第16章 ハイル
ハイルは次の日の夜に都合をつけてくれた。
彼はわざわざ警察署まで出向き、話をしてくれると言う。誠実な態度に好感が持てた。
「はじめまして。」
そう手を差し出して我々と握手をしたハイルはまだ若いスマートな青年だった。
「私の名前はミハイルと言います。周りからはハイルと呼ばれています。だいたいの話は院長先生から聞きました。私に何を聞きたいのですか?」
ハイルは流暢な日本語で話し出した。
先輩は、
「まず、ハイルさん、あなたの事を教えてください。」
と聞いた。
「私は留学生です。専門学校でコンピュータについて学んでいます。」
「どこの国の出身ですか?」
と先輩が聞く
「ジョージア生まれです。」
「日本語がお上手ですが、何処で勉強されましたか?」
「元々日本に興味があったので、インターネットで勉強しました。」
ハイルは教科書に書かれた会話文のように淀みなくハキハキと答えていく。
先輩は感心したようにうなづくと、
「では、前任のライさんについてです、どのような関係で、何故、後任を任されたのですか?」
と聞いた。
「ライとは民族レストランで会いました。彼の名前はニコライと言います。出身は北欧の外れだと言っていました。
私達はその民族レストランで郷土料理の話で意気投合して、時々その店で一緒に食事をしていました。ライは元々、技能実習生として日本に来ていたようです。
しかし、仕事先で揉め事を起こして、そこに居づらくなって東京に来ていたようです。
国のお父さんが病気になったとかで、代わりにこの仕事をやって欲しいと頼まれました。」
「親しい間柄だったのですか?」
ハイルは少し首を傾げて、
「特別親しいという訳ではありません。一緒に食事をするのも、約束をするのでは無くて、その店に食事に行って、そこにライが居れば隣に座る、といった具合です。
ふるさとが近い先輩っていう感じですかね。仕事の紹介も私を気にかけての事だと思います。日本は物価が高いですから、決して暮らしは楽ではありません。私がいくつかの言語を少し勉強していましたからそれも理由になったのかも知れません。」
「今でも連絡を取っていますか?」
「いいえ。日本にいる時はプリペイド携帯でした。帰国する時に解約したと思います。SNSも彼はやってませんでした。連絡はとれませんよ。」
先輩は困った顔をしてから、
「ライさんから、春花さんの話を聞いた事はありませんか?」
と聞いた。
「私が受け継いだときには春花という女の子はもう居ませんでした。
最近、女の子が一人辞めたけど、きっとまた新しい子が来ると思う。といった話を田山さんから聞いた程度です。私は春花という女の子の顔も知りません。私が担当するのはお客様の事が一番ですから。」
「一応、どんな仕事内容か聞いてもいいですか?」
「まずは日本人好みの顔の留学生を探します。学歴などを聞いてからスカウトしています。オッケーしてくれたら、院長に連絡して、健康診断と採血をしてもらいます。
問題が無ければ採取の手続きに入ります。希望の日時と女の子を決めてもらって、私が写真を撮ります。
基本的には髪の色、目の色、肌の色、体格の分かる写真です。顔写真を撮ってもいい人もいます。写真のデータは院長に送ります。
そして当日、待ち合わせ場所に向かわせます。作業が終わるまで近くで待機して、女の子の安全を確認します。その後、院長から精子入手の連絡を貰ったらお礼金を払います。」
「ライさんから、今まであったトラブルの話を聞いていませんか?」
「突然キャンセルされる事がよくある事と、女の子のサービスについて文句を言われる事です。性的なサービスとは少し違うので、あくまでも状態の良い精子を採取する為のお手伝いなのだと説明しても、過剰に求めてくる事が多くあります。
そんな感じでしょうか。それでも、こちらがお礼金を出すのですから、まぁ、だいたいは収まりますね。大きな揉め事にはなりません。本人もあまり人には言いたくないのかも知れません。」
「なるほど。」
ライという人物が日本から消えたのは、本当に家族の病気によるものなのか、それとも違う理由があるからなのかは分からない。
田山の所に残っているアドレスから、ライの身元が判明出来ないだろうか。いくらレンタル携帯でも契約書はあるだろうし、なんとしてもライにたどり着きたい。
ハイルは連絡先を記入して帰っていった。
我々は田山から教えてもらったライのアドレスから契約書類までなんとか辿り着く事ができた。
本人証明に使用されたパスポートのコピーも手に入れたけれど、いったいこれからどうしたらいいのか、まだライが犯人だという証拠は何もない。
単なる事情聴取でライを探すというのか?
事情聴取だけで、外国にまで行く事は出来ない。
ライが日本に住んでいたアパートへ行って聞き込みをしてみたが、彼と親しくしていた人物も見つからず、院長にライを紹介したホステスも店を辞めていて行方は分からなかった。結局我々はまた暗礁に乗り上げてしまった。
季節はすっかり夏になっていた。これまであらゆる手を尽くしたのに、分かった事といえば、賀原絹代がしていたバイトの事くらいだ。
自分は、捜査結果を賀原絹代の両親に報告するか迷っていた。犯人もわかって居ないのに、娘のバイトの詳細だけだなんて、あまりにも酷ではないか。
あの下着を見ただけであんなに逆上した母親は、バイトの話を聞いて耐えられるのだろうか?
第一、両親はあれから一度も連絡をしてこない。子供を殺された親なら早く犯人を逮捕して欲しいと思うだろうに、忘れたいのか無関心なのかも分からない。しかし、母親から下着の件を調べるように言われていた為、バイトの事は伏せて、とりあえず電話してみた。
「ご無沙汰しております。△△警察署の月島です。賀原絹代さんのお母様でいらっしゃいますか?」
「あぁ。何ですか?」
覇気の無い母親の声が聞こえる。
「現状報告ですが、今よろしいですか?」
「どうぞ。」
「その後、絹代さんの件で、電話や来客はありませんでしたか?」
「ありません。絹代を殺した犯人が分かったのですか?」
「いえ、すいません。でも、部屋にあった下着は絹代さんがバイト先の女性と一緒に買いにいったものだという事は分かりました。」
「じゃ、その女が絹代を悪い方へ引き入れたの?それで殺されたのね?」
「いえ、そういった訳ではありません。なぜ絹代さんが殺されたのかはまだ分かりませんので。」
「じゃ、犯人が分かって逮捕できたら、その時に連絡してください。もうあの子は居ないのですから。」
電話が切れた。我々の不甲斐なさに怒っているのだろうか?もっともだ。何も掴めなかった。
自分が最初の頃に感じた、この事件が未解決になる予感は当たってしまうのか?
自分の報告に、先輩は静かに首を振った。
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