19・キメラ
「……違う。アレは苦しんでいるの。一つの身体にたくさんの魂が入ってしまっているから。たくさんの身体を無理やり飲み込ませてるから」
外に出たいって、苦しんでいるの。
ソラのか細い声で紡がれた言葉を肯定するように、
倒れた身体に注目していたメビウスの動きは間に合わない。少年が頭部の異変に気付いたときにはもう、攻撃範囲から消えていた。
しかし、眼鏡の青年は噛みつかん勢いで飛んできた魔人と呼んでいいのかすらわからないそれを、右手に持った銃で殴り飛ばした。メビウスよりも敵と離れた位置にいたため、動くものが視界にはいったのだ。銃身で弾き飛ばされたそれは、空中で長い舌を伸ばしていま自分を殴った銃身に絡みつける。そのまま舌を喉の奥に巻き込み、濃い瘴気を吐き出しながら急速に接近する。衝突の瞬間、ソラは思わず目を閉じた。
聞こえたのは、乾いた空気によく響く、一発の銃声。魔のものの悲鳴と共に二発、三発と間髪入れず続いたそれは、五発目を最後に聞こえなくなり、ソラはゆっくりとまぶたを持ち上げる。
ウィルの左手には、二丁目の銃が握られていた。うっすら細い煙を銃口からゆらりと立ちのぼらせているのは、純粋な魔力をエネルギー弾として何発も撃ちだしたためだ。銃身が熱を持ったのだろう。右を囮にして引き寄せ、対になる左の魔力銃で外すほうが難しい程の近距離でとどめを刺したのだ。最初から右手に握っていた得物に絡みついた舌が、音も立てずに灰になる。
「魔人化した人間は、元には戻らないんですよね」
灰が風に散るのを見ながら、青年は自身に言い聞かせるように呟く。いま彼が灰にしたものは、仮にも人間の頭だったものだ。魔獣の命を奪ったことは幾度もあれど、人間を――それも、彼自身が手当てをした少女だったものを撃ち抜くなど、思ってもいなかった。
少なくとも。
瘴気にあてられて人間やめた子供たち、とメビウスが言ったもの。幼い魔人たちに対する彼の強い覚悟を焼き付けていなければ、撃てなかったに違いない。
ここで撃てなければ。
今後も、躊躇ってしまう。
「……そもそも、首落とされて生きてる人間なんていねーよ」
メビウスが、ぼそりと言った。彼の朱の瞳が、ウィルを見上げる。
青年が口を開く前に、あ、オレは首くっつくけどね? などとおどけて無駄に胸を張る少年を見、ウィルは深いため息をついた。
「坊ちゃんに励まされるようになったら、おしまいな気がします」
「あのなー。お前はオレのことなんだと思ってんの?」
「無駄に長生きだけしてる、手のかかる子供です」
言いながらメビウスを見据え、ふっと口角を持ち上げる。それを見て、少年もまた、にしっといたずらっ子のような笑顔を浮かべた。ブリュンヒルデを肩に担ごうとして、気配が動くのを感じ、身体ごと視線を戻す。
頭をなくした身体がふらりと起き上がっている。肩口にへばりついた苦悶の表情を浮かべる顔と目が合い、一瞬ぞわっと総毛だつ。
なぜならその
顔を失った身体に浮かび上がった負の感情。それが一斉に悲鳴を上げる。心を潰されてしまいそうな血の通った悲鳴に、三人はたまらず耳を塞いだ。
悲鳴を上げ続ける身体に、変化が起きていた。
鎖骨の辺りから、皮膚を突き破るように頭が生えてくる。負の感情を張りつかせ、内部から異物が突き出る痛みに泣き叫ぶ顔を何個も飲み込み、ぎちぎちと嫌な音を立てながら
「……どんだけ混ぜやがったんだ」
呆然と新しい頭部を見据え、怒りと共に吐き捨てる。もう、人間だった面影などほとんど残っていない。ウィルも銃を構えてはいるが、あまり大きく表情を崩すことのない顔は眉根を寄せ、明らかに不快を示している。
「さっきの魔族なら、詰め込むだけ詰め込むってところでしょうか」
ウィルの言葉に応えたのは、魔人の咆哮だった。巨大な口をがぱりとあけ、中途半端な場所から生えた顔はいったいどこから音を出しているのかすらわからない。空気をびりびりと震わせ、耳を塞いでも脳に直接響くような声は、普通の人間が聞いたなら足がすくんで動けなくなっただろう。
それでも、先ほどの頭が生えてくる痛みに泣き叫んだ不協和音に比べれば数倍もマシだった。咆哮がやまぬうちにメビウスは低い姿勢で突っ込み、不意を打たれた魔と人の融合体――すでに魔人とも呼びがたい――
「首落としても死なねーのはオレぐらいだと思ってたけど。どーしたもんかな」
機動力を削いで時間を稼いでいる少年の後ろで、ウィルが一発の弾丸を装着しながら言う。
「死ななくても――
構える魔力銃の前に、緑色の魔法陣が花開くように展開される。魔法陣は大きさを広げながらぐるりと一周し、ぴたりと元の位置で停止した。
緑色の光をともないながら放たれた弾丸は、
――と。
傷跡が、淡い緑色に発光している。そこを中心として、じわじわと身体が灰色に変化していた。変色した場所は砕けた比翼と同じ――石に変化している。侵食は止まらず、斬り裂かれた足を覆いつくし、ぶよぶよの腹を埋め尽くし、動かそうとしていた羽は比翼をくっつけている骨にも及んだ。両腕で傷跡を狂ったように殴りつけるが、その程度で石化が終わるはずもない。
「……こんなの隠し持ってたのかよ」
「ルシオラさんから渡されてはいたのですが、使う機会がありませんでしたし……」
歯切れの悪い言葉に、
「試作品で、効果だけ言われて渡されて、詠唱も知らないんですよ。効いてくれたようでなによりですが」
「死ににくいやつには最高の相性だろうぜ。今度は完成品作ってもらわねーと、な」
ぴし、と小さな音が耳に届く。胸の上まで到達していた石化は、どす黒い瘴気に押し負け始めていた。
「付け焼刃ではどうしようもありませんか」
特に気にもしていないような声音で、ウィルはひとりごちた。
かさぶたが剥がれるかの如く、石になった部分がぼろぼろと剥がれ落ちる。一緒に、身体に浮かび上がっていた顔も幾つか壊れて落ちた。もう、この身体を維持しているのは少女ではないのだろう。精神を蝕む毒によって無理やり魔人として覚醒させられたが、彼女自体は首を斬り落としたとき、もしくは、ウィルがその頭部を消滅させたときにほとんど消えてしまったに違いない。ヒトとしての魂は滅び、一つの入れ物のなかでせめぎ合うほかの魂が表面化してきているのだ。毒によって負の感情を刺激され、幾多の悲痛な叫びを生み出したヒトの顔がいつの間にかぶよぶよとした身の内に取り込まれているのがその証拠とも言える。
自由になったぼろぼろの比翼を羽ばたかせ、今度こそ
「させるか!」
叫んで、メビウスは羽を落とすべく下から巨大な刃を
「尻尾ですか……。いつの間に」
両手に持つ銃で魔力を撃ちだしながら、ウィルは自分の魔力をことごとく跳ね返し、メビウスをも押し返したものの正体を呟いた。腕が再生したときにでも生えたのだろうか。大型の蜥蜴のように、硬い鱗がみっしりと張り付いた尻尾が知らぬうちに増えていて、
「……理解したくねぇ形ってのは、あんなんだよ」
この場にまるでそぐわない、穏やかな声音だった。だがそれは、凪いだ海のごとく見かけだけだ。一見静かな海も、潜れば潮流が荒れ狂っているように、メビウスの内でもふつふつと怒りは湧きあがっている。爆発させるような荒々しいものではなく、深海のように冷たく暗い、すべてを飲み込むような怒りが。
「どうやったら、終わらせられる?」
死ねない辛さは、死ぬほど理解している。身をもって、経験している。
だからこそ、
一番確実な方法は、再生不能まで殺しつくすことだ。身体のなかにあるという、たくさんの魂をすべて使い切らせること。しかしそれは、かなりの長期戦になる。ブリュンヒルデでも一撃で斬り裂けない部分がある以上、お互い削り合いの消耗戦になる。
だが、考えている暇はない。他に方法が見つからない以上、
そう結論付けたとき、一瞬自嘲めいた笑みが浮かんだ。が、すぐにかき消して生命力を源とする魔法を唱える。
「混沌の外に住まうものよ。我が命を喰らいてそのちからを貸せ――!」
赤い魔法陣が左手の甲に吸い込まれていく。同時に、ブリュンヒルデの幾何学模様が浮かび上がる刀身に、赤い光が走る。純粋に殺傷力の増した得物を携え、星屑を足場にして駆け上がると、真横に大きく薙いだ。羽だけを狙っては先ほどのように防がれてしまう。だから、できるだけ広範囲ですべては防ぎきれない攻撃を仕掛けた。案の定、硬い音と手応えがして、空中に留まる術を持たないメビウスは先ほどと同じく弾き飛ばされる。しかし、禁呪で威力を増した一撃は、
尻尾を傷つけられた痛みが、余程頭にきたのだろう。
空中からの集中砲火。
いびつな翼で宙を漂い、ふらふらと定まらない身体でただ瘴気を投下する。狙いも上手く定まっていない故に予測が難しく、避けるのも困難だった。質より量。何体分も蓄えられた圧倒的な瘴気の量で、小さな標的たちを滅することに決めたらしい。
「ウィル! ソラちゃんと避難しろ!」
「ですが坊ちゃん……ッ」
「オレは
「そのほうが動きやすい……一石二鳥ですか」
「だろ?」
「正直、これだけの瘴気はあまり気持ちが良くありません。わかりました。お願いします」
近くに黒いかたまりが落ち、大量の瘴気が辺りに満ちる。メビウスは当てずっぽうに落とされる瘴気の爆弾を斬り裂き、跳ね飛ばしては星屑を最大限出現させて浄化をおこなった。
その間にウィルが端から回り込み、ソラへ近づく。少女は、ただぼおっと突っ立っているだけだ。瘴気が吹き荒れ、上空からも瘴気のかたまりが投下され続けるなか、一歩も動く気配がない。
さすがに様子がおかしいと青年も首を傾げたときだった。彼女に向かい、一つの爆弾が吐き出される。
「ソラさん! こっちへ!」
「ソラちゃん! 避けろ!」
叫びながら、星屑をソラのもとへ飛ばし、自身も駆け出す。間に合うかどうかなど、考えるまでもなかった。
「うおおおおぉぉぉぉおおおッ!!」
雄叫びとともに、最大限のちからで得物を投擲する。青と赤の煌めきを残して、巨大な剣はソラに迫る瘴気の爆弾へと一直線に飛ぶ。
そんな光景を、空色の少女はまるで
否。
眺めているしか、できなかったのだ。
身体が、自分のものではなくなったかのように、動かない。
――我を使え。
頭の中で何度も声が響く。男とも女とも取れぬ不思議な揺らぎを持つ声は、昇降機で聞いた声と酷似していた。
――冷たいところは、いやなのであろう? ならば、我を求めよ。
あなたは――誰?
ブリュンヒルデを手放した少年が、爆風で飛ばされるのが見えた。治り切っていない背中の傷から、鮮血が飛び散る。
ソラの瞳にちからが宿る。
――我を求めよ。
少女の問いに、返事はない。
だが。
なにもわからないまま。
なにもできないまま。
このまま終わるぐらいなら――!
「……我は――使役する者」
空色の少女は、声の言うまま『ちからある言葉』を唱える。そこに、追い求めるちからがあると信じて。
「汝は我を求める者か。ならば我のちからとなれ――
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