牧師と看護婦(第一話)

三島五郎

謎のキリスト協会

 オレンジ色の汚れたタクシーを降りると、小雪の舞う空き地の先に木造二階


建ての民家が見えた。三角屋根の頂上に掲げられた十字架が監視カメラのようだ


。恐るおそる近づいてみると、玄関脇の掲示板に「精神派キリスト教会」の大き


な文字。その隣に月例の催し物などが記載されており、最後に「牧師 三木三郎」とある。




 持病が再発したのは、かれこれ一カ月前のことだ。極度の抑鬱状態と思考の混


乱が、限界に達している。薬物療法も医師の助言も全く効き目が現れないまま、


キリスト教会を巡る日々を送っている。




 お寺の門もろくにくぐらないのに、キリスト教会など門を叩いたこともない。


電話帳で近隣の教会を探しては、電話をかける毎日だ。理由は自分でもよくわか


らない。




 宗派や教義、牧師の企みなどを調べる余裕はない。とにかく訪問を願い出た。


電話に出てくれた牧師たちは、いずれも懇切丁寧に話を聞いてくれる。しかも、


近日中の訪問依頼を快諾してくれた。キリスト教という穏やかで温かい世界に生


まれて初めて触れた。




 もちろん一度や二度、牧師に話を聞いてもらったからといって、症状が改善す


るわけではない。むしろ、帰路に立つとき期待感が消滅する感覚は辛かった。そ


れでも「巡礼」を続けた。そうしているうちに、精神科医でもある牧師の存在を


知らされた。それが三木三郎だった。




 その教会は、十字架と掲示板さえなければ、地方にあるごく一般的な日本家屋


である。玄関の前で深呼吸をしてから、扉の脇にあるインターホンのボタンを押


した。


 沈黙。鼓動が速くなる。スピーカから低いノイズとともに、若い女の落ち着き


払った声が鳴った。「はい。しばらくお待ちください」。半開きになった扉から


作り笑顔が現れた。とがった鼻筋に切れ長の眼、茶色の瞳、規則正しく並んだい


歯。それらが絶妙のバランスで配置されている。




 彼女はそのままドアを押し開き、前傾姿勢で全身をあらわにした。純白の看護


婦だった。


「三木先生とお約束いただいております城島と申します」


かろうじて名乗り出る別の自分がいた。


「お待ちしておりました。遠いところをよくいらっしゃいました。迷いませんで


したか?こちらの説明不足を心配してましたから」




 落ち着いて返答したが、そのまま家の中に通された。独りぽつんと広い応接間


に残される。ソファーは硬い革張りで、おそらく輸入物だろう。目の前の低いテ


ーブルには、これもおそらく泊来のガラス製灰皿が鎮座していた。隣には据え付


け型の重そうなライターが、さらにその脇には木製の箱が置かれている。


おそるおそる蓋を開けるとロング・ピースがきちんと並べられている。




 指でつまんで口にくわえ、大きな炎の先で着火し、紫煙を大きく吸いこんでゆ


っくり吐きだす。そして灰皿の淵にそっとおく。


 心底、そうしてみたかった。豪華な喫煙具を前に禁煙するのは、地獄だ。


 その苦しみも、そう長くは続かなかった。軽いノックに続いて看護婦が日本茶


を盆に載せて入ってきた。


「先生がいらっしゃるまで、もう少々お待ち下さいね」




 初めて彼女の全容を吟味する。豊満で白い肌の持ち主だった。ややきつめの制


服には下着のラインがくっきり見てとれる。半袖から覗く白い二の腕は、茶碗を


テーブルに置く瞬間、わずかに筋肉を浮き上がらせた。スカートの裾から覗くや


はり白いふくらはぎも筋肉が発達しており、膝と足首は適度に引き締まっている


。白衣の下にある巨大な尻と胸は、容易に連想できた。




 それとは対照的な小ぶりな顔。そのコントラストが、強烈な刺激臭を発してい


た。




 看護婦と入れ替わりに、別の扉から三木三郎がノックもなく登場した。亡霊が


忍び寄るときは、こんな感覚なのだろうか。坊主頭に伸ばし放題の髪と髭。使い


古したジャージ、トイレでよく見るサンダル。




「どうしました?」精神科医特有の口調だが、牧師らしき風格とはほど遠い。




                           (つづく)

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牧師と看護婦(第一話) 三島五郎 @tomastokyo

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