memory:65 憂いの人ならざる者は、やがて深淵生む狂気へと
幼き少女をエサに、
そこで命を取られなかった事が幸か不幸か、ズキズキと痛む身体を引き摺り宵闇を逃走していた。手足であった族集団も、自分に擦り寄って来ていた側近さえも失って――
たった一人で、国家権力の取締の手から闇夜に落ち延びていた。
「くひょ……ふひゃひぇひゃひゃっひぇ……! くひょひゃ!」
負け惜しみを吐こうにも、
だが――
彼は知らなかった。己の行動が、とある存在の逆鱗に触れている現実を。
単純に弱者を
「やあ、気が済んだかい? 哀れなる人の情念の成れの果てよ。」
闇夜に響く声。逃走を続けていたタトゥーの不逞が、宗家の追っ手かと震え上がる中。その影は涼やかに眼前へと歩み出る。
面持ちは優男。頭髪も清潔さが滲み出る、整った衣服で身を包む影。だが……だがである。
双眸が正気を飛ばした様に怪しく輝き、深淵を宿した様な闇を思わせるそれ。しかし歩みは至って紳士的と言う違和感が、底知れぬ恐怖さえ感じさせる。
「ひゃ……ひゃんひゃ――」
すでにその恐怖に当てられたタトゥーの不逞は、周囲を包む膨大な気配に恐れ
当然である。タトゥーの不逞が感じたのは、通常人では感知出来るはずもない力。光と対成す、高位なる闇の者のみが播く事叶う、
膨大な力の本流が集束するや、紳士的な優男の背後へ巨大な影が生み落とされた。が、体躯にして十数mに及ぶそれは、本体のほんの一部でしかない。
背には昆虫でいう所の
その頭部へ、二つの巨大な複眼有す頭部を持つ姿は紛う事なき蝿の王。
「ボクはまだ、深淵に堕ちる訳にはいかないのだけれど……君達の様な俗物がその進行を早めてしまうんだ。ならばせめて、その愚かなる罪を自身の体躯で償ってもらうよ? なに――」
「すぐに君を、あの者達が討伐してくれるさ。この地球滅亡の危機に立ち向かう、三神守護宗家が擁する対魔討滅機関と……その者達によって、より
七大宰相が一柱――魔王ベルゼヴュードが、その恐ろしき片鱗を見せ付けていたのだ。
刹那――
「うぎゃぁぁぁぁーーーーーーーーっっ!!? にゃん……ぐっっ……がああああああっっっ!!」
魔王の翳した腕が合図となり、幾重に群がる漆黒の帯が半実態化し、無様な不逞を絡め取る。突如襲う常軌を逸した光景を目にした不逞は、同時に襲う己を焼き焦がす様な煉獄で、一瞬にして正気を飛ばしてしまう。
そのまま霊的な漆黒の炎とも呼べるそれが不逞を焼き、しかし程なく……それを待ち侘びたような巨大な影が不逞の背後へと立ち上がった。
「本来イレギュレーダ化していないデヴィル族とは、ボク達の様な魔王の座に君臨する者の選別を受け、セフィロトに相応しき魔の者としての素養を得る物だ。」
「けれど君達の様に、強欲にして傲慢……そして生命種としての存在価値さえ絶望的な成れの果ては、高潔なる魔の世界へ住まう権利会得など言語道断。あるのは――」
輪廻を司る魔王が
タトゥーの不逞は、背後の虚影へ体躯を蝕まれる様に飲み込まれる事となった。
†††
雨降って地固まると言うが、今回の
それは騒動の日が明けて昼時。彼らを移送する輸送機へ乗るか否かの出来事だった。
「待て
「けどおにーちゃん……宗家の人が守ってくれるかも知れないけど、そこで私独りぼっちなんだよ? そんなのは嫌……。せっかくおにーちゃんと、安心して生活して行けると思ったのに。」
「そりゃ……そうだけどよ。まいったな。」
その押し問答が長期戦になる恐れもあったため、今後の対魔作戦に支障を来さぬよう助け舟を出しておく事とした。大輝君には少々酷でもあったのだが。
「こちらは一向に構わないよ?
「おいマジかよ、草薙!
「なら私がそれに乗るなら、おにーちゃんに着いていってもいいんですね?」
「お……おいっ!
助け舟とは他でもない、雪花嬢へ向けた物。が、さしもの
こちらも心が痛む所でもあったが、地球存亡がかかる今はそれも已む無しと思考を切り替える。
「こちらも彼女を危険に晒さない様、配慮を怠ってはいないよ。彼女は現在ロールアウト待ちである、後方支援個体への搭乗を予定していてね。その機体は複数のパイロット搭乗が必要なのだけど……
「彼女に絡んだ半グレにつるむ闇医者を洗った所、適切な投薬処置をすれば、彼女は普通に歩ける状態に戻れる症状と確認している。あと少し遅れていれば危ない所でもあったけれど……その点でも、我が宗家が全力を持って治療支援すると追加しとおこうか。」
「……な!? って……くそ。それ、完全に俺達兄妹はあんた達の
大人達に
彼ら兄妹が、我が機関に協力を惜しまぬと言うならば、こちらも相応の代価を以って応えねばとの信念を視線へと込めた。
傍目からすれば泣く子も黙る風貌の少年。しかしその心根には、日本国の古きから受け継がれた、弱者のために己を盾にする武士道の如き仁義礼智信が宿る男子。
「……分かった。
少年の覚悟は、見てくれからは想像も出来ない澄み切った双眸から見て取れる。日本国を支えた武士の如き、
「草薙……いや、いろいろ救ってもらったあんたにこれは失礼だな。
「あの! 私も、おにーちゃん共々よろしくお願いしますっ!」
その先にあるのは、覚悟を以って挑まねばならぬ戦い。けれど眼前の少年少女は、すでにいる子供達の様に希望に満ち溢れていた。そんな彼らの協力無しには抗えぬ、非情な現実を呪いながら――
「こちらこそよろしく頼むよ、
希望の一欠たる兄妹を迎えて、輸送機を機関施設へ。
その背後で、闇の深淵へ大きな動きが現れている事にも気付かないままに。
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