1・再会の挨拶
からん、と扉にぶら下がるベルが鳴る。中で掲示板を見たり情報交換をしているらしき数名の人物が、音につられて視線をよこしたがすぐに興味を失って元の作業に戻った。
「なーんも変わんねーなあ。オレまで懐かしくなってきたぜ」
「メビウスさまッ!」
「よっ、エリー。元気だったか?」
左手を背中に回し、右手でぽんぽんと頭をなでる。へらっとしたいつもの笑顔がなんだか見慣れないものに感じて、ソラはふいっと顔をそむけた。それでも二人の会話は、容赦なく耳に届く。
「当たり前です! いつでもメビウスさまのお役に立てるよう、エリーは頑張ってるんですよ!」
「へえー。そりゃ頼もしいな」
「だから、エリーも一緒に」
「うん。それはダメ。いつも言ってんだろ」
終始変わらぬ声音であっさり否定したメビウスだったが、重たい視線を感じてそちらへ顔を向けた。
「……なんだよ?」
ルシオラとウィルがそろってため息をつく。ルシオラはソラの肩に手を置き、ウィルはじとりと半眼で少年を見下ろした。ちらりと抱き着いたままの少女に一瞥を送って、もう一度深いため息をはく。
「坊ちゃん。なにをしにここへ来たのか、わかっていますよね?」
「色々報告と、ソラちゃんの紹介と挨拶」
「雑ですが、合っています。……で、エリーはなにしてるんです?」
「メビウスさまと感動の再会ごっこ」
「ごっこ遊びならあとでやってください。坊ちゃんも、妹の遊びに簡単に乗らないでくださいよ」
ソラさんがいるのをお忘れですか、と青年はメビウスにアイコンタクトを送る。少年もちらりと空色の少女へ視線を向けるが、エリーをぶら下げたまま首を傾げた。
「再会の挨拶とソラちゃんに、なんか関係ある?」
きょとんとウィルを見つめる太陽の瞳。そこにはなんの雑念も浮かんでいない。まったくの本心から、不思議そうに首を傾げているのだ。
「……鈍いんだか馬鹿なんだか……。とにかく、エリーはおりてください」
ええーっと不服そうに頬を膨らませたエリーだが、メビウスからおりて、と言われては手を離すしかない。しぶしぶ、首の後ろで組んでいた両手を開き、とんと軽い音を残して床に立つ。
「お兄さまばっかりメビウスさまと一緒でズルいです! エリーだっていっぱいお役に立てるのに」
不満を兄にぶつけながらも腕を絡めてこようとするエリーをしれっとやり過ごし、メビウスはもう一度空色の少女へ朱の瞳を向けた。それなりに広いとはいえ部屋の中である。ソラだって彼の視線に気が付いただろうはずなのに、一向にこちらを見ようとしない。
「なんか……怒らせちゃった?」
呟いて、がしがしと金髪をかきまわす。ウィルの一目で「馬鹿ですね」と語っている顔をじとりと見やって、大きくため息をつくと分かりやすく肩を落とす。
静かになったところに、別の声が割り込んだ。
「……ウィルさん?」
おどおどとした小さな声をなんとか聞き取り、ウィルは声のほうへ視線を巡らせた。先ほどエリーが投げ出した書類を拾い集めていたのだろう。両手いっぱいに不揃いな紙束を抱えた、これといって特徴のない顔が受付から覗いている。
「……レイモンド、ですか?」
一拍ののち、ウィルが口にした名前を耳にして、茶髪の青年は嬉しそうにうなづいた。頼りない雰囲気から小さく見えがちだが、書類を置いてにこやかに近づいてきた青年の身長はルシオラよりも高い。もっとも、ひょろりとした体躯と自信なさげな発声のおかげで、柔らかさはあれど魔獣と戦っているようには間違っても見えない。
「久しぶりだなあ。今日は、里帰り?」
「違いますよ。報告も兼ねて、寄っただけです」
「それを里帰りって言うのでは? 相変わらずのウィルさんだ」
「心持ちが大きく違います。相変わらずってなんですか」
そういうところが相変わらず、とレイモンドと呼ばれた青年は微笑んだ。
「お、レイじゃん。なにしてんの?」
背の高い二人の間でひょこっと顔をだし、メビウスが問う。レイモンドは柔和な笑みを崩さぬまま「お仕事です」と返した。
「仕事……?」
返事を聞いて、ウィルが怪訝な顔をする。
「正式に雇ってもらいました。魔獣の研究で学院に行くまでのあいだ、だけど」
「学院って、
満面の笑みを浮かべて「スゲーな」と素直に賛辞を贈るメビウスを、ウィルは複雑な面持ちで眺めていた。中央の魔術学院と言えば、選ばれたものだけが門を潜ることを許された場所だ。一つ歳が違う幼馴染みの大出世を素直に喜ぶことができない自分に、ウィルはなんとも言えぬ苛立ちを覚え、ぎゅっと両手を握りしめる。その様子を、少年が一瞬朱の双眸に映したことなど気付く余地もなかった。
「ま、積もる話もあんだろ。オレは退散」
「ちょっ、坊ちゃん」
眼鏡の奥底の真意を感じたのだろうか。メビウスは軽く手をあげると、窓際に設置されている掲示板に向かった。残されたウィルは、人の好さそうな幼馴染みの顔をどこか緊張した表情で見やる。
――なぜだろう。
どんな話をしていいのか、わからない。
「……メビウス君は、やっぱり変わりませんね。あ、君って歳じゃないんですっけ」
扉のベルの音と共にはいってきた四人組の後ろで、掲示板を見ようと飛んだり跳ねたり四苦八苦している金髪の少年を見つめながらレイモンドは言った。彼の話題が逸れたことに安堵しながら、ウィルは淡々と返す。
「坊ちゃんですから。あれはちょっとのことじゃ変わりませんよ」
「うんまあ、中身も変わらないけど。俺が言ってるのは、外見のこと。まだ見つからないんでしょう、特効薬は」
ほんの少し、悲哀を帯びた言葉がいったいなにを指しているのか一瞬理解できなかった。しばし考えて、少年が短い間に何度も会うことになるかもしれない一般人に対して使っている
「俺が子供の時から、まったく姿が変わってない。不思議な病気もあるもんだよねえ」
レイモンドが口にした、それが少年が使っている表向きの設定。彼は、突然成長が止まってしまう奇病にかかり、世界を旅しながら治療法を探している――ということになっている。初めて聞いたときには、また突拍子もない、と思ったものだがルシオラ曰く、実際に存在する奇病なのだそうだ。本来はあくまで身体の成長が止まるだけであり、寿命が延びることはない。発症率は数百年に一度の割合だが、調べてみたところ、古い文献から最近では百年ほど前に突然歳を取らなくなった人間の記録が確かに残っていた。嘘にも現実を少し混ぜておいたほうがリアリティが増す、と歌うように宣い、かの魔女は楽しそうに笑ったのをよく覚えている。
「はあ。もう、慣れましたけどね。本人が気にしてませんし」
「毎日一緒にいたらそうなるかあ。俺の研究も、ちょっとぐらい役に立つことがあればなあ」
眉尻を下げた自信のなさそうな笑顔を浮かべて、全身全霊で人畜無害です、と声高に言い放っているような幼馴染みの顔を、ウィルはようやっと真正面から見すえた。ただし、眼鏡の青年のほうは眉根を寄せた、厳しいものであったのだが。
「え? 俺、なにか変なこと言った?」
睨んでいると言っても過言ではない鋭い視線に、レイモンドはたじたじとなる。ウィルはなにを考えているのか、しばらく視線を外さぬままだったが、やがてふと目を逸らすと小さくため息をついた。つられて、レイモンドも肩で大きく息をつく。
「……なんでもありません。ただ、坊ちゃんを心配してくれてる人間がちゃんといるのに、と思っただけです」
「それだったらエリーだって心配してるもん! メビウスさま、無茶ばっかりするから!」
「はいはい。エリーが坊ちゃんを心配しているのは知っていますから。受付で長話もそろそろ邪魔です。父さんを、呼んできてくれますか?」
普段と変わらぬ淡々とした口調だが、話に割り込んできた妹を見下ろす視線には圧がある。エリーは幼いときからメビウスに
兄の言わんとするところをさすがに察したのだろう。エリーはメビウスとルシオラ、そして最後に窓の外を眺めているソラをじっと見つめて、受付の奥へと姿を消した。
「……ふーん。最近はここらの魔獣も結構強くなってるみてーだな」
ふむふむ、と顎に手を当てメビウスは、どうにか潜り込めた掲示板の前で忙しく両目を動かしていた。ピン止めされている紙はすべて、この辺りで目撃された魔獣の情報である。危険度が大きいと判断された魔獣には多額の討伐料がでるものもあり、大概ここを訪れる人間のお目当てはそれだ。貼られている紙の枚数は多くないものの、その内容に少年は目を細めた。
「しっかし、エグい魔獣が増えたなあ。身体に入り込んで増殖しながら中から食い破るとか、体液吸われて骨と皮だけになって死ぬとか、さすがにないな。ない」
うっかり、書かれている内容で死ぬところを想像してしまったのだろう。あからさまに嫌な顔をして、メビウスはぶつぶつと呟く。
「魔獣だけじゃなく、魔人も増えてんな。こりゃどっかに隙間でも開いてんじゃねえかってレベルだぜ?」
人もあてられるほど、というとかなりの瘴気の量になる。だがここは
そんな、デア=マキナですら魔獣発生の情報が絶えない。それどころか、情報を見るにここ半月ほどであからさまに増えている。
「半月、か……」
ちらりと、二人の魔族の影が脳裏をかすめた。ジェネラルに会ったのは一月ほど前。次の、ドクターに出くわしたのはつい先日だ。どちらも日が合わないが、ドクターは以前から
見た目に似合わぬ難しい顔で、ひとりごちていたからだろう。さきほど、掲示板を独占していた四人組から声がかかる。
「詳しいな、坊主。お前さんがたも魔獣退治をしてんのかい?」
「ん? まあ、そんなとこ」
も、ということは四人組はそれを生業にしているのだろう。これはちょうど良いと、情報収集を兼ねた雑談を始めようとしたときだった。
ぱんぱん、と鋭く乾いた拍手が鳴る。場にいた皆が、手を打った人物に視線を集中した。
「再会や出会いの挨拶はそこまでにしろ。時間がいつまであっても足りなくなる」
白い手を重ねたまま、最果ての魔女はぴしゃりと有無を言わせぬ口調で言った。
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