5・いらない再会

 路地裏は思っていたよりも、歩きやすかった。乱雑に積まれたように見える規格外ジャンク品も、そこにすら含まれないがらくたも、それを目当てにやってくる客にはわかるように区分けされていたからである。見慣れないものがそこかしこに転がっているのは、少年にとってもなかなか興味の惹かれる光景だったのだが、いまは立ち止まってゆっくり吟味している暇はない。後ろ髪引かれる思いでさっさと通りすぎ、わずかながら感じる殺気のもとへと急ぐ。


 どうやら相手も移動しているようで、そう簡単には辿り着かせてくれない。貧民街スラムとはまた違う、ある種の熱気が静かに湧き上がる裏通りを小走りで通りすぎる。突き当りかと思った脇にがらくたに隠された小道を見つけ、蹴飛ばさぬよう注意しながら滑り込んだ。先には、少し前に感じた瘴気の残り香が、ゆるりと漂っている。

 覚えのある瘴気ではあるが、あまりに少なすぎることに気付き、内心で首をひねる。しかし、考えをめぐらす前に捜していた少女の凛とした声が響き、メビウスはうっすらと漂う瘴気の向こう側へと目を凝らす。


「さあ、その子を放しなさい!」


 捜し人の姿が目に入らないということは、この先にも横道があるのだ。宣言に呼応して膨れ上がった殺気を頼りに、メビウスは走り出す。突き当りに見える路地の脇から感じる殺気は三つ。それに瘴気を感じないのはどう捉えたものかと思いながら、メビウスは狭い道を駆けた。勢いで被っていたフードが脱げるが、誰もいない道だ、人目を気にする必要もない。

 高い塀とがらくたで埋まった突き当りの手前で、彼は急ブレーキをかけて右側へ身体を向ける。自分の足もとから立ちのぼった土煙と共に朱の瞳に映ったのは、若葉の如き新緑だ。たっぷり腰まで伸びた髪をなびかせて、エリーは高らかに言い放つ。


「これ以上逃げ場はないわ。観念しなさい」


 少女の向かいで廃屋に拒まれ、逃げ場を失っているのは三人の男。真ん中の男が気を失った幼い子供を抱えている。袋小路に追い込まれ、気絶している女児を連れて殺気立った男たちが取る行動など、一つしかない。

 真ん中の男が仲間に指示を出し、ゆっくりと子供を抱えて振り返る。同時に、二人の仲間はエリーを左右から挟むように動き出した。


「おっと、動くなよ? こいつの命がなくなるぞ?」


 大ぶりのナイフを子供の細い首筋に突き付け、少女の動きを封じる。ぐっと拳を握り締めて立ち尽くすエリーに向かい、メビウスは叫ぶ。


「エリー! !」


 声と共に、左右の男二人が情けない悲鳴と共に態勢を崩すが、エリーはそれを見ていなかった。彼女がしたのは、少年の指示に従い、彼から放たれたつぶてを首を傾げるという最低限の動作でかわしただけ。

 ひゅん、と風を切り裂く音が耳をかすめていく。刹那、ナイフの刃が根本から折れる鈍い音が袋小路に響いた。取り巻きが膝をついたのを見、子供からナイフを離した一瞬の出来事だった。

 から、とわずかに音を立て、メビウスが弾いたガラクタが地面に転がる。彼の姿を認めて、エリーの顔にぱあっと笑みが広がった。


「メビウスさま!」

「手を出す必要なかったか?」


 普段通りの笑顔を浮かべて歩み寄ってくる少年を見て、子供を抱えた男はエリーとは正反対の表情を浮かべる。否、浮かび上がったといったほうが正しいだろう。


「お前……ッ!」


 腹の底から、心の奥底から吐き出したかのような声だった。握っていたナイフだったものの柄を投げ捨て、感情のままに強く睨みつける。


「……誰?」


 ぱちぱちと二度ほど瞬きをしてメビウスが口にしたのは、たったの一言だった。わなわなと抑えきれぬ感情で掠れた叫びをあげた男の顔を見やり、こてんと首を傾げる。男の変わりように、取り巻きたちも驚いたのだろう。今までの余裕はどこへやら、きょろきょろと不安げに視線を泳がせる。

 首を左右にひねりながら「うーん」と悩み続ける少年に、男の堪忍袋の緒が切れた。人質にしていた少女を仲間たちのほうへと突き飛ばし、憎悪にぎらつかせた瞳を見開いてメビウスに向かって両手を叩きつけるように開く。


「……あ」


 ぽん、と少年が軽く手を打ったのと、広げた十本の指先から青白い稲妻がきらめいたのは同時。

 ふわ、と耳元で風が動く。


「ソラちゃんを申し分ない程度にしか見れなかったやつ」


 無感情な低い声が、耳を通りすぎていく。その言葉に戦慄と既視感デジャヴを覚えたときはもう遅い。首の後ろにメビウスの体重と勢いを乗せた肘が打ち込まれ、一瞬意識を落としそうになる。たたらを踏んだおかげか運よく多少衝撃が軽減されたが、間髪入れずに下から容赦なく拳を振り抜かれ、しなやかに伸びる腕は嫌な音を残して顎にクリーンヒットした。軽々と吹き飛ばされた男は、廃屋の壁にぶつかり自身の放った魔法が誰もいない路地に炸裂し、土煙をまき散らすのに巻かれながら壁をずり落ちる。


「グレッグ、だったっけ? 忘れるわけねーだろ」


 静かな言葉とは裏腹に、太陽の瞳に煌々と光が宿る。メビウスが壁にもたれかかる男へ歩みを進めるのを見、取り巻きたちは足手まといになる子供を置いてこそこそと脱出を試みはじめた。その前に、鮮やかな新緑が立ちはだかる。


「エリー、そっち頼むわ」

「任せてくださいメビウスさま!」


 弾んだ声と共に、踊るように両手を真横に開いて動かしながらくるりと一回転した。足下からぶわっと風が舞い上がると、エリーの周囲に魔法陣が四つ展開する。詠唱もなしに、簡単な印を組むだけで鮮やかに陣を完成させた少女は、吹き荒れる風に長い髪を躍らせながら楽しそうに言葉を紡いだ。


「逃がさないわよー! 追尾する風刃ラッシュウィング!」


 瞬間、すべての魔法陣から衝撃波のように風の刃が放たれる。魔力をともない、可視化された風は緑色の光をまといながら四方それぞれ時間差で襲いかかった。


「大丈夫、当たってもちょっと痛いぐらいだから安心して」


 ちょっと痛い、ではまず済まないであろう風の刃を見て、取り巻きたちは死に物狂いで足を動かした。彼らの前を後ろをかすめながら四つの刃は、男たちを追いかけていく。


「エリー。遊んでるヒマはねーだろ?」


 メビウスが呆れた笑いを浮かべて、子供を見やる。その視線に気が付き、エリーは「あ」と小さく声をあげた。


「そうでした。エリーは女の子を助けに来たんでした」


 呟いて、四つの刃を二人の男の間に収束させる。取り巻きが恐怖にこわばるのと、彼女が指を鳴らしたのはほぼ同時だった。風の刃はそれぞれを相殺するようにぶつかり合い、ぱん、と小気味良い音を響かせ衝撃波を放って消える。至近距離で食らった二人は、衝撃波で跳ね飛ばされきれいに左右のがらくたの山に突っ込んだ。起き上がる様子はない。


「ちょっと痛いだけってちゃんと言ったのに。びっくりしすぎなんだから」

「……相変わらず趣味わりーなあ」

「だって! こいつら最近増えてる人さらいの犯人ですよ! こういうのは、きっちりお仕置きしないとまたやるってエリーは思いますッ!」

「けど、それはオレたちの仕事じゃねえ。エリー、オレはこいつら見張ってるから、お前は子供連れて、を連れてきてくれ」


 お前なら、顔パスで通るだろ? と続けた少年に、新緑色の少女は眉を困らせて見上げると、つまむようにパーカーの袖をつかむ。


「……いなくならない? 本当に、ここにいる?」

「ここ、放置しとけないだろ。ちゃんと見張ってるよ」


 へらっと、いつもの笑みを浮かべて答えると、エリーもたちまち笑顔になった。掴んでいた袖を離すと、寝かされている子供へと足を向ける。


「行ってきます、メビウスさま」


 エリーは子供を抱えると、短いスカートからすらりと伸びた健康的な足で地面を蹴った。








 エリーが通りから姿を消したのを見計らい、メビウスは崩れた廃屋の壁に半ば埋もれるように倒れる男へと視線を移す。


「さぁて? またブタ箱に叩き込まれる前に、聞いておきたいことがある」


 起き上がれないグレッグの前にしゃがみ込み、頬をぺちぺち軽く叩いた。


「そろそろ起きてんだろ? お前から感じるは知ってるよ」


 言って、こん、と乾いた音とは裏腹に頭が揺れるぐらいのデコピンを一発みまう。たまらず呻いた男の胸倉をつかむと、ようやく開いた相手の目を覗き込んでメビウスは問うた。


「お前、魔族に魂を売ったな?」


 普段通りの軽い口調。ソラに冗談を言うときとなんら変わらない。しかし、だからこそ腹の底が見えず、男はどう答えるのが正解か逡巡した。

 そのわずかな沈黙を、少年は肯定と受け取ったらしい。朱の瞳をすがめ、変わらぬ口ぶりで続ける。


「ドクターだろ。お前が人身売買やってんのは、あいつのためだ。あいつの実験に使う子供を集めてんだろ? いつからだ? いつからそんなことやってる?」

「……ガキがごちゃごちゃうるせーんだよ。てめえも化け物のくせに、正義の味方気取りか?」


 視線を外さぬまま、メビウスはきょとんと首をかしげる。


「ああ、アルト、だっけ。お前も聞いたのか。なにを見たわけでもねーのに、意外と簡単に受け入れるんだな。まるで、口ぶりだぜ?」


 メビウスに指摘され、グレッグは余計な一言を口走ったことに気が付き口を閉ざすがもう遅い。飛び出てしまった言葉を、なかったことにはできないのだから。


「あと、正義の味方、ね。オレが正義ってことは、お前は自分が悪だって認識してるわけだ」


 淡々と追い打ちをかける少年の瞳を睨み返し、男は歯噛みする。なにもかもが気に入らない。最初から、まったく相手にされていないことも、真意の見えぬとぼけた表情も、すべてお見通しといった言動も。

 そしてなにより。

 晴天に輝く太陽の如き光を宿した双眸が、気に入らない。見下されているような気分になる。どうしようもなく、劣等感を覚え込まされる。


「だんまりか。ま、お前がドクターと繋がってんのはその染みついた瘴気でわかるし、別に構わねーぜ? お前に初めて会ったときに感じた嫌な空気。あれはドクターの瘴気だったんだな。オレと会う前から、やつに加担してたってわけだ」


 ――なんでだ?


 太陽の瞳をわずかに歪ませ呟いた問いは、本気でわからないから口にしたものだった。そこに付け入る隙を感じ取り、グレッグは乾いた笑いを浮かべる。


「はは、なんで、だ? 金になるからさ。他になにか理由があるわけねえだろ?」

「オレが聞いてんのはそっちじゃねえ。ドクターが魔族だと知ってて、それでも加担する理由だよ」


 今度こそ、グレッグは勝ち誇ったように顔を歪め、楽しそうに笑う。


「だぁかぁらア。金のためだって言ってんだろ? 魔族でもバケモンでも構わねェんだよ。あいつは金払いがいいからなア。金ってのは大事だぜえ? たくさん持ってるだけで、えらくも強くもなれるんだ。いくらあっても飽きることがねえ。ひゃは、わかるかよぉ、正義の味方さま?」


 グレッグが調子の外れた笑い声をあげるたび、周囲にどす黒い感情モノが集まってくる。それは、この街に漂う負の感情。魔族が好む、瘴気の代わりにもなりえるものだ。


 こいつは、ドクターに近づきすぎた――。


 メビウスは胸倉をつかんでいた手を静かに離し、一度まぶたを閉じて立ち上がる。見下ろす瞳にはいままでと違い、氷の様な冷たさが宿っていた。太陽の如き輝きは変わらないというのに、相反しているものがその双眸には同居している。

 男の口からこぼれ続けていた、不愉快な音が止まる。


「いくら金を集めても、使えなくなったらおしまいだぜ。気をつけろよ? お前、人間やめかけてるぜ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る