18・気晴らしと失敗
月明りを受けて、白刃がきらめく。右手に残った確実な手応えに、メビウスは次の獲物を見据えて草地を駆けた。
「坊ちゃん! ちょっとまだ無理はしないでくださいよ!」
「わかってるって! でもこれ以上寝てたら身体が動かなくなっちまうっての!」
複数の魔獣を相手取りながら、ひょいひょいと機敏に動きまわる姿に「バケモンですか」とウィルは呟いた。もう走り回れるようになった少年に、安堵の気持ちとまだ安静にしていてもらいたい気持ちとが混ざり合い、口に出させた言葉である。
夜中の大通りを歩き、デア・マキナを覆う結界のすぐ外で発生した隙間。それを目にするや否や、そこから這い出た魔獣を一刀のもとに斬り伏せ、メビウスは隙間を縫い留めるように何度も斬りつけた。隙間はあっという間に小さくなり、目視できなくなる。解放していないのに、とウィルは瞠目したが、その刃に多少は浄化のちからが染みついているのかもしれない。少しのあいだ、メビウスは閉じた隙間をねめつけていたが、新しい隙間がすぐに開くわけではないと確認して次の行動に移る。
それから彼は、隙間や魔獣を見つけては無駄のない動きで次々に仕留めていった。縦横無尽に駆け回るその姿からは、さきほどまでベッドに伏せていたとはまず想像がつかない。気晴らしってこういう意味かと少年の動きを目で追いかけながら、ウィルは「もしや」と思ったことを口にする。
「坊ちゃんまさか、いままでも勝手に抜け出してたんじゃ――」
「そーしたかったけどな、今日が最初。オレもあんまり眠れなくて」
いろいろ、たまってたからさ、と続けながら突進してきた犬型の魔獣をがんっと蹴り上げ、無防備に伸びあがった身体の真ん中に剣を深々と突き立てる。反対側から飛びかかってきたもう一匹の喉に、左手に持ったままの鞘の先端を叩き込み、後退させた。右手にぶら下げたままの最初の魔獣を力任せに振り回し、体勢を立て直そうとしている二匹目に剣を抜くために蹴り飛ばした身体をぶつける。
一緒くたになって吹っ飛んだ二匹に一気にとどめを刺し、メビウスは一旦息をつく。
「オレが無茶やったせいで、みんな戦ってんだと思ったら眠れなくなった。けど、中途半端な状態で加勢したって足手まといになるだけだし、せめて足だけでも治ればってここんとこずっとそればっかりで。寝て起きたら悪化してんじゃねーだろうかとか、治る前にもっとデカい隙間があくんじゃねーだろうかとか無駄に考えだしたら余計に目が冴えるし」
だから、色んな意味で気晴らし、と魔獣の死体をあしもとに転がしたまま、少年はにっと笑う。淡い月明りを受けて、凄惨な光景が映し出されたのはほんの一瞬だ。ウィルが、浄化の魔法を展開したからである。
「僕は、銃を持ってきていません。倒すのは、手伝えませんよ」
「それでじゅうぶん。夜のあいだに、少しでも隙間の数減らしといてやろうぜ」
それにさ、とメビウスは浄化された魔獣が倒れていた場所をぼんやりと見やる。
「オレ、いまはまだ、こいつのちからに頼りたくねーんだ」
解放前のブリュンヒルデを握りしめて、けれど、ウィルを射抜いた視線はひどく真っすぐで。
そこに燃えているのは、あの日の狂気さえ感じる炎ではない。青年の見慣れた、太陽のようにあたたかく強い光だ。メビウスをメビウスたらしめる、決して絶望に飲み込まれない瞳。
少年は、双眸を柔らかく細めてへらりと笑った。
「……だから、お前が浄化してくれると、すげえ助かる」
たん、と軽い音を立て、数日前は杖を使っても満足に動かせなかった足で踏み切る。足もとに浮かぶのは、ウィルの
自由落下を始めた少年の真上で、ごきんっと嫌な音が響いた。彼の上に展開された魔法の壁に牙からぶち当たったコウモリが、ひしゃげた顔を向けている。鞘を持つ左手の指二本で
「サンキュな!」
上からの攻撃に対応した礼だろう。着地と同時にウィルに言い、メビウスは瘴気を感じるほうへと軽やかに足を蹴りだす。まだまだ、動き足りない。瘴気特有の、生ぬるくまとわりつくような気配は、薄くなるようすを見せない。
夜の闇をさらに暗く覆い隠す瘴気の向こう。夜目が利く少年の視界にぼんやりと浮かび上がったシルエットは、人の形をしていた。
確認したときには、斬れ味の悪そうな長剣が目の前に迫っていて、メビウスは得物と鞘、両方を交差させて攻撃を受ける。ぼろぼろの刃先は見るからに斬れなさそうだったが、重さはそこそこにあった。交差させて受けとめた長剣を一対の剣と鞘で絡め、澱みのない動作で両腕を斜め下に動かして刃先を逸らし、同時にがら空きになった胴に蹴りを叩き込んで吹っ飛ばす。
「……魔族、か?」
足を止めて、首を傾げる。それもそのはず、少年がいままで出会った魔族は強者ばかりであるうえ、昔から魔族の強さと凶暴さは嫌というぐらい聞いてきた。だから、魔族といえば下っ端といえど人間よりずっと強い、戦闘好きばかりがいると思っていたので、その風体に面食らったのである。
吹っ飛ばされた魔族は、受け身も取れずもろに背中から地面に叩きつけられた。仲間が二人、両側から支えて助け起こしている。そんな行動を取っている時点で、魔人ではなく知性のある魔族であることはわかるのだが、三人ともあまりにも貧相だった。突然斬りつけてきた刃こぼれだらけの剣もそうだが、身につけているものからその体格まで、すべてがぼろぼろだ。隙間どころか、
――魔界は、空っぽ――か。
一時休戦中の男が口にした言葉を思い出す。
二千年という途方もない年月を、他の世界との行き来を遮断された魔界は、いまどんな状態になっているのだろう。考えてみれば、それだけ長い間なんの情報すら得ることができなかった他の世界に行けるようになったからとて、普通の住民が住み慣れた世界を離れてすぐに行ってみようと思うだろうか。
だが、魔族と言えど、皆が皆突出したちからを持っているわけではない。いま剣を交えて、初めてその事実に気が付いた。当たり前だが、普通に暮らしている民はどんな世界にもいるのだ。そんな単純なことに気付けなかったことに愕然としながら、魔族にちらりと視線を向ける。
それを、攻撃の合図と取ったのかもしれない。剣を持った魔族を後ろにさがらせ、残りの二人が炎と瘴気のかたまりをそれぞれ撃ち出した。
右手の剣で瘴気を、左手に持った鞘で炎をたたっ斬る。
やっぱりな――と、メビウスは心中で納得する。
いままでは気にしたこともなかったが、
魔法も使わず瘴気と炎を消した少年に、魔族はあからさまに動揺していた。メビウスは得物のちからを解放しないまま戦っているため、魔族といえど通常の魔獣に毛の生えた程度の実力しか持たない低級のものたちでは、彼が持っている武器が普通のものではないということがわからない。そのことに気が付き、メビウスはそれを利用すると決めた。
「なんだ、魔族ってこの程度か。思ってたよりよえーんだな」
わざと大げさにため息をついて、落胆してみせる。あからさまな挑発に、魔族は簡単に乗ってきた。斬りつけてきた魔族を軽くかわし、先ほどよりは少し大きな炎の球も簡単に打ち消す。直後、ギギィィンっと金属同士のこすれる音が響き、草むらに二本の細いナイフが突き刺さった。
無造作にそのナイフを見やり、メビウスは失笑を浮かべた。肩をとんとんと鞘で叩いて、「これで終わり?」と首を傾げる。
「お前らさあ。いまさら、なにしにこっちきてんだよ。まさか、一緒に仲良く暮らしましょうなんて虫のいい話じゃねえよな」
ギリッと歯噛みする音が聞こえる。剣を持つ魔族はそれを握りしめ、憎悪を込めて剣戟を放つ。
「仲良くだと!? あんな場所にずっと押し込めやがって、ふざけんな!」
「そりゃ、自業自得だろ? 大昔、人間界が欲しくて攻め込んできたのは
片手で軽くあしらいながら、鼻で笑ってみせた。
「お前らみたいなのにぞろぞろ出てこられても困るんだよ。こっちは瘴気で汚れるだけだし、そっちだって無駄死にするだけだろ? 魔界がどんなとこかは知らねーけど、死にたくなかったら故郷でじっとしてるんだな」
言葉尻と耳障りな甲高い金属音が重なる。メビウスの右手が、素早く真横に振り切られていた。競り合っていた剣は、音と共に真ん中から上がなくなっている。折れたのではなく、少年が小振りの剣で
「さて、どうする?」
剣を突き付けて、メビウスは斬られた剣を持って立ちすくむ魔族を見上げる。太陽の双眸には、なんの色も宿っていない。空虚な瞳で、ただ見上げているだけだ。
「二千年前と同じだと思うなよ? 人間ってのは進化できるいきものなんだ」
後ろの二人が詠唱を始めたのを見、メビウスは淡々と告げる。
「やめとけよ。こっちで瘴気や魔力を消費すると、回復できねえ。使い切ったら死ぬぞ」
「二人とも、やめろ。無駄だ」
仲間の詠唱を片手をあげて制止する。二人は一瞬顔を見合わせたものの、おとなしく従った。加勢したところで、とどかないのはわかっていたからだろう。押し黙った魔族たちを見やり、メビウスは剣を下ろそうとして――反射的に剣を振った。ものを弾いた感覚と、肉を裂いた嫌な感触。
キンっと小さな音が鳴り、長剣だったものが横に弾き飛ばされる。本来の役割を果たせなくなった得物を投げつけ、振られた剣も避けずにリーダー格の魔族が殴りかかってきたのだ。
「バカか! ろくに戦えもしねえくせに、格好だけつけんな!」
首の辺りから上がる血しぶき。大振りの拳をなんなく避けて、メビウスは魔族の腹を思い切り蹴り飛ばす。魔族は血を流したまま、仲間の二人の近くに転がった。起き上がろうともがく魔族を、仲間が必死になって止めている。
「どうせ魔界にはもうなにもない。戻ったところで地獄しかねえんだ。魔王さまってのも、助けに現れてくれないしな」
空っぽ――か。
「早く連れて帰れ。ここにいたら確実に死ぬ。魔界なら、助かるかもしれない」
魔族は人間よりも頑丈だが、瘴気がなければ生きていけない。気が付くと、足が自然に動き出していた。動きを止めたはいいものの、どうしたら良いのかおろおろするだけの魔族二人をどけると、メビウスは寝間着の薄い裾を破って傷を押さえつける。
「人間が弱いなんて考えるな。戦えないやつは考えなしに出てくんな。隙間から出てきたやつなんて、こっちでは害でしかねーんだ。世界の敵でしかねーんだよ」
早口で言い切り、止血のための指示を出す。言われるまま、傷を押さえるのを代わりながら、魔族は不思議な顔をして少年を眺めていた。
「……じゃあ、あんたは、なんで」
「嫌、なんだよ。お前ら、一応話できるみてーだから」
ちょっと脅かして、逃げ帰ってくれりゃ良かったのに、とメビウスは気まずそうにぼやく。
「……だから、ぼけっとしてんなよ。これ以上ここにいたら本気でぶった斬るぞ!」
少年が機嫌の悪い声で吠えれば、魔族たちはほうほうのていで逃げ出した。彼らが使った隙間は、他のものより少しだけ大きい。それを半眼で睨みつけ、メビウスは少しの時間、ぼおっと立ち尽くしていた。
わずかに急所は外していたが、あれは、助かるかどうかわからない。
こんなはずじゃ、なかった。
苛立ちが隠せず、三人が消えた隙間を闇雲に斬りつけ、小さくする。
――なんで、斬らなかったんだろうな。
自問する。答えは、考えずとも出ている。
戦い慣れていなかったからだ。ケンカ程度しか経験のない、本気の命のやり取りをしたことがないものたちだったからだ。ぼろぼろの剣を持つ手が、ずっと震えていたからだ。
参ったな――と言葉に出さずに呟いて、苦く笑う。
やっぱり。
平和ぼけ、してたみたいだ。
「ウィル。こっち先に閉じてくれ。魔族が出入りできる隙間だ」
「は? 魔族って、坊ちゃん、そういうときは万全を期すためにですね……って血だらけじゃないですか!」
「返り血です。大丈夫です。あー、魔族っつっても下っ端の下っ端。戦うのに慣れてもいない、ただの民間人」
包丁持って暴れてるよーなレベル、とメビウスは呟く。
「……そんなの、本当にいますかね?」
「いるみたいだな。考えてみりゃ、魔族だってふつーに暮らしてるヤツだっているだろ。この二千年で、魔族の在り方も変わったのかもしれねえ。オレたちが知ってるやつらが、異常なだけさ」
ふむ、と訝し気な声を出しつつも、一応は納得したらしい。隙間を小さな魔法陣を出して浄化するウィルを見、メビウスは胸を押さえて小さく息を吐き出した。
少し、息が乱れている。普段なら、まったく問題のない運動量だ。心なしか、熱を帯びているように感じる大きな傷をそっと触り、メビウスはまだ暴れたりないと騒ぐ気持ちに蓋をして、ぐっと下唇を噛む。
無理をするのが一番よくない。
いま傷が開いたら、本末転倒だ。それは、身にしみてわかっている。
ぐるりと辺りを見回し、気配を探る。
めぼしい瘴気はあと三つ。
すうっと深呼吸をして、乱れた息を整える。ちくりと胸の傷が痛んだ。
――よし。
ウィルに気取られぬよう呼吸も痛みも覆い隠して、メビウスは瘴気に向かい、駆けた。
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