20・不機嫌な泣き虫

 夜中の魔獣退治はそれから二日続けて行われた。皆が寝静まった頃合いをみて二人で抜け出し、主に街道沿いの隙間を閉じて魔獣を退治する。あらかた片づけたあとは、だらだらと他愛もない話をして程々にクールダウンしてから戻った。初日も入れて三日しか続かなかったのは単に、帰ったらエリーが、まだ地平線がうっすらと明るくなってくる時刻だというのに、魔獣組合ギルドの前で腕を組み、二人を待ち構えていたからである。


「やっぱりメビウスさまだった」


 開口一番、エリーは不機嫌丸出しの声で言った。同行している自分に向けてならともかく、金髪の少年に対し、妹がそんな声を出すのは珍しい。

 エリーの変化に気付いているのかいないのか。メビウスは「よっ」と片手をあげてへらっと笑う。


「バレちゃった? 思ってたより早かったな」

「ここのところ、消せなかった隙間がきれいになくなってるんです。それも、凄く効率的に、街や街道に近いところから。夜に誰かが退治してくれてるんでしょうけど、増えた魔獣たちを暗い中的確に倒して隙間もきっちり浄化していくなんて、よほど慣れていないと無理です。それに、夜はどこから襲われるかわからないから、いまは昼間だけにしようって皆で決めてるんです。勝手にエリーのお仕事まで、取らないでくれます?」

「……ん?」


 棘のある口調で言いながら、つかつかと歩いてくる。メビウスの前で立ち止まると、どんっと胸を叩いた。治り切っていない傷の上を容赦なく殴られて、さすがに身体を折り曲げるとエリーの拳になにかが握られているのが見える。目を凝らすと、エリーはぱっと手を広げ、それが手のひらから滑り落ちた。反射的に受け止めたのは硬い革の感触で、メビウスは前のめりになったまま、まじまじと受け止めたものを見つめた。


「ベルト、直しておきました。前のものを参考にしてもらったので、使えると思います」

「あ、うん、サンキュ、な?」


 あくまで硬い口調を崩さないエリーに、困惑気味の返事をして手に持った剣をとおす。鞘はしっくりと留め金にはまり、メビウスはいつもどおりベルトを斜めにかけた。


「お、ホントだ、いい感じ――」


 感想を口にしようとして、エリーがもうこちらを見ず、自身の兄に視線を向けているのを見て、メビウスは尻すぼみのまま口を閉じた。


「お兄さまも。なにメビウスさまに付き合ってるんですか。メビウスさまが無茶しないように気をつけるのがお兄さまの役目なんでしょう? いまのメビウスさま、万全じゃないんです。無茶に付き合った挙句、なんてことになったらどうするつもりだったんですか」


 その言葉を聞き、ウィルは不機嫌な妹に合点がいった。エリーは、ウィルの役目についてきちんと理解をしている。だから、こんなにも機嫌が悪いのだ。


「どうするもなにも、自分の状態がわからないほど無茶ではありませんよ、坊ちゃんだって」


 ちらり、とベルトに手をかけたままの少年に視線をやった。自分が話しても、運が良かった父親が話しても聞く耳を持たなかった妹が理解しているということは、彼女が懐いている本人が語ったに違いない。先日広場で、瀕死の重傷を負いながらなお、歩みを止めない少年の姿を見たのも大きかったのだろう。

 しかしいまは、あのときとは違う。動くこともままならなかった傷は癒え、メビウスも無理をしている様子はない。だが、エリーはウィルに懐疑的な視線を向けた。


「それなら、どうして夜中にこそこそ退治してるんです? メビウスさまが魔獣退治に慣れてるのは、お父さまだって知ってます。夜に動くって、一言断ればいいだけの話じゃないですか」


 エリーの正論に、最初は気晴らしで付き合ったなどと言えるわけがない。珍しく返答に詰まった兄を、エリーはじとりとねめつけた。


「そう言われると、痛いなー。ウィルと一緒になったのは偶然だし、誘ったのはオレなんだ。ちゃんと動けるようになってるか確認しねーと、足引っ張ることになるだろ?」


 ウィルが口を開く前に、メビウスが兄妹に割り込む。見上げていた鋭い視線が少年へ移ったのを感じ、ウィルは内心安堵した。


「メビウスさまが足を引っ張るなんて、思っていません。でも、勝手に動かれると万が一があったら困ります。知っていれば、サポートできますから」

「そっか。心配かけてごめんな。それなりに動けることはわかったし、準備運動はじゅうぶんだ。やらなきゃなんねーことが、山ほどあんだろ」

「それなりって……怪我だってまだ完治してないのに」

「大丈夫。……とは正直言えねーけど、これ以上寝てるわけにもいかねーんだ。エリーも感じるだろ、時計塔の、きもちわるい空気」


 問われて、エリーの顔色がまともに変わる。


「ルシオラさまが、あれには触るなと……! 塔に何重も封印をかけていました。あんなもの、触れと言われても触りたくありません。あんな、きもちのわるい気配、感じたことがない……ッ」


 無意識のうちに震える身体を両の手で抱きしめながら、エリーは掠れた声を絞り出す。きもちがわるい、としか形容しがたい禍々しい空気。想像するだけで、胸が悪くなる。


「合ってるよ。それで、合ってる。あれは、触れたらいけないものだ。いまはまだ、眠ってると思う。だから、あれが起きる前に、なんとかしなくちゃなんねーんだ」

 

 普段の軽い口調とは違う、落ち着いて大人びた声。少年が、外見とはかけ離れた年月を生きていると実感させる説得力を持った、声音。

 静かな声に後押しされるように、顔を上げる。震える視界に、太陽のあたたかな光が映り込む。幼いころから大好きだった柔らかな光を見つめるうち、エリーの身体の震えは治まっていった。それを確認し、メビウスは相貌をへらりと崩す。


「まずは、ここ三日でわかったことを後でテオに報告するよ。ちょっと試してみたいことも、あるしな」

「試したいこと……?」


 硬い調子のままオウム返ししたエリーに向かい、メビウスは困ったように眉尻を下げた笑みを浮かべて頷いた。


「そ。魔獣組合ギルドに協力してもらう必要があるから、テオの承諾取らなきゃなんねーけど、上手くいけば少しは戦況が良くなるかもな。オレ一人で無茶するようなことじゃねーよ」


 ぽん、とエリーの頭に手を置くと、普段の顔で笑った。


「だから――そんな顔すんな。まあ……こないだはカッコ悪いとこ見せちゃったから、幻滅すんのもわかるけど」

「ち、違います! 幻滅なんかじゃなくって、エリーは、エリーのできることで、ちゃんとメビウスさまの役に立ちたいって思ったからッ」


 お見舞いも我慢して。

 行ったって、なにもできないから。


「エリーは、メビウスさまの目が覚めるまで、起き上がれるようになるまで魔獣の被害が広がらないようにって、だって、エリーにはそれしかできないから……ッ」

「それしかできねーって、そんなことねーだろ? これ直してくれたし、甘いものは疲れてるときにいいって、教えてくれただろ?」


 ベルトに手をやり、首を傾げる。エリーは少しだけ考えて、小さく首を縦に振った。その僅かな動作で、こぼれないように気をつけていた雫がぽろっと一筋流れ落ちる。


「あーもう、ホントに泣き虫だな、エリーは。そこだけは、ずっと変わんねーのな」

「そ、そんなこと――ッ!?」


 頭を撫でたまま、メビウスは左手でエリーを抱き寄せた。一瞬のことで、エリーは目を白黒させるが、そのままぽすんとメビウスの肩に額をつける。自分でもよく分からない感情が、エリーの胸の中を暴れまわっていた。きっと、ひどい顔をしているから、メビウスだけではなく、兄にも見せたくない――と、エリーは上を向くのを諦める。妹のような存在のそんな心情に少年が気付いていたかは定かではないが、彼はぽんぽんと背中を軽く叩くと独り言のように口にした。


「顔見せてくれるだけで、嬉しかったんだけどな。ま、オレが言える立場じゃねーか。オレがやらかしたことの後始末をしてくれてたんだから。でもさ――」


 エリーも、頑張りすぎなんだよ。

 ふっと空を仰いで、のぼる朝日に目を細める。


「まったく、お前らいらねーとこだけ似てんだよ。テオもイザベラもいい加減なのに、いったい誰に似たんだ?」

「……だから、ですよ。反面教師ってやつです」

「ふーん」


 ウィルの答えに素っ気ない相槌を打ち、メビウスはまだ下を向いたままの少女をちらりと見た。


「とにかく、いったん仮眠するか。エリーもさ、ちゃんと睡眠取れよな。しっかり寝ないとお肌が荒れちゃうぞー?」


 にしっと笑って放たれた軽口に、ウィルの呆れたため息が重なった。

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