幕間・それぞれの合間

1・ウィルの秘密

 もう太陽も高く昇った時刻。とはいえ、外の世界にあるルシオラの家では、空の変化によって時間を感じることはできないのだが、魔女の魔法がこめられた時計が人間界の時間と常にリンクしている。ダイニングに設置された大きな時計は、正午になるとオオハシに似た彫り物が時計上部から飛び出し、時間を教えてくれるサービス付きだ。


 いつもは早寝早起きの青年が、そんな時間に自室から降りてくるのは珍しいことである。だが、遺跡から帰ってというもの、ウィルは毎日こんな生活を送っていた。服装こそきちんとしているものの、眼鏡でも隠し切れない目の下の隈が彼の寝不足加減を表している。

 人気のないリビングに顔を出し、誰もいないことを確認すると大きくため息をついて肩を落とす。彼の捜している少年は、どうやら家にはいないだろうと結論が出たからだ。自室は訪ね済みなうえ、少年が想いを寄せているであろう少女の姿もどこにもない。これは十中八九、否、九分九厘の確率で二人とも出かけている。


 もう一度大きく息を吐き出し、自室へ戻ろうとしたときだった。コツ、と硬質な音がしてあでやかな声が後ろからかかる。


「珍しいな。お前がこんな時間まで起きてこないとは」

「……茶化さないでくださいよ。魔獣組合ギルドに提出する、確認された魔族やあの……魔王についての報告書をまとめていることは知っているでしょう」


 疲れた動作で振り向きながら、愚痴をこぼす。ウィルが、ルシオラに対して見せるには珍しい言動だ。彼女に普段通りのフリもできないぐらい、精神が摩耗しているらしい。


「こちらも知っている前提で聞きますが。坊ちゃんはどこに行っているんです?」

「アレなら、朝のうちにラゼルへ送った。無論、ソラも一緒だ」

「ラゼル? なんでまたそんなところへ」

「さあな。用があるというから送っただけだ。お前も送るか?」


 魔女の言葉に、青年は気だるげに首を横に振った。


「それには及びません。魔族について、聞きたいことがあっただけですから」


 呟いて、自室へ戻ろうときびすを返すウィルを止めたのは、やはりルシオラの一言だった。


「ならば、私が付き合おう。ソラの記憶を介して、私はジェネラルや魔王だったものを視ている」


 アレに聞くよりはるかにわかりやすいと思うがな、と最果ての魔女は色の違う両目を楽しそうに細めた。








 遺跡から帰り、ずっと報告書と戦っていたのだろう。カーテンが引かれたままの、間接照明しか灯っていない薄暗いウィルの部屋で、ルシオラは書きかけの報告書に目を通していた。大量の紙の束には、神経質そうな細かい文字がびっしりと規則正しく並んでいる。ほとんど完成しているのは、昨今増えてきた狂暴な魔獣についての報告と、いままで魔獣が少なかった地域で観測されたものについての書面だ。肝心の魔族については、ジェネラルについてはざっとまとめてあり、彼が遭遇した壮年の男がどんな外見、能力を持っているのかがわかるぐらいにはなっている。しかし、ドクターについてはジェネラルの半分も記載がされていなかった。これについては、かの魔族と最後まで一緒だったのがルシオラであるのだから、仕方がないだろう。


 そして、まず一つ。

 眼鏡の青年が、頭を悩ませているもの。


 あの、漆黒のかたまり。光を一切受け付けない影で塗りつぶされたような胎児の姿をした、魔王と呼ばれたものについての記述だ。

 そもそも、あれをなんと呼称してよいのかすらわからない。ウィルはとりあえず『魔王』と仮で書き入れているが、しっくりきていないのが何度も書き直した跡から伺える。


 更に、最大の問題が青年を悩ませている。メビウスを捜していたのは、魔族というよりその問題についてだなとルシオラは心中で察した。


「言ったとおり、ジェネラルや魔王、ドクターのその後については話そう。しかし、ソラについての報告が必要か」


 紙の束から顔をあげたルシオラに、ウィルは深刻な表情でうなづく。


「ええ。……魔族に関する報告で、ソラさんについての記載をしないわけにはいきません。あの黒いものを消したのは、彼女なんですから」

「ふむ。それは難問だな。ソラに関しては、なにもわかっていないのと同じだろう」


 言いながらも、ルシオラは余裕の笑みを崩さない。彼女はいつでもそういう態度なのではあるが、連日の寝不足と、なにより遺跡での衝撃が抜けきっていなかった。思わず、強い口調で言葉を投げつけてしまう。


「ルシオラさんには、簡単に見えるのでしょう?」

「なぜ、そう思う?」

「質問に質問で返すのはずるいですよ。まあ……ルシオラさんなら、少なくとも僕よりは彼女のことをわかっているかと思っただけです」

「なるほど。確かに私のほうがソラとは話している。そうだな、ソラに関しての報告書は私が書こう。だが、魔獣組合ギルドにはソラも行くんだ。疑問点は、本人同士で話し合ってもらうしかあるまい」


 ほとんど白紙の報告書を抜き取り、残りの束を青年に返すと最果ての魔女は足を組み替えて自信たっぷりに笑う。


「さて、魔族については、どこから話せば良い?」









 どこでをしたかはぼかしつつ、ルシオラは魔法で閉じ込めて放置してきたとウィルに語る。それを聞いた青年の反応はメビウスと同じようなものであったが、彼の場合は魔族が生きていると確信しているようだった。理由は、「消滅を見届けなかったから」だと言うと、ルシオラは声をあげて笑った。


「ふふ、確かにな。なるほどなるほど」

「魔族の身体なんて滅多に手にはいるものじゃないでしょう。ルシオラさんなら、かけらでもなんでも、サンプルになりそうなものは持って帰ってくるのではと」


 それが興味本位なのか、今後のためなのかはわからないですが、と心の中でのみ続ける。

 ルシオラは楽しそうにうなづくと、前髪をかきあげて青年を見つめる。レンズの奥にある暗い紫色の瞳は、ルシオラの左右で色の違う双眸に射抜かれて動揺を隠しとおせたか定かではない。少し、早くなった鼓動の音がうるさいぐらい脳内に響く。

 ふむ、と最果ての魔女は瞬きをすると、視線を逸らした。


「お前は、アレよりも私のことを理解しているようでいて、まるで理解していない。不思議なものだな」


 返事に窮し、押し黙る。数分の沈黙が流れた。笑みを消し、目を細めてルシオラはウィルの身体を上から下まで眺めた。


「ところで、お前の身体は万全か?」


 突然別の話を振られ、今度こそ青年はあからさまに動揺した。ほかに誰もいないとわかっているのに、きょろきょろと辺りを見回してしまう。青年の様子を見、魔女はふっと軽く笑った。


「大丈夫だ。アレはまだ帰ってこない。しばらく整備メンテナンスをしていなかっただろうと思ってな」


 ウィルは諦めたように目を伏せると、首を横に振った。


「万全かと言われれば、万全ではないですね。魔獣も増え、なにより魔族と続けてやりあってますから。と思いますよ」


 言いながら、シャツのボタンを真ん中辺りまで外して広げてみせた。左胸――心臓の上に血のような色で、大きなあざがくっきりと浮かび上がっている。それを見て、ルシオラは形の良い眉をきゅっとしかめた。


「……バカ者。ここまで酷いのなら早く言え」


 目を細めてあざを睨み、吐き捨てるようにこぼした。さっさとベッドへ向かうと、有無を言わせぬ強い口調で言う。


「なにをしている? それだけ酷くなってしまえば、もう魔力は使えん。さっさと処置するぞ」

「簡易的な処置で構わないですよ。万全ではありませんが――」

「バカが。きちんとした処置を施さず、それ以上魔力を使うことは私が許さん。負荷で壊れる寸前だ」


 ベッドの脇で、魔女は青年が立ち上がるまで待っていた。根負けし、ウィルは深く息をつくとはだけたシャツを脱いで、ベッドにうつ伏せに横たわる。あらわになった背中には、いっぱいに魔法陣がえがかれていた。


「こいつで空気中の魔力を取り込みやすくなるのはいいが、そのほかの余分なものも取り込みやすくなる。そういう余計なものが溜まると身体に悪いと言っておいただろう」

「でも、今回は溜まるのが早すぎる気がして」

「瘴気の影響だ。余分なものにはそういった毒も含まれる。魔族と会ったことで、今までよりもずっと身体に負荷がかかるようになるぞ」

「それはちょっと……困りますね」


 苦笑した青年に、魔女は「少し痛むぞ」と声をかけると光の針を打ち出した。全部で五本打ち出された針は、魔法陣の要に刺さり星の形を浮かび上がらせる。魔法陣の上にもう一つ魔法陣が描かれたような形だ。

 ルシオラが白い手をかざすと、上の魔法陣が淡く輝き背中の魔法陣から黒いもやのようなものが吸い上げられてきた。同時に、ウィルは心臓をも引っ張られているような感覚を感じ、身体中が引きちぎられそうな痛みを感じる。声を出さぬよう、シーツを握りしめて必死に耐えた。


「……なぜここまでしてアレの側にいるのか、私にはやはりわからんな」

「そんな、の、昔の僕に……聞いて、ください……」


 なんとか絞り出した途切れ途切れの声。


「バカだなあ、とは、思うんです……けど、僕にも、プライドってものが」

「プライドか。そんなもので動けなくなっては困る。これからは、もっと自分に気を使え」


 真面目な顔で言い放ち、ルシオラはかざしていた手を横に振った。なにかを握りつぶすように手を握ると、背中から溢れた黒いもやは一瞬で四散し、見えなくなる。痛みを我慢していたウィルは激痛から解放され、うつ伏せのまま大きく息をはいた。


「溜め込みすぎると、こうなる。処置は早ければ早いほうが痛みはない」

「……善処します」


 よほど痛かったのか、諦めを含んだ声音だった。はあ、ともう一度長い息をついて、ウィルは疑問を口にする。


「どうしてルシオラさんは、僕なんかにそこまでしてくれるんです?」

「言っただろう。お前には、生きていてもらいたいと」


 ――あいつはずっと、そういう感情を持たないように生きてる。


 メビウスの言葉がフラッシュバックし、ウィルは皮肉気にくちびるを持ちあげる。


「あのときは、僕が混乱していたからそう言ったのかと思っていましたよ」

「まったく、機嫌が悪いな。信じるも信じないも勝手だが、あれは私の本心だぞ」

「……ルシオラさん。僕はそんなに頼りないですか?」

「なんだ、突然」

「また、をする際には、僕にも知らせてください。あんな姿の、知人を見るのは坊ちゃんだけでじゅうぶんです」

「なるほど。しよう」


 心の奥底をちらりとも覗かせぬ、恐ろしく完璧な微笑みを貼りつかせ、ルシオラは立ち上がる。


「あとで薬を持ってくる。多少苦いが、忘れずに飲め」

「僕は、子供じゃありませんよ」


 ぼやきながら、身体を起こしてシャツを羽織る。くっきりと浮かび上がっていたあざは輪郭も薄れ、ぼんやり視認できる程度になっていた。

 ルシオラは大げさにため息をつき、左手を腰にあてると右手の人差し指をウィルの鼻先に突き付ける。


「この私が苦いと言っているんだ。ただの人間が飲める代物だと思わんことだな」








 自室に戻り、薬の調合をし終えたあと。

 ルシオラは、本棚から無造作に一冊の本を取り出した。背表紙には金で題名が書かれているが、その文字は人間界では使われていないものだ。遺跡の奥底で宙を舞っていた文字に酷似している。

 魔女は本を読むわけでもなく、ただ持っていた。しばらくそうしていたが、不意に本を豊かな胸に抱きしめて呟く。


「……お前にも、この感情は記されていないのだろうな」


 泡沫の記録パーフェクト・メモリア


 ――彼は、あまりに似すぎている。

 美しい顔を苦悶に歪ませ、最果ての魔女は本を抱きしめたまま床に崩れ落ちた。

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