17・月明りの下で
「まったく、レイモンドは。一体なに考えてるんですか」
夜中に帰宅し、テオにルシオラの血を幼馴染みが持ち逃げしたという話を聞いて、ウィルは余計にレイモンドのことが気になった。彼は昔から魔獣に興味を持ってはいたが、魔法や魔力については素質も興味も人並だ。もちろん、特に変わった趣味もない。
最近の彼のことを、知っているわけではないですけど。
自室のベッドに潜り込み、ウィルは皮肉気な笑みを浮かべて額を押さえる。
まさか、こんな形で再会するなんて。
いまでこそ、メビウスの側で彼を補佐するのは嫌ではない。最初は自分が選ばれると思っていなかったから、少し驚きはしたものの、少年の補佐をするというのがどういうことなのかを知り、エリーじゃなくて良かったと思うようになった。レイモンドも、この役目の真実を知れば、一緒に行きたいなどと言い出すことはなかったと思うが、部外者である彼にそれを話すわけにはいかない。
それでも。
なぜ、別れの日にあんなくだらないケンカをしてしまったのか、と考える余裕ができたのは事実だ。
一日中捜しまわって疲れているはずなのに、一向に眠気がやってこない。ごろごろと寝返りを打ちながら、結局ぐだぐだと考えてしまっている。押し寄せる思考に、眠気が追いやられてしまっているのだ。
元々、人間が魔族に対抗できるようにと神族が与えた遺跡だったのだろう、とルシオラは分析をした。ここに本部を置いたのはもちろん、遺跡の恩恵にあやかるためである。機能がほぼ死んでいるとはいえ、ルシオラが多少手を加えれば人間でも動かせる程度の性能は引き出せた。遺跡が死んでいた原因は、エネルギー源がない、というのが一番の問題であったことも有利だったと言えよう。神族の膨大な魔力をエネルギーにして動いていた遺跡は、ルシオラの魔力が混ざった血を燃料にして、神族が作り上げ、人間が扱う施設として生まれ変わった。
情報収集と共有をベースに、いま街を覆っている結界も遺跡の持つ能力である。本棚もそうだったが、神族の遺跡は必ずと言っていいほど情報を蓄積、分析する能力が付いている。人間がいなくなったあと、収集した情報をなにかに使う予定だったのかどうかはいまではもうわからぬことだ。
ルシオラが手を加えたのは、その情報に関した部分だ。隙間や魔獣の特徴や出現場所、弱点などわかったことを入力し、各支部に共有させて討伐に役立てる。また、データを分析して次に出現しそうな場所を予想したり、逆に安全な場所を探したりもできるようになっている。
すべての機能を動かすわけではないから、エネルギーとなる魔力も遺跡が使われていた時代よりは消費しなくて済む。試験管に四分の一ほどのルシオラの血液で、一か月は問題なく動くだろう。それに、今回のように結界など別の機能を使った際に生じるエネルギー消費に合わせ、予備もストックしているから、余程でない限りはエネルギー切れを起こすことはない。
ルシオラは今回、ストックを渡しに来たわけではない。単に、ソラの回復魔法を見せるために流した血を再利用した形だ。だから、それがなかったとしていますぐ
どうして、レイモンドは――。
隙間が発生すれば、魔獣が現れる。
エネルギー切れになれば、情報伝達が遅れ、魔獣討伐に遅れが出るかもしれない。
いくら彼が魔獣の研究に情熱を注いでいるとはいえ、そこまで自分勝手なことはやらないだろう、とさすがに思える。
それに、とウィルは自身の考えを首を振って否定した。彼がメビウスから試験管を受け取ったのは、少年がエリーを捜しに行く前だ。まだ封印が緩む前であり、こんな事態に陥る前なのである。つまり、
――ダメだ。
眠れない。
ぐちゃぐちゃと髪をかきまわして、ウィルはベッドの上に身体を起こした。横にある机のうえに置いた眼鏡をかけ直し、時間を確認する。ベッドに潜ってから、一時間半ほど経っていた。
まだ、夜は長い。少し外の空気を吸って頭をすっきりさせるのも悪くない、と思い立ち、彼は寝間着のうえにコートを纏うと自室をあとにする。
静かに廊下を歩き、階段の前まできてふと、端の扉を見やる。その部屋は、来客用の寝室であり、メビウスが担ぎ込まれた部屋でもある。
少年が目を覚ました日。彼が、あんなふうに感情を押さえつけて、それでも止められない涙を流すのを、ウィルは初めて見た。パッと見には裏表なく見える少年だが、隠すならば徹底的に隠し通すからだと青年は知っている。あんな中途半端に、隠すに隠し切れず、止めるに止められず、ただ感情に押し流される姿はまるで記憶にない。だが、あれでなにか吹っ切れたのか、ルシオラとも変わらず普段どおりのやり取りに戻っている。
あんなメビウスを見てしまったからかもしれない。
ウィルは控えめにノックすると、静かに扉を開けた。
「……坊ちゃん。起きてます?」
返答はない。こんな夜更けに、怪我人が起きているわけもないだろう。背中を向けているが、すうすうと穏やかな寝息が聞こえた。ルシオラの処置があるとはいえ、ここに運び込まれた数日前とは別人かと思うほどの回復ぶりである。
そこには、血まみれで両足を破壊されながらも、空色の少女のもとへとなにかに憑りつかれたように突き進んでいた姿はどこにもない。メビウスがどれだけ禁呪で命を使ったのかは知れないが、それは、彼が戦うために、守るために選んだことだ。結果はどうあれ、少年は生きるためにその手段を選んだのだとウィルは思っている。
しかし、結界が壊れてからの、青年が実際に目にしたメビウスの姿は、自身の命を投げ出してでもソラの安否を確かめようと命を酷使する姿で、あんなにも自分勝手に自身を顧みない行動をする彼を見るのははじめてだった。彼は結局、自分の存在意義を知っているのだから。
どうやら、あのときの記憶は曖昧で、あまり覚えていないようだ。それでいいと、ウィルは思う。あのときの、異様な空気に包まれた彼は、正直もう見たくない。
毛布の中から、ぴょこぴょこと飛び出ている金髪を見おろして、青年は部屋を出ようとした。
少年が、もぞもぞと動いて毛布を跳ね上げる。寝相が悪くなるほど回復したのはなによりですね、とウィルは胸中で呟き、ずり落ちた毛布を肩の上までそっとかけ直した。むにゃむにゃと寝言を言いながら、少年は毛布に潜り込む。
「…………」
すとんと、ベッド脇の椅子に崩れるように座り込んだ。
「……僕は、どうしたらいいんですかね。僕が、彼を意地にさせたんでしょうか」
返事がないことはわかっている。そもそも、ウィルは返事を求めていない。
「正直、レイモンドが坊ちゃんに同行したいほど魔獣に興味があるとは思っていませんでしたし、思っていたとしてもそれを口にしたのは驚きでした。でも、そんなことを僕に言われても、ねえ?」
どうしようもないでしょう、とウィルは苦く笑う。
「僕は、どうして言い返してしまったんでしょう。
語尾がかすれて、月明りに消える。
「別に、ケンカするほど固辞していたわけではないんです。だから、あのときの僕は、どうしてあんなに意固地になってしまったのか、自分でもよくわからないんですよ」
そんなことで、僕は友人を失ってしまったわけですが、と自嘲気味に続け。
ぐっと膝の上で両の拳を握る。顔をあげ、眼鏡越しに少年を見やる。
「坊ちゃんは、どうして僕を選んだんですか。僕は、攻撃魔法も使えない、魔力もそれほど多くない、この家では出来損ないです。だからこそ、知識や応用に目を向けたけれど、才能がある人間はそんな苦労なんて必要ない。言われただけでできてしまう。いまでこそ、僕の役割を理解していますから、僕で良かったと思えるようになりましたが……僕は、そんなに薄情に見えていたんですかね?」
話すだけ話し、返事がないのをわかっていながらそれを少しだけ期待している自分に苦笑して、ウィルは立ち上がった。少年の落ち着いた寝息を確認して、彼は背中を向ける。
「……ったく。夜這いされるなら、ソラちゃんかエリーが良かったぜ」
毛布の下からそんな声が聞こえてきて、ウィルはばっと振り向いた。
「起きてたんですか。人が悪いですよ」
「うるせ。怪我人起こしたのは誰だよ」
もそっと毛布が動いて、半眼の瞳がウィルを睨む。
「それは悪かったと反省してます。でも、起きたんだったら、起きたって言ってくれてもいいじゃないですか」
「言える雰囲気かっての。懺悔でも聞かされてる気分だったぜ」
メビウスは毛布を剥ぐとベッドに上半身を起こした。斜めに斬り裂かれた大きな怪我の具合を確かめ、肩や手の動きを確かめている。まさか、とウィルの頭を嫌な予感がかすめていく。
「ちょっ、坊ちゃん?」
「よっ、と」
小さく掛け声をかけて、メビウスはベッドから降り立った。目が覚めた日には身体を支え切れなかった両の足は、ふらつくこともなくしっかりと立っている。メビウスはふくらはぎを触ったり、少し飛び跳ねたりして感触を確かめ、ベッドに立てかけてあった剣を手に取った。
「ん、悪くねえ」
「坊ちゃん、足は……」
呆然と呟くと、少年がへらっと笑ったのが月明りの下でもわかる。
「ソラちゃんのお陰だな。毎日集中して治してもらってたから」
言いながら、ちぎれたベルトを一通り見て、剣を鞘ごとベルトから外した。
「話しかけたら集中できないだろうなと思って我慢してたけど、ソラちゃんが目の前にいるのに黙ってるってのは拷問みてーなもんだったぜ。……あー、ベルトは新しいの買わないとダメだな」
「……坊ちゃん?」
「ん?」
「もしかして、なんですけど」
「うん?」
「最初から、起きてました?」
「うん」
「じゃあ、なんで最初に返事しないんですかッ。あーもー、無駄なことを喋りすぎた気分ですッ」
「いや、こんなに長居すると思ってないし。むしろスルーしてもらいたかったし」
靴を履いて上着を羽織り、剣を手に持つとメビウスはウィルを見上げた。
にししっと、いたずらっ子のような笑顔を浮かべる。
「一緒にいくだろ? 気晴らし」
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