第17章 ニコライの生い立ち

〜ニコライの生い立ち〜


これからどうなるのか、そんな事は重要なことでは無かった。

冷たい土。足の感覚はもうずっと前に無くしてしまった。

板の上の薄い毛布の上で、僕は死ぬ。良かった。だってここには屋根があるじゃないか。


一緒に住んでいたお婆さんはちょっと前に死んだ、近所の男の人達が運んでいって土の中に埋めた。男の人達は僕に「お前、これからどうなんのかな」と言った。あれから何日過ぎたのかわからない。もう食べるものは何も無いし、もう生きる意味も無い。


崩れた壁の隙間から細い月が見える。

このまま目を閉じたら二度と目を開けないで済みますように。

そう思って目を閉じた。


僕は眠っていたと思う。

限りなく死に近い眠りだった。


それなのに僕は、不本意ながら再び目を開けてしまった。ひどくがっかりしたのを覚えてる。


ところが僕は、あの小さな小屋では無くてガタガタと揺れる暗い箱の中に居た。隣には大きな男が一人いる。


「え?」


僕はかすれるような声を出した。


「起きたか。」


男の目が鈍く光り、男が僕の方を見たのが分かった。


男は壁をガンガンと叩いた。

しばらくすると揺れが収まり、【バタン】と音がした。


僕の心臓がバクバクと音を立ててうるさい。何かが起こっている。

あぁ、やっぱり二度と目を開けたく無かった。


いきなり強い光りが入ってきて僕は強く目をつぶった。


僕は


「生きてたか?」


と声をかけられた。


「おい、せっかく生きてんだ。水でもやれ。」


僕の口に水が入って来る。僕はうっすら目を開けた。まぶしくて何も見えない。それでも2人の男がいるのが分かる。


「ホントに死にかけだな」


一人の男がそう言って、僕の顔を掴むと口をこじ開けた。

抵抗する力も無く身体はダラリと横たわり、もう僕のモノじゃ無いみたいだった。


男は僕の口に何かを入れた。ぐにゅりとした食感が気持ち悪い。しばらく口に含んでいるとかすかな甘みを感じて目をゆっくりと開けていった。

口の中のモノは溶けてなくなった。


男達が僕を見ている。一人が、


「湿らせたビスケットだ。うまいだろ?一気に食うなよ。湿らせてゆっくり分けて食え、分かったか?」


と言った。


僕は頷いた。

甘みを感じた事で脳が一気に動き出す。


あんた達は誰だ。

ここはどこだ。

これからどこに行くのか。

僕はどうなるのか。


聞きたい。その衝動に駆られた僕は口をひらこうとして思い留まった。


聞いてどうなる?

僕はこの男達から水とビスケットをもらった。

今まで僕は、一緒に住んでたお婆さん以外から食べ物をもらった事は無い。


なぜこの男達は僕に食べ物をくれるのか分からない。


何も聞かない方がいい。


そう思った僕は黙った。


男の一人が


「お前の名前はニコライ。いいな、ニコライ。」



僕はうなづく。


「俺はデニス、こっちはマルク。もう少し走るから。」


あぁ、僕はトラックの荷台に乗せられていたのか。荷物の中に隙間が作られている。


荷台から降りていたマルクもその隙間に入り込んで来た。狭い。


デニスと名乗った男は荷台の帆を降ろした。


また暗くなる。


【バタン】と音がして運転席の後ろにある小窓が開けられた。わずかな光りが荷台に入り、周囲が見渡せるようになった。


エンジン音が鳴り、トラックがガタガタと揺れて動き始めた。


マルクは黙って目を閉じている。寝ているのかもしれない。


僕はビスケットを口に含みながら、あらゆる事を考えた。


この人達は僕の親戚かもしれない。僕が生まれてすぐに死んでしまった母さんの兄弟だろうか?


もしかしたら、今まで会った事もない父さんなのかもしれない。

お婆さんが死んだのを誰かから聞いて、僕を迎えに来てくれたんだ。


明るい妄想はそこまでだった。

ふと、ビスケットを持っていない左手首にロープが付いているのに気が付いたからだ。


なんだ、売られるのか。僕は。


昔お婆さんが話していたな。人さらいがいるから家から出るな。一人でウロウロするなって。


僕はさらわれたのか。

どっかで働かされるのかも。


気力が削がれていく。


ビスケットの甘みが虚しく口に広がる。


不思議と怖くは無い。





ビスケットも無くなって、随分経ってから、トラックが止まった。


マルクがむっくりと顔を上げた。


デニスが荷台の帆を上げると、マルクは荷台の外に出た。

二人は僕の知らない言葉で会話をしている。僕は少し不安になった。


会話が終わるとマルクは荷台の中にいる僕に向かって軽く手を上げ、どこかへ歩いて行った。


僕はびっくりした。こんな、まるで

友達にでもするように、僕に向かって手を上げるなんて、こんな事をされるのは始めてだったから。


デニスは荷台の中を覗き込むと、


「出てこい。」


と言った。


でも僕は身体が動かせずにいた。長時間横たわっていたせいなのか、栄養が無くて動かないのかは分からない。


僕がオロオロしていると

デニスは身体を伸ばし、僕の手を掴んで荷台の隙間から引きずり出した。


デニスは僕を立たせようとしたけれど、あまりに体力が無かったから立つ事が出来なかった。


デニスは


「お前、ホントに死にかけだな。」


そう言うと僕を担いでトラックの助手席に座らせた。


僕はトラックに乗るのが始めてだったからすごくワクワクした。


「こんなんじゃコレも意味ないか。」


そう言ってデニスは僕の手首のロープを解いた。


「お前、しゃべれないのか?」


そう聞かれて、


「喋れます。」


と答えた。デニスはうなづくと


「何か聞きたい事はある?」


と僕に質問した。


僕は一瞬、【僕は売られるの?】と聞こうかとも思ったが、いずれ分かることだし、意味が無いと思い、


「ありません。」


と答えた。


デニスは満足気にニヤリとした。

トラックが動き出す。

僕は初めて見る景色に見とれていた。遠くに木が見える。石と草だけの道。


だんだん家が見えて来た。石で作られた頑丈そうな立派な家だ。

家の数が増えていく。老人が歩いているのも見える。何か同じ動物をたくさん連れた人が歩いている。

僕が夢中で見ているとデニスが、


「アレは羊だ。」


と教えてくれた。


僕はうなづいて、頭の中で何度も【羊】という言葉を繰り返した。


建物はどんどん増えていき、見た事ない風景がつづく。僕はもう、夢なのか現実なのかわからなくなってきた。

もしかして、僕はもう死んでいるのかもしれない。そんな風に思っているとトラックが止まった。辺りはすっかり暗くなって、大きな建物にはいくつも明かりが見える。

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