2・ランチデートと少しの時間(1)

「ごめんね、ゆっくりランチにできなくて」


 ラゼルのパン屋で昼食にと買ったバゲットサンドを頬張りながら、メビウスは隣を歩く空色の少女に声をかけた。ソラはゆるゆると首を振って、うっすら微笑む。


「ううん、外で食べるのも、新鮮」


 言って、色合いも鮮やかな旬の果物がこれでもかとトッピングされているフルーツサンドをちまちまもぐもぐと食べる。それはまるで、小動物が種や木の実を食べている様子にも似ていて、自然、メビウスの頬も緩む。


「そっか。良かった」


 にかっと満面の笑みで返し、自身もバゲットから逃げ出しそうになっているベーコンごとパンを噛みしめた。ぱりっと瑞々しい野菜と、少し焦がしてかりかりとしたベーコンの感触が楽しい。ウィルがいたら「行儀が悪いです」と確実に説教モードだな、と思いつつ自分のぶんを一気に口に押し込んで、食べ終えるまでまだ時間がかかりそうなソラを見やる。


「……なに?」

「なんでもない。ただ、幸せを堪能してるだけ」


 へらりと破顔して、いつも以上に見つめてくる少年を謎のいきものを見るような目で一瞥し、ソラは見た目より甘さ控え目のフルーツサンドを再度口に運ぶ。


「……かわいい」


 幸せすぎて自分でも気づかずこぼれた声は、ソラの耳に届かなかったようだ。

 太陽はちょうど、空の一番高い位置に鎮座している時刻である。昼食時であり、通りを歩いているものはそれほど多くはない。幸福のひとり占めをいっぱいに噛みしめて、少年はいまという時を心の底から楽しんでいた。








 そろそろ馴染みになりつつある酒場の扉を、カランと鳴る鈴の音と共にくぐる。一応看板は出ていたから、やはり昼も営業しているのだろう。


「メシ時だってのに、見事に客がいねえ」


 入り口から見えるそう広くない店内を一瞥し、妙に納得のいった表情を浮かべてメビウスはひとりごちた。ソラはソラで不思議そうに小首を傾げているが、気が付かなかったことにする。


「おや、久しぶり。今日もランチデート?」


 にこにこと、しかし多少からかうような調子も混ぜてかけられた言葉は、看板娘からのものだった。メビウスはへらっと頷きながらも、変わらぬ笑みを乗せたままランチだけはしっかり否定する。


「腹は間に合ってる。フィリアちゃんは、いる?」

「なぬッ! 少年、堂々と二股かけるとは!」

「違うし。オレはソラちゃん一筋だし。さすがにフィリアちゃんは犯罪だし」


 笑顔を消して真面目な顔で言い切ると、アンナは一度丸い瞳をぱちくりとさせ、おかしそうに吹き出した。


「ちょ、うちの親父ならともかく、君とフィリアちゃんだったら兄妹ぐらいのもんじゃない。そこまで言う?」

「いや、犯罪だろ。歳の差いくつあると思ってんだよ」

「え、五、六歳ぐらい」


 アンナの的を得た答えを聞き、メビウスは肩を落として深いため息をつく。確かに、見た目上はそうだろう。そもそも、実年齢を持ちだせばつり合う人間などいないわけであるのだから、メビウスも基本的には見た目に合わせて振舞っているし、それとて演技しているわけではない。二千年という長い時間を生きているとはいえ、彼は身体的に一度も大人になったことがないのだから、見た目年齢然とした言動が普通なのだ。

 単純に言えば、気持ちの問題なのである。ソラのように見た目が同年齢であれば精神的な年齢は気にならないのだが、一桁まで行くと途端に自分の実年齢を思い出してしまう。それこそアンナが言ったように兄妹のように接したら良いものを、ある意味で面倒な性格をしているのだと自分でも思う。


「フィリアちゃんよりは、アンナさんのほうがまだ……いや、でも五年ぐらい経ったらフィリアちゃん美人になってそうだし、気立てもいーし」


 ソラちゃん一筋と言い切った割に、ぶつぶつとどうでもいいひとりごとをぼやく少年を、空色の少女が冷めた瞳でじとっと見つめ、アンナが「ごめんねえ」と笑顔で謝る。


「あたしも、自分より背が低い男はちょっとねえ。それこそ五年経って背が伸びてから!」

「同じ五年なら、オレはフィリアちゃんを選ぶ」

「クソガキが。何年経とうがおめーなんかにフィリアはやらん」


 ぬっと現れた大きな人影が、不機嫌丸出しの声で言った。聞き覚えのある声に、メビウスは嘆息して振り返り、ソラはびくりと肩を跳ねさせて少年の後ろに下がった。


「なんでこう、いつも会うんだよ……」

「それはこっちの台詞だ! せっかくアンナさんのメシを食いにきたのに、メシが不味くなる」

「あれ以上不味くなりようねーから大丈夫じゃね?」

「なんだと!? おめーは舌もバカか! アンナさんに謝れ!」


 言いながら、バースは大きな手でメビウスの頭を鷲づかみにすると強引に下げさせようとちからを込める。が、メビウスも看板娘の料理に関して譲る気はないらしい。バースの太い腕を掴んで、その手のひらから逃れる。


「お前は毎回いたいけな少年に暴力働くのやめろよな。あー、頭潰されるかと思ったぜ」

「だからッ、どーこーにいたいけな少年がいるってんだよ。おめーが握ったとこ痣になってんじゃねーか。バカぢからはどっちだ」

「あまりに怖い顔で握ってくるんで、一生懸命反発しました。火事場の馬鹿力ってやつです」

「淡々と棒読みすんな」


 メビウスの後ろに隠れていたソラが、彼のフードを引っ張った。振り向くと、なんとなく冷たい空気を纏っているソラの呆れた瞳が少年を貫く。


「いつからそんなに仲良くなったの?」

「仲良くねーし」


 言葉尻に被せるぐらい速攻で返した一言にバースもうなづく。しかし、それがまたいいタイミングで決まってしまっていることに二人とも気付いていない。ソラのじと目が一向に解除されないので、メビウスは更に言葉を続けた。


「まあ、色々あったけど、こいつは思ったより悪い奴でもなかったんだ。あーゆー仕事してたのも、一応理由ってのがあったし。理由がありゃいいってもんでもねーんだけどさ」

「ふーん」


 そんなやり取りを見て、バースはにやりと口元を歪ませた。言い訳を続ける少年の肩に太い腕を回すと、ちから任せに少年を店から引きずり出す。


「おめー、あの子に頭上がんねーな?」

「だったらなんだよ」

「なんでもねーよ。ただおもしれーってだけだ」


 にやにやと、言葉どおりに愉快そうな顔をするバースの腕を振りほどこうとすると、先ほどとは違い巨漢も更にちからを込める。筋肉が盛り上がり、メビウスの喉を圧迫し始めた。


「おま……ッ! なにす――」

「実はちょうどよかった。おめーに聞いてもらいてぇ話がある」


 掠れた声で抗議をしようとした少年の台詞に被せ、バースは低いトーンでそう言った。メビウスの朱の瞳が、自分を締めあげる勢いで拘束している男へと動く。男は、いたって真面目な顔をしていた。


「……わかったから、放せ」


 少年が男の腕をぱんぱんと叩く。バースの腕からちからが抜け、メビウスは深く息を吸い込んだ。


「……で?」


 喉を押さえながら、一言で問う。バースは少しだけ後ろを気にしたが、低い声で話し始めた。


貧民街スラムの奥に、よくわかんねー野郎が住み着いた」

「なんだそれ。そんなの、自警団にでも……って、お前じゃ無理か」

「これだからクソガキは。その自警団が、どーにもできなさそうな野郎だから、おめーに言ってんじゃねーか。バケモンはバケモンの分野だろ?」

「……どういうことだよ?」


 じろっと巨漢の顔を睨み上げ、肩にかかりっ放しだったごつい手を退けると腕を組んだ。ちからを抜いてだらんと落ちた手のひらを握りしめ、バースは強面を柄にもなく歪ませると少年の視線から逃げるように目を逸らす。


「あーゆー場所はな、貧民街スラムの連中でも寄り付かねえ。からだ。それなのに、肝試しだかなんだかって夜中に面白がって入り込んだ道楽旅のボンボンどもが居やがったんだよ。そいつらが、殺されるところだったとか喚きながら自警団に泣きついてきた。それで場所柄、俺が見に行くハメになったんだが」

「……ん? なんでお前が出てくんの?」

「そりゃあ、おめー、俺が自警団に入ったからだろ」

「はあ!?」


 絶句した少年に、ポケットから腕章を取り出しどや顔で見せつけてくる。偽物じゃないかと一瞬疑ったが、こんな嘘をついたところでなんのメリットもないことに気付き、メビウスは目線を巨漢の顔と腕章を何度も往復させた。


「俺だってな。犯罪で子供たちを食わせてやってることに負い目がなかったわけじゃねーんだよ。おめーに言われて、ティアの一件を聞いて、俺ができることはなにかって考えたんだ。俺には学がねぇが、この街の地理は知り尽くしてる。荒事にも慣れてるからな。それで、いつも世話になってるおやっさんに頭下げたんだ」


 どや顔で腕章を見せつけた割に、話し声は小さかった。気恥ずかしいのか慣れていないのか、多分その両方だろう。気まずそうに腕章をしまい、続きを話し出す。


「結果、ボンボンどもが殺されそうになったって相手には会えなかった。会えなかったが、あそこにはなにかがいる。何者かが出入りしてる跡はある。だが、俺はそれ以上踏み込めなかった」


 裏で生きてた長年の勘だよ、とバースは低く笑う。


。それだけは感じた。おめーなら、なにが住み着いたかわかるんじゃねーかと思ってよ」

「あのなー。それっぽっちの情報でわかるかっての」


 ため息をつき、首を横に振る。


「まあ、ここらに寄るときは気を付けてみるよ。とりあえず、それでいーか?」

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