25・エンカウント

 ゆっくりと胎動を響かせる時計塔へ向かう三つ編みの少年は、しんがりのソラを気遣いながら引き離さない程度のスピードで走る。


「ルシオラ。広場に入ったら、まず広場全体に強力な結界を頼む。万が一、あれに逃げられたら厄介だ」

「それぐらいのこと、私が考えていないとでも思ったか? もうすでに構築済みだ」


 お前が寝ている間にすでに罠は仕掛けてある、とルシオラは簡単に言い放った。きもちのわるい気配が充満しているお陰でほぼ人のいなくなった通りを、魔女は大胆にも飛んで移動していた。もちろん、羽は出していないし足先が微妙に宙に浮いている程度ではあるが、高いヒールを履きお世辞にも動きやすそうには見えないドレスを纏ったままメビウスと並走しているのは、奇妙な光景である。


「とかなんとか言って、ほんとは実物を見てみたいだけだったりして」

「無論、それもある。本物と対峙しなければ、手の打ちようもないからな」


 茶化したつもりが、本気で肯定された。


「本来ならば、ソラが取り込んだものをもっと解析すべきなのだろうが、ひとを研究対象にするのは私の美学に合わない。ならば、取り込まれる前のものを捕まえるしかなかろう」

「あれは、捕まえられるようなもんじゃねーと思うぜ?」


 乾いた笑いを浮かべながら、後ろのソラを一瞥する。少し息を乱しながら走っているのを見る限り、どうやら会話は聞こえていなかったようでほっとする。


「……ソラちゃんの前で、研究対象とか言うなよな」


 笑みを消し、独り言のように吐き捨てた。


「お前はまだ」

「オレは封印の鍵だ。わかってるよ」


 ルシオラにみなまで言わせず、メビウスは真っ直ぐに前を見据えて言った。小さいが、鋭い響きを持った声を聞き、ルシオラは続きを口にするのをやめる。


「死んでも生き返る、二千年以上も生きてるバケモンさ。だけどな、心ぐらい人間のフリをしたっていいだろ」


 それすら諦めちまったら、本当の化け物になっちまうからな。

 呟いて、メビウスは広場へと続く橋を大きく踏み切った。








 美しかった広場は、まるで違う場所の様に変わり果てていた。魔族との戦いの跡がそこかしこに残り、エリーと甘い飲み物を飲んだベンチも無残に破壊されていた。崩れ落ちた展望デッキの残骸もそのままである。

 肩で息をしているソラをルシオラに任せ、メビウスはゆっくりと時計塔の入り口に近づいた。


「ルシオラ、塔の中に入れるようにできるか? 一応、確認しておきたい」

「確認などする必要があるか? あの気配は紛れもなく魔王の残骸だろう」

「ああ、それは間違いねえ。間違いねえんだが……


 顔を上げたソラの、夜空色の瞳と一瞬視線を交わす。そうして、時計塔を強く睨み上げた。メビウスの言いたいことを察したソラが、広場についてから初めて口を開く。


「前のときより、落ち着いているの。前より時間が経ってるからかもしれないけど……。あと、なにか……別のものが紛れ込んでるみたいな、変な感覚」


 成れの果てについて切り札である空色の少女に言われては、最果ての魔女とて無視するわけにはいかない。それに、ルシオラは以前のものも現物は目にしていないのだ。実際にそれと戦った少年と、身体に宿した少女を押し切れるほどの手札は持っていない。

 しかたがない、と言いたげなため息を残し、魔女はひらりと手を振った。

 たったそれだけの動作で、時計塔に幾重にも張られた結界が解かれる。と、同時に、広場の周囲に同じだけの結界が展開した。時計塔の結界が破られると、自動で広場にかかるようにルシオラが仕込んでいたものが発動したのだ。


「ここまで来て待っているだけというのもな。できる限りのサポートはしてやるが、無茶はするなよ」


 ルシオラがさらに結界を編み出したのを見、一瞬ソラへと視線を動かしてからメビウスは時計塔の中に入り込む。数日前にきたときには、こんなことになるなど思ってもいなかった。お気に入りの展望デッキは壊れるし、あの名前を名乗る魔族が出てくるし、挙句の果てには魔王だったものがこんな街中に現れるなど。

 ――アイン・エイジアシェル。

 対峙した魔族がその名を名乗ったことは、誰にも告げていない。告げるとして、こんな話をできるものなどルシオラに限られている。最果ての魔女ならば、なにか知っているのかもしれないが、メビウスはなぜか彼女に話す気にはなれなかった。


「…………」


 特に気配を消すこともせず、自然体で塔内部を歩く。コツコツと、誰もいない内部に自身の足音だけがやけにうるさく響いた。胎動する気配はずっと上のほうにある。真ん中まで歩き、メビウスは昇降機の扉に手をかけると鋭い視線で目的の気配を探る。


「こいつは動かねーし……。階段か」


 気配に変化がないのを確認し、昇降機の奥に視線を戻した。目線の先には、非常用の階段があるのを少年は知っている。すぐに頭を切り替えると、階段へ走り出す。

 二人並んでギリギリの狭い階段を、二段飛ばしで駆け上がる。目指すのは、覚えのあるきもちのわるい気配、ただ一つ。実際は、一階ずつ見てまわりたいがそんな時間はない。

 近づけば近づくほど、瘴気の濃度が高くなる。胎動から感じるプレッシャーも圧しかかる。そんな中を突っ切っていると、背負ったブリュンヒルデが早く自分を解放しろと急かしているような、妙な気分を覚えた。


 がむしゃらに駆け上がった先。結界で閉じ込められていたせいもあるだろう。滞った瘴気が、薄暗く辺りを覆ってしまっている。夕間暮れを通りすぎ、夜が始まったような薄闇の中でメビウスは足を止めた。十階以上はのぼってきただろうか。胎動する気配は、この階から強く感じる。彼の記憶が正しければ、この辺りの階は時計を動かすための、一般人がはいれない区画エリアだったはずだ。

 軽く息を整え、取っ手に手をかける。一般開放されていないのだから、当たり前に鍵がかかっていた。


「できれば静かに入りたかったけど、これはしょうがねーよ、なッ」


 軽口を叩いて、扉を思い切り蹴破る。鈍い音を立てて、扉が吹き飛んだ。同時に中へ飛び込もうとしたものの、内側に溜まっていたほぼ黒に近い濃厚な瘴気が外に向かって一気に噴出したため、さすがにメビウスも後退せずにはいられなかった。慣れているなどの問題ではない。瘴気を害とするいきものが持っている、本能のようなものからくる反応だ。


「……ウィルを連れてこなくて、正解だったぜ」


 咄嗟に持ち上げた腕の奥。薄目を開けて、瘴気が散っていくのを確認しながらぼやく。こんな事態を見越していたわけではないが、結果的には間違っていなかった。ウィルは普通の人間で、瘴気に対する耐性も高くはないのだから。

 派手に扉を破ったのにも関わらず、中から反応はない。足を踏み入れると奥に黒いかたまりが見え、さすがに得物を抜いた。その短い刀身は、薄闇の中でぼんやりと光りを放ち、わずかではあるが周囲の瘴気を浄化している。解放する前の剣が浄化のちからを持ったと気が付いたのは、目が覚めてからだ。強制能力導入オーバーインストールを使ったことで起こった変化だとしか考えられず、彼はその真のちからを振るえずにいた。

 しかし、通常の魔獣やいま世界に出てきているちからの弱い魔族を相手にするのならともかく。ジェネラルやドクタークラスの魔族、これから相手取ろうとしている魔王だったものなどと戦うにはやはり、ちからを解放せねばならないだろう。たとえそれがどんなちからを持ち、どんな姿になっていたとしても、使いこなさなければならない。


 剣をきゅっと握り直し、薄闇を照らすように少し掲げながら、メビウスは黒々としたかたまりに慎重に迫る。

 見覚えのある、闇すら飲み込むような漆黒の繭。それは、時計を動かす歯車に光を消し去る糸を限りなく伸ばし絡めとって鎮座していた。そばに隙間は見当たらず、いったいどこから湧いたのか見当もつかない。

 思い起こせば、最初の、石舞台のときもそうだった。あのときも――。

 否。

 あのときは、繭の下に、魔法陣があったはず――。

 すっと視線を足もとに向ける。漆黒のしたで鈍い光を放つ魔法陣は、どこにも認められない。


「……?」


 かすかな違和感が脳裏を掠める。メビウスは、近くの歯車に手をかけると、漆黒の糸に触れないよう注意しながら軽々とのぼっていく。時計が止まっていて良かったと思いながら、彼は黒いかたまりを見下ろせる位置に陣取った。


「……これ、は」


 瘴気を切り裂くように剣を横に振ると、メビウスは目を細めて眼下を眺める。少しだけ視界が晴れた先、少年の瞳が捉えたものは、上層部の破れた漆黒の繭であった。

 中には、なにも、ない。


「……ッ!」


 息を呑み、ぱっと歯車から飛びおりる。壁を背にすると、静かに部屋の中の気配を探った。

 そういえば。

 いつの間にか。

 

 それが、違和感の正体だったのだ。

 だが、なにかが塔の外に出た痕跡はない。出入口はメビウスが入ってきた扉一つ。壁にも穴は開いていない。それにもし、繭のなかにいたものが外に出ているなら、ルシオラが応戦するなり合図をよこすだろう。広場は至って静かなままだ。


 つまり、まだ。


「――ここにいるってわけだ」


 呟きとともに、冷や汗がつうっと額から流れ落ちていく。文字盤の階数は吹き抜けになっており、部屋の中には大小の歯車が複雑に嚙み合って存在している。時計は止まっているから、歯車の動きや音を気にすることはない反面、見た目すらわからない成れの果てが隠れるのには絶好の場所と化していた。薄暗く部屋を染め上げる瘴気もまた、繭の中身を覆い隠すのに一役買っており、目視するのも気配を探るのにも邪魔になる。

 きょろきょろと辺りを見回し、感覚を研ぎ澄ませる。が、焦りのせいかうまく集中できない。

 ちらりと、右手で握っている小振りの剣に目をやる。

 ブリュンヒルデこいつを解放して、瘴気を吹き飛ばせば。

 圧倒的に視界は回復する。浄化された空気の中で、瘴気を放つものはとても目立つだろう。

 それはよく、わかっている。それがいま、最良の手だということもまた、わかっている。

 だけど。

 もし、扱えなければ。

 一瞬、ぐらりと心が傾ぐ。弱気な考えに、持っていかれそうになる。

 その僅かな隙に。

 漆黒が、動いた。

 いったいどこに隠れていたのか。薄闇を塗りつぶしてどこまでも深い漆黒の軌跡を残し、メビウスに迫る。


「……なッ!?」


 突進してきたそれを、間一髪身を捻って直撃は免れた。が、左の二の腕に鋭い痛みが走り、ぱっくりと裂けて血飛沫が舞う。速すぎて、姿を捉えることができない。以前の、漆黒の胎児とはあまりにも違い過ぎる。

 唯一、きらりと光って見えたのは、しろがねだろうか。


「エイジアシェルの名を以って、真の姿を開放する」


 詠唱を始めたのは、防御本能と言ってもいいだろう。迷っている暇はない。この状況を打破するにはこれしかないと、警鐘がなっていた。漆黒のなにかが、物凄いスピードで変化前の刃にかぶりつく。首を噛み切られる前に、小振りの剣で防御できたのは積み重ねてきた多すぎる経験があったからだ。だが、勢いに押されて、踏ん張りが効かない。小柄な身体が浮き上がる。背中に石壁の冷たさと圧迫感を感じながらも、メビウスは今度こそ躊躇わずその名前を叫んだ。


「全てを浄化せよ――神器ブリュンヒルデ!」


 右手に持つ得物の感覚が変わるのを感じ、思い切り振り抜く。取りついていた黒いものが、吹き飛んだ。爆発する光の濁流が、立ち込める瘴気を一瞬にして洗い流す。遅れてきた衝撃が背中から全身を突き抜けた。叩きつけられた身体はまるで砂のように崩れる瓦礫に埋まり、外に放り出される。


 そこで、初めて。

 メビウスは、相手の姿をしっかりと見た。

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