7・ソラとエリー
帰路についたエリーは、看板の前で空色の少女がレイモンドをともなって出てくるのを見かけた。エリーが声をかけるより早く、地味な青年が彼女の存在に気付いて声をあげる。
「エリーさん。良かった。あまりに遅いので、帰りがてら俺も捜しに行こうかと思っていたところです。あれ、メビウス君は?」
「会いました。さっきまで、広場でデートしてたんです」
普段どおりの顔で、しれっと言う。デート、という言葉を出したのは、そこにソラがいたからだ。だが、大げさに驚いたのはレイモンドだけで、肝心の少女のほうは顔色一つ変えなかった。それは単に、ソラが『デート』の意味をはっきり理解していないだけなのだが、その事実をエリーが知る由もない。
「メビウスさま、全然エリーのお話聞いてくれないんですもの。付き合いきれないから、置いてきちゃいました」
「……本末転倒じゃないですか」
頭を抱えたレイモンドから視線を外し、傍らに無表情で立つ少女を瞳におさめる。そのまま無遠慮にじろじろと上から下まで眺めまわしたが、少女はわずかに首を傾げただけだ。
わからない。
平坦で華奢な身体を包む、シンプルな白のワンピース。青い空の色をうつす長い銀髪。夜空を切り取ったような大きな瞳。
――一目見たときから、そう決めた。
確かに、同性から見ても少女は可憐で美しい。表情の薄さはミステリアスとも取れ、彼女の纏う儚い雰囲気と絶妙にマッチしている。
それでも。
――彼女を守れたら、オレはそれでいい。
何度死んだって構わないと、メビウスに言わしめるほどの要素はどこにあるのか。
わからない。
エリーだってメビウスの事情も、担う役目も知っている。彼が死ぬということは、魔界との封印が弱まるということ。人間界と魔界の距離が、近くなってしまうということ。
だから、メビウスは死ねない。生き返るとはいえ、普通の人間以上に死ぬことは許されない。それはもう、加護という名の呪いである。
少年が、エリーに見せたことのない顔で告げた言葉。あれは、言い換えれば、
メビウスだって、そんなことはわかっているはずだ。彼はいつも笑っているけれど、本当は誰にも心を許さず、深入りはしない。事情を知っている、ルシオラや
少しだけ、少年の近くにいられる自分の位置が、エリーの自慢だった。彼の心に寄り添えれば、それでいいと思っていた。
……なんでよ。
世界と天秤にかけられるほどの価値が、いったいこの子のどこにあるっていうの?
いつの間にか、空色の少女を強い眼差しで睨みつけていたことに気付かず、エリーは口を開いた。
「ねえ、あなた。ソラっていいました? 記憶がないってメビウスさまから聞いたのだけど、本当なんです?」
威圧するような物言いにも、空色の少女は動じなかった。小さくうなづき、言葉を返す。
「なにも、覚えてない。わたしの最初の記憶は、メビウスが……助けてくれた、ところ」
忘れるはずもない。
ソラの――当時、名前もなかった少女の記憶は、
「……小さい頃からメビウスさまの記憶を持ってるのは、エリーたちの特権なのに」
呟く。耳にしてしまったレイモンドが、少しだけ表情を歪めたのを彼女は知らない。
ソラから目を逸らし、エリーは地味な顔立ちの青年に視線を移す。
「レイ。帰るんだったら、彼女を途中まで送ってってくれません?」
「え……? 最初から一緒に捜すつもりではありましたけど、でもメビウス君――」
「メビウスさま、まだ広場にいると思う」
「……そう、なんですか?」
「メビウスさま、あの場所気に入ってるから。エリーには、お見通しなんですよ」
ふん、と胸を張った瞬間、優しい声音が耳朶を打った。
「ありがとう」
――なんで。
なんで、ありがとうなんて言うのよ。
いままでほとんど無表情無感情だった空色の少女が、ふわりと嬉しそうな笑顔を顔いっぱいに広げている。人形のようだった少女に一気に人間味が宿り、エリーは一瞬ソラに目を奪われていた。見惚れていたといってもいいかもしれない。それほど、ソラの笑顔は心を惹きつけた。
笑みを浮かべたのはそのときだけで、ソラはすぐに無表情に戻ってしまう。レイモンドについて、固まっているエリーの横を通りすぎた。目の端を泳ぐ銀髪を認めて我に返ったエリーは、振り返るとソラに向かって言葉を投げる。
「メビウスさまを悲しませたら、承知しないんだから!」
無視するかと思いながら放った言葉だったが、ソラは足を止めて振り返らずにぽつりとこぼす。
「わたしも、悲しませたくない。だから、頑張る」
言うだけ言い、少女は小走りでレイモンドの背中を追う。小さくなっていく二人を見つめて、エリーは大きくため息をつき、いらいらと新緑の髪をかきまわした。
「……エリーはいい子ですから。だから、嫌いになんて、なれません」
仲良くできるかどうかは、わかりませんけど。
結局、お人好しな自分が一番、面倒な位置にいるのだろう。嫌いになれれば楽なのに、ともらして、エリーは
一人広場に残されたメビウスは、フードをかぶり直すでもなくただぼおっとベンチに座っていた。ずり落ちるようにだらしなく身体を預け、ため息をついて空を見上げる。雲が千切れて流れていくさまをなんとなく眺めていたが、ゆっくりとまばたきをして、ふと体を起こした。
広場からでは近すぎて、時間がわかりにくい時計を見やる。目を細めて時計の針を確認すると、まだ明るいが夕方に近い数字を指しているのが見てとれた。
「……あっぶね」
呟いて、ぴょこんとベンチから飛びおりる。そのまま帰るのかと思いきや、広場の中央――時計塔へと歩み寄ると、入り口で暇そうに欠伸をしている警備員に声をかけた。
「まだやってる?」
人差し指で塔の上を指す。大欠伸を見られた警備員は悪びれもせず、ふにゃふにゃと気の抜けた声で「次が最後」と答えた。
「夕刻の鐘が鳴ったら、最終便だよ。下りの最終まで少ししかないから、気をつけてな」
「ん、サンキュ」
お礼を告げるそばから、鐘の音が降ってくる。塔の内部に反響するそれは、音量もさることながら一度で数個の鐘が鳴っているように聞こえる。鳴りやむまで入り口で待ち、四度鳴り響いた鐘が静まってから内部に走り込んだ。反響の影響で空気が震えているように感じる中を、中央まで一気に駆け抜ける。
受付に金を払い、ぽっかりと口をあけて客を待っているいかつい箱に乗り込む。形も中身もごてごてと金属で覆われておりあまりに見目は違うが、それは昇降機だった。世界の本棚でルシオラが説明していた、魔獣から取れる
最終便であるせいもあってか、乗り込むものは少年以外にいなかった。時間になり、ぶ厚い金属の扉がごとんと音を立てて閉まる。大人が四人が乗って限界だろう窓のない箱のなかに、
窓がないから、終点につくまで特に見るものもない。時たまおしゃべりな
どれぐらい、箱のなかにいたのだろうか。
ピン、と高い音が響き、扉の上に設置してある針がRの文字を指して箱が止まる。もう一度、ふわりと重力に逆らう感覚に襲われ、思わず壁に手をついた。ぶ厚い扉ががたごとと音を立てて開いたときには、すっかり独特な感覚は消えている。目の前に開いた、歯車で修飾された壁と奥に見える外への扉を認めて、メビウスはほっとしたような笑みを浮かべた。
ぴょんと飛び跳ねて、昇降機からおりる。それもそのはず、昇降機と展望台の床のあいだには少しばかりだが隙間があるのだ。大人が挟まるほどの広さではないが、万が一ということもあり、しっかり距離を取っておりるよう注意するに越したことはない。
最終便の時間を告げる
扉を開けると、強い横風がメビウスを撫でていく。さえぎるものがない高さゆえに、風は地上よりも暴れている。柔らかな金髪を好き勝手風に遊ばせながら、少年はデッキの端まで危なげのない足取りで歩いて行った。
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