エピローグ

「しかし今回は派手にやってくれたな」

「どうせ、誰も戻ってこねえ遺跡だったんだ。別にいーだろ」


 上からの見た目だけ変わってなきゃ、遺跡の価値は変わんねーんだよ、とメビウスは悪びれた様子もない。


怪鳥ルクが子育てしてる間は近づかねえだろうし。怪鳥ルクだっていまはしょーがねーけど、来年からは元の場所に戻るだろ。原因は潰したし、元々人間に近寄らない鳥なんだしさ」

「そうだな。お前たちが片づけた原因の近くも調べたが、研究所とやらは見つからなかった。まったく、手際のいいことだ」


 リビングと共通の空間にあるダイニングテーブルを挟み、世界の本棚での顛末を語り合っているのは、メビウスと拠点の持ち主であるルシオラだ。ウィルは戻ってきてからずっと魔獣組合ギルドに提出する報告書にかかりきりで、ソラは与えられた部屋に入ったままほとんど出てこない。よって、この家で悠久の時を同じくしている二人で、情報の整理をしているのである。


「で、泡沫の記録パーフェクト・メモリアが言ったんだな? ブリュンヒルデじゃなく、ドクターが魔王を殺してばらばらにしたって」

「ああ。本人にも確認した。嬉しそうに認めたよ。どうやら魔族も一枚岩ではないらしい」


 淡々と話すルシオラに対し、少年は露骨に嫌な顔をして頷いた。


「それはオレも感じた。ヤツはジェネラルをこれっぽっちも信頼してねえ」


 ドクターの嘲笑まじりの台詞が思い出され、メビウスは更に顔をしかめる。自分への言動も含め、あの魔族はなにもかもが受け入れられない。少なくとも、ジェネラルにはまだ彼なりの目的や信念があったように思える。ドクターには、理解できる理由など見受けられなかった。


「結局とどめは刺さなかったのか。あーゆーのは生き残りそうな気がすんなあ」


 眉根を寄せて言葉を吐きだすと、じとっとルシオラを見上げた。魔女はさも当然、と言った風に「生きてるだろうな」と肯定する。


「あの程度で死ぬようなのがいまの魔族だとしたら、封印など破れても問題ない」

「それって、オレの存在意義あんの?」

「魔族をそこまで衰退させた、という意味では大いに貢献してると言えるだろう。……不満か?」

「……いや、不満ではねーけど、納得もいかねーっつーか……」


 ぶつぶつと呟いて、大きく首をひねった。ルシオラはそんな少年の様子を楽しそうに眺めていたが、ふいに話題を変える。


「ソラの様子はどうだ?」


 ルシオラに問われ、少年は歯切れの悪い気持ちを断ち切ってはっと顔をあげる。空色の少女の名前が出たにも関わらず、そこにいつもの笑みはない。メビウスは、困ったような悔やんでいるような複雑な表情を浮かべて、腕を組んだ。


「……どうか、な。両手は元に戻ったみてーだけど。回復魔法といい、あのちからといい……」

「そうか。泡沫の記録パーフェクト・メモリアでのことは、なにか聞いたか?」

「いんや。なにも言わねーからさ。それって、言いたくないってこったろ」


 ふむ、とルシオラは頷き、コーヒーを一口すする。


「急ぎすぎたのかもしれんな。色んなことがありすぎて、ソラ自身もどうしたらいいのかわからんのだろう」

「そうだよなあ……」


 一瞬考えているようなそぶりを見せたが、頷いてぴょこんと立ち上がる。


「うん。ちょっと、行ってくる。ソラちゃんと話すのが一番だろ?」







 こんこん、と少女の部屋の扉を遠慮がちにノックする。


「……ソラちゃん。ちょっと、いいかな?」


 少し、逡巡している気配があった。かすかに衣擦れがして、木製の扉が細く内側に開く。


「ちょっと風に当たらない? 話したいことも、あるしさ」


 へらりと笑った少年の顔をちらりと見、ソラは困ったように眉をさげてうつむいた。その顔色は、普段よりも白くやつれているように見える。


「……わたし、わッ!」


 しばしの沈黙のあと、やっと口を開いた少女の華奢な腕をつかみ、メビウスは強引に彼女を抱き上げる。


「うん。やっぱり、軽くなってる。オレは、女性の体形に口を出さねー主義だけど、ちゃんとご飯は食べなきゃダメだぜ?」


 軽口を叩きながら、すたすたと廊下を抜けて階段をのぼる。最初は抵抗していたソラも、諦めたのかそっぽをむいて身を任せている。

 一段と狭くなった階段をのぼりきった先には、扉が二つ並んでいた。メビウスは迷わず丸窓のついた扉を蹴り開ける。冷たい風が吹き込み、ソラは思わず目を瞑った。


「はい、到着。立てる?」

「おろして」


 思っていたよりもずっと無感情な声だった。これはおろした途端、階段をおりて行っちゃうかもと内心で苦笑いを噛み潰しながら、少女をそっとおろす。風にさらされて冷えた床が、靴底を通してソラの足裏に伝わり、彼女は一瞬身を縮めた。

 メビウスの予想に反し、ソラはぐるりと一度だけ見回してゆっくり前へ進む。大人一人分ぐらいだろうか。すぐに突き当たり、少女は風に長い髪と柔らかな衣服を好きに遊ばせながら、手すりを掴んだ。


「……ここは、屋上?」

「って言うほど立派じゃねーけど。オレの好きな場所」


 へらっと軽い笑みを浮かべて、ソラの隣に両肘を乗せる。ゆったりと宙を泳ぐワームが、魔女の家にぶつかりそうなほど近くにきて、ふらりと方向を変える。ルシオラがかけた結界により、外の世界のいきものには建物も人も見えない。ただなんとなく。そんな曖昧な理由で彼らは家を器用に避けて泳いでいくのだ。

 時々ちからを借りることもある不思議な生き物の姿を追いながら、メビウスは言葉を続けた。


「昔っから、一人になりたいときはここにきてた。ソラちゃんは平気だろ?」

「……え?」


 問われた意味がわからず、隣の少年を見る。


。色んな世界の空気が混ざってるから、慣れてねーと結構つらいんだ」


 いつも通りのトーンであっさりと言う。確かに平気ではあるが、それは暗に彼女がと確信して連れてきたのと同義だと気付く。

 だからだろうか。


「どうして?」


 自分でも驚くほど、硬い声がでた。恐らく、自分の顔はその声に負けないほど硬い表情を浮かべているだろうと思いながらも、ソラは表情を崩せない。

 対してメビウスは、いつも通りの気の抜ける笑顔を貼り付けて首を傾げた。


「うーん、どうしてって言われても。ソラちゃん、瘴気に怯んだことなかっただろ。だから、慣れてるのか、そういう体質なのかなって思っただけ。だったら、気分転換に外の風に当たるのも悪くねーんじゃないかなってさ」


 首を傾げたまましれっと言った少年に、少女は眉を吊り上げてはっきりと怒りをあらわにする。


「……あなたは、わたしのなにを知ってるの? 泡沫の記録パーフェクト・メモリアにも記録がなかったわたしの、いったいなにを知っているの」


 叫び出したいのを必死に堪えている、押し殺した低い声。泣き出しそうに震えるくちびるを噛みしめ、ソラは冷たい床を睨みつける。


「滅ぼすもの。魂を呼ぶもの。死を告げるもの。成れの果てを使うもの。声が、聞こえたの。我を使えって。だから、使ったの。……言葉が、知らないはずの言葉が浮かんだから。わたしは、使いかたを知っているんだって、そう思ったの。だけど、違ったのかもしれない。わたしは結局――」


 なんだかわからない、魂を喰らう化け物なの。


 したを向いたまま吐き出すだけ吐き出して、ソラは顔をあげた。涙は流れていない。白い顔は諦めにも似た笑みを浮かべ、少年に問う。


「メビウス。知ってるなら教えて。わたしは……なに?」


 そんな問いに、メビウスはあっさりと答えを口に乗せる。


「君は、ソラちゃんだ。空から降ってきて魂や命について詳しくて、優しい。オレを何度も助けてくれて、そのためには自分でもわからないちからを使う強さも持ってる女の子。オレが知ってるのは、それだけ」


 身体ごと向き直り、自棄になりかけている少女の顔を真剣な眼差しで見つめた。ソラの表情が、苦しそうに歪む。これはただ、当たり散らしているだけだと気付いたからだ。それなのに、普段はあまり見せない真面目な顔で、メビウスがしっかり自分に向き合ってくれているのだと気付いてしまったからだ。


「オレはさ。正直、ソラちゃんが天使でも魔王でもなんでもいいんだ。ただ、ソラちゃんがソラちゃんであれば――それだけでいい」


 真っ直ぐに夜空色の瞳を射抜いた太陽の双眸は強い意思の光を放ち、ソラの一切の抵抗を封じる。


「ソラちゃんがなにものだろうと、オレは逃げも見捨てもしない。オレはずっと、ソラちゃんの味方だから」


 ――それだけは、覚えていてくれると嬉しいな。


 へらっと、いつも通りの見慣れた笑顔で言われれば、謝罪も言い訳も、ましてやまともに返事をすることすらできなかった。

 ようやくこぼれたのは、たった一言。


「メビウス。わたしを――離さないで」








 ずるり、とものを引きずるような音が薄暗い廊下に響く。悪夢のような魔法を耐えきって地面に転がり、転移陣を使えるようになるまで実に半日を要した。それでも、なんとかくっついている部位は、頭と右腕、上半身ぐらいのものである。ドクターは右腕だけで、永遠にも思える廊下を這って移動していた。動くたび、魔法に貫かれた右目の穴からぐしゃりと血が噴き出し、肋骨が隠れ切っていない上半身はずるずるびちゃびちゃと耳障りの悪い音を立て、中身を引きずって動く。


「……やって、くれたね、ルシオラ・ウルズ・アーキファクト……」


 毒づきながらもその表情はどこか楽しそうだ。いびつだとはいえ、最果ての魔女に対する気持ちは本物なのだろう。

 じりじりとでも進んでいるのだから、いつかは長い廊下を抜ける。抜けた先は、目的の大広間だ。石造りの広間は、腹の底に響く重低音に支配されており、その音を出し続けているのはそこかしこに設置されている機械類である。機械のほかには、それらから伸びるケーブルと、広間の中央に設置された天井まで続く円筒形の筒以外はなにもない。ほとんどのケーブルは、淡く発光する薄い緑色の液体に満たされた筒に繋がっている。


 ふわり、と。


 柔らかな金髪が、筒の中で軽やかに踊るのが視界に映る。こぽこぽと、優しい音がドクターの耳に届いた。

 魔族は仰向けに転がり、いつくしむように微笑む。

 微笑むとドクターは、塞がって間もない左胸に手を当てた。特にちからを入れた様子もないのに、右手はずぶずぶと左胸に沈み、規則的に動く最重要器官を握りしめる。


「予定よりちょっと早いけど、お目覚めの時間だよ、


 治って間もない血管が、神経が、身体を構成する様々なものたちが手に絡みつく。ぶちぶちと不快な音を立て、まとわりつく色々なものを一緒に引きちぎりながら右手を勢いよく引き抜き、まだ動いている自身の心臓を高らかと掲げた。血が飛び散った眼鏡のしたで、彼の細い瞳は弧をえがき、歪んだ口元からは狂気を感じる哄笑があふれ出る。


「さあ、君にボクの心臓かたわれを捧げようッ! 君は新たな魔王として、この世界を支配していくのだからッ!!」

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