5・提案と密約

 少年が口を閉ざしてから、しばしのときが流れている。ジェネラルは目を閉じてメビウスの話を聞いていたが、語り終えてからも目を開く気配はない。腕を組み、黙りこくったままだ。

 ややあって、男はようやく重たい口を開いた。


「使えなくなったものを始末する。あの方を……半分以上は疎ましく思っていた、か」


 薄く開けた感情のとぼしい黒い瞳には、いったいなにが映っていたのだろう。

 メビウスの話を反芻し、短くまとめた言葉を口に出す。淡々とした語り口に、少年は訝し気に声をあげた。


「やっぱり驚かねーんだな。お前あいつは信用してなかったってことか」

「さてな。ただ、腑に落ちん言動が多かったのは確かだ」

「腑に落ちん言動ねえ。腑に落ちる言動することあんの、あいつ」


 あからさまに顔を歪め、嫌なことでも思い出したかのように頭を振ったメビウスを見、男は合点がいったらしい。


「なるほど。気持ち悪いやつ、か。貴様、あれに目を付けられたな」

「ああ。お前がべらべらしゃべったお陰でな」


 不機嫌を丸出しでぼやく。声に出して話したせいで一挙一動を思い出し、ぶるりと寒気が身体を通り抜けていった。


「だから、お前にも責任取ってもらおうと思ってさ」


 言いながら、ポケットから折りたたんだ地図を取り出す。


「あいつはお前のことを邪魔だとしか思ってねえ。魔王派の、古い将軍。魔界が空っぽだって意味も多分、あいつとお前じゃ違う。あいつの言う空っぽは、魔王派の魔族なんてほとんどいないって意味の空っぽだよ」


 少年の説を、ジェネラルは否定も肯定もせずに黙って聞いていた。口を挟まないことを肯定と受け取って、メビウスは続ける。


「あいつは、ソラちゃんに興味がないって言った。ま、殺しといて復活させようなんてやつはいねーわな。やつの狙いまでは知らねーけど、大人しくしてるつもりなら物騒な実験なんてやらなくてもいいし、なによりその成果をオレたちにけしかけることもねえ――」


 意味ありげに言葉尻を濁し、ジェネラルを見上げる。淡い月明りのしたでは、太陽の色をした瞳も普段より暗く凄みを帯びた赤に光っている。魔族は感情の薄い黒の双眸で、真っ向から見下ろした。


「それで、なにが言いたい? 提案があると言ったな。早く話せ」


 ジェネラルの言葉を聞き、メビウスは強気に口を引き上げる。


「お前、未だに一人か? 仲間は?」

「そこまで話す必要はあるまい」

「冷てーなあ。こっちはお前だと思ったから、わざわざ情報持って出向いてきたんだぜ?」

「時間稼ぎなら付き合わんぞ。私は気が長いほうではない」

「んー、じゃあ、まず一つ」


 言ってピンと人差し指を立てる。


「地図をやる」


 メビウスは手に持った紙を広げて、二人の間に置いた。魔族が静かに威圧する。


「お前がここに留まってるのは、二千年前の国しか知らねーからだろ? 昔の記憶と照らし合わせれば、知ってる場所に転移できんだろ」

「どういう意味だ」

「この街から出てけってこと。お前だって、街中のよどんだ空気程度でちまちま回復してる余裕ねえだろ? このままここにいたら、また騒ぎになりかねねーし、居座り続ければ正体がバレる可能性だってあるぜ」


 それとな、ともう一本、中指を加える。左手でとんとん、と地図を叩いた。


「現在地と、ドクターとやり合った場所に印をつけてある。多分、その辺りにはあいつの研究所みてーなもんがあったハズなんだ。恐らくそこは――隙間か瘴気の吹き溜まりみたいなもんがあると思う」


 そうでなけりゃ、が作れるわけがない。

 それは、メビウスの願望だ。普段ならば瘴気など人間界に存在しないで欲しいと願うところだが、ドクターの実験にはせめてそうした、魔界に少しでも近い環境がそろっていたと思いたいのである。

 ルシオラですら見つけられなかった場所だ。しかし、瘴気を好む魔族であるなら、ドクターが巧妙に後片付けをしていたとして、本能的に見つけられるかもしれない。


「それを見つけてどうする。隙間をふさぐ手伝いをしろと言うのかね?」

「いんや。お前の回復にでも使ってくれていい。つまり、そういう――魔族にしかわからないような場所を探しながら、ドクターがなにをしようとしているのか、それをさぐって欲しい」

「……なんだと?」


 一気に声音が氷点下へと下がる。


「答えは最後に聞くって言ったろ? いいか、あいつはソラちゃんを狙ってない。魔王を復活させる気はねーんだ。その時点で、お前とは目的が絶対的に異なる。お前が魔王復活を企めば、やつは邪魔をする可能性もある。そしてそれは、オレたちにとっても同じだ。お前の目的ははっきりしているが、ドクターはなにをしでかすかわからない。気持ち悪いんだよ」


 ジェネラルに気圧されぬよう、腹にちからを込めて言い切った。そんな少年の心の中を読むかのように、魔族は静かな威圧を放ちながら太陽の瞳を覗き込む。

 沈黙がいっとき、流れた。

 やがて、低くとおる声が答える。


「……なるほど。回復場所を提供する代わりに、両者にとって不穏分子であるドクターを監視しろと。そういうことか」

「まあ、そんなとこだな」

「いいだろう。私もまだ、のでね。ドクターが本当に魔王様を手にかけたのかどうかは、私も気になるところだ。そこも含めてやつの腹を探ってやろう」

「ソラちゃんに関わる時期じゃ、ない? ジェネラルお前、なんか知ってんのか?」


 思わず前のめりの姿勢になって魔族に問う。メビウスの必死な声を聞き、意外そうにジェネラルは声をあげた。


「憶測の域を出んが――まさか、なにも知らんのか? ……いや、知らぬからこそ守るなどと言えるのか」


 その言葉を聞いて、メビウスは少しだけ自分のペースを取り戻した。深く息を吸って吐き出す。冷たい夜の空気が肺にいっぱいに満たされ、同時に頭も気持ちも冷えた。へらっといつもの笑みを浮かべると、「ソラちゃんはソラちゃんだよな」と自分に言い聞かせるように呟く。魔族の言葉に飛びついてしまった自分が情けなかった。


「ああ。なにも知らないよ。なにかを知ったからって変わることもねえ」

「貴様はあの娘の正体を知ってなお、守るというのかね?」

「当たり前だろ。そもそも正体なんか大きな問題じゃねーんだ。ソラちゃんだから守る。それだけだ」

「青いな」

「わりーかよ。お前にもそういう相手っていねーのか? あーあ、枯れたおっさんにはなりたくねーぜ」

「……悪いとは言っていない。ただ、若いなと思っただけだ」


 煽り気味に口にしたにも関わらず、返答には言葉を選ぶような、ほんの少しの間があった。「おや?」とメビウスは違和感を覚える。彼の言葉からまるで人間じみた、懐かしさのような感情が見え隠れしたように感じたからだ。もちろん魔族だって感情を持ってはいるが、目の前の男が温かみをのぞかせるようなことをするとは思わなかった。下手をすれば精神的な隙にもなりうるような感情を、仮にも敵対している自分の前で隠そうともしなかったのが意外だったのである。

 にまっと笑ったメビウスを胡散臭そうに見やり、ジェネラルは口を開いた。


「貴様の提案を受け入れたとして、私たちは味方ではない。ただ、ドクターの動きを把握する、目的が一致するというだけだ。あの娘を守り続ける限り、私たちは必ず殺し合う運命にある。それは理解しているな?」

「上等。それでいい」


 笑顔を浮かべたままだが、太陽の瞳には強い意思がともりジェネラルを真っ直ぐに射抜く。どれほど絶望的な状況でも心が折れることのなかった少年の、忌々しいほど眩しい視線を正面から受け止めて魔族はふっと軽く笑った。


「相変わらず、気に食わんな。だが、だからこそ乗ってやろう。ドクターの件が片付くまで、娘は預けておいてやる。貴様が死んでも守り抜け」

「お前に言われるまでもねーよ」


 あとな、一つ言っておく、と口にして少年は立ち上がる。


「オレの名前は、メビウスだ。お前の名前だけ知ってるのも、不公平だろ?」









 少年が立ち去った後の静けさは、嵐のあとにも似ていた。雨風がよどんだ空気を吹き飛ばし、心地良い新たな外気が立ち込めているようだ。そんな空気を取り入れるのは、魔族もけして嫌いではない。生まれつき瘴気を身に宿らせているため誤解されがちだが、ただの新鮮な空気自体は害をなさない。魔のものだって、地表に生きているのだから当然だ。


 人間界こちらへ出てきてから、やっと美味い空気を吸えた気がする。


 ちからの大半を魔界に置いてきた。その焦りもあり、空っぽに閉ざされた魔界あちらを救うため、あまりにことを急いて、ひと息つく間も惜しんでいたのだと気付く。

 メビウスが語ったことが真実であるならば、反する目的を持つドクターが近づいてきた真意を探るのは無意味ではあるまい。

 そして。

 機が熟すまで、空色の少女が他のものの手に落ちぬよう、監視することもできる。


虚無ヴォイド果てなきものメビウス、か。貴様とは、どこまでも相容れんのだろう」


 どこまでも冷徹な声音でひとりごちながらも、男はどこか自分が楽しんでいるという事実に気が付き、鋭い笑みを浮かべるのだった。

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