からある程度推察することはできる。羽田のオーナーとの間で作られた記憶や習慣はもう必要がない––つまり、羽田の記憶は今後どこかで削除される。


 ロボットを他人に売却したり廃棄したりするとき、ロボットがオーナーの個人情報を所有し続けていることはリスクだ。どんな人間であろうと、所有権を手放すロボットのデータは削除するだろう。それは全くおかしなことではない。たとえそのことがロボット当人にとってどんな意味を持とうとも。


 わたしは窓辺に立って、今しがた入れたコーヒーを飲んでいた。昨夜遅くまで起きていたから日差しが目に痛かった。


「わたしは、削除させたくないんだけどな」


 羽田は昼過ぎにやってきた。


 中華料理屋の隅の席に座っている。私が声をかけるまで彼は机に視線を落としていた。どことなく疲れた印象があった。


 羽田を作業部屋に案内し、椅子に座らせる。隣り合って座る。わたしはボールペンを弄りながら、電子犬の修理状況について羽田に話す。


「基本的に動きは直っててね、問題は記憶関連。昨晩あのあと触ってみたんだけど、外部ストレージの契約が切れてるみたいでわたしではどうしようもなかった」


 なるほど、と言って羽田が頷く。「それは、しょうがないですね」


「だから、ストレージを用意して、って感じかな、今後は」


 羽田は再びなるほどと言って、それきり、何も喋らない。沈黙が続いて、ボールペンをノックする音だけがしばらく部屋に響いていた。


 なんとなく耐えられなくなって、


「羽田の方はどうだった」


「どうって」


「わたしと別れたあと。親戚の人たち来てたみたいだけど、大丈夫だったのかなって」


「それは……」


 羽田が言い淀んだとき、わたしが、ひねって、触っていたボールペンが、ばちんと大きな音を立てた。


「あのさ……わたし実は知ってるんだよね、羽田がロボットってこと」羽田は驚くでもなく、こちらを見かえすでもなく、ただ重たそうな瞼のまま足元を見ていた。「そんで、オーナーの人も亡くなってるんだよね?」


「......ごめんなさい」


「謝ることじゃないよ」


「いえ……」


 羽田はうつむいたまま、その後の言葉を続けなかった。


 彼の気持ちは知るべくもない。だから想像するしかない。


「ハグしてもいい?」


 謝る羽田に椅子を近づけ、わたしは横から彼の身体を抱き寄せた。硬い、とても硬い身体だ。


 わたしは色んなことを考えた。羽田のオーナーが遭難してから、こうして発見されることもなく過ぎ去った一年間について考えた。オーナーの親族とは折り合いが悪く、オーナー以外に誰か頼れる他者もおらず、羽田はひとりオーナーの遭難という問題について、ちゅうぶらりんの不安を感じ続けてきた。悲しんでいいのかそれともいけないのか、少なくともぶつけられる他者もおらず、他人から感情の主体として扱われることもなく、ただただこの一年間を過ごしてきた。その一年間が彼にとってどんな位置付けであるのか、わたしには全く分からなかった。


「羽田はさ、今後のこと分かってる?」


「処分されるみたいです」


「そっか。羽田はどう思ってる?」


「......僕はそれでもいいかなって」


「その理由を聞いても?」


「苦しいんです」


「苦しい?」


「気持ちが分からなくて」


 羽田が息を吸う。


「オーナーは僕にとってはじめての人なんですよ。彼が友達の死から立ち直るのも見てきて、それでまた山に入れるようになるのも見守ってきて、それでその結果で彼、遭難してしまって。僕が今までやってきたことってなんなんだろうって思うんです、僕は彼を立ち直らせて、それで結局死なせたかったのか? って思うんです。親族からもそういうことを言われて、お前がいなけりゃ凌二はあのまま安全なところで生活できたのにって、お前がいなけりゃ死なずに済んだのにって実際僕のせいなんですかね僕がいなけりゃ死ななかったってそりゃその通りですよ、けどあの状態の彼とずっと一緒にいて立ち直れるまで側にい続けたのも僕なんですけど。けどそれは僕がそういうロボットとして定義されているだけで別に僕自身の意志じゃないわけじゃないですか、それ以外に何もできるわけでもないし、じゃあそれって僕のせいなんでしょうか、でもやっぱり彼を山に返してしまったのは僕以外の誰でもないですよね。

 いろんなことを思うんですけど、それで結局、分からないんです。僕はこれ、悲しいってことなのかなって」


「分からない」


「ええ」


「......それは、羽田が今、落ち着いて話せていて、涙が流れないことに関係がある?」


「......そう、それは、あるかもしれないですね」


 そこで羽田が少し身動きした。わたしが彼の背中に回した腕を下ろすと、そのまま羽田は身体を起こす。わたし達は向き合った。


「僕は悲しいんでしょうか? 状況から自分が悲しいらしいと考えることはできても、身体はそれについて来ないんです。それが、苦しい、苦しいんです。とても大きな未解決の感情がずっとあって、僕にとって彼はとても大切な人だったはずなのに、僕は涙ひとつ流すこともできない」


「それで、こんな状況がずっと続くならって?」


「はい」


「そっか。ところで、モップちゃんの修理しに来たのはなんで?」


 羽田は笑う。


「それは......モップちゃんはせめて直してあげたかったからです。そのつもりで、もしかしたら、誰かに頼りたかったのかもしれません」


「今は?」


「......分からないです」


 返すその顔は落ち着いていて、わたしにとって羽田の気持ちは推し量ることの難しいものだった。そして羽田にとっても自分の感情ほど見えないものはなかったのかもしれない。自分が本当に悲しいのか、それは経験や思考から導くことができても、全く身体の反応としては表に出ないものだから。


「わたしは整備士だから、整備士としての視点でしかものを語れないんだけど、」


 義手が頭をかく。


「羽田はカウンセリングに特化してるから、クライアントの前で泣かないように機能の制限をされている可能性がある。声がブレないのもその一環かもしれない。だから、そう言うのをわたしが解除することは、まあ、めっちゃ頑張りゃできるかもしれない」


 ただ、それ以前に、羽田の気持ちに寄り添いたかった。


「いやそのさ、他人のわたしの想像をただ話すだけだけど、まあ、そう言うことってあるんじゃないかなって思ったりはするんだよね。つまり、大切な人が本当に亡くなってしまったのか分からないまま一年が経って、その間ずっと宙ぶらりんで、相談できる人もいなくて、唯一関わりのある他人からはその死に対して責められるみたいなことになったら、わたしでもその死との距離感掴めないと思うよ。確かにそこで涙が流れないこととか、一切の悲しみに類する感情が表に出ないことは、十分羽田の脳機能に影響を及ぼすと思うんだけど、それ以上に、いや普通にそういうのあるっしょって思った。

 だからつまり言いたいのは、羽田本人が今どんな感情を持つべきなんて、誰も決めらんないよ、だってオーナーさんが遭難してから一年経って、その間に羽田はいろんなこと経験して、その上でなんでしょ? 悲しいだけで表現できないこともあるよ。

 だから、いやマジでお節介なんだけど、なんだろ別に今悲しいとか、そういうふうに感情に名前をつけなくてもよくてさ、思い出にしなくてもいいし、まだ羽田の中では現在進行中の出来事ってだけだよ、未解決でいいんじゃね? って」


 羽田は言葉を返さない。


「どうかな」


「......はい」


「わたし達はまだ友達のままでいられるかなあ?」


「はい」


「じゃあ、まずは羽田がこれからも生き続けられるようにしようか」

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