19・他愛もない時間

「思っていたよりは、気晴らしになりました」

「頭を冷やしたくても冷やせねーときは、身体を動かしたほうがいいんだよ。動かしてるあいだは無駄なこと考えなくて済むし、疲れたら勝手に眠くなる」

「……なるほど。案外、理にかなっているかもしれません」

「だろ」


 静かになった道端に大の字に寝っ転がって、メビウスは目を閉じた。隙間が閉じると、なりを潜めていた虫たちが少しずつ合唱を再開する。戦いで火照った身体を、夜の冷たい空気が冷ましていった。じくじくとぶり返していた傷口の痛みも、少しずつ治まっていく。

 しばらく、黙って小さないきものたちの大合唱を聞いていた。片方だけ立てた膝を抱え、ウィルはなんとはなしにソラと出会った日のことを思いだす。夜の草むら。月明りと虫の声。特有の冷たい空気。シチュエーションが、似ていたからかもしれない。

 それどころか、最初から行動を決めていたところまで同じである。なにかあったら困ると、考えていることまで同じじゃないですか、とウィルは知らず苦笑を浮かべていた。


 幸い、なにかが起こることはないまま時間は過ぎていく。

 少女が落ちてくることもなく。

 炎が降ってくることもない。

 本当に寝てしまっているのでは、と思うほど静かだった少年の言葉が耳に届いた気がして、ウィルは彼を見やる。


「……オレはさ。最初から決めてたんだ。テオの次は、お前だって」


 静寂を壊したのは、静かに紡がれたそんな言葉。青年は一瞬ついていけず、聞き返す。メビウスの朱の瞳は開いていて、真っ直ぐに夜空を眺めていた。


「なんでお前を選んだかって話。選んだんじゃねえ、決めてたんだよ。なんか、懐かしい気がしてさ」

「それは、僕がご先祖様に似ているって話ですか」

「うーん……どうかな。顔は似てるけどさ、空気はまったく似てない。ってか、似てる似てないっつーより、。うん、やっぱそれがしっくりくる。なんでそう思ったのかは、わかんねーんだけど」

「なんですか、それ。はあ、悩んでた自分がバカに思えます」

「考えすぎるとバカになるんじゃね? いや、あのな、ちゃんとした理由もあるから眼鏡のしたから睨むのやめろよな。お前とのほうが、相性がいいと思ったからだよ」


 これでいいか? と投げやりに締めくくった少年の顔を、やめろと言われたとおりの視線でじとりと見下ろし、小さくため息をつく。


「相性、ですか」

「いいだろ? 近距離物理のオレと、遠距離補助のお前。いまだって、うまくやれたじゃん」


 へらっと笑ったメビウスに、ウィルは「そうですかねえ」と曖昧な言葉で返した。


「遠距離でしたら、エリーやルシオラさんでも――」

「そこ! そこなんだよ。滅多に表に出ないとは言え、ルシオラがいるから攻撃は足りてるんだ。つーか、足りすぎてる。ウィルみてーにピンポイントで遠くから嫌がらせしたり、手の届かないところまで足場作ってくれたりするほうが、一緒に戦うには相性がいいんだよ」

「……嫌がらせ、ですか」

「魔獣にしろなんにしろ、ちくちく足止めされんのは嫌だろ。しかもお前の場合、タイムラグもねーから、余計にな」

「坊ちゃん、それ、褒めてます? けなしてます?」

「やだなあ。褒めてるに決まってんじゃん。戦闘で思ったように動けないってのは、いちばんイライラするんだぜ?」


 普段のへらへら顔を引き伸ばしたように、にっと大きく口角を上げてメビウスは笑う。なんとも大雑把な表情で、ふざけているのか本気なのかとんと読めない。ウィルはその顔を眺めていても、なにもわからないことに気が付いて小さくため息をついた。


「……本気で、褒めてます?」


 ぼそっと、本音をこぼす。


「褒めてるよ」


 ったく、疑り深いな、と少年は苦笑した。


「あのな、いいこと言われてるときは、素直に受け取っとけ。なんでもかんでも裏考えてたらめんどーだろ?」

「相手にもよりますよ。坊ちゃんだから、疑ってるんです」

「なんだよそれ。こっちは信頼してるって言ってんのにさ。ちょっと傷ついたんですけど」

「はあ? 坊ちゃん、僕になにか言われた程度で傷つくようなメンタルの持ち主でしたっけ」

「うっわ、傷つくー! オレのガラスのメンタル砕けちゃいそー」

「はて。坊ちゃんが、ガラスのメンタルをお持ちとは知りませんでした。砕けているところを、知りませんので」


 言いながら、数日前に見たような気がする、と思いながらもそれは心のなかにしまっておく。ガラスのメンタルとやらの証拠にはなるだろうが、本人は蒸し返してほしくない話だと思い、芝居がかった仕草で、傷ついたー、泣いちゃう、などとのたまっている少年を一瞥して目を逸らす。

 視線が逸れたのを感じて、メビウスは泣き真似をやめ、ふっと息を吐き出した。


「……レイのこと、なんだけどさ。お前が気に病む必要はねーよ」


 ふざけていたかと思えば、これである。ウィルにはできない切り替えの早さだ。まさかこのタイミングでそんな話題に飛ぶとは一切考えていなかったウィルは、だからこそなのか、自身が思っているよりも強い口調で反論してしまった。


「それは、坊ちゃんに口を出されることではありません。僕と彼の問題です」


 まるで、拒絶するような強い口調に、口にした本人が心中で驚いている。だが、言われた少年には予想範囲内だったようだ。先ほどまでとは打って変わって、静かな、落ち着いた声で返す。


「ああ、そうだな。昔のことについては、そうだ。けど、いまレイがいなくなったことに関して、お前はなにも関係ねえ。そうだろ?」

「それは――」


 わかりません、と呟き、ウィルは顔を伏せる。


「僕は……無駄な意地を張って、いまの彼のことをほとんど知りませんから」

「だったら――いまから知ればいいだろ」

「……は?」


 ウィルが目を丸くして、言葉にならない音をもらす。レイモンドとの他愛のないケンカは、彼にとってまだ上手く消化できていない、あまり触れられたくない出来事だ。うやむやにしてしまったのだから、消化されていないのは当然ともいえるが、そのせいか、幼馴染の絡む話は自分一人で片をつけたいと、これまた意地を張っていたことに気付く。青年の、些細な表情の変化を如実に感じ取り、メビウスは困ったように眉を下げて笑った。


「お前、自分で気付いてなかったろ。そーやって意地張ってるから、見えるもんも見えなくなるんだ。レイのこと知ってるやつなんて、いっぱいいるだろ? テオでもエリーでもいいから、ちゃんと聞いてみろ。な?」

「父さん、ですか」

「テオはあれで、お前のことを心配してるぜ。だから、レイを雇ったんじゃねえかな」

「え?」

「だって、お前とレイのことを知ってて雇ってるんだぞ? まさか考えなしってことは……いや、でも、テオだし……な」

「気持ちはわかりますけど、そこで考え込まないでくださいよ」


 途中から歯切れの悪くなった少年の言葉に、ウィルはなんとなく気持ちが軽くなるのを感じながら薄く笑みを浮かべた。


「そうですね。事情を知ってるくせに一言報告すらなしで彼を雇ったのはなぜなのか、聞いてみる価値はあるかと。どーせまた、いらないお節介でも焼こうとしてたんだと思いますけどね。いい機会ですから、色々ととっちめてやります」


 少しだけいつもの調子に戻った青年の台詞を聞き、メビウスは「はは」と乾いた笑いを浮かべてぶるりと首を引っ込めた。問い詰められたテオが、「坊ちゃんのおしゃべり」とかなんとか言いながらぶちぶちと愚痴を吐く様子が鮮明に脳裏に浮かんだからである。実際はウィル本人の口から聞いたのであって、メビウスはテオから聞いたとは一言も言っていない。だが、それを知らないテオからすれば、メビウスが焚きつけたように見えるだろう。


 まあ、いっか。


 夜の冷えた空気をいっぱいに吸い込み、メビウスは真っ直ぐに夜空を見上げる。最初瘴気で薄雲っていた空は、近くの隙間が閉じたいま、深い青にチカチカと星の輝きをまとわせて大きく広がっていた。

 眺めていると、自然、同じ色の瞳を持つ少女の姿が思い出される。

 あの、きもちのわるい気配。

 あれをどうにかするには、さすがにブリュンヒルデを解放しなければならないだろう。そして彼女はまた、あの、しねないいきものを――。

 それでも。


「……ソラちゃんは、ソラちゃんだ」


 なにがあっても、それだけは変わらない。

 かすかな呟きに、ウィルが首を傾げた。


「なにか、言いました?」

「んー? ま、お前は溜め込みすぎなんだ。全部じゃなくていいから、たまには吐き出せ」

「……坊ちゃんに、ですか?」

「相手は誰だっていいさ。お前が話したいやつに話せばいい。少しぐらい、自分をいたわれ」


 よっと声を出してぴょこんと飛び起きると、メビウスはウィルの背中をばんと叩いた。そこは、少年には秘密にしている魔法陣がえがかれている場所で、びくりと身体を震わせた。自分で思っていたよりも大きく反応してしまい、今度はメビウスが目を丸くして青年を見つめる。


「あれ……。そんなに、痛かった?」

「……いえ。そういえば、ルシオラさんにも同じようなことを言われた覚えがあるなと考えてまして」


 もっとも。

 ルシオラの言葉は、身体の限界を気にかけろ、という意味だったのだけれど。

 身体も精神も、負荷をかけすぎればいずれ壊れる。どちらかが壊れてしまえば、もう元には戻らない。だから、二人から言われた言葉は同義だとウィルは思う。反発することも多いが結局、二人の根っこは似ているのだ。

 そう思うと意識せず、ふっと笑いがこみ上げる。突然、背中を丸めてくつくつと笑い出した青年を、メビウスが怪訝な顔で見た。


「どしたの?」


 朱の瞳をひらひらと手を振ってかわし、坊ちゃんには関係のないことですから、とうそぶく。その言葉にメビウスは目を眇め、不思議なものでも見るかのように青年を眺めた。

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