4・エリーという少女

「あれ、メビウス君。話し合いは終わったんですか?」


 軽い足取りで階段をおりる。と、受付で案内を終えたばかりのレイモンドと目が合った。彼は、少年の後ろから誰もおりてこないのを確認し、不思議そうに問う。


「いんや。まだみんな話し中。難しい話はルシオラとウィルに任せりゃいーから、オレはエリーを迎えに行こうと思ってさ」

「ああ……。テオさんにも困ったもんです。いつものことと言えばいつものことですが、最近はこの街だってよくない話も聞きますからねえ」

「よくない話?」


 別に長話をする気はなく、一応聞いておくか、程度の気持ちで聞き返した。エリーを心配していないわけではないが、メビウスは彼女のことをよく知っている。だからこそ、過剰な心配はしない。ただ、それだけである。

 レイモンドは顔を曇らせさっと左右を見回すと、小さな声で少年に耳打ちをした。


「最近、子供がいなくなる事件が増えてるんですよ。それも、ここ一か月で四人。誰一人見つかっていません。迷子にしては、おかしいでしょう」

「うーん。なんか最近その手の話増えてんな。でも、それにエリーは関係ねーだろ」


 だってあいつ強いし、と微妙に論点とズレた返事をし、メビウスは首を傾げた。目の前の青年が、なんだか妙に納得のいかない表情を浮かべているようにみえたからである。


「いや、強いとかそういうことじゃなく。確かに強いですけど、でもまだ成人前の女の子ですから……」

「あれ、そーだっけ」

「まだ十四歳ですよ。次の誕生日で成人……ってそういう話じゃなくってですね。俺は、テオさんに呆れてんですよ。そんな事件が起きてるってのに、相変わらずだなって」

「そりゃ、エリーの実力認めてるからじゃね? レイが心配しすぎなんだよ」


 にしっと笑顔を浮かべたメビウスに対し、レイモンドは「そうですかね」と未だ合点の行かぬ顔だ。


「そうそう。だって、エリーだぞ? この街で、あいつのことを知らずに手を出そうなんてやつがいると思うか?」

「うーん……。まあ、それは、確かに……」


 メビウスの正論に追い打ちをかけられ、難しい顔をして首をひねったレイモンドはどうやら心配と彼女の実力の間で板挟みになっているようだった。泣きたいんだが笑いたいんだか、双方を混ぜたような表情で固まってしまった青年に、金髪の少年は手に持っていたものを突き出した。


「あ、そだ、これ」


 ルシオラの血が入った試験管をレイモンドに渡す。それは、固まっていた気弱そうな青年を再起動させるにはじゅうぶんだったようだ。ついでに、答えのでない問答を吹き飛ばすのにも効果があったのだろう。雑に渡された試験管を間違っても落とさぬよう、レイモンドはそっと両手で包み込む。つん、と鉄錆にも似た独特の匂いが鼻をついた。


「メビウス君、もうちょっと大事に扱ってくださいよ。これがどれだけの魔力を含んでいるか」

「うん。そんだけありゃ、しばらく持つだろ。しかもな、フレッシュ搾りたて。いつもの冷凍ストックじゃねーんだぜ」


 青年にみなまで言わせず、メビウスはいたずらっ子のように口のを持ち上げる。


「ええ、それじゃあ、怪我をしたんじゃ」

「まあな。だから、有効活用。から、心配しなくて良し」

「え、あの」


 ぽかんとしたレイモンドを残し、メビウスは三つ編みを揺らして出て行った。








 迎えに行くといったところで、エリーの行き先を知っているわけもない。とりあえず、時計塔の広場へと向かいながら、メビウスは長い三つ編みを肩にかけるとすっぽりとフードを被る。魔獣組合ギルドがあるため、この街を訪れる頻度は他の街より格段に高い。よって、一人で出歩くときはなるべく顔を隠すようにしていた。彼が、フードのついた上着を好んで着るのはこのせいである。ひょこひょこと普段は好き勝手に遊んでいる金髪が隠れるだけで、それなりに印象は変わるものなのだ。

 金属を叩く音や蒸気の吹き出る音。さまざまな音が騒がしく鳴り響く通りを歩きながら、メビウスはソラが口にした『記憶』について考えていた。


「いまのことを思い出す、かあ……」


 その言葉の真意は知れないが、ソラの中で変化があったのは明白だ。使うことを悩んでいた癒しのちからを、自ら披露してみせたのが証拠以外のなにものでもない。メビウスにはわからないが、彼女にとって、なにかがしっくり腑に落ちたのだろう。


「まさか、くっついてと言われるとは」


 多少湾曲しているが、おどけて口にした言葉を恥ずかしそうに肯定したソラを思い出し、自然へらっと笑ってしまう。ぶつぶつと呟きながら肩を揺らして含み笑いをする少年を、人びとは不思議そうな顔をしながら少し距離を取って見ないふりをしていた。フードで顔がはっきりと見えないとはいえ、結局目立ってしまっていることにメビウスは気付いていない。


「おおい、そこの兄ちゃん! ちょっと!」


 大きな声が耳に入り、思い出し笑いをやめてきょろきょろと辺りを見回した。誰も反応しているものはいない。声の主に向かって、「オレ?」と自分を指差すと、返事代わりの大声が降ってきた。


「おもしれえもん持ってるな! ちょっと見せてくれないか!」

「……へ?」


 声をかけてきたのは、しろがねではなく、革細工を扱っている店の主だった。普通の獣より扱いは難しいが、魔獣の皮も上手くなめしてやればかなりの強度を持つ。よって、小物入れのような日常品から荒事専門の防具まで、様々な用途に使われている。

 しかし、店主が興味を持っているのは、背中の得物のようだ。しきりに自分の背中を指差してアピールしている。意図がわからず、メビウスは首をひねりながらも店先へ歩み寄った。


「……おもしれーもん? これが?」


 さすがに、人前でいきなり抜くような真似はしない。確かにであることは確かだが、ちからを解放していない状態ではただの小振りの剣である。だが店主は仕上げをしていたのであろう革細工を作業台の上に置くと、興味しか宿っていない双眸をメビウスに向けて子供のような笑顔でうんうんとうなづく。


「おそらくな! 俺の勘がそう告げている!」

「勘、ねえ」


 あくまで乗り気ではないといった態度で返しながら反面、少年の心の中は満面の笑顔である。普段の笑みよりもいたずらっ子寄りの、悪いことを思いついたときのような表情だ。わざわざ大声で自分を呼び止めた理由が、勘だとは。清々しいにもほどがある。

 もしくは、本当になにか感づいているのか。

 期待に満ちた視線を上目遣いで受け止めながら、どちらとも判断を出せず内心で首をひねる。


 どちらにせよ――面白い。


 メビウスは背負った剣をすらりと抜き放つ。解放時の姿を簡素化したような、白銀の刀身と中央部分を飾る黒曜石。金色の文字も幾何学的な光も走らぬそれは、美しいが控えめな輝きを放っている。


「おもしれーかなあ」


 まじまじと刀身を眺めながら、店主の行動を盗み見た。食いついている。思いっきり食いついている。まじまじ、どころの話ではない。充血しそうなほど目をかっぴらき、興味という熱で少年の持つ剣を溶かしてしまいそうなこれぞまさしく熱視線を浴びせている。その姿を見てしまえば、裏などないと誰にだってわかるだろう。

 ……あー。

 こりゃ、ただのマニアか。

 そう結論付けて、そっとため息を吐く。ちょっと、過敏になってんのかなーなどと胸中でぶつぶつ続けながら、彼はもうそろそろやいばにかぶりつきそうになっている店主の前からすっと得物を引いた。名残惜しそうに、視線が後を追う。


「で、おもしれーこと、あった?」

「……キミ。それを言い値で買おう」

「売らねーし」

「なにッ、まさかタダで」

「あげねーし」


 剣を鞘に納め、メビウスは今度こそ大きくため息をついた。男は目に見えて落胆したが、どうにも諦めが悪いタチのようだ。ちらちらと剣の柄に視線を送ってくる。


「師匠ー。趣味のほうは諦めてそろそろ仕事に戻ってくれませんかねー」


 店の奥から、メビウスにはありがたい言葉が届いた。見れば、奥から顔だけ覗かせて少年が男を睨んでいる。メビウスよりも少し年上だろう少年を見やり、店主はそれでも食い下がった。


「兄ちゃん、それ使ってないだろ? 見たところ刃こぼれどころか傷ひとつなかった。あとそれ、? 鉄でも鋼でも、ましてやしろがねでもない。そんな金属、俺は見たことがねえ」

「いやー、オレもよく知らないんだよね。まあ……親の形見、みたいなもんかな」


 思っていたより鋭い指摘をされ、メビウスは少し驚いてぼそぼそと返した。それに、知らないのは嘘ではない。この剣ブリュンヒルデがなにでできているかなど、作ったルシオラにしか答えられない質問だろう。


「ほら師匠。いたいけな少年の形見をもらっちゃう気ですか? きみ、すみませんね。師匠、悪気はないんですが剣の類いに目がなくて。なんで俺はデア・マキナに生まれながらよりによって革細工職人の家に生まれちまったんだーって、毎日嘆いているような人ですから。悪気だけはないんですよ」

「そう、悪気はないんだよお! なんでわざわざ革細工なんだよお! これはこれでやりがいがあるが、デア・マキナっつったら金属だろお! 仕事はちゃんとやってんだよ、趣味ぐらい好きにさせてくれ、な!」


 おおーんおおーん、と泣いてるんだか知らない動物の鳴き声なんだかわからない音を出して、店主は崩れ落ちた。


「……あー、なんか、ごめん」

「じゃあ!」

「あげない」

「師匠もほら! 泣き真似はやめてしゃきっとする! 仕事が終わったら、存分に趣味にいそしんでください。泣き真似なんかで時間食ってどうします。この時間で仕上げたほうが、趣味の時間が増えますよ」

「おお、確かに」


 弟子の言葉に、いままで発していた謎の音をあっさり引っ込めると店主は作業台の前へと戻った。どっちが師匠でどっちが弟子なのやら、とメビウスは思わず苦笑を浮かべる。


「……きみ。まだ用事でも?」


 生暖かい笑みを浮かべたままのメビウスに、弟子が剣呑な響きを含ませて問う。やっと店長を諦めさせたのに、彼がいたのではまたいつ背中の剣に興味を持ちだすかわからない、といったところだろう。

 このまま立ち去るのもなんとなく気が引けたので、メビウスはぽりぽりと頬をかくと捜し人について口にした。


「えっと。こっちに明るい緑色の髪の可愛い女の子こなかった? 身長はオレより少し低いぐらいで――」

「それ、魔獣組合ギルドのエリーちゃんだろ」


 調子が戻った店主が、間髪入れず答える。趣味の時間が余程惜しいのか、作業をする手は止めていない。


「そうそう。やっぱ有名なんだな」

「知らない奴はヨソもんよ。あの子がこの街を守ってくれてるみたいなもんだからな」

「……そっか」


 ほんの少し、苦い気持ちがこみ上げて、メビウスは小さく笑った。レイモンドとの会話にものぼったが、エリーは強い。持ち前の魔力の高さに加え、扱い方も慣れている。組合いえで手に入る情報を駆使し、率先して街に近づく魔獣を一掃するさまは、目の当たりにしなくとも容易に想像できた。


「エリーちゃんなら、少し前に広場のほうから戻ってきたのを見かけたけど、手前で引き返して路地に入ってったな。ほれ、少し先に見えるだろ? あの路地だよ」


 店主が指差した先に、確かに路地が見える。


「あの先は規格外ジャンク品を扱うような店しかないはずなんだがなあ。エリーちゃんはそういうもんに興味ないだろうし、珍しいなと思ったんだ」

「確かになあ。サンキュな、助かった」


 ぴょこん、と礼をするとそそくさと店から離れる。背後から、店主をなぐさめる弟子の声が追いかけてきた。


 ――こいつがなにでできてるか、か。


 あの店主、実際に見る目はあるようだ。勘というのも、案外あなどれないなとメビウスは考えながら、エリーが姿を消したという路地の前にたどり着いて足を止める。いまの半分ほどの道幅の路地には、所狭しと規格外ジャンク品がうず高く積まれている。その横では、まるで掘り出し品のように法外な値段を吹っ掛けるものや、正にそういったものを探してあちこち交渉して回る、機械や金属のマニアが見受けられた。彼らにとってここは、宝の山なのかもしれない。

 さきほどの店主を思い出し、ちらりと柄に目をやる。まさか、あんな勘のいいやつばかりじゃねーよなーとフードの下で苦笑を浮かべた。


「……ッ!?」


 ふと、殺気のような強い気配を感じてメビウスは顔をあげた。近くではない。近くではないが、遠くでもない。ぴりぴりとした、空気が圧縮されるような、息苦しい感覚。

 それだけではない。

 殺気と共に一瞬だが、自分の背筋を駆けあがっていったもの。


「……瘴気?」


 しかも、初めて感じるものではない。路地とはいえ、こんな街の中で通常なら感じるはずのないものだ。

 つまり、それは面識のある魔族のものだ。どちらのものであるかなど、メビウスにはとうにわかっている。


 もし本当に、魔族本人がいたとして。

 エリーなら、切り抜けられるとは、思うけど――。


 メビウスはぎゅっと拳を握りしめ、がらくたが転がる路地へと足を踏み入れた。

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