6・本音といじわる

 エリーが呼んできた自警団に三人を引き渡し、表通りへと戻るメビウスのまとう空気は暗かった。フードを深くかぶり直しているせいもあるが、少し伏せた表情は影になって読み取れず、エリーですら声をかけづらい。

 両手をポケットに突っ込んでエリーの後ろを無言で歩く少年を気にかけつつも、いい話題が見つからないまま大通りへ戻ってきてしまった。明るくにぎやかな人の流れを見、メビウスが少しだけ顔をあげて足を止める。

 その表情を、見てしまったからだろうか。


「メビウスさま。広場へ行きましょう」


 一瞬首を傾げたメビウスの返事を待たず、エリーは強引に少年の手を握ると帰り道とは反対方向へ走り出す。


「ちょ、エリー?」

「エリーはまだ帰りたくありません。少し、付き合ってください」


 半ば少女に引きずられるように足を動かしながら、前を行くエリーを見やる。彼女が振り返らないので、どんな顔をしているかはわからない。小さな背中に、たっぷりとした新緑が揺れるだけだ。


「まあ、いーけど。心配の種は潰したわけだし」


 呟いてみたが、やはり心は晴れなかった。金に惹かれて悪事に手を染めるものは昔からいる。それこそ、魔獣すらいなかった時代から、人と人が争いを続けていたときから。その争いの火種自体が金であったこともあるし、彼だって殺し合いの対価として受け取っていたこともある。

 ただ、仕事を持ちかけるのが魔族になったという、それだけの話だ。グレッグは、もしくは他にもいるのかもしれないが、彼らは報酬のために動いていただけだという、それだけの。

 理解は、できている。簡単な話なのだと、脳内ではわかっているのだ。ただ、感情が置いていかれているだけだ。あんなのは、氷山の一角にすぎないと、割り切るべきなのだ。


 エリーのあとをついて走りながら、メビウスはフードの下で苦笑いを浮かべていた。人と戦わなくなってから、自分は少し平和ぼけしているのかもしれない。

 活気の多い大通りを、通行人にぶつからないようすり抜けながら走ること数分。街並みが途切れ、視界がひらく。

 デア・マキナの中心にそびえるのっぽの時計塔と、ぽっかりとひらいた緑色の常駐する空間。同じ街とは一瞬思えないほど、穏やかで静かな時間が流れている。

 手を引く少女が走る速度を緩め、少年を振り返る。視線が絡み合い、エリーは顔中に幸せいっぱいの笑顔を咲かせた。








「はい、メビウスさま!」


 広場の一つだけ空いていたベンチに座ったのもつかの間、コーヒー買ってきますね、と言ってスタンドへ行ったエリーから手渡されたのは、こじゃれたロゴマークが描かれた大きなカップだ。当然のように乗っているホイップクリームを確認しつつ、メビウスはストローに口をつけた。


「……甘」

「ホイップマシマシキャラメルソースがけアーモンドミルクに変更ガムシロップマシマシホワイトモカソースとミルクチョコチップにバニラアイスダブルインのエリーちゃんスペシャルです!」

「……コーヒーの要素がねーな」

「えー、ちゃんとワンショット入ってますよ? 苦みあるじゃないですか」

「そーいや、超甘党だったっけ」


 苦笑を浮かべてもう一口すする。香りづけ程度のコーヒーと、その後にやってくる暴力的なまでの甘さの競合。舌に残るアクセントのチョコチップ。ぽりぽりと噛み砕いているうちに、それはふわりと溶けてなくなった。

 隣にちょこんと座ったエリーは、口いっぱいに甘い飲み物を頬張って満足そうに破顔している。しっかり味わったあと、ストローから口を離してぽつりと言った。


「甘いものは、疲れてる時にいいんです」

「……ん?」

「メビウスさま、さっきとても怖い顔をしてたから」

「そうか?」


 ちみちみエリースペシャルを口に運びながら、メビウスは普段通りの読めない顔できょとんと答える。


「案外美味いな、これ」


 コーヒーではねーけど、と話の矛先を変えるように、カップをしげしげと眺めながら言ったメビウスに、エリーはわかっていながら乗ることにする。少年が話したがらないことに、いくら食い下がっても無駄だというのは昔から経験済みだ。


「そうですよ、美味しいんですよ。美味しいものは、嫌なことなんて吹き飛ばしてくれます」

「そっか。サンキュな」


 ようやっとへらっと見慣れた人懐こい笑みを浮かべたメビウスを見、エリーもにこにこと嬉しそうに笑った。カップの中身はすでに三分の一ほどに減っている。


「ね、メビウスさま。エリーといるときぐらい、フード脱いでください」

「いや、エリーといると目立つし」

「だったら、被ってても被ってなくても同じじゃないですか。エリーたちを見たひとがメビウスさまのことを、エリーと一緒にいたフードの少年か、エリーと一緒にいた金髪の少年か、どっちかで覚えるってことですよね?」

「……まあ」


 そうかな、と続く言葉を待たず、エリーは少年の被るフードを勢いよく引っぺがした。ぴょこん、と少し癖のある金髪が飛び跳ねる。


「エリーはこっちのほうが好きです」


 にこっといたずらが成功した小悪魔のような笑顔で言われては、メビウスも口を閉ざすしかなかった。肩にかけていた三つ編みを背中に流すと、諦めて残りのエリースペシャルを一気に飲み干す。


「金髪も目の色も、きれいなんだから隠すのはもったいないです」


 そう、言いながら。

 少年の瞳とは真逆の色をした、夜空色の瞳が脳裏をよぎる。太陽とは並ぶことがないはずなのに、星を浮かべた夜空の如き双眸を持つ少女は、知らぬうちにそこにいた。エリーが立ちたかった場所に、あまりにも自然に溶け込んでいた。


「……メビウスさま。一緒にいた女の子とは、どういう関係なんです?」


 覚悟を決め、小さな声でエリーが切りだす。


「え、ソラちゃん? 可愛い」

「そ、そういうことではなくて……ッ」


 真顔で口にしたメビウスのペースに一瞬引きずられかけ、エリーは深く息を吸うともう一度気合いを入れ直す。そうして再び少年のほうへ振り向くと、真っ直ぐな光を湛えた朱の瞳とかち合った。そこにいつもの笑みはなく、ただ強い意思だけをともしてエリーを見つめている。その表情は普段よりも大人びていて、心臓がどきりと飛び跳ねたのが嫌でもわかった。

 ――だからこそ。


「ソラちゃんは、大事なひとだ。だから、守るって決めた。何度死んだって構わない。彼女を守れたら、オレはそれでいい」


 痛切に、わかってしまう。

 少年のせりふに、嘘偽りがないことを。

 いつものように、ふざけながら会話をはぐらかしていないことを。


「どうして、メビウスさまがそこまでするんですか? 命を賭ける理由が、どこにあるんですか?」


 だから、自分の口からあふれ出た言葉は、ただの――。


「さあ、なんでだろ。一目見たときから、そう決めた。うん、そんな感じ」

「……そんなの」


 勝てるわけ、ないじゃん。


 あまりに正直にこぼれたメビウスの言葉に胸中で本音を語り、知らず笑顔を貼り付けた。そうするしか、自身の気持ちを抑えられそうになかったからだ。エリーは、コナー家きっての天才少女は、いつでも強くあらねばならないのだから。


「ソラちゃんには、記憶がねーんだ。名前だって本当の名前じゃない。でもいまは、無理に思い出すより、新しい思い出を作っていくほうが大事なんじゃないかと思う。だからさ、エリーも――」


 仲良くしてやってくれねーかな?


 メビウスの素直な言葉は、エリーにとってとても残酷だ。耳を塞ぎたい衝動に駆られながら、空っぽな笑顔を貼り付けたまま、少年の柔らかな声は容赦なく少女に届く。素直すぎる彼のせりふに、エリーはほんの少しだけいじわるをしたくなった。


「メビウスさまのお願いなら、いいですけど……。でも、一つだけ条件があります」

「条件?」

「エリーも一緒に連れてってください。一緒にいたほうが、あの子とも仲良くなれると思うし」

「うん。それはだめ」

「どうしてですか! エリーは、ちゃんとお役に立てます!」


 ベンチから立ち上がって叫んだ少女の顔を見上げ、メビウスは首を横に振る。


「エリーはここで、テオや魔獣組合ギルドの仲間と一緒に魔獣を倒してくれればいい。別動隊ってやつだよ。それだって、じゅうぶん助けになってるんだぜ」

「だったら! お兄さまが残ってエリーが一緒でもいいじゃないですか! エリーじゃダメな理由でもあるんですか!?」

「あるぜ」


 少し吊り気味のすみれ色の瞳に光るものを浮かべ、勢いでまくし立てる少女の問いにメビウスは考える間もなくあっさりと肯定した。エリーはぐっと口を引き結ぶと、涙をこらえて少年を見やる。そんな少女の様子に、メビウスは小さくため息をついた。本来なら、口にしたくなかったからだ。


「……エリーは、オレを見捨てられないだろ?」

「当たり前じゃないですか! そのためにエリーは」


 少女の言葉に被せたせりふは、強いちからをともなっていた。見上げる朱の双眸に引き落とされるようにして、エリーはすとんと腰をおろす。


「予期しない事態、最悪の事態におちいったとき。オレ以外のやつを、自分自身を優先して逃げの一手を実行できるやつ。それができるやつじゃないと、一緒には戦えねーんだよ」

「……そんな事態にならないように、エリーが助けます。だから」

「ごめんな。けど、エリーには死んでほしくない。オレも、エリーにカッコ悪いとこ見せたくねーしな」


 何度死んでも構わないと、ほんの数分前に口にした手前か。少しだけ、ばつの悪そうな笑みを浮かべてメビウスは下を向いたエリーの頭に優しく手を置いた。


「これから先、本気でなにが出てくるかわかんねーんだ。だからこそ、エリーには残って魔獣組合ギルドを頼ってくる人たちを助けて欲しい。……わかるよな?」


 うつむいたまま、エリーはこくりと首を振る。


「お兄さま……お父さまも、メビウスさまを見殺しにしてきたんですか」

「ウィルは、あーゆーやつだから。テオのときは、平和、だったかな?」

「……お父さま、ズルい」


 ぼそりと言い、若干すわった瞳で前を見据えた。こぼれ落ちそうだった涙は、テオのお陰で引っ込んだらしい。


「ま、テオらしいよな。あいつといた時は、

「なんですか、それ」


 妙な棒読みで口にして、エリーはぱっと立ち上がる。


「わかりました。エリーはもっともっと強くなって、ピンチなんかこないぐらい強くなってみせます。そのときは、意地でも一緒に行きますから!」


 強い口調で言い放ち、メビウスの返答を待たずに少女はくるっと背を向けた。


「そうと決まったら、エリーは帰ります。一人で帰れますから、メビウスさまはついて来ないでください」


 言いながら、言葉どおりに歩き出す。呆気にとられた少年が追いかける間もなく、エリーは広間を出て行った。あとに残されたのは、空になった二つのカップだけである。

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