3・ランチデートと少しの時間(2)

 メビウスの一言で、男二人のこそこそ話は終わりを告げた。お互い、背中に刺さってくる想い人の視線に耐え切れなくなったからである。バースは「なんか気が付いたら教えろよ」と言い残し、慌ただしく店内に戻っていく。少年が見たこともないでれでれとした締まりのない顔で、アンナに注文をしているのを、メビウスはなんだか嵐が去ったような気持ちでぼーっと眺めていた。


「……あいつ、毎日ここで食ってんのかな」


 思わずぼやきが口をつく。いつの間にかソラが隣に立っているのに気付き、メビウスは当初の予定を思い出した。


「ソラちゃんごめんね。待たせちゃって」

「ううん、いい。でも、待つんだったらここでお昼食べたかった」

「うん、今度、昼じゃなくて夜にね」


 さらっと肯定したように否定する。夜厨房に立つのは店主マスターで、アンナは看板娘として接客にまわるからだ。そして、アンナの父である店主の料理は長い年月生きてきたメビウスをして、いまを生きて味わえて良かったと心から思えるほどの絶品ばかりなのである。

 その人から教わってなんであーなるかな、と少年は胸中でひとりごちた。ソラはまだ店主の料理を食べたことがない。店主の絶品料理の数々を食べれば、彼女も考えが変わるだろうと期待をかける。


 まあ。

 味覚が独特なのも、それはそれで可愛いんだけど。


「さて。そんじゃ、フィリアちゃんを捜しに行きますか」


 ほとんど居場所は見当ついてるんだけど、と心の中で呟き、メビウスはゆっくりと歩き出した。








 初めてソラを連れてきたときは、まだ彼女は星の髪飾りをつけていなかった。

 髪飾りをプレゼントしたのは、丘の上だ。夕日が作り出す絶妙なアート。ものの数分で終わってしまうそれを見るために、あのときは足を運んだ。当初の予定では、髪飾りをプレゼントするなど段取りにははいっていなかった。プレゼント自体にはなにも後悔する点などないが、あの日きちんと店を吟味していたなら、いまここに立っていることはなかっただろう。


 その丘のふもとに。

 見覚えのある小さな後ろ姿が佇んでいる。彼女が視界にはいるないなや、メビウスは地面を強く蹴っていた。すぐに少女に追いつき正面に回り込むと、フィリアはなにごとかと目をきょときょとさせる。メビウスは膝に手をついて視線を合わせると、いつもの気が抜ける笑みを浮かべた。


「良かった。フィリアちゃん、捜してたんだ」

「私を……?」

「うん」


 へらりとした笑みを乗せたまま頷いた少年の瞳を、フィリアは困惑しながらも見つめ返す。その瞳がほんの少しだけ揺れたのを認めたが、メビウスはまったく表に出さずにゆっくりと歩いてきたソラを呼んだ。自分は関係ないと思っていたところに手招きをされ、空色の少女は首を傾げる。

 彼女を呼んだ意味を先に理解したのはフィリアだった。少女は「あ」と小さく声をあげ、ソラの左耳の上で光る星の髪飾りを凝視する。


「それ……!」


 少女の様子を見て、ソラもようやっと趣旨を飲み込んだようだ。髪飾りに一度手をやり、フィリアに視線を落として問いかける。


「あなたが、これを作ったの?」

「えと、はい!」

「ありがとう。これ、とてもあったかい」


 緊張と嬉しさが入り混じったような複雑な表情を浮かべ、フィリアは返事とともに大きくうなづいた。顔が動くとき以外は、吸い付くように髪飾りに視線が固定されている。確かに、これだけきれいな髪にきらびやかで豪華な飾りをつけても、お互いがぶつかり合ってしまうかもしれない、と星を作った少女は思う。

 そうやってたっぷりと、ソラの青空を映した銀髪に控えめながら光を放つ二つの星を眺めたあと。


「これから、お姉ちゃんのお墓参りに行くんです。一緒に行きませんか?」


 お姉ちゃんにも、見せてあげたいんです、とたどたどしい口調で続けた。








 ゆるりとした坂道を、少女に着いてゆっくりとのぼる。歩くうち自然にフィリア、ソラ、最後に少し離れてメビウス、という並びになっていた。メビウスは途中で足を止めると、目についた白い花を数本そっと手折る。

 正直、まだ気持ちの整理はできていない。だが、世界の本棚で悪夢を見せられ、痛感したのだ。エグランティアの一件に踏ん切りをつけておかなければ、また同じように仲間に迷惑をかけてしまうかもしれない。それになにより、ずっとここで踏みとどまっているわけにはいかなかった。


 守りたいものを守れるように強くなる。

 ――そう、誓ったんだけどな。


「……まだまだ、甘さが捨てきれてないってこと、か」


 自嘲気味に呟いて立ち上がる。少女たちはすでに目的地について、フィリアが嬉しそうにソラを紹介している様子が見えた。


「あ……お兄ちゃん。なにしてたんですか?」

「花を、供えてもいいかな?」


 まあ、そこら辺で勝手に摘んだ花だけど、と手にした白い花を見せる。小さな花は、ふわりと優しい香りを漂わせてフィリアの鼻をくすぐる。少女は、花開くように無邪気に笑った。


「もちろんです! お姉ちゃんも喜びます」


 はじけた言葉に控えめな笑みだけを返し、メビウスは墓の前に花を手向ける。目を閉じ、殊勝な面持ちでこうべを垂れている少年を、ソラは不思議な気持ちで眺めていた。

 なぜなら。

 ここにことは、メビウスも知っているはずだからである。なにもない場所に報告をし、祈りを捧げるなど、ソラには理解ができなかった。

 真実を言おうかどうか迷い、口を開きかけたがメビウスが顔をあげたのでタイミングを失う。


「……全部、聞いたんだな」


 エグランティア自身が建てた墓とも呼べない粗末な墓標。この場所にフィリアが一人で足を運んでいるということは、彼女がすべてを――少なくとも自分の姉がこの地で死んだという事実を知っているという証明に他ならない。メビウスは、しばらく会えなくなる、という濁した言葉でしか、フィリアには伝えられなかったのだから。


「バースさんが、お兄ちゃんから頼まれたって話してくれました」

「そっか。……フィリアちゃんは、強いな」


 ぽん、と頭に手を乗せて、へらっと笑う。少しだけ情けなさを滲ませながらの笑みの意味を、聡い少女は読み取ったようだ。


「お兄ちゃんは……悪くない。なにも、悪くないです」


 ――死んでよ。


 精神を蝕む毒に侵されて見せられた悪夢が顔を出す。小さな顔を憎悪でいっぱいにして、涙を流しながら絶叫する姿が重なりかけて――ふと消えた。

 彼の横に立つ少女は、憎悪に駆られて泣き叫んでいた少女ではない。フィリアはきちんと自分の足で立っている。地面を精一杯踏みしめて、前を向いている。悪夢の中の少女のように、同じ場所にいつまでも囚われてなどいないだろう。


 勝手に雁字搦めになっていたのは、自分のほうだ。


「バカだな、オレ」


 呟いて、へらりといつもの笑みを浮かべる。少し間が抜けていて、相手の毒気を抜いてしまう――普段よりもすっきりとした笑顔。


「サンキュな、フィリアちゃん。おにーさんは君の五年後がとても楽しみだよ」









「あのね、メビウス」

「ん?」

「本当は、あのお墓には誰の魂もいなかったの」

「……え?」


 フィリアと別れ、帰路についた二人。街外れでぽつりとソラが呟いた言葉に、メビウスは一瞬目を丸くして横を歩く彼女を見る。


「肉体だけじゃない。魂ももうあそこにはいなかった。言うべきかどうか迷ったんだけど」

「あー……そういうのは、言わないほうが、いいかな」


 苦笑を浮かべ、アドバイスを送る。ソラは「そうなの?」と首を傾げたがそれもほんの少しの間。はかなげに夕日に照らされた少女は、まるで独白のように言葉を紡ぎ続ける。


「あの子のお姉さんの魂はもう、世界の外にあるもの。世界の外で、次の命になるために待機しているの。いつか、うえにのぼってどこかの世界の一つの命として生まれるために」


 だから、お墓にはもう誰もいないの。

 メビウスは、歩幅を合わせながら黙ってソラの話を聞いていた。


「魂は、記憶を持っていけない。次の命に影響してしまうから。あそこに残っていたのは、そういうもの。忘れたくない記憶――彼女の思い出たちが、宿っているの」

「……そっか。それじゃあ、魂が残ってるのと一緒だ」

「……?」


 不思議そうな顔をしたソラに、メビウスは穏やかな声で続ける。


「ソラちゃんが言うんだから、魂は確かになかったのかもしれない。でも、魂が残っていたとしたって、思い出が宿っていなかったらそれはなにも残っていないのと同じだ。だから、思い出が残っているのなら、そこには確かに彼女が生きた意味が眠ってる。フィリアちゃんには、それでいいんだよ」

「そうなの? 肉体も、魂も、なにもないのに」

「心があるだろ」

「……こころ」


 正直ソラにはよくわからない。魂は見ることができる。記憶に関してはまだ、生きた記録と言い換えることもできるだろう。だが、感情や心というものは見ることができない。空色の少女にとって、見えないものというのは存在しないと同義のようなものである。


「よく、わからない」

「あれ、意外だなあ。ソラちゃんなら、よく知ってるかと思ってた」


 正直な言葉を吐いて、内心首を傾げた。メビウスから見れば魂も心も同じようなもので、どう違うのか理解できないが、ソラの中では明確に違いがあるらしい。


 ――難しいなあ。


 胸中で呟いて、改めて空色の少女の異質さを実感する。自分のようにあからさまに世界の道理から外れているわけではないが、本質が見えないミステリアスな部分で言えば圧倒的にソラのほうが異質だろう。だからこそ、ルシオラも興味を持っている。メビウスにとっては、単なるスパイス的な魅力でしかないが、最果ての魔女が手放そうとしないのはなぜなのだろうか。


「ま、聞いたって素直に答えるわけねえか」


 ひとりごちて、にしっと笑う少年をソラはきょとんとして見つめる。


「ん、そろそろ帰りますか」


 そう言ってポケットから取り出したのは一枚の古びた紙だ。四つに折られた紙を開くと、そこには一つの魔法陣が描かれていた。


「ルシオラの魔法道具マジックアイテム。使い捨ての魔法を一つだけ封じておけるんだ。ウィルの弾丸とかと同じようなもんかなあ。で、これは帰るための転移陣ね。オレ、転移できないからルシオラが家をこっちに持ってきてくれないときは、これがないと帰れねーんだ」


 ま、大体はウィルがいるから使うことねーんだけどさ、と続け。


起動ブート


 奇しくも、魔法道具マジックアイテムを作動させる一言トリガーは、神族の遺跡のちからを発動させるものと同じだった。ソラは遺跡の防護機能を思い出し、咄嗟に身を固くする。

 メビウスはそんなソラを見ていつもの笑みを浮かべると、「大丈夫だよ」と少女の細い肩を抱き寄せた。

 紙に描かれた転移陣がほのかに発光する。紙は灰になって消え、地面には見慣れた転移の魔法陣が大きく映し出されている。ふわりと、したからあたたかな転移の光が二人を包んだ。


「……ッ!?」


 こちらに向けて一瞬、探るような気配が飛んできたことにメビウスは気が付いた。

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