2・魔獣組合
ほどなく二階からおりてきた人物は、受付にそろっているメンバーを順繰りと見回し、空色の少女のところでいっとき視線を止めた。驚いたように目をぱちぱちさせると、隣に立つエリーになにごとか吹き込む。エリーは顔を真っ赤にしてきっと目を吊り上げると、「お父さまの意地悪!」と叫んで外へ出て行ってしまう。
「意地悪って……。思ったことを言っただけなんだけどなあ」
がりがりと頭を掻きながらぼやいた父に向かい、ウィルはじとりとした視線で見やる。
「どうせ余計なことを言ったんでしょう。言わないほうがいいこともあります」
「いやあ、だって、ホレ。初恋は実らないって言うし」
「……なんでそう、デリカシーがないんですか……」
「デリカシー! お前からそんな言葉を聞くとは!」
中肉中背の、四十代半ばといったところであろうか。大げさに声を張る男は、良くも悪くもウィルとは似ていなかった。ころころと変わる表情、がさつな発言、悪びれることのない態度。似ている――否、共通点と言えば眼鏡をかけていること、ただそれだけだろう。
「二年ぶり、テオ。エリー泣いてたみたいだけど、ほっといていいのか?」
「さすが坊ちゃん。あんたがそれ言いますか」
登場するやいなや、娘を怒らせ息子を呆れさせたテオだったが、ひらひらと手を振って存在を主張した少年の言葉には苦笑で返すしかなかった。
「ん? なんで?」
対して少年は腕を組むと、きょとんとした読めない表情で首を傾げる。さきほどの、再会の挨拶とソラになんの関係が? と問うたときとまるで変わらない。
「エリーにはずっと伝えてるぞ? あいつだって、
それでいて、口を開けばまともな言葉が飛び出してくる。今度はテオやウィルが目を丸くする番だった。メビウスは肩を落としてじとりと周囲をねめつけると、大げさにため息をつく。
「あのな、オレだってそこまで馬鹿じゃねーんだよ。エリーの気持ちぐらい知ってるさ。知ってるから、言ってんだ。
オレだってな、自分のことぐらいよおッく理解してんだよ、と吐き捨てると少年にしては珍しくむすっとした顔のまま口を引き結ぶ。
険悪になりかけた空気をぶち壊したのは、その原因を作ったテオ本人だった。彼はまず、メビウスが最後に言った言葉を反復すると、「そうでしたなあ」と感慨深げに切り出した。
「坊ちゃんは、女性に優しいくせに深く関わらないんでしたなあ。だったら、最初から関わらなきゃいいのに、と思ったことが何度もありましたわ」
「父さん。やっぱり一言多いですよ」
「……ま、いーや。適度にてきとーなのかテオだもんな」
あまりしない表情をいつまでも浮かべているのも疲れるのだろう。一度、朱の瞳を閉じて大きく息をつく。まぶたがあがったときには、いつも通りの笑みが浮かんでいた。
「レイモンド。俺はこいつらと話がある。暇そうなやつ適当に見繕って受付頼むわ」
地下に続く階段を指差して、おろおろと心配そうに事の成り行きを見守っていた青年に雑な指示をだした。彼の答えも待たずにテオは階段をさっさとのぼって行く。メビウスやウィルも続くなか、空色の少女が動く気配もない。その顔を覗き込むと、少女はまったくまっさらな顔をして、どこを見つめているのかもわからなかった。
「……ソラ?」
肩に手を置き、小さく名前を呼ぶ。夜空色の瞳がゆるりと動き、ルシオラの顔の上で焦点を結んだ。
「ルシオラ……?」
確認でもするかのような、言いかただった。一瞬、泣いてでもいるように声が震えたように聞こえた気もするが、ぱちくりと瞬きをした大きな瞳に涙は浮かんでいない。聞き間違いだろうと流すことにしたのだが、それでも小さな違和感がある。まるで喉元に刺さった棘のように、抜けそうで抜けず、ルシオラは知らず知らずのうちに紅い爪を噛んでいた。
「……メビウスは、さっきの子と仲が良いの? ダメって、どういう意味?」
ためらいと困惑が混ざったような声音で、ルシオラは違和感の正体を悟った。悟ると同時に、
「彼女はウィルの妹だ。アレにとっては、幼馴染み――いや、家族と言ったほうが近いかもしれんな」
ルシオラの言葉を、ソラが理解したのかはわからない。里帰りも覚えていない少女にとって、幼馴染みや家族という単語は聞き慣れないものだろう。それでも、ソラのなかではなにかが解決したのか、一度うなづくと階段をのぼっていった。
決して広くない階段をのぼり、真正面に見えるのが
最奥の扉につき、テオはじゃらじゃらと鍵束を取り出した。見た目には差異のわからぬ鍵の束だが、感触で覚えているのか慣れた手つきで一つの鍵を選ぶと鍵穴に差し込む。鍵はスムーズに回転し、かちり、と小さな音が聞こえた。
内開きの扉を開き、
「あーもー、坊ちゃん変わらなさ過ぎてこっちが疲れるわ。ちっとぐらい背でも伸びとけ」
もっとこそこそこれねーのかよ、とぼやいて大きく息を吐く。
「あのなー、たった二年で見た目変わるぐらい歳食ったらそれこそやばいっての。それに、ルシオラだって変わんねーだろ」
「ルシオラさんはいいんだよ。年齢不詳ってーかそこがまたミステリアスでな」
「ったく、親子そろってイイ趣味してるぜ」
なんでそんなとこだけ似てんだよ、とメビウスはぶるりと身を震わせてぼやくと、来客用のソファにぼすんと身体を沈ませた。背もたれに肘をかけて振り向くと、どうして良いのかわからず、きょときょととしている夜空色の瞳を見あげる。エリーと再会して以来、視線を合わそうとしなかった大きな瞳が、ようやっと太陽の双眸とまじわった。
「ソラちゃんは、隣ね」
ぽんぽんとソファを軽くたたいて、座るようにうながす。言われるまま、できるだけ身体を小さくしながら腰かけた少女を見やり、にへら、と嬉しそうに少年は顔をほころばせた。
それを合図にしたように、ウィルが父に報告書を手渡しメビウスの正面に腰をおろす。ルシオラはウィルの奥――テーブルを挟んでソラの向かい側に座った。四人が落ち着いたのを見回し、
テオが先程までの陽気さからは考えられないような真剣な顔で報告書を読みふけっているあいだ、部屋の中にはぴりついた静寂がおとずれた。聞こえるのは、テオが紙をめくる音だけである。
ざっと目を通し終えるまで、どれぐらいかかったであろうか。少なくとも、この場に慣れていないソラにとっては、他の三人よりも長い時間に感じたのは確実だろう。
ふう、と肩で大きく息をし、テオがぶ厚い紙の束を手放してだらりと背もたれに身体を預けた音で、ソラはびくりと小さく跳ねて身を固くする。メビウスがすぐに「大丈夫だよ」と言って、へらっと笑う。
「……あーなんだ。つまり、魔族がとうとうこっちに出てきたって?」
苦い声色でまず確認したのは、魔族についてだった。身体を預けて天井を仰いだままの、だらしない姿勢である。そんな報告を受ければ頭を抱えるか、放棄したくなるかになるのはメビウスもウィルもよくわかった。
「しかも、二体も確認? おまけに魔王軍の幹部レベル? いやいやいやいや、そんなんどーすんのよ」
眼鏡を外して片手で両目を覆うと、ぶつぶつと呻くように声をもらす。
「で、極めつけはよくわからん黒い物体? おそらく元魔王の残骸? 一部? なんだそりゃあ」
もう笑うしかねーよなあ、とやけ気味に呟くと、本当に肩を揺らして笑い始めた。取りつかれたように笑うテオを見ながら、誰も口を開くものはいない。
ひとしきり笑ったあと。テオはふと姿勢を正し、鋭い視線でソラを見た。その真剣な表情に気圧され、少女の細い身体が緊張でこわばる。ぴんと張った手を、メビウスが包み込むように重ねた。
「大丈夫。別に取って食わねーから」
張り詰めた空気にそぐわぬ、普段通りの飄々とした口調。テオは頬杖を付くと眼鏡をかけ直して「聞こえてんぞー」と、投げやりに突っ込む。机に散らばった紙の束から一つを取り出し、紙面に目線を落として続けた。
「そして、お嬢さんがその魔王? とやらを倒せるから魔族に狙われてる、と」
ソラがきゅっと手を握ったのを感じ、メビウスが補足する。
「そこに関してはよくわかってねーんだ。確かにあの黒いものを消したのはソラちゃんだけど、ジェネラルにとっては、どっちも必要みたいだし。ドクターは、興味なしだった」
「一概に、魔族全部から狙われているわけではない、というわけだな」
「多分な。どっちがどうってこともねえが、少なくとも魔王派とそれ以外がいることは確実だ」
「……はあー。なるほどねえ……」
ぼやいて、今度は机に突っ伏する。ウィルと違い、無駄に動作が大きい男である。
「そんな情報、どうやって流せってんだよー。まあ、魔獣が増えたり強くなってきたりしてることはこっちでもすでに押さえてるけどな。その原因が、純粋な魔族が出てきて暗躍してるからかもしれないですよーなんて、ただただパニックになるだけじゃねえか」
ぐだぐだと愚痴を吐いて、頭をくしゃくしゃに掻きまわす。ぶつぶつと愚痴をこぼし続けながらも、資料をめくり直し、どうするのが一番良いか考えているようだ。目線だけが忙しく左右に動いている。
魔獣組合――通称、ギルドと呼ばれるこの組合は、魔獣が現れだした頃に民間で立ち上げた組織だ。ばらばらの場所に現れる魔獣の情報を共有して対処できるようにしたり、場合によっては討伐や浄化をおこなうのが目的である。代々、コナー家が代表となり、取り仕切ってきた。
そして、それを作るよう提言したのがルシオラである。魔獣の発生により、人間同士で争うことは少なくなったが、当時の人間たちの狼狽ぶりは滑稽すぎて見ていられなかったのでな、とは本人の談だ。元々、魔獣を知っている彼女が、メビウスと共に生き残ってしまった
ウィルがメビウスと一緒に行動しているのも、封印の日からの関わりのせいだ。青年はメビウスをルシオラのもとへ預けたあとも、彼女と行動を共にした。人間も、魔族も、ブリュンヒルデによって死に絶え、封印された地にあって生き延びるにはそれしか方法がなかったのだ。
幾度もページを行ったり来たりして、テオが呻きながらばさっと資料を投げ出す。
「あー……。とりあえず、魔獣については注意喚起を出そう。支部にも伝達する。あと、魔獣が増え始めたラゼル辺りにも、支部を置こう。お嬢さんの話は、今のところ表に流す必要はない。そこまではいいが」
他はどう説明すりゃいーんだかさっぱりわからん、と言葉を放り投げ、今度こそ天を仰いで目をつぶった。
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