26・取り込まれたもの

 外に放り出された少年の身体めがけて飛び出してきたそれ。解放の光を間近で受けたにも関わらず、傷一つない。太陽のもとに晒された醜悪な姿を目の当たりにし、メビウスは目を見開いた。

 光すら飲み込む艶のない漆黒の身体は一体目と同様だ。だが、その他はまるで違う。元は同じものであったという欠片すら、見受けられない。

 ぞろりと長い身体が、宙でうねる。たくさんの人の足を無造作に生やし、正面には申し訳程度の胎児の頭が二つ。以前の魔王だったものと同じく目も鼻もすべてが漆黒で覆われているが、口だけが耳元まで裂けていた。左側が不格好にひしゃげている。


 ……ああ。

 だ。

 メビウスが違うと感じ、ソラが口にした、成れの果てに紛れていたものの正体。片方ひしゃげた頭が、正体を雄弁に物語っている。


「……オルトロス」


 呟いたメビウスの背後に、青い魔法陣が浮かび上がる。それは落下する少年の身体を飲み込み、青い光を残して消えた。直後、漆黒のいきものが魔法陣の浮かんだ場所を通りすぎる。

 重力に逆らえないのは、黒いいきものも同じだった。獲物を見失い、巨大な身体はもがきながら自由落下を始める。


「サンキュ、ルシオラ」

「最初から、転移陣これを狙っていたのだろう? また階段で降りて来るには、時間がかかりすぎる」


 消えゆく転移の青い光が魔女の横でにしっと笑う、いたずらっ子のような表情を透かした。その笑みがこれ以上ない程明確に、彼女の言葉を肯定している。ルシオラが呆れてため息をもらす中、肩に担いだブリュンヒルデを見、ソラが目を見張った。


「メビウス、それ……!」

「ん? うん。なんかな、育ったよな」


 ちらりとブリュンヒルデを見上げ、さして気にしていなさそうに視線をすぐに戻した。少年が手にしている得物は形こそ変わっていないものの、今までより一回り大きくなっている。興味なさそうにしているメビウスだが、本当はこの程度の変化で良かったと心の中ではほっとしていたりした。


「一度、身体に降ろしてちからを使役したことで、ブリュンヒルデの魔力を今までよりも引き出せるようになったのだろう。他に変わったところはないか?」

「さあ。使ってねえから」


 しれっと返して、メビウスは土ぼこりの上がった時計塔の入り口付近に鋭く視線を飛ばした。太陽を模した双眸の先、濃い闇をまとった異形が身体を起こす。


「それよりアレ、な。すでに繭から出てきてた。前の以上に、死なねえかもしれねえぜ」


 言いながら、担いでいたブリュンヒルデをおろし、地面すれすれに構えて不敵に笑う。


「そんじゃぶっつけ本番、行ってみますか!」








 息を弾ませて、ウィルはレイモンドの家へと急いでいた。予想した水路へ直行することも考えたが、その前にレイモンドがどんな暮らしをしていたのか確かめたくなったのである。もちろん、昔は何度も入ったことがあるが、いまの彼の暮らしを知っておくことは悪くはないだろう。それに、レイモンドの家は広場の近くにある。大した道草にはならない。

 普段は賑やかな大通りを、広場の手前で一本横にはいる。広い大通りとは違い、住居の立ち並ぶ横道は複雑に入り組んでいる。普段なら大通りの活気あふれる声や音が、いっぱいに建つ家々の生活音が響いているところだが、さすがにいまはどちらも静まり返っていた。自分の足音だけが、不自然に大きく聞こえるなかを、青年はコートをなびかせて目的の家へと走る。

 幼馴染の家は、覚えていたよりもずっと広場に近く、記憶の中よりとてもこぢんまりと感じた。よくここに遊びに来ていたのは、魔獣組合ギルドの手伝いをするようになる以前だったから、その頃よりもウィルが成長したという証だろう。それが少し寂しくもあり、青年は少しだけ家の前で静かに立ち尽くした。


「…………」


 家を眺めて、ウィルはふと湧いた違和感に首をひねる。あまりにも、生活臭がなさすぎるのだ。

 小さいが、きちんと手入れされていた花壇は枯れ果て、朽ちた葉が白かっただろう柵にこびりついている。一階の窓は昼間だというのにカーテンが引かれたままだが、二階の窓はどれもカーテンが見当たらない。レイモンドが居なくとも、両親は住んでいるのだ。世界がこんな状況だから、家の中で息をひそめているのかもしれないが――否、こんな状況だからこそ、帰ってこない息子を心配しているはずである。なにか温かいものの一つや二つ用意して待っていてもおかしくはない。三角屋根から突き出た不格好な煙突から、白い煙があがっていてもいいぐらいである。


 違和感を噛みしめながら、ウィルはノッカーを遠慮気味に叩いた。耳を澄ますも、家の中からはなんの音もしない。誰かが出てくる気配もない。少し待ち、もう一度ノッカーを鳴らすが結果は同じだった。

 レイモンドが出てくるわけはないが、両親も出てこないのはおかしい。やはりこの、異様な人気のなさは自分の思い違いではないようだと、ウィルは慎重に取っ手に手を伸ばした。確認のために掴んだ取っ手だったが、意に反して扉は簡単に開いた。外開きの扉に沿って流れてきた空気は少々埃っぽく湿っていて、人が暮らしているとは考えにくい。

 ぽっかりと開いた入り口は、ウィルを誘っているように見える。嫌な予感しかしないが、ここにはなにかがあると、本能が告げていた。


「……レイモンド」


 ぽつりと呟いて、ウィルは本当に久しぶりに幼馴染の家に足を踏み入れた。後ろ手で扉をゆっくりと閉める。どの窓もカーテンが引かれているため、扉が閉まるとかなり薄暗い。

 家に入り、ウィルは確信した。ここの空気は、重たく淀んでいる。動いている気配はない。少なくともいまは、この家の中には誰もいない。

 すでにそう結論付けながらも、ウィルはさっと家の中を見てまわる。思ったとおり、リビングにも寝室にも人影はない。残る書斎の扉を開け、紙の匂いと埃の入り混じる空気を手で払いながら本でまみれた壁を眺めた。学者であるレイモンドの父の蔵書がほとんどで、なにやら小難しいタイトルの背表紙が並んでいる。

 みっしりと詰め込まれたぶ厚い本の中、不自然に手前に少しだけ傾いた本を見つけた。本棚から取り出そうとして、上から指でも掛けたかのように斜めに背表紙を傾けている様はあまりにも目立ち、まるで触ってくれと言わんばかりだ。

 ならば、と傾いた本を手に取ろうと手前へ動かす。カチッ、という小さな音が本棚の奥から聞こえ、棚がゆっくりと右へスライドした。人一人通れるぐらいの隙間をあけて、棚は止まる。


 「……これは」


 隙間の先には、淡い光に照らされた下り階段がある。石造りの階段は途中から金属に変わっており、遺跡と繋がっているのだろうことが見て取れた。

 地下への扉は開け放たれており、やはり誘われているのかとウィルは思う。いつからこの状態だったのかは知れないが、魔獣組合ギルドのメンバーは取っ手を触ることもしなかったのだろう。当たり前と言えば当たり前かもしれないが、そのお陰でウィルが訪れるまで状況は保たれたままだった。誰かがこうして強引に家の中へ踏み込んでいれば、レイモンドの行方もすでにわかっていた可能性もあるが、今更そんなことを考えても詮無いことだとウィルは小さく首を振る。


 しかしまさか。

 家の中から遺跡に繋がっていたなんて。

 レイモンドは、いったいいつから気づいていたのだろうか。

 考え込んでいたところで、答えなど出ない。ウィルは一度目を閉じると、深く息を吸い込んだ。埃っぽい空気が少し喉に張りついた感じがしたが、咳き込むほどではない。目を開き、考えすぎた思考を息と一緒にゆっくりと吐き出す。多少、もやもやとしたものが消え、頭の中がクリアになった気がする。


「行きますか」


 わざと声に出し、自身を鼓舞してウィルは地下へとおりた。ひんやりとしたいにしえの空間は保管庫として使われていたようで、壁に沿って並べられた棚の中に保存食や防寒具の他、雑多に物が詰め込んである。それはつまり、レイモンド以外の、家族もここは知っていたということになる。淡い魔法の灯をともす台があるのも、ここを普段から使っていた証だろう。

 

 ぐるりと見回し、一つだけ倒れた棚の奥を見つめる。力任せに引っ張ったのか、棚は前方を下にして倒れていた。その先に、金属の壁はない。淡い光が照らす通路が続いている。ここは魔獣組合ギルドとして使っている区画ではない。それなのに魔法の灯がともっているということは、誰かが点けたからに他ならない。


 ――組合ギルドメンバーに見つからず、食料に困らない場所。


 保管庫の保存食はまだ余裕がある。水は自宅で確保できる。

 レイモンドは、どこへも行っていなかった。ただずっと、家から出ていなかっただけだった。

 だらだらと続く通路を歩きながら、ほんのわずかに覚えた違和感。

 誰かが、玄関の取っ手を握っていたなら。

 そして、家の中に足を踏み入れていたならば。

 誰でも、ここまではたどり着けるだろう。このまま歩いていけば、レイモンドがいるのだろう。

 レイモンドは。

 ――見つけてもらいたかったのだろうか。

 誰でも、良かったのだろうか。


 それは本当に小さな違和感だ。魚の小骨が喉に引っかかった程度の。水を飲めば、一緒に流れ落ちていく程度の。

 そんな違和感が。

 どうしても、消えない。


 ふと前方が明るくなる。視界に映る四角く切り取られた光は、通路の終わりを告げていた。ぐっと息を呑みこみ、ウィルは足を前へと運んだ。

 広い部屋に出る。幼馴染みの家をすっぽりと収めてしまえるほどの、だだっ広い空間だ。奥へ行く扉や通路は見当たらないから、終点なのだろう。まるで金属の箱のような部屋の隅に、彼はいた。

 捜し人の目の前の檻から、嫌な空気を感じ取る。


「……レイモンド」


 呼びかけに、ゆるりと彼は振り返る。それは確かに、捜していた幼馴染の顔だ。だが、そこに浮かんだあまりに穏やかな表情は、ウィルのまったく知らないものだった。


「やあ、ウィルさん。思っていたよりも遅かったね」


 ウィルの知らぬ表情かおのまま、レイモンドは生気のない瞳を細め、薄く微笑んだ。

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