3・癒しのちから

 テオが投げやりに締めくくったあと、しばらく沈黙が流れた。彼の言葉に、明確に答えられるものがいなかったからである。ウィルとソラは言わずもがな、静寂に耐えかねてなにか言いだしそうなメビウスも、普段なら答えを何個も用意していそうなルシオラですら、口をつぐんでいる。

 だから結局、沈黙を破ることになったのはなんの返答も得られなかったテオ自身だった。恨めしそうに大きく息を吐き出すと、紙の束をぱらぱらとめくりながら口を開く。


「わからんことはいくら考えてもわからん。誰からも意見が出んし、一旦保留! どうにかできそうなところから潰していくしかないですな」


 紙をめくっていた手が止まる。ウィルよりも鮮やかな紫の瞳は、真っ直ぐにソラを捉えていた。


「……わたし?」


 びくりと肩を跳ねさせたソラを庇うように、メビウスが身体を乗り出してテオの視線をさえぎる。


「ソラちゃんのことは、表にだす必要はないって言っただろ?」

「言いましたよー。魔獣組合ギルド内で共有はさせてもらいますがね。いま俺が確かめたいのは、魔族との関わりじゃない。お嬢さんのちから――癒しのちからってやつについてだ」

「……は?」

「なに変なモンでも見たような顔してんですか坊ちゃん。これは、坊ちゃんに一番関わることじゃないですか」

「はあ?」


 意味わかる? と顔いっぱいに疑問を広げてソラを振り返る。空色の少女は、わかったようなわからないような複雑な表情を浮かべていた。


「ソラのちからが真に頼れるものならば、お前が死ぬ回数も減る。そうだろう、テオ」


 ルシオラの助け舟に、テオは満面の笑みでうなづいた。


「そうですそうです。さすがルシオラさん。魔族も出てきちゃったってんだから、いままでよりも慎重に行動しなきゃならんでしょう。封印の効力を保つためには、死んだら治る、は本当に最後の手段にしなきゃならなくなった。まあ、元々最後の手段にしておいて欲しいんですけどね、坊ちゃんは簡単に使いますからな」

「…………」


 テオの言葉に、いつの間にやらメビウス以外の三人が無言の圧をもって同調していた。さらに、自身の影に潜むおしゃべりな不死鳥にまで同意されている気がする。四面楚歌とは、正にこのことであろう。


「……あのな、簡単に使ってるつもりはねーし、大体オレのことはどーだっていーんだよ。ソラちゃんのちからは本物だぜ? オレは何度も助けてもらったし」


 ねえ? とソラに同意を求めるが、少女は夜空色の瞳を逸らしてうつむいた。


「でも……あのとき」


 ぽつりとこぼしかけたのは、遺跡での経験である。自分をかばった少年の、背中の傷を治せなかったときのことだ。どこかで、メビウスにだけは失敗することがないと思い込んでいた自分に気付き、彼女は浅はかさにひどく落胆したのである。さらに、そのあと自らが選びつかみ取ったちからが癒しとはまったく異質のもの――あの、魔王だったものと同じような、きもちわるいものだったのだから、ソラは自室で行っていた特訓も無意識のうちにやめてしまっていた。


 床を眺めていたソラの視界にはいり込んできたのは、太陽の双眸だ。もうとっくに見慣れた朱の瞳は真っ直ぐに少女の夜空を射抜き、ふわりと柔らかい弧をえがく。


「失敗したっていーんだぜ? ソラちゃんは難しく考えすぎ」

「でも」

「それに、あのときだって結局オレはソラちゃんに救われたんだ。君の声が聞こえたって、言ったろ?」


 少年の声は優しく耳朶じだに届き、諦めかけていたソラの奥深い部分にことりと落ちた。そこは、ソラのよく知らない場所で、彼女にとっては一番からっぽな部分だ。メビウスの笑顔と声は、そんな場所にいともたやすく侵入し、ころりと丸みを帯びて転がる。気が付くと、なにもなかったはずのその場所に、同じようなものがころころといくつか転がっている。ほんのり温かいそれらを胸の内から感じ、ソラはふと顔をあげた。


 ――これが、だ。


 先日、ラゼルでの帰り道で話したことを思い出す。魂が残っていても、思い出が宿っていなければそれはなにも残っていないのと同じだと、メビウスは言った。そして、思い出が宿っていれば、魂が残っていなくてもそこには心があるのだ――とも。

 胸の奥から感じる、温かな気持ち。すぐに取り出せる、少年の笑顔。


「……わたしの、記憶……」

「え、なにか思い出したのソラちゃん!」


 少女の呟きを聞いて、メビウスは盛大に勘違いしたらしい。がばっと勢いよく立ち上がると、ソラの細い肩を掴む。驚いたソラが一瞬大きな瞳を真ん丸にしたが、少年の思い違いに気が付き首を横に振る。


「昔のことじゃない。いまのことを、思い出してた」

「いま?」


 うん、とうなづいて、ソラは少年の左手を取った。露出した肩を触るメビウスの左手は、遺跡での怪我が元でひどい傷跡が残っている。動かすのに支障がないとはいえ、変色して縮れた手のひらは見るだけで痛々しい。

 ソラの意図を察したメビウスは、上着の袖をまくるとあとは少女にすべてを任せた。腕を出したのは単に、腕全体に残る火傷の跡をテオに見せるためである。ちらりと鋭い視線をテオに飛ばし、メビウスはソラに向かってへらりと笑った。


 袖をまくった左手を、ソラが緊張した面持ちで包み込む。少女の華奢な手の甲に、青い魔法陣が浮かんだ。触れた手の先から、メビウスの身体にあのいかんとも形容しがたいむずむずざわざわとした感覚がやってくる。その感覚が広がるとともに、引き攣れて残っていた火傷の跡が剥がれ落ち、再生したきれいな皮膚がみるみるうちにふさいでいく。左腕に残っていた複数の傷跡が跡形もなく消え失せた頃には、テオはぽかんと口を開け、ただ茫然と見つめていることしかできなかった。

 青い魔法陣が消え、少女がそっと手を離す。一番損傷の激しかった手のひらに一度目を落とし、ぐっと握ってみせるとメビウスはいつもの笑みを浮かべた。


「わざわざこんなとこでサンキュな、ソラちゃん。ほーい、テオ、なんか文句あるか?」


 ずいっと左手を見せつけて、少年は勝ち誇る。テオは目を丸くしたまま、ずり落ちた眼鏡をあるべき位置に戻すと今度は目を細くして、突き出された左腕を舐めるように見回した。


「はあー、こりゃあびっくりだ。ただ、坊ちゃん以外には……効果が認められないと書いてあるんだが」

「……へ?」


 笑顔を乗せたまま、メビウスはソラを見やる。空色の少女は白いワンピースを握りしめ、小さくうなづいた。


「ほんとなの? なんで、オレだけ……? あ、やっぱ運命かな!」

「バカが。だがある意味、運命と言えば運命なのかもしれん」


 言いながらルシオラは顔色一つ変えず、ふわりと空間から取り出した小さな刃を自身の腕に滑らせた。ぷくりと赤いものが盛り上がり、つ、と白い指先まで流れていく。刃と同じく、魔法でひらいた空間から細長いガラスの管を取り寄せると、最果ての魔女は滴り落ちる自分の血液を管で受け止めた。ぽつぽつっと小さな音を立て、それは少しずつ試験管の中を満たしていく。


「オオハシ」


 出番だ、とでも言うようにルシオラが名を呼ぶと、少年の影から不死鳥にはとても見えない大きなくちばしを持つ鳥が姿を現した。なにも言わずとも、魔女の意思はオオハシに伝わっているらしい。マスコット然とした鳥は、ふわりとソラの肩に降り立つ。


「え……?」

「ソラ。私の傷を癒せ」


 赤が一筋流れる白い腕を持ち上げ、ルシオラが言う。


「でも、わたしのちからのことはルシオラが一番――」

「遺跡での顛末は、オオハシから聞いた。お陰で仮説が確信に変わったよ。心配ない、普段どおりにするだけでいい」

「大丈夫よ、ソラちゃん。アタシを信じて」


 ね、とオオハシが器用にウインクをした。


も、アタシがいれば失敗しなかったでしょ?」


 ソラの不安を読んだかのように言い当て、オオハシが明るい声で言う。


「なんならオレもついてます。くっついたほうがいーい?」

「……うん」

「えええええええええッ!! じゃ、遠慮なく!」

「お前は遠慮しろ」


 大げさに驚いて、しかし本気で抱き着こうとしたメビウスに氷のような声が飛んだ。恐々声のほうへ顔を動かすと、ルシオラが射殺せそうな眼光を向けている。ひっと首をすくめて、少年はすごすごと引き下がった。


「さあ」


 作り物のような美しい肌から流れ落ちる赤。目の前に突き付けられ、思わず傷口に手をかざす。ふわっと青い光が走り、ソラの手の甲に先ほどと同じ青い魔法陣が浮かび上がった。一度手を引きかけたが、もう魔法は発動している。少女は意を決して、瞳を閉じ、魔女の傷口を両手で包み込む。みるみるうちに、傷は両端から静かに閉じ、滴っていた赤を残してきれいに塞がった。


「……でき、た」


 ぽつり、と口からこぼれた言葉。唖然と自身の両手を見つめるソラの頭に、ぽんと手が置かれる。その優しい感触は何度も味わったものであり、手を置いた少年がどのような表情をしているかさえ、見上げなくてもわかった。

 それでも振り向き、確認してしまうのは、なぜなのだろうか。

 夜空色の瞳の先には思ったとおり、にしっと屈託のない笑顔を見せる少年がいて。


「ソラちゃんやっぱすげーな。ちゃんとできんじゃん」


 オレだけってのも特別感あって良かったんだけどさ、と少しだけ残念そうに続けると、オオハシが太いくちばしでメビウスの肩に飛び移りざま金髪が遊ぶ頭をどつく。ぎゃーぎゃーと言い争いを始める二人を見ながら、ソラの顔には知らずうちにやんわりとした笑顔が浮かんでいた。

 そんなタイミングを見計らったように、自身の腕を眺めまわしていたルシオラが口を開く。


「なるほど。急速に身体が回復するとはこのようなものなのだな。いい体験だった」

「お前、体験してみたかっただけじゃねーの?」


 ぼそっと横から口を出したメビウスを一瞥して黙らせる。それとは打って変わって慈愛に満ちた瞳でソラを見つめ、薄く微笑んだ。


「ソラは癒しのちから――否、どうすれば怪我が治るかを知っていた。そのちからが偶然、オオハシのちからと出会ったことでコントロールされたのだ。だから、メビウス以外には使うことができなかった。そしてメビウスにも、オオハシが影から抜けていた時には上手く使えなかった。それはつまり、オオハシが近くにいれば、ソラは安定して癒しのちからを使うことができる、という結論に繋がる。いまの、私のようにな」

「あー。それで、ね……」


 理解するのはそこではないはずなのだが、メビウスにとって大事なのはそこなのだ。ゆえに、彼は苦笑を浮かべてオオハシを眺めている。ソラのちからと相性の良い不死鳥が宿っている、という意味では運命だ、とルシオラは言ったのだ。


「さて、テオ。これで癒しについてはじゅうぶんだろう。それと、これも、な」


 満足げに唇を持ち上げ、ルシオラは手に持った試験管を渡す。彼女の血が四分の一ほど溜まった試験管を慎重に受け取りながら、テオはただただうなづくしかできなかった。


「そりゃーもう。はあー、まさか、癒しの魔法なんて拝める日がくるとは」


 ソラと試験管を交互に眺めながら苦い笑いを浮かべたテオに、ソラも少しだけ困ったように笑う。


「こりゃ、坊ちゃんも惚れるわけですわ」


 本気か否か、よくわからないニュアンスで口にした言葉を聞き、メビウスはぽんと手を打った。


「そーいやエリー、帰ってこねーなあ」

「……なにを今更。放っておけば帰ってくるでしょう」


 ソラのちからには、なに一つ口を挟まなかったウィルがぼそりと言う。エリーという名前を聞いて、少女が顔を曇らせたのを見てしまったからだ。


「んー、でもちょっと遅くね? どーせこっから先はオレがいたってしょうがない難しい話だろ?」

「自分でそれを言いますか」

「だったらやっぱり捜してくるよ。あ、ソラちゃんも行く?」


 観光がてら、と声をかける姿にウィルとテオは小さくため息をつく。そういう呼吸だけは無駄にばっちりな親子であった。

 ソラは表情を消して一言「行かない」とだけ呟いた。


「そっか。じゃ、オレ行ってくる。あ、テオ、下のみんなに渡しておくぜ」


 それ、と手を出して受け取ったのは、ルシオラの血が入った試験管だった。オオハシが自分の影のなかに戻ったのを確認し、メビウスは一人、部屋の外へ出て行った。

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