4・わすれもの

 静かに探るようでいて、鋭く研ぎ澄まされた気配。

 相手もじゅうぶんに注意したであろうそれを、幸か不幸かキャッチしてしまった。転移の魔法はもう動きはじめている。考えている暇はない。


「……ソラちゃん、先に帰ってて」

「え……?」


 困惑するソラをよそに、メビウスはぴょんと転移陣から飛び出した。


「ちょっと、忘れもの。すぐ帰るから」


 後ろ向きに走りながら満面の笑みで手を振るという器用なことをしながら、転移陣の光とともに少女の姿が消えたのを確認すると、少年はふと真顔になって手をおろす。


「……すぐ、帰れるといーんだけどな」


 呟いて、ぐっと手を握る。夕間暮れの空のした、ぽつぽつと魔法の灯がともり始めた街並みを真っ直ぐに見つめて、メビウスは元来た道を歩き始めた。









 夜の帳がおりた街中で、少年は閉店間際の道具屋に駆け込むと世界地図を買った。魔法の灯がともる店先で地図を広げると、数か所に印をいれる。そうしてもう一度たたんだ地図を無造作にポケットに突っ込むとメビウスは大通りを外れ、だんだんと闇が色濃く落ちている方向へと足を向けた。


 ――下手に踏み込めば死ぬ。


 バースから聞いた情報。メビウスには、思い浮かんだ人物が一人いた。

 いるにはいたが、いたずらに名前を出せるような相手ではない。それに、話を聞いた昼間には特に気配らしきものはなにも感じなかった。もし彼が脳裏に描いている通りの人物がいるのなら、気配を消すぐらい簡単だということに、どうして頭が回らなかったのだろう。

 それだけ、フィリアちゃんのことで頭がいっぱいだったってことかな、と苦笑してメビウスは足を進める。

 転移陣を発動させたとき。

 ほんの僅かだが――その気配を感じた。魔法に込められた覚えのある魔力に、相手も反応したのかもしれない。


 そうしてたどり着いたのは、貧民街スラムの更に外れ。バースが言っていたとおり、この街スラムの住民であっても、というよりは住民だからこそまず近寄らないだろう見事な荒れっぷりだ。

 こういう場所には、よくないものが溜まりやすい。そういうものが溜まると、小さな隙間が生まれ、魔獣を呼び寄せてしまう。住民は、そのことを肌で知っているのだ。だから、むやみに立ち入ることはない。

 そんな場所にぽつんと一軒、古びた建物が建っている。外壁は半分ほど蔦で覆われ、中はもちろん、辺りにもあかりは見当たらない。


「……ッ!」


 ほんの刹那。自身の中を通り抜けた感覚に、嫌でも身体が緊張する。気持ちを落ち着かせるようにゆっくりと何度も息を吐いて、メビウスは入り口に近づいた。

 ノックする前に、扉が中から蹴破られる。のけ反った少年の鼻先を、なんの変哲もない長剣の刃先がためらいもなく滑っていく。

 土煙の中、ひゅっと風を切る音が聞こえ、メビウスは反射的に後ろへ飛びのく。次いで放たれる銀閃を紙一重でかわしながら、メビウスは声を張った。背中の得物には手をかけない。


「ジェネラル! こんなところで戦う気はねえッ! オレは、話をしにきたんだよ!」

「私には話すことなどない。去らねば殺す」


 攻撃を緩める素振りも見せず、淡々と返して少年を追い詰める。


「魔王を殺したのは、ブリュンヒルデじゃねえんだ! 剣を退け、!」


 その名が呼ばれた瞬間。

 男の目に鬼気迫るような殺気が宿る。だが、凄まじいまでの気迫に反して、彼の剣はメビウスの喉元――薄皮一枚を隔ててぴたりと止まった。反動すら読み切ったうえでの寸止めだとわかり、冷や汗が流れる。


「……小僧。誰からその名を聞いた?」

からだよ。ドクターって気持ち悪いやつ」


 少年と壮年の男の視線が、真っ向からぶつかり合う。しばらくして、ジェネラルは突き付けた剣を退いた。極度の緊張が解け、メビウスはどっと溢れてきた汗を拭いながらふうと一つ大きな息をはいた。


「ドクター……。やつはあの日に死んだと思っていたが。一度だけ訪ねてきたよ」

「死んだと思ったのは、魔界にいなかったからだろ? あいつはな、あの日、魔王を殺してばらばらにしたって楽しそうに語ってたぜ。その割を食って、あいつも人間界に取り残されたみたいだけどな」


 ったく、なにも聞かずに殺す気できやがって、と少年は悪態をつく。


「驚かねーってことは、心当たりぐらいはあんだろ」


 じとりと半眼で魔族を見上げ、やけくそにも見える動作でその場にどかっと座り込んだ。その行動には魔族も驚いたようで、ほんの一瞬、厳しい目を見開く。


「なんの真似だ」

「だから言っただろ。話をしにきたって。膝突き合わせて話す覚悟ぐらいは持ってきてんの」


 言いながら、ぱんぱんと己の膝を叩く。ジェネラルはしばし無言で突っ立っていたが、やがて手に持った抜き身の剣を鞘におさめた。一見変わらぬ黒い瞳には、よく見ると呆れのような感情が浮かんでいる。


「本当に貴様は面白いな。本気で勧誘したくなってくる」

「お前のには嫌な思い出しかねーからな……」


 こちらも苦い笑いを浮かべ、頭をかく。ひょこひょこと金髪が好き勝手に遊ぶ。そうしていると、ジェネラルは距離を詰めぬままではあるがその場に腰をおろした。男の行動をぎょっとして見、メビウスの動きが固まる。


「……え? 付き合ってくれんの?」

「膝を突き合わせる覚悟をしてきたと言ったのは貴様だろう。私にだって、いま戦う必要があるかないかぐらいの判断はつく」

「じゃあ最初っからまず聞けよ……」


 ため息まじりにぼやき、しかし、顔をあげた少年に浮かぶのは楽し気な笑みだ。


「とりあえず、オレがここにきた目的を話す。一つ提案があるんだが、それに答えるのは話を聞いたあとでいい。ここまでは、いいか?」

「いいだろう」

「よし。じゃあまずは、ドクターについてオレが知ってることを話す」


 楽し気に口角をあげたまま頷き、メビウスは話しはじめた。








 最果てにある魔女の家の玄関に、転移の光が満ちる。柔らかな光が収まったとき、そこにいたのは空色の少女だけであった。ソラははっと辺りを見回し、自分一人だけが帰ってきたことを痛感する。


「おかえりなさい。……おや、坊ちゃんは?」


 追い打ちをかけるように、出迎えたウィルの質問が聞こえた。


「忘れものがあるって……」

「はあ? 忘れものって、そんなにもの持って行ってましたかね」

「……あ」


 言われてみれば、そのとおりだ。彼が持っていたのは、ブリュンヒルデと財布。あとは帰ってくるための転移の魔法道具マジックアイテム。もちろん全て把握しているわけではないが、メビウスは常に軽装で忘れるようなものを持って歩くタイプではないように思える。


「アレの忘れものとは恐らく、ものではあるまい。使い捨てが起動したとき、わずかだが鋭い気配を感じた。それに込められたウィルの魔力に反応したのだろう」

「僕の、ですか?」


 訝し気に首を傾げるウィルと、転移してきてからその場を動けずにいるソラの二人を交互に眺め、最果ての魔女は珍しく笑みを消して苦々しく吐き捨てる。


「あのバカを心配するだけ時間の無駄だ。最悪、死んだら帰ってくる」

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